佐藤ももか 景色
「足動いてるぞ。いいぞ。ハンズアップとリバウンドだけはサボるな。ファールはするな。我慢だ」
ハーフタイムになると小野寺先生はすぐに私たちを座らせて、手を叩きながらそういった。口調は穏やかだ。それ以上は何も言わない。タオルで顔を拭いて、スポドリを煽るといつもより少しだけ甘く感じる。
私たちが港南東に勝ってベスト8を決めた時、一部の人がキセキって言っていた。確かにうちの高校がベスト8まで残ったのは初めてのことだから、わからないでもない。けど、秋大会でも新人戦でも私たちは惜しい闘いをしてきた。だから、これは別にキセキとは違うんだと思う。キセキっていうのはさ……多分ずっと前から起きてたんだと、私はなぜかそんなことを思った。
『王道に近道なし』の文字が左目にちらつく。女王の圧は対戦してみるとそれまでの相手とは段違いだった。何をするにも重たい。体力が削られた。ハーフなのに試合終了くらいの体の重たさだ。これが全国の体感なのか。アップをしている次の試合のチームの動きはさすがに俊敏だった。さっきまでの私たちと同じだ。彼らも一時間後には、頭にドンドンって脈を打つ音が響くんだろうな。汗が首筋と顎と、それから右腕をつたっていく感覚が、大嫌いだった夏錬を思い起こす。
ずっと嫌いだったのかもしれない。というよりか、苦手だったの方がしっくりくるか。遥のせいで手を抜けない。それで自分が楽をしているみたいに見えるのが、本当に嫌いだったんだっけ。
同じクラスで同じ部活、整った容姿を持ち合わせてるくせに、モテようともせず、メイクもインスタも何にも興味がない。そのくせ、部活だけはマジだった。私たちには何も求めてこなくて、無言で一人で走ったり、練習では決して手を抜かない。私たちが5ダッシュで手を抜いても、走り込みを少し端折っても、何も言わなかった。朝練だって毎日してたらしいけど、そのことを誰かにいう訳でもなく、誘うわけでもなかった。ただ遥のあの遠くを見るような目がずっと苦手だったんだっけ。
「メイちゃん、ディフェンスナイス。相手五番ちょっとイラついてるよ。ドライブインできないと調子でないもんね。ダブルチームもナイス判断」
遥の声が遠巻きに聞こえた。内容はかろうじて入ってきた。今はハーフタイムだってことを忘れていた。試合中だ。あの豊岡女子と。
「レンもスリー調子よさげじゃん。でもまだいけるっしょ?」
遥は笑っている。ここで笑える神経が私もほしい。
「いくっしょ。後半も入れてく。メイも打ってね。うちらで得点とってこ」
遥はなんでそんなに楽しそうなんだろう。私の足はまだ動くけど、これ以上ドライブインを抑える自信は正直なかった。あの五番は私の方向付けなんか破ってくるだろう。それでもまだ、くらいついてやるんだけど。
遥は若菜の付けているスコアを見せてもらいながら、キキに気づいたことを聞いている。私たちはそれに耳を傾ける。キキはいつも相手の選手の細かいクセを教えてくれる。例えば、相手の十二番はリバウンドを取りに行くとき必ず右から踏み出すとか、六番は左サイドのシュートは本当に少しだけ躊躇ってみえるとか。遥は笑ってキキにすごいなとか言って、目がキラキラしてる。
遥のことが苦手だったのは、多分、みんなも同じだったのかもしれない。その寡黙な背中は、いつも浮いてて孤独だった。ちょっとかわいそうとか思ってたのに、遥の目はなぜかキラキラして見えて、ずっと変わらなかった。そのことに気付かないで、知らずにいれたら、部活後も楽しくアイスとか食べたり、ジュース飲んだり、そんな毎日を過ごしてたんだろうな。今だってきっと試合なんてしてない。県大会にも出れずに、塾で勉強してたかな。
審判が笛を短く吹いた。後半開始三分前だ。小野寺先生はごく簡単な戦略を話した。初っ端からオールコートを仕掛ける、二本連続破られたらハーフに戻る。これだけだ。それからは、レンに託した。
「ディフェンスはメイが相手五番を抑えてくれてる。サツキとルルがあのセンターをノーファールで耐えて、リバウンドも負けないでいてくれる。ディフェンスのローテも自動で対応できてる。リンがボールキープできるから、みんながスクリーンかけてくれるから、私が得意な場所で勝負できてる。ありがとう」
「お礼言ってる場合じゃないでしょ。後半レンにダブルチームかもしれない。そしたら、ノーマーク必ずあるから、慌てずに。そこはリンがうまくパス出してくれるよね?」
サツキがいつもみたくカバーして、リンに話を振る。
「うん、まかせて。後半初っ端、プレスで一本くらいは取りたいね。相手の勢い崩してやろう」
この流れは次は私なんだよね。
「相手が強いのは分かってる。それでもまだ足が動くうちは、私たちのバスケをやろう。やってきたことコートに置いてこよう」
私がそう言うと、全員がレンをみた。
この目だ。この遥のキラキラしてた目が気になったんだよ。だって、どんな景色がみえてんのか気になるじゃん。私にも何を見てるか教えてよって、いつからか思うようになったんだよな。いつからかわかんないけど、そんなんだったな。夏錬は嫌だったけど、今は思うよ。走ってよかった。
「向こうはそんな感じじゃないけど私たちはバスケを楽しもう。じゃ、いくよ」
そう言ってレンは笑いながら、大きく息を吸っていつもの掛け声をだす。
「ゆきこー」
「「ファイッ」」
豊女ボールからだ。ディフェンスで五番に触れる。相手はあの豊女。しかも私のマッチアップはあの中澤未来。こっちがぐっと押しても体幹がまったくバレず、逆に圧を返される。ラスト二十分か。そう考えた途端に、応援がこだまする。低い声がうちで甲高い声は向こうだ。応援は負けてないからね。私たちだって負けたくない。かじりついて、チャンスを作ろう。自分の仕事をしよう。全身に血がめぐり、脈を打つ。鈍い音が頭に響く。足の感覚は不思議と軽い。まだ走れる。あんだけ夏走ったんだから。
またポストかよ。どんだけ横澤さんを信頼してんだろ。まあキャプテンだし確かにすごいし、分からなくはないけどね。五番は、パスランでインサイドに入り込んでくる。さっきと違う動きだった。やられたと思ったらもうパスは入っていた。ポスト間のコンビネーションで、試合は振り出しに戻った。
「一本取り返そう」とレンが言う。後半、豊岡女子はレンにだけフェイスディフェンスだった。シールみたいにピッタリついてくる。そりゃそうだな。それが分かるとレンはコートの隅に引っ込んだ。レンはニヤニヤ笑っていた。
私はレンのいる方へスクリーンをかけにいく。レンは大きく功を描くようにエンドラインを緩急つけて走り出す。逆サイドのコーナーでサツキを呼ぶと、レンはフリーでボールをもらう。当然相手ディフェンスが慌ててシュートチェックに入る。レンはワンドリで交わすと、ゴール下にパスを出し、サツキはそのままフックで決めた。
私たちはオールコートを仕掛ける。五番の中澤がボールを持つと、そのままドリブルで突破する。呆気なく二点を取られてしまった。彼女にボールを持たせては行けないんだ。
「取り返そう」
レンはやっぱりそう言うと、先ほどと同じように左コーナーに移動した。しかし、今度はリンからボールがウィングに降りなくなる。前半と違って、ディフェンスのあたりがまた一際強くなった。一枚剥がしてボールを貰うだけでも、きつい。それはおそらくリンも同じようだった。一瞬の隙を、中澤は逃さなかった。リンからボールをスチールすると、そのままレイアップを決められた。
あっという間に、四点ビハインドになった。リンに疲れが見えた。咄嗟にレンが、ボールは私とレンで運ぼうとサインを出す。レンにフェイスでつく九番はトップの位置でも、ボールを持ったレンにべったりついた。余程ディフェンスに定評があるのか? それかレンがドリブルインも得意なの見てなかったかな? その瞬間レンは九番を抜いたかと思うと大きなステップバックをして、スリーを決めた。レンは楽しそうに笑っていた。
次の瞬間、私たちは全員腰を低くゾーンプレスを構えた。リンは五番にパスが入らないように私と一緒につく。ボールはレンのいる七番に渡った。七番はレンをドリブルで突破しようとするも、ハーフラインギリギリで止まった。リンがダブルチームに向かう。私は五番にだけはパスが入らないよう、フェイスでついた。あとはサツキとルルにまかせた。レンとリンがプレッシャーをかけると、七番のパスエリアは格段に狭まった。苦し紛れに出したボールをサツキが取ると、私は走り出した。サツキからボールを受け取ったリンは私にボールを送る。そして、私は練習通りのレイアップを決めた。
続いてプレスをかけようとした時、五番の中澤は少し時間を使って、全員にドリブルを禁じ、パスで繋げとはっきりと指示を出した。レンはそれを聞いて、ゾーンプレスを解く合図を出す。私たちはハーフに下がる。
それからは、向こうが得意とする流れに変わっていった。きっちり守り、一番確実なところから点を取る。彼女たちのプレイスタイルだ。次第にジリジリと点は離されていった。どうしようもない力の差といえばそうなのかも知れない。でも私たちはみんなまだやれるって目をしてる。
第三クォーター残り二分、雪が丘は十二点差でなんとか喰らい付いていた。このディフェンスはまじできっつい。肩で息をしてしまう。そうなのに、レンはやっぱり楽しそうに笑っていた。ボールをどんな風にもらうか考えているのだろう。リンはそんな風に笑うレンに応えるために、必死にボールをキープし、レンにベストパスを出していた。そして、サツキはスクリーンをかけに外に出ていく。ここまでこれたという気持ちと、どこまで自分たちのバスケが通用するかという気持ち。挑戦者である私たちにはあまりプレッシャーはそぐわないのだろう。やれることをやるだけだ。レンは勝負時ほど声を出さなかった。背中で導くタイプだ。
私たちは多分遥の無言が怖かった。けどいつか、話してくれたチームの勝ち筋みたいなの、みんなちょっと引いてたけど、内心『全員で戦うバスケ』とか、全日本みたいでかっこいいじゃんって思っちゃったんだよね。それからさ、私ら2年は走りまくったよね、外周も、坂ダッシュも。遥が、練習が裏切らないって証明したから、私ら必死でついていった。遥、試合でシュートめちゃめちゃ決め出してさ、あんなの、みんな憧れるって。一番近くで見てた私はさ、もう震えるって。
遥はケガをしても、弱音を吐かなかったよね。頼ってほしかったのに、一人黙々と自分の殻に入っていった。遥に頼るのは、やめようってみんなで話をしたっけ。
あの時、あのミーティングで初めて教えてくれて、遥は弱音どころか、もっとすごいこと言い出して、あの状況でシュート範囲広げるとか、普通思いつかないでしょ。それからみんなで、シュート打ちまくって、ここまできたんだっけか。
私はスクリーンを掛けに遥のもとへ走った。何度も何度もやってきたうちのセットプレー、さあ、遥、打って。リンが極上のパスを上げるから、いつもの一本をちょうだい。
遥が手から押し出したボールは、回転としながら高い円を描き、ほぼリングの真上からコートへ落ちた。一瞬の静寂のあと、会場に歓声が沸く。キセキっていうのはさ……とっくに起きてたんだよ。私たち全員が遥の語る全員バスケに憧れちゃったときから、少しずつ起きてたんだ。
ねえ、このチームのバスケ、見てて楽しいでしょ。こっちはめちゃめちゃしんどいけど、その分数倍楽しいんだ。
ねえ、遥、これだよね? 遥がずっと描いてた景色。私今見えてるよ、遥と同じ景色が。バスケめちゃくちゃ楽しいね。私はこれがキセキなんじゃんって思うんだ。
私たちは、即座にオールコートを仕掛けにいく。どんなにしんどくてもみんな口角が上がってるのなんでなんだろう。バスケが楽しくて、まだ一緒にやってたいって、多分さみんなそんなこと考えてたんだと思う。
私たちはベスト4進出はかなわなかった。後悔がないとは言い切れない。涙も溢れ出てくる。
遥もリンもサツキもキキも若菜も目を腫らして泣いた。私たちのバスケ漬けの毎日は終わった。
遥がいなかったら、こんなしんどいバスケしなかった、自分に対して嫌悪感も感じなかった、バスケこんな楽しいって、こんなに勝ちたいって思えなかった。何より、やりきったって思えなかった。ちゃんとありがとうって言いたいんだけど、照れくさいから、また今度言うね。この景色は、きっとずっと消えない。




