病鳥の止まり木25
王都の人の出入りは、当然多い。それに比例して厄介事も出入りする。
善良ではなくとも無害な民が九人いれば、小悪党が一人くらい混ざるとして、百人が王都を訪れれば小悪党は十人になる。
それだけの同類がいれば、そのうち集団になって余計に厄介なことになる。
王都の治安を守るため、門衛は鋭い目つきで見張っている。着任の初日くらいは。
魔物への備えとして市壁が巡らされ、出入り口が制限されているとはいえ、門衛が王都にやって来る一人一人、出て行く一人一人を検めるというのは現実的ではない。
実際のところ、門衛は魔物の襲撃に対する備えであって、王都への来訪者や発出者を管理する立場ではない。
犯罪者の取り締まりは、自警団や警邏衛兵の仕事だ。
門衛の仕事は、いざとなった時の門の開閉と防衛。それ以外は給料外だと、欠伸する。
とはいえ、明らかに目立つ人間には門衛が声をかける。
徒党を組んでいる強面集団だとか、武装が明らかな戦闘集団だとか。流石にこれを見逃すのはまずい、という基準くらいはある。
その点で言うと、その日の門衛が目を止めたのは、そこまで緊張する相手ではなかった。
立派な体躯の馬に乗った、見目の良い女性達。
恐らくは、貴族令嬢とその護衛騎士だろう。
乗馬用の軽武装といい、馬具といい、中央貴族を見慣れた門衛からしても中々に上等だ。
一度この門を通ったことがあれば、噂で広がっていそうな相手だが、門衛達が顔を見合わせても誰も知っている者がいない。
ということは、西部からやって来た貴族だろう。馬車も連れていないところが決め手になる。
近頃多いのだ。飢饉によって領地が荒れた西部諸侯が、あの血染めのメアリに追い出された、という話が。
この手の来訪者に道案内するのも、門衛の大事な仕事だ。
迷子になって他の貴族と衝突したり、市民と揉め事を起こしたりすると仕事が増える。
「役儀によってお尋ねします。お名前をよろしいですか?」
門衛が声をかけると、護衛騎士の女性が、ご苦労様と微笑んだ。随分と余裕のある態度だ。
血染めのメアリに追われて逃げ出した者達は、憔悴していたり、疲れ果てたりしているものだ。
そんなことを考えていると、護衛騎士は自分達の先頭にいた少女に視線を送る。
多分、彼女が主家の令嬢だろう。服装は乗馬のためか騎士服で大差ないが、馬が一番良く、他の護衛達が警護し、指示を得る動きをしている。
何より、門衛達の判断を強力に後押ししたのは、一番綺麗なのが彼女だった。
その令嬢が何者か、騎士は名乗った。
「こちらはウェールズ辺境伯家のご当主、メアリ・ウェールズ様とその護衛です」
門衛達はどよめいた。
驚きに好奇心、それとちょっとした恐怖心。これが、あのメアリ・ウェールズ。
本物だろうか。
いや、偽物を名乗るような者はまずいない。王都に逃れて来た西部諸侯の憎悪を一身に集める名前を騙ろうなどと、いかに冒険的な詐欺師であっても命がいくつあっても足りない。
門衛達が漂わせた混乱と緊張を、馬上、メアリ・ウェールズは正確に読み取った。
「任務ご苦労。西部の混乱で、諸君にも迷惑をかけているようね」
不敵に微笑むと、横に手を差し出す。
何をするのかと言えば、相乗りして背中に引っ付いていた白い侍女が、すかさずその手に小さな袋を手渡した。
「メアリ・ウェールズからの迷惑料よ。美味しい物でも食べて、英気を養いなさい」
放り投げられた袋を門衛の一人が受け取ると、小気味の良い貨幣の擦れる音がした。
「こ、これは、お心遣い、ありがとうございます!」
一人が頭を下げると、門衛達はそろって頭を下げる。
貴族なら珍しくもない行為だが、高位貴族の当主手ずから与えられるというのは滅多にない。ましてや若い少女で、あの血染めのメアリだ。
命からがら王都まで逃げて来た、という西部諸侯の話では、相手が貴族だろうと平民だろうと、人を見れば槍で突く残虐非道の悪女ということだった。
それがどうか。気は強そうではあるが、真っ当な婦女子ではないか。
意外、という評価を顔に張り付けて、門衛達が恐る恐る顔を上げると、メアリは軽く頷くだけでそれ以上は何も言わない。
令嬢らしくたおやかに、というのとは違う、不敵な笑みを浮かべて周囲を睥睨している。
代わりに、雑務を担当するのは護衛騎士だ。
こちらはきちんと馬から降りて、門衛と同じ目線に立つ。こっちはこっちで美人だ、と門衛の背筋が伸びる。
「メアリ様はクリストファー公爵家に招待をされています。王都の地理は不案内ですので、公爵家のお屋敷がどちらにあるか案内をお願いできますか」
「はい。まずはこの門から真っ直ぐお進み下さい。公爵家のお屋敷は王城近くにありますので、まずは王城を目指せば大体の方向は間違いありません。広い庭が見えて来たら、近辺の警邏の衛兵にお尋ね下さい」
「承知しました。ありがとうございます」
護衛騎士がひらりと馬上に戻ると、一団は動き出す。
先頭が、変わらずにメアリ・ウェールズであることを、門衛達は見送る。
ああした貴族もいる。臣下に守られるのではなく、臣下を率いるのだと態度で示す貴族が。
貴族とはつまり戦士だ。そのことを内外に示そうと、安全な王都の中でだけ先頭に立つ貴族を、門衛達は何度も見て来た。
逆に、警備の万全でない街道だろうと戦場だろうと、どこでも先頭に立つ貴族も見て来た。
両者の違いは、意外とわかりやすい。
前者はいかにも肩肘を張って大きく見せようという意図が透けているのに対して、後者は適度にリラックスしていて、それでもなおどっしり構えて頼もしく見える。
メアリ・ウェールズは、門衛達の眼によると、後者であった。
「なあ、あれをどう見る?」
門衛の一人が、去って行く血染めのメアリ一行の後ろ姿に、ぽつりと零す。
問いかけの中身は、あまりに意味が広すぎる。
これまで王都に鳴り響いていた悪評、西部から逃げて来た貴族達の呪詛、酒場で聞く公爵家のいざこざ。
「そうだな、少なくとも……」
しばらくの沈黙の後、答えがあった。
「目を見張るほどの美人ではあったな」
それは、政治的な柵の一切発生しない、完璧な事実であった。
この答えは門衛一同の賛意を得て、メアリ・ウェールズから下賜された飲み代を使って、歓楽街に広げられた。
血染めのメアリ――美少女説。




