病鳥の止まり木26
「流石に王都は大きいわねぇ」
カッポカッポと馬のひづめを鳴らしながら、メアリが呟く。
別荘の寝室で寝たきりで育ち、元気になってみたら別荘の周囲は広大で危険な森ばかり。メアリ・ウェールズは、完璧なお上りさんとして王都に参上している。
それでも、動きがゆったりとしているので、悠々として見える。
流石は自称淑女教育を受けた貴族令嬢である。単に本人が図太いだけかもしれないが。
『人もたくさんです』
メアリの代わりとばかりに、その背中にひっついたジャンヌは、右を見て左を見て、きょろきょろと良く動く。
実際、ジャンヌの視界をメアリが共有しているので、メアリの分まで見ているというのは比喩ではない。
あちこちの中央貴族の屋敷が、それぞれの街区の中心となっているようだ。
小さな城下町が寄り集まって王都になっている、という感じだ。この小さな城下町が大きければ大きいほど、その貴族が使う金額が大きいということだ。
領地持ちなら、自分の領地から多くの産物を王都に流し、他領の産物を自領に仕入れられる。
そのまま比較はできないが、王都屋敷の大きさは、その貴族の豊かさの指標にもなる。
その指標を見るに、クリストファー公爵家はやはり大したものだとメアリは認めた。
『メアリ様、壁がずっと向こうまで続いています』
公爵家の外壁が延々と続いている様子に、ジャンヌが目を何度も瞬かせる。
外壁の向かい、立ち並ぶ邸宅は公爵家傘下の貴族や従者のものだろう。さらにその外側には、公爵家と取引のある商売関係者の店や倉庫が広がる。公爵家が一声かければ、この一帯全てが動く。
その規模は、まさに、王都における公爵家の城下町と言える。
「これだけの自領を王都に持っているのは羨ましいわね。ウェールズ家は、分家があるだけだもの」
『そうなのですか?』
「ええ。祖父の代から、王都との繋がりを薄くして分家に任せていたのだけれど、父エドワードの代でさらにそれが進んだの。ウェールズ本家のお屋敷をリッチモンド家に譲渡したから、活動拠点を引き払って王都から手を引いたことになるわ」
そのために王都での影響力が地べたまで落ち、リッチモンド家のダドリーがクリストファー公爵家の一部と繋がって勢いを得て、分家のフィッツロイの反抗を許したことになるだろう。
今回、メアリが辺境伯と西部統括官の就任に手間取った原因である。
その代わり、エドワードはリッチモンド本家から妻を得た。
その妻との間に出来た子が、メアリ・ウェールズという結社の最終研究成果となったので、エドワードの計画は見事に結実したと言える。
その後を継いだメアリは、王都で後退した分の勢力を盛り返さなければならない、という面倒な課題を押しつけられた形になる。
今は亡き父に、困ったものだとメアリは嘆息する。
「王都の活動拠点をどう手に入れるか、中々に面倒な悩みではあるのよ。アンナに探すようには言っておいたけど、上位貴族の身の丈に合った屋敷なんて早々空いているものでもないから」
だから、リッチモンド家も、ウェールズ家の屋敷を受け取る代価として結婚を了承したのだ。
王都の良い屋敷とは、それほどの価値がある。
「どこかに良い物件は転がっていないかしら。それもできるだけ安く、というかタダで」
とんでもない贅沢な希望を口にするメアリは、本気の表情だ。
なんだかんだで、メアリはお嬢様であり、自分のわがままを口にするのはとても得意である。
忠誠心の厚さにおいて随一のジャンヌは、敬愛する主人のわがままを聞き入れるべく、少ない人生経験から手段を模索して、答えた。
『ええと、どこか丁度良いお屋敷を乗っ取る、とか?』
メアリ・ウェールズの得意技――だとジャンヌが認識している――貴族流カツアゲである。
西部において、セスが難癖をつけて、メアリが襲いかかって乗っ取った領地は多い。それと同じことを、王都の屋敷にもしてしまえば良いのでは?
ジャンヌ的、会心の名案である。その有用性について、メアリは頤に指を当ててしばし考えこんだ。
「最終的にはそうするかもしれないわねぇ」
主従は順調に同じ色に馴染んで来ている。
「まあ、それは後の話よ。流石に王都でそんな真似をしたら他の活動に差しつかえると思うし。今はしばらく、公爵家の軒先を借りるとしましょう」
メアリの細めた視線の先、ようやく公爵家の正門が見えて来た。
王都に屋敷のないメアリの、今日の滞在先である。
「でも、手頃な相手がいたらその機会は逃したくないわね」
メアリは、自分の支配領域外でのお休みは、あまり得意ではない。他家のお屋敷に泊まるよりは、麾下の手によって整えられた野営地にお泊りした方が休めるくらいだ。
長いこと自室で寝たきり生活だったメアリお嬢様は、実は熟練の引きこもりである。
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クリストファー公爵家の王都屋敷の庭園は流石であった。
家の歴史の古さを象徴するように、植えられた木はしっかりと根付き、池には苔や水草も繁茂し、生態系として落ち着いた様子が見える。
そんな庭園に、従者が整然と並んで頭を下げている。
そのどこを見ても、服の乱れ、髪の乱れ、表情の乱れもない。これぞ貴族家に仕える者である。その見本のような従者達。
馬をゆっくりと進めながら、メアリは目尻をわずかに下げる。こういう貴族家らしい雰囲気は大好物だ。
うちの侍女達も、もうちょっとなんとかならないかしら。そんなことを思わず考えてしまう程度には良い眺めである。
思考を西部の端の方まで飛ばしながらも、メアリの表情は涼やかだ。
彼女が公爵家の人間を見ているように、公爵家の人間もメアリを観察している。
整然と動く公爵家の従者の数に、圧倒される者は多い。これだけの教育を施し、これほどの人員を抱え、こうして使うことができる力がある。
一種の示威行為をして、相手の反応を見ているのだ。
メアリはいくらか面白がる様子があるだけで、圧倒された様子はない。
よほど器が大きいか、それとも単なる世間知らずか。
公爵家側は、前者と取った。
つい先頃、公爵家の後継者争いで圧倒的優位に立ったセス・クリストファーが見込んだ相手である。高く見た方が外れまい。
少なくとも、反メアリ派が声高に叫んでいた、人道も礼儀も知らない野蛮な小娘、という評価とは一致しない。
堂々とした佇まいは、淑女らしいとは違うが、貴族家の当主と考えれば納得の貫禄がある。
そんなメアリが、一瞬だけ、目を大きく輝かせた。
年相応に喜びを露わにする先には、忠実なる大幹部アンナと、協力者であるセスだ。特筆するべきは、二人そろって男装であること。
元々、セスは初対面からメアリの眼を惹いた見目の良さがある。
そこに、初めて男装姿を見せるアンナがいれば、メアリの眼は釘付けである。その脳内に、一瞬で二人の姿に似合う部屋のプランが無数に巡る。
その結果が、珍しいメアリお嬢様の破顔である。わずか一瞬だけとはいえ、どれほど珍しいかといえば、護衛騎士が二度見するレベルで希少である。
この快挙に、アンナの拳は密かに握りしめた。ガッツポーズである。
一方、その隣に立つセスは、ドラゴンの大口を前にしたように表情を引きつらせる。
一瞬だけ幼気な笑みを見せたメアリ・ウェールズは、瞬きの後にはもう、どうやって二人を自分の趣味に付き合わせて楽しんでやろうか、という支配者の笑みに戻っていた。
一体、どんな命令が飛び出すことやら。
アンナは嬉々として、セスは恐々として、メアリお嬢様を公爵家が用意した滞在場所、別棟に案内した。
そこで着替えて、クリストファー公爵へのご挨拶に向かうのが、本日の予定だ。
だから、いかなメアリといえども、今日はアンナとセスを振り回して楽しむことはできない。
そのはずだと、セスは自分に言い聞かせた。それは祈りにも似た真摯な願いであった。




