病鳥の止まり木34
貴族同士の正式な決闘、それも平民の女性(娼館のお気に入りの娘など)を賭けた勝負ならともかく、領地を賭けるような本格的な決闘ともなれば、その場で手袋を叩きつけていざ尋常にとはいかない。
宮廷に決闘の申請を出し、承認を貰い、日時を整えて華やかに決闘が開催される。
こうした決闘文化は、元々は旧帝国時代より前からあったものだ。
魔術使いである貴族は、非魔術使いの平民とは戦闘能力において隔絶している。
それゆえ、大規模に兵を集める戦争では無駄に平民が損耗するだけで、貴族同士の一騎打ちによって勝敗を決める方が社会は豊かになる。
この文化は、旧帝国の広大な領地と、その一兵卒の質の向上によって一時的に廃れたが、なくなりはしなかった。
隔絶した実力の魔術使いが、旧帝国の戦乱で大勢消えた今でもなお、魔術使いと非魔術使いの実力差は大きく、何より戦争を起こすよりも一騎打ちの方が経済的だ。
昔ほど、決闘一度で揉め事の全てが片付くことは少なくなって利点は減ったが、戦争よりは決闘をしてくれ、というのはどこの国家でも推奨する解決方法である。
今回、王国の宮廷でもそう判断した。
国王陛下から差配を任されている王国宰相が、直々にこの決闘の筋道を整えた。
つまりまあ、ノア・クリストファーが自分の評判の許す限り、自分に都合の良いように、決闘を整え尽くした。
「メアリ殿は、思った以上に素直なご令嬢だな」
父ノアのその人物評に、セスは斜めに首を振った。
肯定が半分、否定が半分、縦と横のどちらに首を振るべきか、迷いが如実に表れていた。
「素直……。まあ、素直? 素直と言えば、素直……?」
いやあれはわがままと言うのでは? セスはうーんと唸る。
彼女の中で、メアリと素直という言葉は、水と油以上に反発し合うものだ。全く混じらない。
とはいえ、ノアの言っていることに、頷けるところは多い。
「まあ、自分の家臣が貶されたことは、後からいくらでも非難のしようはありましたからね。大人しく決闘を受けておいて、王都屋敷を得てからでも良いことです。王都屋敷を手放せば、リッチモンドが社交場で反論する機会などそうそうないわけですから」
「そういうことだ。ところが、メアリ殿は、そんなすぐに考えつく当たり前のことを無視して、事前の計画を捻じ曲げてまでも、家臣を愚弄されたことを怒ったのだな」
困ったものだと、セスは嘆息を漏らす。
何が困ったかといえば、そんなわがままメアリお嬢様のことを、セスが嫌いになれないことだ。
「あのメアリが声を震わせて怒るなんて思いませんでした。しかも、自分以外のことで……いや、あれは自分のことだったのでしょうか?」
「自分のことだよ。自分が手に入れた玩具を、他人が文句をつけて壊そうとした。それで癇癪を起こして、徹底的にやっつけてやろうと決めた。そんなところではないかな」
「とてもしっくり来ますね……」
まさにそんな感じなんだろうな。
流石はノアの人物眼、すとんと胸に落ちるメアリ像だ。
なんということのない、わがままな貴族令嬢の振る舞いだ。それでもなお、メアリに対するセスの好意は残ってしまう。
恐らく、自分が何かから傷つけられようとした時、メアリは同じように激怒するのだろう。
セス・クリストファーは、メアリ・ウェールズのお気に入りなのだから。
その確信は、背筋が冷たくなるような安心を与えてくる。
さて、そんな二人は、城門広場に設えた席についていた。
王族の式典や祭事、あるいは王族に頼めるほどの高位貴族の宴席やお茶会、場合によっては近衛を展開して防衛戦も考慮されている空間のある広場だ。
その広場が、今は騎士団の閲兵式のように、客席が作られ、王都住まいの貴族関係者が貴賓席を埋め、一般席には市民が詰めかけている。
伯爵領を賭けた決闘だ。
後々の遺恨――は絶対に残るとして、それを表立って発露出来ないよう、どちらが勝ってどちらが負けたのか、多数による認知が必要になる。
注目は、もっぱらメアリ・ウェールズだ。
王都に名高い西部の悪名、血染めのメアリとは一体どれほどの人物か。王都の者達は、上も下も見たくてしょうがない。
「この調子なら、今回の決闘の経緯は、さして手間もかからずに行き渡りますね」
メアリ・ウェールズは、領地奪還を目論むリッチモンド家から、家臣と領民を守るために決闘を受けた。
悪者はリッチモンド家、メアリ・ウェールズは善玉。
クリストファー公爵家の望む真実は、そういう筋書きである。
「リッチモンド家が領地を荒れさせたことは事実、メアリ殿が乗り込んで状況が改善したのも事実。その噂を流すことは難しいものではないよ」
父の言葉に、セスは当然のことだと頷く。
ただ、問題があるとすれば、善き者としての役回りを、メアリ・ウェールズが気に入っているかどうかだ。
それについては、はなはだ不安だと、視線を遠くへ投げかけるしかない。
遠く――決闘場内では、メアリ・ウェールズが白い侍女を連れて、優雅にお茶を楽しんでいる。
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およそ、決闘前の緊迫感など存在しない振る舞いであった。
魔法で作った椅子とテーブルに、日差しを遮る屋根までつけて、シワ一つない侍女服の娘を後ろに立たせたティータイム。
貴族令嬢の気楽な休日がそこにはある。
唯一、メアリの服装が乗馬服に近いパンツスタイルであることだけが、これから体を動かす予定があることを伺わせている。
一方、その対面には、武装した男達が整列している。その数は七名。
革を金属で補強した高級鎧に、振るうに邪魔にならないよう装飾のついた武器。いずれも実戦に立つ貴族達であることを示した武装だ。
表情は引き締まり、全身からこれからの闘争に向けた意気が噴き出るようである。中央に比べて、未だに魔物も多い西部諸侯らしい、威圧的な姿であった。
ただし、それを見た観衆が、それに感心できるかどうかは別になる。
「見ろよ、リッチモンド家のあれ。介添人が六人もいるぞ」
「ああ、どいつもこいつも完全武装だろ。助太刀する気満々ってやつだ」
決闘の介添人は、決闘者の武装の手伝いや、傷ついた時の処置を行うための人員だが、決闘中の乱入――助太刀が許される決闘戦力でもある。
だから、介添人も武装していることはおかしくはない。
今回のリッチモンド家の介添人が、メアリによって西部を追い出された貴族の当主級であるため、重武装であることはやや特殊であるが、決闘のルールに則ったものだ。
しかし、である。
リッチモンド家の決闘相手が、遠目から見ても年端も行かない少女で、介添人も助太刀する予定がなさそうな非武装の侍女一人なのだ。
むくつけき男達が、よってたかって暴力を振るおうという構図に見えてしまう。
「西部の貴族なんてよく知らねえが、娘一人にあれだけ揃えなきゃ決闘もできねえってのは、情けないねえ」
「リッチモンド家といえば、西部の雄だとか、武名高きだとか、色々と嘯いているらしいが、正体を見たらこんなもんだな。そりゃ領地も失くすさ」
「決闘相手の娘さんのことを色々と悪く言っていたらしいが、これじゃあどこまで本当のことだか。なんでも、あの娘さんは、リッチモンド家を辞めた家臣を馬鹿にされたから怒ったって言うじゃないか」
「実際、この決闘で娘さんが賭けたのは、罵倒した家臣に頭を下げろってだけだしな。自分ところの下っ端の名誉を守るために決闘! 貴族様ってのはこうでなくっちゃな」
「まったくだ、俺等庶民はどうしたってお貴族様の下っ端なんだから。それに対して、リッチモンドの連中、自分が追い出された領地を寄越せと言っているんだろう? みっともないと思わないのかね」
おおよそ、こんなものだ。
クリストファー公爵家の仕込みもあるものの、メアリの見目の良さと、リッチモンド家側の威圧感の強さが醸し出す視覚効果も大きい。
貴族席の方では、もう少し反応が複雑だ。
自分の派閥や親戚付き合いから、メアリ・ウェールズの悪名の真偽は明白に知っている。公爵家からの働きかけで、身内をメアリの下に送って、西部の領地を手に入れようと動いた者達もいる。
それでも、メアリ・ウェールズの正体はよくわかっていない。
どこまで信じられるか。それは、どこまで協力関係を深めるか、と言い換えられる。
少なくとも、自分の家臣を――それも新参で、旧主を裏切ったような輩を――罵倒されたと憤慨する程度には、人間味があるらしい。
あるいは、だからこその血染めの悪名か。
それを好ましいと見るべきか、危ういと見るべきか。中央諸侯は迷っていると言えた。
それらの迷いに、一定の判断をつけなくてはならない時が、迫っている。
貴族席の最上位に、王族が姿を現す。
立会人を果たす、第二王子だ。
第二王子が右手を上げ、真っ直ぐに振り下ろす。決闘場の中央、それを見た審判が頷き、声を張り上げた。
「これより、ウェールズ家当主メアリ・ウェールズ、リッチモンド伯爵家代理当主ギルフォード・リッチモンド、両名の決闘を開始する。両者、中央へ!」




