病鳥の止まり木35
決闘場の中央へ進み出でた少女は、流石に武装を施していた。
手甲と脛当て、そして胸当てという軽装ではあるが、青い水晶じみた光沢を宿した防具は、絵画の中にだけ存在する騎士のように美しい。
「メアリ・ウェールズ殿、武器が見当たらないようだが、問題ないか?」
審判が確認すると、メアリは右手を上げる。
その青い手甲に絡むように寄り添っていた赤い薔薇、掌の中に握られている部分から、鋭い棘が飛び出し、サーベル状に伸びる。
「魔法の使用が許可されている以上、得物には困らないわ」
「承知した。ギルフォード・リッチモンド殿、そちらも問題はないな?」
メアリに比べると明らかに万端整っているギルフォードに、審判は断定する口調だ。
ギルフォードもこれに答え、無論、と言い切った。
「あら、本当に?」
ギルフォードの返事に異論を挟んだのは、メアリだ。
その赤い唇を、三日月のようにして笑う。
「介添人の数が足りないのではなくて? 六十人くらい用意しなくてよろしいの? 確か、先代はそれくらいの戦力を用意してわたしにボロ負けしたわよ、当代当主代理殿?」
「勘違いするな。彼等はあくまで介添人、我が家と同じく貴様の悪辣な振る舞いで領地を失った仲間として、こうして参列しただけだ。貴様など、この俺一人で十分だ」
「まあ。リッチモンド家では、随分と歪んだ鏡をお持ちなのね」
身の程を知れ、と言われ、ギルフォードもそっくり言い返す。
「貴様もな。その傲慢が、身を滅ぼすことになるだ」
「そうね。わたしが滅びる時は、この傲慢さゆえでしょうね」
わかっている。
恐らく、メアリ・ウェールズの最大の弱点は、この我慢の利かない傲慢さ。
自分の物を傷つけると口にされただけで、事前準備をひっくり返してでも、相手を泣いて土下座させなければ気が済まない。
本当に賢く立ち回るならば、さらりと流してしまえば良かった。
だが、父が言ったのだ。
わたしらしく咲け、と。
支配者らしく咲け、と言われれば、隙のないよう、滅ぼされぬよう、傲慢さを抑えて窮屈に咲いてみせたことだろう。
しかし、そうしなくて良いと言われたのだ。
「だからこそ、このメアリ・ウェールズは傲慢に咲き誇るわよ」
いつか踏み潰される時まで。
「貴様ごときが、わたしの傲慢を傷つけられると思わないことね」
右手に剣を下げたまま、自慢の黒髪を左手でかき上げる。
美しいと評される顔には、世の中を馬鹿にするような笑み。これぞメアリ・ウェールズであるという姿。
ギルフォードも、鞘を払って肉厚の剣を構える。
「両者の準備を確認した。では、王国法に則り、決闘――始め!」
合図から一拍、両者に動きはなかった。
メアリは右手の剣を下げて、相手を見下ろすように立ったまま。ギルフォードは剣を正面に構えて、メアリの構えが変化しないことを確認した。
魔法をメインに立ち回る気だろう。
ギルフォードは、事前にそう考えていたし、衝突を目の前にしてもそうだと考えた。
ダドリーとメアリの戦いを生き残った者達から、話は聞いている。メアリ・ウェールズの魔法は、厄介な植物を操るらしい。
決闘場の城門広場は、芝生や下草が生え、木々も配置されている。これは植物を使うメアリにとっては有利だろう。
逆に、火を使うギルフォードには不利だ。
下手に火をあちこちに飛ばしたら、草木に燃え移ってしまう。それで貴族席や平民席に被害が出たら――魔法が使える貴族達が、そう簡単に延焼で被害を出すとは思わないが、それでも決闘に周囲を巻きこむというのは面倒事に発展する。
クリストファー公爵家が、メアリに有利な場を整えたのだろう。しかし、だからといって絶対的に不利ではない。
ギルフォードは、介添人の仲間と相談して、作戦を決めていた。
メアリがいきなり動かないならば、ギルフォードの作戦が、まずは成功する。
「リッチモンドの炎を見るが良い!」
宣言と共に、決闘の始まりの前、無駄話をしていた時から地面を這わせていた魔力を発火する。
メアリの近くには、気取られないように魔力を流していなかったため、メアリへの直接攻撃にはならない。
これはギルフォードとメアリの周辺、半径十メートルほどの地表を舐めるような炎で、足元を焼き払うだけだ。
メアリが厄介な植物を操ると言うならば、植物を使わせなければ良い。
これからメアリが出す植物は仕方ないにしろ、事前に仕込んでいただろう植物は焼き払ってしまえば良い。
周囲を舐めるような炎に、メアリの視線が動いた。敵から意識がそれたのだ。
そうなることも計算していた。若い娘で、ついこの前までベッドの上の病人、実戦経験の薄いことは間違いない。
戦争なら、ダドリーにしてみせたように、小細工のしようもある。しかし、一対一の決闘ならば。
ギルフォードは飛び出し、大上段から剣を振り下ろす。
ひょっとすればこれで決まるかもしれない――ギルフォード達はそう期待していたが、メアリはこれを軽いバックステップでかわす。
流石にそこまで甘くはない。
ギルフォードは舌打ちしながらも、剣を振り切って地面に叩きつける。「ひょっとすれば」はあくまで「ひょっとすれば」、本命は剣を叩きつけた地面、まだ下草の生えているメアリの立っていた場所に、剣にまとった高温を叩きつけて、周辺の緑を根絶することだ。
狙いは果たされた。ギルフォードの口の端がわずかに緩む。介添人達も、後ろの方で拳を握った。
メアリの反応はどうかとギルフォードが見た先、相変わらず剣を下げたままのメアリは、肩をすくめて嘆息した。
「庭師が泣くわね。可哀想に」
その表情や声色に動揺はない。
ギルフォードの作戦に何ら意味がないからか、それとも動揺を表に出すほど素直ではないか。
判断に迷ったギルフォードは、剣を引いて次の魔法を準備しながら、探りを入れる。
「人の心配をしている余裕があるのか」
「服が汚れたら、洗濯の心配くらいはするけれど。今、慌てる必要が何かあって?」
「ならば、次は慌てさせてやろう」
「期待していないわ」
再び、ギルフォードが間合いを詰める。
今度は攻撃動作の少ない、その分だけ速い一撃。これを回避するのは難しいと判断したか、メアリは右手の剣で打ち払う。途端に、熱風がメアリの黒髪を揺らした。
「あら、足りない頭で考えたわね」
メアリが笑った先で、ギルフォードの肉厚の剣が陽炎で歪んでいる。
高温が、その剣身を包んでいるのだ。ギルフォード達が考えた、延焼対策だ。
万全ではないが、少なくとも、気を遣って決闘をしていた、と言い張るくらいはできる。
そして、メアリとの相性も良い。
メアリは右手の、棘を伸ばしたサーベルの刀身を一瞬だけ見る。少しだけ、焦げた色がついていた。
それには、ギルフォードも気づいている。
「兄ダドリーは、確かに貴様にやられた。だが、それは未知数の能力や卑怯な工作によるもの、手札がわかればリッチモンドの敵ではないわ!」
三度、ギルフォードが攻勢に出る。
メアリが対抗手段を思いつくより先に、押し切る作戦だ。
メアリは防御に回ってしのぐ体勢。
ギルフォードの息が切れた後に反撃に転じれば良いのだが、それを狙うには武器が不味かった。高温の刃と打ち合う度に、焦げる音が鳴り、刀身の強度が下がっていく。
なるべく、剣と剣をぶつかる時間を短くしようとメアリも試みるが、限界がある。
「そこだ!」
一段強いギルフォードの踏み込み。
メアリを狙う、と見せかけて、サーベルの特に焦げた部分を一閃する。
観衆がどよめいた。白い棘のサーベルが折れ、くるくると宙を舞う。
「この勝負――!」
勝利を確信して、ギルフォードは叫ぶ。
当然、攻撃を仕掛けながらだ。勝利宣言と同時に、メアリに致命の一撃を叩きこむ。
そう思い描いた男の足を、掴む物がある。
それは緑の手、焼き払われた下草である。
魔法で強化されたギルフォードの踏み込みは、草ぐらい絡まったところで引き千切ってお終いだ。
だが、バランスが崩れた。攻撃の切っ先が遅れる。
ほんのわずか。しかし、そのわずかで、メアリの右手の白い棘は、何事もなかったかのように再度伸び、ギルフォードの左肩を貫いた。
悲鳴は上げない。歯を食い縛って、ギルフォードは後ろに飛ぶ。
左肩に刺さった剣を抜いて、体勢を整えて、仕切り直す。
しかし、緑の手は、それを許さないと足を掴む。
「地表を焼かれた程度で、植物が全滅するわけがないじゃない」
転びそうになり、一拍遅れた後退に、メアリの刺突が追い付いた。
咄嗟にギルフォードは上半身を守ろうとした。致命傷を受けないためだ。
闘志の炎が消えないリッチモンドの代理当主は、まだ勝てるつもりだった。いや、死んでも勝つつもりだった。
そして、メアリ・ウェールズは、殺さずに負かすつもりだった。
刺突は下段、草に絡め取られた右足の甲を地面に串刺しにする。
致命傷にはなりえない攻撃。しかも、白い棘の刀身は、鍔元から自然に抜けて、ギルフォードをその場に縫い留める杭として残る。
顔を歪めるギルフォードの目の前で、メアリは右手の鍔元から、再度白い棘の刀身を伸ばす。
「最初に見せてあげたでしょう? 植物なんだもの、完全に根元まで枯れない限り、いくらでも生えてくるわよ」
刀身の横っ腹で、ギルフォードの顔を思い切り殴打する。
固定された右足を挫きながら倒れた男の顔を、メアリは心底不思議だと言う顔で覗き込んだ。
「庭の雑草、いくら草取りしても生えて来るでしょう? 地中に種が残っていることもあるし、根っこが残っていればいくらでも生えてくる物もある。それなのに、どうして、ちょっと地表を焼いただけで安心したの?」
馬鹿なの? そう言いたげに見下ろすメアリは、一つ忘れている。
普通の貴族は、草取りなんてしない。庭の景観に注文はつけても、庭いじりはしない。
それは雇った庭師の仕事だ。植物の世話を趣味にしているような一部を除いて、貴族の植物に対する知識というのは、そう深くない。
その点、貴族らしい貴族であるギルフォードは、痛みに苛まれながら、至近距離に向けて炎を放とうとして、右肩も串刺しにされる。
「これ以上傷つけると面倒だから、しばらく痺れてなさい。大丈夫よ、殺しはしないわ。貴様は、わたしのモノにちゃんと詫びるまで死なせない」
白い棘の刀身を再度切り離すついでに、麻痺毒を流しておく。
舌を噛んで自殺を図ることも防いでおこう。メアリはそう思いついて、少し強めに流しておいた。
妙に誇りを強調する連中と来たら、油断すると自決くらいは平気でしかねない。
ギルフォードを完全に無効化して、さて、とメアリは顔を上げる。
まだ、敵はいる。ギルフォードの連れて来た介添人が六人。
「どうする? これで決着にしておく? ギルフォードと違って、そっちの連中は別に詫びて貰う必要もないから、かかって来るなら殺すけど」
余裕と寛容を示すため、メアリは剣を地面に突き立てて問う。
助太刀に名乗りを上げて、メアリ・ウェールズと戦うか。
盟友を見捨て、おめおめと逃げ帰るか。
すでに、領地を追われ、貴族として崖っぷちの者達である。実質、選択肢はない。
メアリもわかっていて聞いたのだ。
屈辱と、自分達より強いギルフォードが手もなく倒されたことへの恐怖に、歪む彼らの顔が見てみたかったから。
「助太刀する!」
介添人の一人が叫び、他の者達も続く。が、揃ってはいない。
自棄になった順と、怖気づいた割合が違うのだ。絶妙な連携は期待できない。
メアリは鼻で笑って、手招きをした。
ギルフォードと違って生かしておく必要はない連中、そして試合開始から時間は経過していっている。
メアリにとっては、ギルフォードの時より有利な状況だ。
地面に突き立てた剣を経由して、土中に伸ばしていた根を起こす。
試合開始直後から展開していたそれは、静かに支配域を広げ、介添人達の足元まで達している。
「捕らえろ、骨薔薇」
それは真っ白な薔薇だった。
洗い清められた白骨のような、死肉食らいや腐肉食らいが集った後の死骸のような、白い薔薇だった。
介添人達は骨の檻の中、捕らえられた獣のように脱出を試みる。成功の目はある。
流石は貴族、戦士たる矜持を抱えているだけあり、武器を振るえば骨薔薇はひび割れ、砕ける。
時間があれば、脱出は難しくない。
その時間を、メアリが与えない。
「檻の中の獣は突き殺すに限るわね」
骨薔薇の密度が増える。
中に捕らえられた獲物を突き刺す密度。中に捕らえた獲物が見えなくなる密度。中に捕らえた獲物が押し潰される密度。
苦鳴が上がる。純白の薔薇に、赤い色が混じる。
まだ戦闘は続いている。
介添人達の魔力が尽きるまでは、骨薔薇の鋭さと圧力に耐えられるだろう。
魔力が尽きて、身体強化が出来なくなった時に、悲鳴は上がらなくなるだろう。
「審判、後は任せるわ。ギルフォードが降参するか、全員が戦闘不能になるのを確認して勝敗を決めて頂戴」
言いおいて、メアリは決闘相手に背を向ける。
向かう先は、白い侍女が一礼して待つ植物パラソルの下、お気に入りのハーブティーの香りが待っている。
審判が勝敗を決したのは、それから一時間後。
全身麻痺によって言葉も出せないギルフォードと、どんな状態か見えない骨薔薇の檻の中の介添人からは、最後まで降参の言葉は確認できなかった。
「流石にお茶だけだと持て余すわね。お茶菓子も用意すれば良かったかしら」
魔法で作ったテーブルに、ブルーベリーをならせながら、一つ経験を積んだメアリの反省である。
2026/2/26 大変お待たせしております。
続きは書いておりますので、書籍化に合わせて順次更新を再開する予定です。




