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願わくば、同じ君へ  作者: 凛々花
第一章
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佐々木葵斗 県立雪が丘高等学校

 県立雪が丘高校は、このあたりでは名門として知られる歴史ある進学校だ。『文武両道』を掲げ、多くの生徒が勉学と部活動の両方に日々勤しんでいる。

 その校舎は、かつて『雪が丘』と呼ばれた丘陵地の中腹を切り崩して建てられたらしい。敷地内に緩やかな坂道が幾筋も走っている。


 正門をくぐると、正面に校舎が出迎える。校舎向かって左に自転車置き場がずらっと広がる。校舎は合わせて四棟あって、全て同じ向きに並んでいる。手前からA棟からD棟だ。校舎の左には生徒用の下駄箱があって、一、三年生はA棟で、二年生と定時制の生徒がB棟を使っているらしい。A棟の正面の昇降口は来客用で、そこにはしだれ桜が根を張っている。僕は品のある爺さんがお辞儀をしているみたいだと思った。淡いピンクの花びらは春の風に、ふわふわとどこかへともなく飛んでいく。


 入学三日目、今日も早めに来てしまった。ホームルームまであと三十分近くはある。昨日は校内を歩いたし、今日は一番奥に位置するグラウンドまで行ってみよう。


 校舎に向かって右に進めばプールがあって、そのまま少し進むと、緩やかなイチョウ坂に入っていく。秋には黄金色に染まり、静かな風が吹けばかさかさと葉が音を立てるのだろう。坂を上ると、二階建ての体育館の赤い屋根が見上げた顔のすぐそこに見える。体育館からはバスケットボールが弾む音が聞こえてくる。

 体育館に隣接する古びた部室棟の二階がちょうど同じくらいの高さに見えた。その一階に目を落とすと、錆びた靴箱に履き古されたスパイクがぐちゃぐちゃに突っ込まれたり、ところどころ皮の剥がれたラグビーボールがころんと転がっていたり、かと思えば、陸上用のスパイクシューズがビシッと並べかけられている。そして一番端っこの木箱に入ったバットとボールが目に入る。あそこが硬式野球部の部室だ。


 学校で一番勾配の大きな坂は、グラウンドへ続くこの坂だろう。くの字の坂のちょうど中腹に、『一本桜』と呼ばれる大きなヤマザクラがそびえている。ソメイヨシノよりは少し遅咲きなのか、今がちょうど満開だ。また少し上れば、途中に梅の木が一本、さらにその脇を抜けた先に木造の弓道場が静かに構えていた。黒ずんだ木の壁と苔のむす置き石を通る時、僕は少し背筋を伸ばした。そして、最後の坂を上りきると、ようやく広大なグラウンドが姿を現す。サッカー、陸上、ラグビー、そして野球、それぞれの部が同時に活動できるほどの広さを誇るが、設備そのものはどこも古びている。今はラグビー部の数人がグラウンド整備を行っていた。

 僕が見学で初めてこの雪高に来た時、この壮大な雰囲気に圧倒された。ここで白球を追う自分の姿がクリアにイメージできて、一瞬で僕の第一志望校となった。


 僕は小学校から草野球を始めた。手の先を離れたボールが狙い通りの場所へ飛ぶ時の、ボールがミットグローブに収まる時の、バットがボールの芯をとらえた時の、いろいろハマる感覚に僕がハマった。それは一人ではできなくて、チームメイトと一緒に昨日できなかったことが今日はできるようになる、という感覚がたまらなく楽しかった。

 中学に入ると軟式と硬式に分かれて、僕の親友はシニアリーグでプレーするようになった。まだ背の低く力の弱い僕は両親からは反対され、それ以来彼と一緒に野球をすることはなかった。中学の部活でも楽しく軟式を続けていたが、みんなどこか気の抜けた雰囲気だった。それは多分僕たちが、本当に上手いやつは硬式をやっていることに気がついているからだ。誰がいうわけでもない、ただなんとなく察していた。上手いと下手をこれでもかとふるいにかける無情な野球というスポーツに、僕はどこかで恐れを抱きながらも、それでも、僕は野球が好きなんだと思う。


 硬式ボールは硬くて重い。


 僕はちゃんとわかっている、ずっと硬式をやってきた猛者が集まる私立の強豪校に、県立高校は足元にも及ばない。費やしてきた時間やお金も、触れられる知識や技術、得られる経験も、容赦のない競争制度も、圧し掛かるプレッシャーも僕らとはまるで違うんだ。彼らが目指すのは紛れもなく甲子園だ。そうだ、高校野球、夏、甲子園。

 野球をしていれば、その響きに憧れないやつはいないと思う。ジャイアントキリングみたいな奇跡なんかは最初から望んでいない、漫画やドラマの世界のようにはいかないってこともわかってる。やっと、同じ硬式という舞台にたてたんだ、ただ、野球をするものとして、同じ舞台に立てた今を、この瞬間を、一生懸命駆け抜けたいと思うだけなんだ。


 入学三日目から遅刻とかは避けなければ。もう少しで予鈴が鳴る。急げば、教室まで間に合う。坂を下る途中、体育館の脇の扉から、さっきの音の主だろうか、ちょうどボールとバッシュをもって出てきた。髪の短い女子のようで、どうやら、彼女も急いでいるみたいだ。僕はまだ慣れない坂道に少しよろめきながらも、やはり履きなれないスタンスミスで遠慮がちにアスファルトを蹴っていく。くの字坂から長いイチョウ坂に入るとき、勾配が少し緩やかになった。僕は思い切り駆け出してみた。こんな朝の始まりも悪くはないかと僕は思う。


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