病鳥の止まり木29
フィッツロイがカインと連絡を取り続けていると、公爵家から情報が入って来た。
それは想定通り。注目すべきは、それが特別隠しての行為ではない、という点になる。
正門から堂々と名乗って公爵邸にやって来て、謹慎中のカインに情報を上げていく。
どう見ても落ち目のカインだが、これまで関係があった相手を早々に見捨てない、というアピールだろう。
中央貴族としては正しい行動と言える。
セスから聞いて、そういうものかとメアリは頷いた。自分ならそういう気遣いはしないだろう、という頷き方だった。
それと同時に、フィッツロイはメアリにもメッセージを送っている。
自分はこういう風に動いている。隠れて動いてはいない。これまでの敵対的な態度とは違う。
そういう合図だ。
メアリはそれ――セスから伝えられるフィッツロイの行動――をつまらなそうに、髪をいじりながら聞くのが常だった。
「予想通り過ぎてつまらないわ」
うちの侍女達の方がまだ予想外の動きをする。
そう唇を尖らせる、退屈モードのメアリお嬢様である。背後でなんとかご機嫌を取ろうとそわそわしているジャンヌが、セスから見るとあまりにいじらしい。
セスにとっても、メアリのご機嫌というのは心労に直結するので、この別邸に務めている使用人達に、ジャンヌから何か要望があったらできるだけ叶えるように言っておいた。
そしたらまさか、侍女服ではなく執事服を貸してくれと言われるとは思わなかった。
ジャンヌは、自分も男装したらメアリも喜んでくれるのではないか、と考えたらしい。
実際、メアリはとても喜んだ。
無表情なジャンヌが耳まで赤くするほど猫可愛がりしまくった。
「流石は我が家の侍女ね。フィッツロイなんかよりもよっぽど予想外の動きをするわ。しかも的確にわたしの弱いところを!」
使用人に対する評価の基準がおかしい気がしたが、セスは沈黙を守った。
実際、執事姿のジャンヌが魅力的だったのは事実だ。公爵家の侍女達もジャンヌを可愛がるくらいには。
セスもちょっとだけ撫でさせて貰うくらいには。
もちろん、メアリがしていたのはお気に入りの侍女を愛でるだけではない。
社交パーティに向けて、ドレスやアクセサリの準備をし、セスから中央貴族の情報を仕入れ、事前に探りを入れたり入れられたり。
西部から届く報告書や要望書を処理しながらであるため、かなりの多忙さだ。
むしろ、なんでジャンヌを愛でる余裕があるのかとセスはちょっと呆れた。
有能か無能かで言えば、間違いなくメアリは有能なのである。セスだって真面目に経験を積んで来たはずなのに、彼女には及ばない。
そうやってメアリが日々を過ごすうちに、クリストファー公爵家の方でも根回しを終えて、パーティの招待客の選定もおおよそ終えた。
メアリに内諾を取って、良ければ招待状を配ろう、という時機。狙いすまして、フィッツロイが面会の取り次ぎを依頼して来た。
「用向きは?」
さしてサプライズを期待した風もなく、メアリはソファにゆったりと身を横たえつつ問いかける。
セスは苦笑して、メアリにとって予想通り、期待外れの答えを口にする。
「分家の者として、主家の当主へとご挨拶に、とのことです。当たり障りのないものですね」
「ウェールズ家の主権を賭けて、決闘を申し込みに来たくらいの意外性はみせられないのかしら」
無茶を言う。セスは軽く首を振る。
自分だったら、そんなことをメアリに言うくらいなら、どこかに逃げる。実家から金目の物をくすねて慎ましく暮らした方がよほどましである。
恐いから。
恐らく、フィッツロイはある程度、メアリのことを知っていたのだろう。
セスはそう考えている。危険な毒を隠し持つ少女なのだとわかっているから、慎重に徹していたのだ。
「まあ、良いわ。明日の午前、それも早い時間にしましょう。面倒事はティータイムの前に片付けたいわ」
そういうわけだから、とソファにゆったりともたれていたメアリは、窓のそばに背筋を伸ばして立っているお気に入りの侍女――いや執事服を着せられているから侍女と言って良いのかあの白い使用人とセスは首を傾げる――に、目を細めて微笑む。
「そういうわけだから、明日は侍女服よ。いいわね、ジャンヌ?」
精一杯凛々しい表情をしたジャンヌは、胸に手を当てて腰を折った。
公爵家の使用人から教わった、執事っぽいムーブである。
****
「メアリ様、王都にいらしていると知りながらご挨拶が遅れ、大変失礼いたしました」
フィッツロイの初手は、膝を突いての降伏であった。
ウェールズ辺境伯領の屋敷で、呼び捨てにした時とは明らかに違う。主家の人間としてメアリを立てて、自分を下に置く態度である。
「構わないわ。こちらこそ、そちらの屋敷に顔を出さずに忙しくしていたもの」
「いえ、西部の状況と、公爵家との繋がりを考えれば、分家に顔を出す時間を惜しむのも当然のこと。この度は貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございます」
誰が敵の本拠地にのこのこ出向くか、というメアリの言葉に、ですよねーとフィッツロイが微笑んで認める。
「本来であればお呼びがかかるまで控えているべきだったでしょうが、本日はメアリ様に情報をお渡ししたく参りました。これも分家としての役目、どうかお許しを」
「その情報とやら、聞きましょう」
リッチモンド伯爵家についてです。
そうフィッツロイは切り出した。
「メアリ様はご存じのように、リッチモンド伯爵家は家臣の謀反にあって領地から逃げ出しました。直系の一族は今、王都屋敷――旧ウェールズ家の屋敷にいます」
「ええ、そうね」
それくらいは公爵家に頼らずとも、アンナの情報網で十分に把握できる。
フィッツロイとて、その程度はわかっているだろう。
「その者達が、現在我が家に接触して来ています。私としては、これを機会にリッチモンド伯爵領の権利を確立させるために、一計を案じるべきかと考えます」
「ああ、クリストファー公爵家に寄りつかないと思っていたら、そちらに行っていたのね」
「この家に寄りつくのは無理だったのでしょう。公爵家でダドリー・リッチモンドを支持していた者達は早期に脱落しましたし、メアリ様に戦を仕掛けた失態もあまりに大きい。その上さらに家臣の謀反に遭うなど不名誉の極み、中央社交界でも爪弾きされております」
でしょうね、とメアリは首を振った。
貴族が貴族に対して「お前など貴族の名に値しない」というのは、儀礼的な最上位の侮辱だ。
謀反によって当主を追い出すというのは、それと同じことを、家臣が貴族に対して言ったことになる。
お前など、この領地を、領民を、我等家臣を統べるに値せず、と。
しかも、立場が上のはずの貴族が、その家臣に負けたのだ。
まさに、「貴族の名に値しない」と満天下に知らしめられたようなもの。中央社交界でも、十分に切り捨てられるだけの負の実績と言える。
慎重な中央諸侯は、無残な遺体にそうするように、リッチモンド伯爵家の残党から距離を取っている。
その凋落ぶりは甚だしいものだというフィッツロイに、メアリも頷く。
「手を差し伸べたところで、利点が少ないものね。領地持ちが領地を追い出されて、しかもその領地は飢饉と謀反で混乱中。リッチモンドに恩を着せて、その領地の経営に食い込んでも、利益が出るまで何十年かかるか。火中の栗を拾うようなものとはこの事よね」
中央諸侯からの見方をもう一つ加えるならば、その火中の栗を拾って食べているのがメアリ・ウェールズだという点がさらに大きい。
彼女の勢力図は今や西部で歴然としている。その細く見える腕が、辣腕であることは疑いようがない。
そんな彼女と領地を取り合う。上手くリッチモンド伯爵領をメアリから奪い取れたとして、その周囲の勢力も今やメアリの枝葉の下だ。
割に合わない。
中央諸侯の冷静な判断であったろう。フィッツロイも同意できるが、別な立場からはまた別な判断があることも、理解している。
「しかしながら、同様に西部を追い出された者達にとっては、同じ立場の中で最も頼りがいのある大樹です。西部から逃げ延びた西部諸侯は、リッチモンド伯爵家に集まっています」
「焼け焦げて倒れかけの大樹にも、人が集まるものね。倒れる時に巻き込まれる心配をしないのかしら」
「焼いたのはメアリ様ではございませんか」
メアリの皮肉に、フィッツロイが追従すると、心外だわ、とメアリが瞼を大きく開く。
「あれは自分で火をつけたのよ。どちらかと言えば、わたしはその後の火消しに奔走させられているわ」
「なるほど? そう言われてみれば、その方が正確ですか……」
火をつけた原因を追究するなら、ダドリーを矢面に立たせたフィッツロイの方が火種の近くに立っているだろう。
メアリがその火を燃えやすくしていたことは確信しているが。
「まあ、原因は自業自得であったとして」
フィッツロイとて、この機会にと風を起こして火を煽ることはしていたので、話を元に戻す。
「リッチモンドが倒れる時に巻き込まれる心配はしているかもしれませんが、支えがなければ立ってもいられない者達ですから、藁にも縋る、というものでしょう」
「人間、苦しい時には相手も確かめずに縋るものね。それが神でも悪魔でも。最近、少しばかり勉強したわ」
それが神等教のことを指しての発言であるとフィッツロイは理解した。
「仰る通り、困窮してなお冷静な判断が出来る者は少ない。このまま、リッチモンド伯爵家がゆっくりと倒れるのを待っているばかりでは、困窮した者達が徒党を組んで何をしでかすかわかりません」
「それを?」
「それを、です」
それをメアリが叩き潰すことを、フィッツロイは提案する。
メアリは、気乗りがしない風に、気だるそうに髪をかき上げる。
「それ、わたしがやる必要があるのかしら。わたしはただのウェールズ家の当主に過ぎないのよ? 辺境伯を継いでもいないし、西部統括官でもない。わたしが動かなければならない理由がどこかにあって?」
正論であるし、嫌味であった。
どこの誰のせいで、自分がまだその立場に着いていないか、目の前の人間にたっぷりと塗り付ける苦い蜜。
「ごもっともです。メアリ様が動く理由、義務はないでしょう」
フィッツロイはそれを受け入れた。敵対するつもりはないと証明するために。
「しかし、話の持っていきようによっては、メアリ様にも利益はあります」
「ふうん?」
気のない返事に、フィッツロイは内心で舌打ちをする。
自分の懐から、また一つ金貨を差し出さなければならない。
「もちろん、そうなるようにこのフィッツロイが話を誘導します」
「なるほど。では、どうするつもりか聞きましょう」
当然そうだとメアリに頷かれ、フィッツロイの笑みの裏で苦味を噛みしめる。
さっきから、メアリはこちらから譲歩を引き出すばかりだ。「命令」はおろか、「お願い」すらされない。
全て、フィッツロイが進んで申し出する形だ。
完全に足元を見られている。
そう察しながら、フィッツロイはやむを得ないと判断する。
元より想定された事態だ。メアリに失態がない限り、フィッツロイは貯蓄を崩して下手に出なければならない。
ただし、幸いなことに、フィッツロイの懐には、自分の物ではない金貨もたっぷりと入っている。
「では、私の計画をお話ししましょう。リッチモンド伯爵家とそこに集まった西部諸侯の残党の処理の仕方です。これが上手くいけば、王都の不穏な輩を鎮静化させたと中央諸侯に音が売れる上に、ウェールズ本家が失った王都屋敷も手に入るでしょう」
王都屋敷が手に入る。その台詞に、メアリの唇が弧を描く。
食いついた。
フィッツロイは、自分の計画が上手くいくと確信した。
案の定、メアリは組んでいた足を解いて、前のめりに姿勢を変えた。
「詳しく説明をなさい」




