病鳥の止まり木31
これまでの人材は、公爵家が選んだ輪の中からではあったが、本人が前に出て売り込んで来た。
セスが自ら紹介する、いわば公爵家がさらに責任をもって推薦する人材は、初めてになる。
その推薦される者は、近づいて来るメアリとセスを見て、ドレスに包まれた肩を震わせながら頭を下げた。
「メアリ様にご紹介します。こちら、デジデリア・スヴェーリエ嬢です」
「しゅべーりゅえししゃっくっけ――」
…………。
挨拶の頭から盛大に噛んだ「しゅべーりゅえししゃっくっけ」――スヴェーリエ子爵家のデジデリア嬢は、墜落する勢いで顔を伏せてしまった。
メアリは、デジデリア嬢のさらりと流れた髪から覗く耳が真っ赤に染まっているのを見て、「これどうするの?」とセスに視線を向ける。
セスはにこやかに微笑んで、何事もなかったかのように言葉を繋ぐ。
「こちらのデジデリア嬢は、スヴェーリエ子爵家の第五子に当たります。領地は持っていませんが、代々クリストファー公爵家の財政の一部を管理している一族で、デジデリア嬢もその方面に強く、文官としての能力に秀でているのです」
セスの紹介に誤りはないと、デジデリア嬢はほとんど聞こえない声量で、お会いできて光栄です、と挨拶を締めた。
向こうの挨拶が締められてしまったので、メアリも返礼しなければならない。
「ええと、メアリ・ウェールズよ。顔を上げて構わないわ」
「いえっ、こ、このままで……」
「話しづらい……とは言わないけど、顔を見せて欲しいのだけれど?」
このままだと赤い耳しか記憶に残らなそうな令嬢に、メアリが再度促すが、中々顔が上がらない。
大丈夫かこの人材。面白いけど。
メアリは決して不愉快とは言えない表情で肩をすくめると、セスがデジデリア嬢の肩を抱いて撫でる。
「このデリア嬢、人見知りでして、その上でメアリ様のような色々と評判のある方を相手にすれば、こうなるのも当然と言いますか。ご不快でしたら、代わってお詫びいたします」
「別にこれくらいで不敬だなんだと騒ぐほど、小さい器をしていないから構わないけど……セスは彼女と仲が良いの?」
「年が近いので社交で顔を見かけることが多く、その度に居心地悪そうなのが不憫で、声をかけるようになりまして、数少ない友人ですね」
「そう。その友人に肩を抱かれてから、彼女、ますます脅えているように見えるけど?」
「えっ?」
セスが社交の席に出ているとは思えないほど驚いた顔になって、肩を抱いた友人を見る。
さっきまで赤かった耳から血の気が引いて、見てわかるほどがたがた震えているではないか。
「デリア? 具合でも悪いの? 控室で休む?」
「いいいっ、いえ、その、あの、こわぃ……っ」
「こわ? 恐い? ああ、メアリ様が恐いから……」
加害者を断罪するようにセスから見られて、メアリはどうかしらと首を傾げる。
「恐いのはわたしだけかしら? セスも、恐がられているんじゃなくて?」
「まさか! 私とデリアは数年来の友人なんですよ? ねえ?」
「あら、肩を抱き寄せた状態でそんなこと聞かれたら、脅されているようにしか見えないわよ? ほら、お貸しなさいな」
デジデリア嬢の手を引いて、その細い体をメアリは自分の腕の中に奪い取る。
ひえっ、と悲鳴が聞こえたがそんなものを忖度するメアリお嬢様ではない。当然の無視だ。
驚いて脅える令嬢の顔から長い髪を払って、気になっていた顔立ちを確かめる。
「あら、可愛いじゃない。流石はセスのお気に入り。あなた、意外と面食いだものね?」
「そ、それはアンナ殿が言っているだけです」
「でもあなた、アンナも、ジャンヌも好きでしょう? 二人とも顔が良いものね。それにもちろん、わたしのことも好きよね?」
「メアリ様のそういう図々しいところはすごいと思いますね! というか、デリアが恐がるので離して下さい」
奪い返そうと伸ばされたセスの手を、メアリはデジデリア嬢ごとくるりと身を回してかわす。
「あっ、このっ」
「ほらほら、お友達が大事なら、このメアリから見事に助けてみせなさいな」
挑発されるままにセスは何度も挑みかかるが、悪女メアリはデジデリアを腕の中に抱いたままひょいひょいかわす。
セスは公爵家の後継者として文官としての高い能力を持っているが、メアリは辺境伯家の後継者として高い武官としての能力を持っている。
令嬢一人分のハンデなどあってないようなものだ。
メアリは、腕の中の令嬢に笑って話しかける余裕すらある。
「デジデリア嬢、ダンスはお得意?」
ふるふると首を振って否定が返って来たので、メアリは笑顔のまま、イチニーイチニーと声に出してステップを踏み出した。
「あわわわわわわ……」
ひたすら慌てているデジデリア嬢がまともに動けるはずもなく、全てメアリのリードによってステップを踏まされる。
ダンスタイムがないので、静かに音楽を奏でるだけだった楽団が、それを見つけて一気に音量を上げた。
その対応力は、流石は公爵家が召し抱える楽団と言える。
セスも、ここにいたって追いかけるのを止めた。
このまま追いかけてもメアリから奪い返すのは絶対に無理だし、劇中の道化のように会場中の笑いものになるのは、クリストファー公爵家らしくない。
かといって、ここでただ引き下がるわけにもいかない。
「良いでしょう。花嫁泥棒がごとき真似は、確かに私は不得意です。ですが――」
セスは、自分の衣装を一度整え、襟を正す。
「社交でのダンスならば、メアリ様に負けるものではありませんよ」
音楽に乗って、セスはメアリに向かって踏み出す。
リズムを邪魔しなければ、メアリはセスの接近を拒まない。むしろ、細められた目はかかって来なさいと誘っている。
伸ばされたセスの手が、デジデリア嬢の腕を捕らえる。
一拍、次のリズムを待ってから、デジデリアの体を引き寄せる。
「おかえり、デリア」
ほとんど目を回している状態のデジデリアに、セスはにっこり声をかける。
「あら、それはまだ早いのではなくて?」
メアリの声はセスに近い。デジデリアのもう片方の手を、メアリはまだ離していないのだ。
引き寄せる時に見事なステップでくっついて来て、デリアを後ろから抱きしめるようにステップを踏んでいる。
「これくらいで、このメアリが獲物を手放すとでも?」
「いくらメアリ様でも、デリアは渡しませんよ。小さい頃から守って来たのですから」
視線という拳骨が、二人の間で衝突する。
デジデリアを奪い合う、三人だけのダンスタイムの始まりだ。
一向に引かない両者に、会場の視線が集まり、相手を出し抜いて天秤が傾く度に拍手が飛ぶ。
楽団も徐々にリズムを釣り上げて盛り上げていく。
セスとメアリに挟まれて、目を回しているデジデリアだけが被害者であった。




