病鳥の止まり木28
クリストファー公爵家が、たっぷりの下心を混ぜ込んだ厚意で用意した屋敷で、メアリはソファに腰を下ろして、満足そうに背もたれに寄りかかる。
「ここは良いお屋敷ね」
引きこもり系お嬢様が仮宿に下すには、非常に高い評価である。
リッチモンド伯爵家の屋敷は全く気に入らなかったメアリだが、流石は公爵家の屋敷、センスが良い。壁紙からカーテン、家具やテーブルまで、若草色や植物系の装飾が施されており、広く取られた窓から覗く庭の景色に繋がっている。
室内にいながら、庭に出ているような心地にさせる。
これをメアリの本拠地である屋敷でやろうとしたら、鬱蒼たる骸の森の景色が広がっているので、どうやっても殺伐とした重さが出てしまうだろう。
切り開かれた王都の屋敷だから出来る、爽やかな遊びであった。
メアリの好みについて、セスがアンナに相談した成果は、彼の父親が社交界で何と呼ばれているかを良く表している。
主人がご機嫌なら、その従者もご機嫌になる。
ご機嫌な主人を見て自分の幸福度を高めていたジャンヌが、ハッと気づいた顔をする。
ご機嫌なお嬢様にお茶をお出ししてもっとご機嫌にしなければ。それこそ侍女っぽいムーブではないか。
ジャンヌは早速お茶を用意しようとして、すでにお茶を用意した公爵家の侍女に一礼された。
しかも、公爵家の侍女は、自らがお茶を持って行くのではなく、ジャンヌにお盆を差し出す。客分である相手の面子を潰さない気遣いが光る。
『こ、これが侍女っぽいムーブ……!』
ジャンヌは戦慄を覚えながらも、なんとか丁寧に一礼して、自らの主人にお茶を差し出す。
「素晴らしいタイミングね」
『あ、いえ、これは公爵家の方が……』
褒められたことに、自分の手柄ではない、と素直に応じたジャンヌに、メアリが首を振る。
そんなもの、自分の従者が動いたタイミングとお茶を出されたタイミングでわかるし、第一お茶の香りからして違う。同じ茶葉だとしても、ジャンヌはもう少し冷まして持って来る。
『これで良いのよ。影に徹した従者を、正面から褒めるなど無粋だわ。こういう時は、ただ満足であることを周囲に伝えるだけで良いのよ』
無言で諭すメアリが、見なさい、とセスに視線を送る。
この家の主筋に当たる人物が、軽い笑みを浮かべて小さく頷く。公爵家の従者に報いるのは、公爵家の仕事である。
つまりはセス・クリストファーの仕事だ。
なるほど、とジャンヌは理解した。
侍女に侍女っぽいムーブがあるように、貴族には貴族っぽいムーブがあるのだ。
『もし、あなたからこの家の侍女に礼をしたいというなら、得意のハーブティーを教えてあげればいいわ。カミラ達が開発したレシピは極上品だし、わたしのお茶への口うるささは王国一よ』
『がんばりますっ』
それを使って話しかければ、公爵家の侍女達の侍女っぽいムーブを学べるかもしれない。この屋敷に滞在中の、ジャンヌの目標ができた瞬間だった。
なお、すっかり他人とお喋りすることに慣れたジャンヌが、植物通信ができない相手とどうやって話せば良いのか頭を抱えるのはもうちょっと後のことだ。
「さて、セス?」
「はい、メアリ様」
「またしばらくお願いね。遠慮しないで何でも言って良いわ。わたしも遠慮しないから」
メアリの気前の良い発言に、わかりました、とセスは頷き、早速遠慮なく言ってみた。
「では、色々と遠慮して頂いてよろしいですか?」
「気が向いたらね」
言い返して来るセスは、確かに強くなった。
メアリの好みだ。ますます好きになってしまう。言うことを聞いてあげるつもりは、これっぽっちもなかったけれど。
濃くなるメアリの笑顔に、セスの背筋が震える。
この人が遠慮しなかったら、一体どこまでのことをされてしまうのか、意識を手放して倒れられたら、幸せだろう。
セスが遠い目をしていると、その肩をアンナに抱き寄せられた。
何事かと美女を見上げると、綺麗に整えた笑顔はセスを無視してメアリに向けられていた。
「良いわね! 中性的なセスと、女性的なアンナ、同じ男装でも対照的で、並んでいると楽しいわ!」
「あぁ、メアリ様の鑑賞会ですか……」
セスの目がさらに遠くに焦点を飛ばす。
まあ、良いのだ。これで気難しいメアリの機嫌が上向くなら、大した手間でもないし、これくらいなんてことない。
社交パーティで、下心が滴る手で触られるよりはよっぽど良い。
アンナに肩を抱かれたり、腰を抱かれたり、後ろから抱きしめられたりするくらい……いや、これ社交パーティで受ける普通の嫌がらせよりもひどい!
掴まれたり揉まれたりはしてないから、最悪ではないけどもやりすぎだ。
セスは我に返って抜け出そうとするが、どういう技術か、アンナを振りほどけない。逆に絡め取られるように両腕を拘束されてしまった。
「ふふふ、ウチに抱かれるのはお嫌?」
甘い声を耳に囁かれてくらりとする。強く拒絶する意思が、あぶられた飴細工のように崩れる。
「い、いやというわけでは……」
実際のところ、セスは抱き寄せられる形ではあるが、逆にアンナの体に触れてもいる。
この美女の体は、服越しであっても良い香りがして、温かくて、柔らかい。正直、セスの方からも触りたくなる。
「なら身をゆだねなさいな。大丈夫、痛くしないって約束するんよ」
ほっそりとした美女の指が、頬をなぞる。
何気ない仕草なのに、そこから理性が抜けていくような極上の触り方。思わず膝から力が抜けると、男装の胸元を盛り上げる柔らかな塊で抱き留められた。
これまでで一番柔らかくて、一番良い香りの物体に包まれて、思わず自分から顔を埋めてしまう。考える前の行動だった。
あ、これまずい。セスは思った。
思考力が飛ばされている。お酒を一滴も飲んでいないのに酔ったような、ふわふわとした心地になることがあるのか。
抜け出さなくちゃという危機感が湧くも、それもすぐに消える。危機感を解きほぐすように、髪を撫でられたせいだ。
信じられない。髪を撫でられるだけで、なんでこんなに気持ち良いのか。
「ふふ、メアリ様の趣味でもなければ、ウチがタダで奉仕することなんて、まずないんよ? セス様も楽しんで?」
そういえばこの人、手練手管で上流階級も骨抜きにするほどの経験者だって話だった。
密着された時点で、アンナの最も得意な間合いに絡め取られていたわけだ。
これはもう、未経験の自分では勝ち目がないのだろう。セスは諦めた。
流石に本当に危ないところまではされまい。公爵家の使用人だっているのだ。彼等が止めてくれるはず。
セスはそう信じて――自慢するのも納得の魅力にあふれた――アンナに身をゆだねた。
その腰に自分から腕を回してみたりもする。
「あ、説得は済んだ? アンナ、ポーズ取って、ポーズ! そうね、ソファに座った姿も見たいわ。セス、表情をちょっと引き締めて。くつろいだところは後半に見るから、まずはぴっとした格好を楽しみたいの」
メアリが期待に満ちた声で指示を出し始める。アンナは絶対服従だし、セスももうされるがままだ。
なんだかんだで始まるのは、ただ綺麗なポーズを取ってメアリの目を楽しませるだけのことなのだが。
なお、このメアリのちょっと特殊な趣味は、公爵家の使用人の眼にも斬新に映ったようだ。
ジャンヌにお茶を渡した侍女も、いつの間にか鑑賞に適した立ち位置にやって来て、主家の娘が良いように遊ばれる様子に、こくこくと頷くことしきりであった。
メアリが満足するまで、セスを助ける者は誰もいなかった。
「あ、そうそう。セス?」
たっぷり遊べてご満悦のメアリ様に呼ばれ、ようやく正気に戻りつつあるセスが襟元を直しながら振り向く。
目つきには若干の警戒心が戻って来ている。
「はい、なんでしょう……?」
「ノア殿がパーティを開くより先に、フィッツロイから連絡があると思うの」
「ああ、あるでしょうね」
王都を任されている分家からの連絡だ。本家に対して何もしない方がおかしい。
その関係が好意的であっても、敵対的であっても、どちらにせよ無視できない存在だ。
「どう出て来ると思う?」
そう問うメアリの表情は、さっきまでのものと変わって、作り笑顔だ。
その理由にすぐに思い当たる自分に、セスは苦笑する。
「ご想像の通りかと。メアリ様が楽しめるような派手な動きにはならないものと考えています」
セスの答えに、メアリはつまらなそうに、でしょうね、と鼻で笑う。
フィッツロイは、王国中央で力を持っている。
そうはいっても、その力は公爵家の現役当主に及ぶはずもない。フィッツロイと協力関係にあったカイン・クリストファーが謹慎処分を受けている現在、その力は大幅に低迷している。
こうなれば、乾坤一擲の勝負に出るか、早々に尻尾を巻いて首を垂れるかが、有効な手だろう。
「腰が引けている」と評価されるフィッツロイのこと、そのどちらを選ぶかと言えば。
「きっと、どっちつかずの中途半端なことをするわよ。わたしには内々に下手に出つつ、外には対抗路線を大きく変えたように見せない、そんなところじゃないかしら」
「フィッツロイ殿はやり方が中央風ですから、そんなところではないかと」
両者の意見は完全に一致している。
セスからしてみれば、少し前までの自分なら、そうしただろう、という考えからの予測だ。自信があった。
「そういうやり方は、好みではないわね」
肩をすくめてから、メアリはゆったりとソファに身を預けて笑う。
「そういうことだから、フィッツロイがこっそりと連絡を取って来たら、わたしの方に取り次ぎをお願いするわね」
わざわざ口に出さなくとも、滞在者に客が来れば取り次ぎはされる。
それをわざわざ口に出したということは、フィッツロイとカインの関係を考えれば、そちらの情報も寄越せるだろう、ということだ。
「こっそりと連絡を取る」のは、何もメアリ宛ばかりとは指定されていないのだから。
「家の者にそう伝えておきます」
「ん、頼んだわよ」
フィッツロイの話が終われば、メアリは瞼をそっと閉じて、またご満悦の表情だ。どうやらさっきまでの光景を振り返っているらしい。
メアリも元が良いので、柔らかい表情だととても可憐だ。セスがつい見惚れていると、横からアンナが囁いて来る。
「セス様は、どちらかと言うと男性よりも女性に弱いですわね。色仕掛けには気を付けた方がよろしいですわ」
妙なことを言われた。セスが眉根を寄せる。
「そうでもないと思いますけど? これまで、社交界でも声がけはありましたが、心が揺れたことはありませんよ」
「それは相手が素人ばかりだからですわ。お気を付けあそばせ」
囁きと共にアンナに軽く腕を取られて、身を寄せられるとふわりと甘い香りと、柔らかな感触に意識を持っていかれる。
「あ、うん」
そんな拙い言葉しか出て来ないセスに、アンナが、ほらね、と笑う。
そうなのだろうか。セスは額を押さえて天を仰いだ。




