妖花、咲く8
ウェールズ家所有のメアリの別荘は、ウェールズ家の裏の本拠と呼んでいい地位にある。
ここは元々、秘密結社・混沌花の研究施設として作られた建物であり、その研究成果が生まれる場所でもあった。
ここがメアリの所有物になったのは、メアリが結社の最高位に就いたからである。
大幹部であったメアリの父、エドワードは結社の第三位・導師。導師は複数名存在し、各部門の管理者を意味する。
メアリが完成する前は、この第三位こそが結社の最高位であった。
五年前から導師の上に君臨することになったメアリは、第二位・王女を経て、第一位・女王となっている。中でも第一位は、それぞれ一人しか与えられない。
これは一種の名誉職であり、秘密結社・混沌花の最終目的そのもの。
百年以上前、「強い支配者を作ろう」とこの地に根付いた旧帝国の残党達の意気込みが、研究成果に結社の最大権力を与えるという制度として残ったのだ。
とはいえ、百年以上前の話である。
世代にして四代から五代も経れば、当初の目的や理念など倉庫の奥深くで埃をかぶるもの。事実、メアリは第一位・女王へ就任してから三年、実権的にはエドワードの指示に従っていた。
つまり、制度上のトップであるメアリの地位は、決して盤石と言えるものではなかった。
制度の位階など関係なく、彼女を実験体として見る者も組織には多い。
そこに、大幹部エドワードの死である。
秘密結社の内部は、王国西部の表側に負けず劣らず、動揺していた。
――その中心にいる者達は、その揺れを新手の遊びのように楽しんでいたが。
****
赤薔薇騎士団の第二位と目される一番隊隊長、キリエは食堂の椅子に腰かけてほっと一息を吐いた。
二週間に及ぶ遠征任務はつらかった。キリエはまだ二十代前半であるし、寄生している血薔薇のおかげで高い身体能力を維持しているはずなのだが、普段と違う環境で昼夜を過ごして平気というわけではないらしい。
特に、任務中一緒だった騎士団長でもあるメアリお嬢様が不機嫌だったことが一番肩こりの原因になっていると思う。
まあ、あの人が不機嫌になるのも仕方ない、とキリエは思う。
何せ、キリエ達は部隊毎にローテーションを組んで休みを取っていたが、メアリは二週間ずっと先頭だったのだ。いい加減うんざりとした顔にもなろうというものだ。
けれど、やっぱり団長にはなるべく笑顔でいて欲しいとキリエは思わずにはいられない。あの人の顔色一つで消耗具合が全く違う。
どうにかご機嫌取りの方法がないものかと、キリエは頬杖をついて溜息を一つ。
さらりと流れたポニーテイルの下、遠征の垢をお風呂で落としたばかりの女騎士のうなじは、ほんのりと赤い。
「た・い・ちょう」
そのうなじを、つぅっと撫でる指が一本。
「ひうぅ!?」
「あはは、キリエってば、相変わらず首よわーい」
「き、貴様! いつも止めろと言っているだろう!」
赤い顔で振り返ったキリエの視線の先、侍女のマリエが愉快気に笑っている。
名前が似ているせいか、姉妹かとよく聞かれる二人だが、元々は赤の他人である。しかし、マリエが姉妹扱いを気に入ったらしく、悪戯な妹のような絡み方をしてくる。
絡まれるキリエは、真面目な姉のようにそれを受け止める。
「まったく、次にやったら承知しないからな」
「は~い」
マリエが元気はよく、反省はなく返事をする。キリエの言う「次」が、いつまで経ってもやって来ないことを経験上知っている反応だった。
二人並んで、用意された今日の昼食を食べ始める。
「留守の間、何もなかったか?」
「何もなかったわけじゃないなぁ。キリエ達が外で大暴れしてる間、何をしているんだみたいな、確認? 文句? そういうのがわんさか来てたよ。その辺の貴族からも、結社内からも」
「うん。まあ、来るだろうな、それは」
今回の人さらい一掃作戦は、メアリが表立って行った初めての独断だ。
エドワードの死と共に広がった戦果報告は、周囲がどんな反応を示すべきか不明瞭な状況に押しやるだけの圧力があったことだろう。
「でもま、おおむね平和でした! 一番の大怪我は、倉庫整理の子が頭ぶつけたことじゃないかな?」
「それは何より……いや、その子が可哀想ではあるか」
キリエは、笑いながらシチューを口に運ぶ。遠征中の食事と違って実に美味しい。
「うん、美味い。今日の肉はなんだ?」
「あたし達がお世話してた豚ちゃん」
「……とうとうバラされてしまったか」
「メアリ様が帰って来る日はご馳走でお出迎え、ということで。先日、皆で泣きながらヤりました」
キリエは、美味しい食事に喜びながらも、スプーンの上の豚肉に表情を緩めきれなくなる。侍女達が可愛がっていた頃の豚が脳裏に浮かぶ。
それはマリエも同じようで、口の中に豚肉を放りこむと、ぎゅっと目を閉じて噛み締める。
「悲しいけど、豚ちゃん美味しいなぁ!」
「うむ、美味い、とても美味いぞ、マリエ」
キリエは豚を褒めながら、妹分の肩を抱いてやった。泣けるくらい美味しい。
そこに、キリエの部下がやって来る。
「隊長~、お届け物が……って、なんすか。遠征上がりの屋敷ご飯、そんな美味いっすか?」
「ちょっと、特別な味わいなんだ。塩気が効いた感じの」
「え? さっき食べた時は、いい塩梅だったと思ったっすけど……。ま、いいや、隊長宛の手紙があったんで、持ってきたっす」
そういって部下が差し出したのは、差出人も宛名もない手紙だった。それも十通ほど。
「業務用の書類なら、さっき一通り確認したんだが」
「だから、私用で送られてた手紙なんじゃないっすか?」
「自慢にならないが、私の交友関係はこの屋敷の人間だけだぞ」
キリエは親が死んだ後、村で養うことができないと奴隷商に売られた人間だ。私用の手紙を送って来る相手なんかいない。
いや、同僚から恋文をもらったことはあるけれど。
キリエがマリエに視線を送ると、こくりと頷かれる。
「だから、言ったでしょ? 確認とか文句とか、わんさか来たって。そりゃあキリエは赤薔薇騎士団の一番隊隊長様だもん。ごたごたが起こる時には、あたしも手元に欲しいわ」
つまり、これから起こる権力争いで敵を蹴散らす手札として欲しい、と言うラブレターだ。
「マリエなら言われなくても守るが、いざ厄介事が目の前に迫ったから助けてくれなんて輩に手を貸すほど、私は優しくない」
「えへへー」
「どうした。気持ち悪い声だして」
「え、可愛い声だったでしょ!?」
どうやら可愛い女の子を演じたかったようだ、と察したキリエは、正直な感想を述べるのは可哀想に思い、咳払いする。
「それに、まあ、こうしてこっそりと手紙を渡そうとしてくる相手だ。どうせメアリ様の敵なんだろう?」
「ま、そーですネ。それ預かった子、内密にってことで、お金もらってたみたいですヨ」
マリエの口調がおかしい。気遣いのかいもなく、機嫌を損ねてしまったようだ。
「メアリ様に知られたくない中身があると言っているようなものだな」
なお、その手の秘密はこの屋敷では守られない。絶対に守られない。
メアリが好きだから、それはもちろん。
メアリが恐いから、それも当然。
そしてトドメに、メアリ以上の報酬を用意する者がいないのだ。
そうである以上、口止め料をポケットに突っ込んだこの屋敷の住人達は、きちんと上司に報告を上げる。
そうすると、次の給金に報告手当が増えるのだ。ものによってはメアリ様直々にご褒美をくれる。
キリエが、中身が破けていいやという雑な手つきで封筒を開ける。中身は、案の定だったので、キリエの口元が引きつる。
「メアリ様に反逆して得られる報酬が、良いとこ騎士団長待遇とか」
「ハイリスク・ノーリターンすぎる」
「メアリ様のところで平騎士、いや、荷物持ちの方がまだマシっすね」
マリエと部下も口々に同意する。
ああ、名目上の役職は上がるだろう。キリエは頷く。
だが、生活環境の激烈な悪化は避けられない。例えば、キリエ達が食べている食事など、絶対に味が悪くなる。
何故なら、ここの食堂で出されている食事は、メアリお嬢様も食べているのだ。領主一族と同じ物が出される、家臣・従者用の食堂。どう考えてもこの世に同じ物があるとは思えない。
これは、メアリお嬢様の対等なる腹心ことカミラが原因だ。
ある日、彼女は言った。
「知ってるか、メアリ。煮込み料理を始め、料理の中には一度にたくさん作った方が美味しく作れるものがあるんだ」
「ふうん? じゃあ、それを食べさせなさいよ」
美味しいご飯が好きなメアリは、即座に命じた。
その日に出された魔鳥のスープは、カミラが数日前から技巧の限りを尽くして用意した特製品だったが、メアリには黙って――家臣・従者用のもまとめて大量に作ったと説明して――食卓に並べられた。
「本当に美味しいわ! カミラ、今度から全部こうやって作りなさい!」
当時十歳の主人は、あっさりとカミラの策略にはまった。
その日から、主人用の厨房予算も全て従者用厨房に回されることになり、従者達の食生活は劇的に改善した。
結果的に自分用の食費をがっつり削られたメアリお嬢様だが、後日カミラの企みに気づいても、「自分達の厨房に予算が欲しいなら、そう言いなさいよ」と苦笑されただけで済んだ。
今日も、キリエ達と同じシチューをメアリは食べているはずだった。
また、メアリ配下は衣住の環境も良い。
厨房予算事変の後、従者達は思った。
「厨房予算が欲しいなら言えってことは、他の予算についても言えば出してくれるのでは?」
出してくれたのだった。
侍女や騎士達の仕事道具はもちろん、寮の家具から衣服まで。「そんなこと我慢してたの?」という呆れ顔でメアリは購入を許可した。
メアリの実家は辺境伯家である。
領地は広く、エドワードの代になってからは治安も改善して税収も多い。それでも、メアリが従者全員の要望に無造作に応えた結果、メアリのお小遣い予算はかつかつになってしまう。
「しまった。夏用のドレスに合わせるアクセが買えなくなったわ」
「メアリなら別にいらないじゃん?」
「そうね、私が綺麗だから飾りなんていらないわね」
メアリ・ウェールズとは、こういう主だった。
贅沢を好むが、なくても困らない。だから、目下の者が欲しがれば財布が空になるまで振る舞い、平気な顔をしている。
配下にしてみれば、理想の主人で、この世に二人といないと思える主人だ。
その一方で、キリエに手紙を出してくるような連中である。
「うわぁ、懐かしい。私を買う時に値切りに値切った奴隷商の名前だ。まだ生きてたのか、あいつ」
くたばっていれば良かったのに、という本音が響くキリエの口調だった。
「他の子にも手紙はたくさん来てるけど、大体そのパターンみたいだね。奴隷商の繋がりから辿って、うちの派閥に協力しろ、っていう感じ」
「マリエにも?」
「ま、一応ね。キリエみたいに部下になれ、みたいなのじゃなくて、情報を寄こせば褒美をやろうみたいな」
説明しながら、マリエは気持ち悪そうに舌を出す。
「あ~、やだやだ。文面全体からあふれでる、あたし達を奴隷扱いしている感じ。ふん、どうせ褒美なんてこのシチュー一杯分のお値段にもなんないでしょ」
「まったくだ。私の騎士団長にしたところで、どうせ面白くもない命令ばかり出されるのだろうな。あるいは、すぐに難癖をつけられて首にされるか。それくらいの予想はつく」
キリエとマリエを始め、メアリ配下の人間は、そのほとんどが奴隷として引き取られてきた人間だ。
エドワード・ウェールズが、人さらい対策のために作った公認奴隷商の制度、その制度下で商品となった奴隷達の行き場として、メアリの別荘が使われている。
メアリの配下に、例え騎士でも女性が多いのはそのせいだ。貧しくなった農村で、最初に値段をつけられるのは、労働力に乏しい女性からである。
メアリがよく、「侍女らしくしてくれない?」と呆れるのも無理はない。
侍女も騎士も、その大半が礼儀作法など習ったことのない村娘ばかりである。本来なら、辺境伯家の侍女になれるような身分の者達ではないのだ。
それでも、メアリは呆れはしても怒りはしない。うっかりため口で話しても平気な顔で返してくる。
それについて、配下の間に伝わるメアリ語録がある。
「私は、あなた達より偉いのよ。とっても偉いの。偉い私は、あなた達の小さなことは気にしないわ」
奴隷にまで落ちた人間にとって、これほど偉い主人は他にありえるだろうか。
メアリ配下の者は思った。まあ、普通に考えて、いないよね。
「さて、じゃあご飯を食べ終わったらこの手紙をメアリ様に見せに行くか」
キリエは手紙を視界に入らない場所まで追いやって、本格的に食事に取りかかる。
「それは良いけど、部下に来てるのもまとめてからの方が良いんじゃない?」
「む。それもそうだな、他にも来ているのか?」
キリエが部下に目を向けると、何故か自慢げに手紙が取り出された。
「自分にも来てるっす! いやー、自分も偉くなったもんすね!」
「お前、それを自慢したくてここまで来たな?」
キリエが呆れて言うと、部下は照れ臭そうに頭をかいた。キリエとマリエは、それを笑ってからかう。
実に和やかな時間、心地良い一時だ。
この後、メアリに報告に向かったキリエは、これとは真逆の時間を過ごすことになる。
「ふぅん? 私のモノを奪おうとして、この条件ねえ。安い、安いわね。そう思わない、キリエ?」
メアリの口調は、決して荒々しくはない。もちろん、キリエを責めるような調子でもない。
ただ、不機嫌さを存分に伝える低温だった。
それがキリエにはつらい。
「はっ、同感です」
精一杯の誠意をこめて応えるキリエは、自分が怒られているわけでもないのに、内心で泣きそうになる。
「この程度で私のモノを奪えると思っているなんて、私、舐められているのかしら」
「我々としても、論外と言わざるを得ません。無論、どのような条件であれ、メアリ様を裏切るなどそもそもあり得ないことではありますが」
「そうよねぇ。舐められるのは、面白くないわ」
侍女がうっかり、「メアリ様ちゃん」と呼び間違えたら、「メアリ様ちゃんはここよ」と返事をしたという伝説を持つ主人は、手紙の送り主を絶対許さないリストに書き記したようだった。
「キリエ、こいつらに地獄を見せるわよ」
「はっ、喜んで!」
自分をこんな目に遭わせたことを含めて、たっぷり痛い目を見せてやる。
キリエはそう決意したし、部下にもそう伝えることにした。
この後、不機嫌なメアリを相手に、誰にどのように返事をして躍らせるかの打合せが行われ、キリエの決意はより一層堅くなる。