病鳥の止まり木30
社交パーティは、公爵家主宰としては質素なものとなった。
招待客には下位貴族が多く、上位貴族の名前はあっても第三子や第四子、あるいは傍系の子息である。
流石は公爵家主宰の宴席だと誉めそやすには、無理のある顔触れだ。
そういった顔触れに合わせて、あまり作法の関係ない気楽な席として、立食形式でダンスはなし。
テーブルマナーやダンスステップを気にするより、中身のある会話に集中するべし。
公爵家の気配りを無言で示され、会場を訪れた者達の表情には、安堵の色が見られる。
しかし、その安堵もすぐに引き締まる。
会場を彩る花々や木々は珍しく、テーブルの上に並ぶ食事も見慣れぬ食材や料理がある。見る者が見ればすぐに気づく。
最近、西部から流れて来る産物だ。
これを公爵家に用意させた人物がいる。
中央貴族の重鎮に、そんなことができる人物は、今の混乱した西部にはただ一人。そして、今宵の宴席の主役は紛れもなくその人物。
王国西部の覇者と呼ばれる人物は、黒髪の上に赤い薔薇を王冠のように戴きながら、宴席を堂々と闊歩する。
その隣でエスコートするのは、クリストファー公爵の第二子セス・クリストファーだ。
中央社交界で有名な男装のセスは、一部の令嬢に非常に人気があった。
いずれも、居丈高な貴族男性を貫禄があると評するより、傲慢であると眉をしかめるご令嬢方だ。
物腰穏やかな紳士にこそ熱視線を送る彼女達にとって、セス・クリストファーは理想的だった。
声はどこまでも穏やか、眼差しは温かく、身分の低い従者であっても無下にはしない。
セスに貴族男性としての難点があるとすれば、女性であるということくらい。そんなセスのエスコートを求める令嬢は多い。
とはいえ、相手は公爵家令嬢。中々その機会を勝ち取ることは難しい。
公爵家としても、人気があるならばセスのエスコートを一種のステータスとして扱えるため、安売りはしない。
そのセスが、今宵は服装や飾りまで相手に合わせて、女性をエスコートしている。
耳に揺れる黒真珠は、エスコート相手の髪の色。その襟のフラワーホールに差す深紅の薔薇は、エスコート相手の髪飾りと同じ花。
しかも、その金髪には通常の男装では使わない薔薇の生け花飾りは、どう見てもエスコート相手の黒髪を飾る物とお揃いを意識している。
クリストファー公爵家からの特別扱い。
間違ってもおかしな真似はするなよ。そういう合図に違いない。
今日の主役が誰かわかっている客からすれば、招待の段階から公爵家に釘を刺されていることだ。そんな間違いなど恐ろしくて、頼まれたってしたくはない。
だから、このメッセージから読み取れるのは、公爵家が口だけの対応ではないと本気を示していること、それからこういうメッセージを送る必要がある質の客が混じっていること。
注意喚起を受けた参加者達の多くは、まずは様子見を決めた。
こういう時に先陣を切る気の強い者が、一定数いるのだ。
案の定、体格の良い、いかにも騎士の先に立って動くのが好きだという精悍な男が、一歩前に出て一礼をした。
よろしければお声がけをお願いします、という目下の者からの合図である。
セスは、誰もそうしなければ自分の馴染みから声をかけようと思っていたので、その合図を受けて男の近くまでエスコートする。
「メアリ様、こちらの方はジャン・ハノーファ殿、ハノーファ伯爵家のご子息です」
「ご紹介に預かりました、ジャン・ハノーファと申します。伯爵家の倅と言っても、庶子に過ぎないので、礼儀についてはこれが精一杯です」
宣言通り、堅苦しかったのはその一礼だけで、頭を上げた時には歯を見せて笑っている。
中央社交界では浮かばれない類の正直さであった。
「ウェールズ家当主の、メアリ・ウェールズよ」
ひとまず、メアリも型通りに上位者として名乗った。
その後、頬に手を当てて小首を傾げて見せたのは、相手の崩し方に合わせたものだろうとセスは好意的に思った。
単に素が出ただけではないと思いたくて。
「前情報通りねえ。庶子だなんて、名乗らなければわからないでしょうに」
「案外狭い世の中みたいで、隠したところですぐにバレますんでね。庶子だと名乗らないでお偉いさんから離れたら、その後に別なのがすすっと寄って行ったかと思うと、今のは庶子で~などとありがたい解説が入るんですよ」
「それくらいならば自分から、と言うわけね」
「余所様のお手を煩わせるのも申し訳ないでしょう? その手が空いているなら働きゃ良いんです」
ちょっと意地悪い顔で、ジャンは声を上げて笑う。
上位貴族の宴席では大きすぎる笑い声だが、明るく朗らかだ。
悪くないわ。
メアリはセスに聞こえるように呟く。それは公爵家の見る目を認める言葉だった。
「ジャン殿は、自分の生まれに負い目も引け目もないのね」
「生まれにケチをつけたってしょうがないですからね。それに、嫌味を言われるだけで飯をたらふく食って昼寝付きで生きて来られたんです。この立派なガタイをして、生まれに文句を言ったら罰当たりってもんでしょう」
ジャンはそう言って、両腕を曲げて胸を張って見せる。
滅多に肉を食べられない農民には、これだけ逞しい体を作るのは難しい。そして、それをわかっているということは、庶民の暮らしにも詳しいのだ。
恐らくは、庶子を産んだ母親の影響だろう。
メアリは、にんまりと口元を綻ばせた。
ジャンヌが言うところの、ご機嫌な時のメアリの笑い方だった。
「気に入ったわ、ジャン殿。あなたのその立派な体に巡る血ならば、中央より西部の土と水が合うはずよ。あなたの体は少し小さくなるでしょうけれど」
現在の西部が厳しい状況であることを、メアリは正直に言った。
「もしもあなたに能力があるならば、その立派な体を子供にも作らせることができるわ」
その代わり、西部の土地で一家を為す可能性を差し出す。
「元より、西部の飯を食ってみたいと思っていたところです。今はちょっと話題が遠いですが、美味いと評判ですよ?」
「確かめたいなら、今日の会場の料理を食べてみなさい。調理は公爵家でも、食材はウェールズ辺境伯領の精鋭揃いよ」
「ほう! それは是非試しておかないといけないですね!」
「体に肉をたっぷりつけておくと良いわ。西部に来たら遠慮なく肉を削ぎ落としてあげる」
「それくらいの脅しでは、庶子の食い意地は減りませんよ!」
大声で笑いながら、ジャンは大股で料理満載のテーブルに歩み去って行く。
今のやり取りで、公爵家が持ちかけた、「メアリ・ウェールズの配下として、西部の領地を治めに行く」という提案を、内々に飲んだことになる。
安穏とできる家を離れるというのに、即断即決である。
居心地の悪い中央に見切りをつけて、苦労は承知して西部で一旗揚げたいと意気込んでいた伯爵家の庶子は、事前にメアリが報告を受けた通りの豪快な人物だった。
「流石はノア殿の招待客ね。初めから面白い人物が来たわ」
「中央貴族としては浮かぶ瀬の少ない方ですけれど、今の西部にはあれくらい勢いがある人物の方がよろしいでしょう?」
「西部は敵味方がきっぱりしていた方が好かれやすいのよ。あれくらい正直者なら、敵からだって好かれるわ」
「あの人は、中央でも意外なところで好かれていますからね」
多分、その意外なところの一つが、ノア・クリストファーなのだろうなとメアリは頷く。
蝙蝠よりネズミ色な態度を示さねばならないあの紳士にとって、身分の軽さを活かして朗らかに笑う伯爵家の庶子は相当に面白いに違いない。
「さて、次は誰かしら?」
セスから視線を切って、会場を睥睨する。
熱い視線がメアリを包囲していた。
今日この場にいるのは、中央貴族としては明るい将来のない者達、兄弟親戚の当主の下でこき使われる血筋だ。
それを良しとせず、王国西部の惨状を話に聞いても、自分の能力さえあれば何かが為せると信じている者達。
その者達の目の前で、今、同類が一人、前途をこじ開けたのだ。
無謀を踏み越える力さえあるならば、領地一つに君臨できるという前途を。
「騎士家の冷や飯食らいではいかがか!」
他より先んじて、しかも興味を引く旗を持って前に出たのは、ジャンに比べると細身の男だった。
なるほど。比較的身分の高い伯爵家の庶子の次は、最も身分の低い騎士の子と言うのは面白そうだ。
メアリが面白そうに顎をしゃくると、その男は素早い身のこなしで進み出て、セスに視線を向けて紹介を促した。
社交の席、貴族令嬢に向けるにはいささか鋭すぎる視線だったが、そういう人物だと知っているセスは何事もなくメアリに回す。
「先程の言葉の通り、サー・ナパートのご子息、レオーネ・ナパート殿です」
「城門警備を主に担当する騎士を父に持つ、レオーネと申します。待遇悪く、行き場のない三男。自分の主たる経歴は……メアリ・ウェールズ様にご紹介の必要はございますか?」
挑発的な言葉だったが、メアリはそれを楽しんだ。
能力を疑われている、というなら、メアリは不機嫌になったかもしれない。
しかし、能力を計られる、というなら、メアリは示威をしたくなる。
「レオーネ殿は、随分と活発に仕事に励んでいるようね。王都近郊の警邏、魔物の駆除、匪賊討伐、機会があれば他家の応援にも勇んで駆けつけるとか。また、それらに対して報告も疎かにしていないそうね。騎士家の三男としては異例の量の報告書が王宮にあるのだとか」
「メアリ様のお耳に届いているようで、光栄であります」
きっちりと頭を下げたレオーネの表情に、自慢げな色は出ない。
ただ、感心した色はあった。西部の覇者とも言われる少女は、自分のような身分の低い者の能力まで、きちんと調べていたのだ。
もっとも、レオーネは、自分には注目させるだけの実績があるという自負も持っている。
自分の欠点は、身分が低いことだけだ。そう思うからこそ、堂々とメアリ・ウェールズに対して自分を売りこめる。
「ご存じならば、話は早い。私はその活発な仕事ぶりを、西部でもお約束します。相応の待遇があるならば、一層活発な仕事をこなしてみせましょう」
騎士待遇ではなく、領地持ちの貴族待遇を求める言い回しは、野心の高さをうかがわせる。
騎士家の三男でこの態度、階級が安定した中央では眉を顰められることだろう。
親兄弟とも上手く付き合えているかどうか、と心配するだけ無駄だろう。まず、仲が悪い。
「現在の待遇には、納得が行っていない?」
「私の実績はより大きな仕事に繋がるものと確信しております」
家督を継ぐ順位の低い者は、余計な争いを避けるため、家督継承に必要な教育を上位者より省かれることが多い。
身代が小さい家ほどそれは顕著で、レオーネほど野心が強ければなおさらだ。
その不足した教育を、この男は実地で補おうとして来たのだ。騎士の仕事に精を出し、命がけで体をいじめ、その報告をまとめることで考えを養う。
傲慢なのだろう。
自分は親兄弟に負けない才能があると信じている。
信じているだけなら身の程知らずの愚か者だが、過信に追いつこうと身を削る努力している。
「レオーネ殿。今日の晩餐のネギはもう食べたかしら」
「いえ、先にご挨拶をと考えておりました」
「では、後で食べてみなさい。特別な育て方をしたネギよ。普通なら真っ直ぐ育つ物を、あえて曲げて育てるの。形は悪いけれど、逆境に負けずに育ったネギは、驚くほど味が良い」
レオーネが眉根を寄せた。それは戸惑いの表情に近い。
曲がったネギに例えられたことを怒れば良いのか、味の良いネギに例えられたことを感謝すれば良いのか。
我の強さで知られる騎士家の三男坊には珍しい困惑だった。
「わたしも、あなたに新しい土壌を与えましょう。どれほど曲がっても良い結果を出すのなら、わたしは必ずやそれに報いましょう」
「……はっ! ではネギの味を見て参ります」
困惑していたレオーネだったが、騎士より上の身分を用意すること、結果によってさらなる栄達があるならば、ネギ扱いでも別に良いかと思ったらしい。
日頃、彼を煙たがる者達の嫌味に比べれば、ネギはむしろ立派でさえある。
気を取り直したレオーネは、一礼してネギのある皿を探しに行った。
「ネギ、好きなのですか?」
セスが小声でメアリに尋ねると、大真面目な頷きが返って来た。
「あのネギ本当に美味しいのよ。本当に曲がったネギなんだけどね、甘味がすごいの」
後で自分も食べてみよう。
セスは決めた。
その後、ジャンやレオーネに続いて前に出て来る者達が続いたが、二番煎じにも劣る三番煎じをする者は、いささか個性が弱い。
それでも、安定重視の中央貴族の中では冒険的な人材が多いようで、血染めのメアリを相手に堂々と(少なくともそう言われる程度に胸を張って)挨拶をしている。
「これは度胸がある、と思って良いのよね?」
「下位貴族の中でも、上位者と中々会う機会のない第三子以下の面々ですからね。メアリ様ほどの悪名を相手にしては上等です」
今一つ、自分がどれほど恐ろしい人物かわかっていないメアリは、セスの説明にもそういうものかと反応が鈍い。
やれやれと、セスは別な角度から説明を試みた。
「メアリ様ほどの美人に面と向かって話ができるというのは、すごいと思いませんか」
「……あなた、レディを口説くのが上手になった?」
先程よりずっと理解した表情になったメアリが、嬉しそうにからかう。
容姿を褒められたことが楽しいというより、セスが誰かの影響を受けて、ユーモアを披露したことを喜んでいる口ぶりだ。
アンナと一緒にいる時間が長かったせいだ、セスは苦笑する。
「ともあれ。試しに度胸があんまりない人材をご紹介しましょうか」
「任せるわ」
とても楽しみだ、という顔でメアリが促す。




