表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラッディ・メアリは支配する  作者: 雨川水海


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/73

病鳥の止まり木21

「アンナ様、手前どものお店にも寄って下さいませんか」


 お代は結構ですので、と丁重に頭を下げたのは、娼館を経営する老婆だ。

 綺麗に整えた髪と、それを飾る櫛が、彼女の若かりし頃の美貌を伺わせる。娼婦上がりの店主とくれば、海千山千の人に揉まれて磨かれた、一級の宝玉である。

 そんな老婆が、店先に立って直々の客引きだ。すがっても店に招きたい上客中の上客を狙っているとわかる。


 男装姿で盛り場を闊歩するアンナは、そういう客として見られていた。

 娘達の扱いの上手い遊び人として、セス・クリストファー令嬢の客分として、乱暴な客への盾として、連日連夜の人気者だった。

 彼女を招きたい娼館は引きも切らない。


「少しだけのお遊びでもよろしければ、お邪魔しても?」

「それで十分でございます。どうしても、アンナ様に可愛がって頂きたい娘がいるのです」

「では、その娘を買いましょう」


 ポケットからハンカチを取り出して、老婆に差し出す。中身は金貨、娼婦を買う代金である。

 当然、お代は結構とまで言った相手は、恐れ多いとやんわりと拒むものの、ここで店側の言葉に甘えるようでは客として三流、決して上客とは呼ばれない。


「わたしは現在、セス・クリストファー様の客分として王都にいます。クリストファー公爵家の名前に、支払いが悪い、などという悪評をつけるわけにはいきませんよ」


 そこまで言えば、老婆としても心得たもの。ハンカチを押し頂く。

 ケチなことを言わず、値段も聞かずに十分以上だろう金額を用意する。しかも、投げて渡すようなこともせず、刺繍入りの上品なハンカチに包んだ渡し方は、店に対しての礼儀がある。

 これこそ、大貴族と呼ばれるに相応しい遊び方である。


 老婆は目を細めて、若い客に敬意のこもった営業スマイルで一礼する。


「近頃は、大貴族と呼ばれる方でも、こういった遊び方をなされない方もおられます」

「まあ、よろしくありませんね。遊び方にこそ、その家の格が現れるでしょうに」


 アンナの台詞に、老婆も深く頷く。

 娼館並ぶこの場所で人生を学んだ者達にとって、それは絶対だ。偏った見方であっても、偏った世界で生きて来たのだ、覆しようがない。


 それと同時に、老婆の言葉には含みがあった。

 こういった遊び方をしない大貴族とは、一体誰か?


 会話も楽しませる高級娼婦の舌先に、無駄な言葉は乗らない。

 セス・クリストファーの名前を背負った客に対して言ったということは、その兄カインの遊び方はずいぶんと程度が低いようだ。


「王都とはいえ、客の良し悪しの時代はあるのでしょうね」

「わたくしども一同、これからは良い時代が来ることを願うだけでございます」


 この会話の段階で、いくつかの娼館がカイン派からセス派になびいたことになる。

 これで四分の一くらいかしら、とアンナは微笑む。連日連夜の夜遊びの結果、あっという間に歓楽街の勢力図は塗り替えられつつある。


 全体の四分の一が、これほど短期間で裏返ったということは、勢いが完全にできている。

 残り四分の三が向こうとはいえ、足が一本欠けた机がどうなるかを考えれば、実質的に勝利が見えたと言って良いだろう。

 頭の中で勢力図を書き換え、今後の計画を確認しながら、アンナは案内された部屋に入った。

 中で待っていた娼婦は、まだ若く、初々しさが見て取れる。


「こんばんは、お嬢さん。わたしとお話をしてくれませんか」


 妹を相手にするような、柔らかな声かけだった。

 青く見えるほどに緊張していた娘の顔から、訴えを引き出せるほどの優しさに満ちている。


「あの、あの、わたし……っ」

「ええ、何か言いたいことがあるのでしょう? わたしでよければ、聞かせて頂戴」


 勢い込んだ訴えに、聞く姿勢を見せると、娘の顔から緊張が抜けて、涙が溢れだす。


 アンナを呼び止めて誘う店は、いずれもカインの名前で迷惑をかけられている。

 娼婦個人であったり、店全体であったり、大小も様々だが、よくもこれほど、と呆れるくらいの量だ。

 クリストファー公爵家の力が大きい、というのもあるだろうが、カインが交渉のため、頻繁にゴロツキに脅しの依頼をするせいで、「次期公爵の関係者」が広がり過ぎているのだ。


 そのことについて、カインは大貴族の御曹司らしく、頓着していない。

 切り捨てやすい手駒が増えて結構ではないか、くらいにしか考えていないのだろう。ゴロツキが問題を起こす範囲が、歓楽街の外まで出て来れば、また違った反応になったかもしれない。

 つまり、カイン・クリストファーにとって、歓楽街とは何を捨てても良いゴミ箱のような感覚なのだろう。

 そこに住むしかない人々がいることを、まるでわかっていない。

 人は、踏みつけられれば血が流れるし、食事がなければ飢えて死ぬのだ。


「つらかったね、もう大丈夫」


 そこに住む娘の涙を、アンナの細い指先が拭う。


「君が受けた傷をなかったことにはできないけれど、傷つけた連中に報いを受けさせよう」


 薄っすらとした美女の笑みには、計画がまた一つ上手く運ぶ喜びと、妹を傷つけられた姉の怒りが根を張っている。


「だから、あなたはその傷を強さに育てなさい。悲劇好きな客に見せる花にしても良いし、触れさせないための棘にしても良い。その傷に負けないで、その傷を滋養にするの。それが、あなたにできる、一番の復讐になるから」


 どんな大輪の花も、どんな大木も、始めは小さく足元に芽吹く。

 闊歩する獣に踏みにじられる小ささを飛ばして、大きく咲くことはできないのだ。

 避けえないその時に、不運に遭遇してしまったら、それはもう仕方ない。その花の運命だ。

 枯れぬように立ち直るしかない。たとえ、その幹が曲がったとしても。


「あなたは美しい。後は、強くなるだけよ」


 それが可能であること、それが難しいこと。

 そのどちらも、アンナという女は知り尽くしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 自分が経験して上り詰め、見出されたからこそ言える事だなー
[良い点] 更新ありがとうございます。 次も楽しみにしています。 [一言] 敵失があるとはいえ、鮮やか
[一言] カインくんは公爵がセスのために用意した教材なのでは? 反面教師じゃなくて教材
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ