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願わくば、同じ君へ  作者: 凛々花
プロローグ
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瀬山遥 手紙

 あの時、あの手紙を渡せていても、私たちはきっとうまくいかなかった。あまりに無知で、切実で、祈りのようなそんな恋だった。

 実家の駅で電車を降りると、蝉の声が耳を破り、潮の香りが鼻を抜ける。懐かしさはズドンとはちきれた。血の気は引いて、一気に汗が噴き出した。ホームのベンチに腰を掛ける。蟻が必死に何かを探している。ベンチ脇の自販機で水を買って、ゴクゴクと煽った。そのままに見上げた空は突き抜けるように高く青く、流れる雲は儚く白く、時の流れが錯綜しだす。カフェラテみたいな君の声、森林みたいに優しい眼差し、お守りみたいなゴツゴツした手、そのどれもがどうしようもなく、愛しい。

 あれから十年か。短かった髪も今ではこんなに伸びた。色褪せた青い長椅子も、破れかけたポスターも、文字のかすれた看板も、夏草つたう金網フェンスも、何もかもあの頃のまま、ここは何も変わっていない。

 スマホの案内画面をもう一度見る。『同窓会』の三文字を見たときから、ずっと明日を意識していた。今この瞬間も何を着ようだとか、ヘアアレンジをどうするだとか、頭の片隅ではそんなことを考えていて、なすこと全てが君に向かっている。なんだか笑えてくるのは、十年を経てもこんな自分がとても滑稽に思えるからだ。いつかの帰り道、ちょうどこの踏切の辺りで、もしかしたらずっといつまでも忘れられないんじゃないかって思ったりしたけど、それが本当だったんだから、どうしようもない。

 始めは気のせいだと思っていた。だけど、いつからか覚悟を決めた。私は多分まだ君が好きだと、だからいつか君と会えるなら、その時は人としても女性としても魅力的でありたい、そう思った。そう思えば、どうしようもない日々も力が沸いて、仕事も家事も身が入った。私の行動の全ては君に向かっていた。

 ふとした瞬間、思い出すのは記憶の隅にある些細なことだった。例えば、桜の花びらの変則的な落ち方とか、冷たくなったココアの缶の感触とか、吐く白い息の消え方とかだ。君との全ての瞬間を覚えていようとするあまり、細部に捕らわれていたのかもしれない。

 そんなことより、もっとちゃんと君の瞳をまっすぐ見ていたら、もっとちゃんと言葉にしていたら、何か変わっていたのかなとか、そんなことを考えたりして、もうずっと、君の笑顔と声が頭から離れずに、ままならない日々を過ごしてきた。


 日傘を差して歩道をいく。あの頃羨ましく思っていた洋風の一軒家には蔦がまとっていたり、かと思えば、電信柱の妙な文言は健在だった。実家は変わらずそこにあって、戻ってこようと思えば週末にでも帰って来られた。だけど、都内の姉の家で両親と会うばかりで、ここには足が及ばなかった。それが正解だと思い込んでいたのは、ここにくれば、まだ思い出になりきれていない思い出たちに、胸が打たれることが分かっていたから。私の心の中の大切な記憶を、私はまだ直視できずにいる。思い出なんかにしたくなかった。

 はたしてやっぱりそうだった。今も、一緒に帰ったあの時が妙にリアルに感じる。真夏の太陽さえ、真冬の夜空に変わっていきそうだ。これはこれで、自分の執念じみた思いに吐き気がしなくもない。気づけば汗だらけで、着替えのTシャツあったかななんて考えながら、実家の無駄に重たいドアに手を掛ける。


 父が江戸切子のガラスカップに麦茶を出してくれた。お礼を言って飲み干すと、私は荷物を置きに、自分の部屋へ向かった。ほとんどがそのままの状態だった。バスケに夢中だった私らしい私の部屋だ。むせ返るような暑さと何かに、私は思わず、床に座り込んだ。ちょうど椅子に掛けられたリュックが目の前だ。背中のポケットの一番奥には、ひっそり眠る五円玉と渡せなかったあの手紙が挟んである。

 手に取ると、不思議なほどそれはちゃんとそこにあって、私の心の中の一番奥の大切なところに触れる。その瞬間、ずっとそのままにしていた色々な記憶が呼び起こされる。

 青空に浮かんだひつじ雲、パックジュースの甘い匂い、部室棟の錆びれた階段の冷たい感触、まっすぐ伸びるメタセコイヤ、桜の木の下で寄り添う御影石、中庭の寂しそうなプラタナス、それどれもが今でも胸をきつく締め付ける。


 明日君に会えるだろうか。願わくば、同じ君へ。


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