病鳥の止まり木17
メアリの支配領域は、元々王国西部の中でも西端が中心であった。それが、リッチモンド伯爵領を中心に西部中央でも急速に伸長した。
西部統括官という肩書きがないまま、実質的に西部の三分の二がその影響下にあると言って良い。
無論、その情勢は不安定なものではあるが。
その過程において、メアリは次々と反抗的な諸侯の首を落とした。
粗末な首ではあったが、それでも重要な部位である。メアリは代わりに据える首を探す必要があった。
西部では人材が払底している。
そこで、首がたくさんある王国中央を探すのは当然のこと。問題は、王国中央にメアリ・ウェールズの寄って立つ地がないことだ。
その橋頭保を、クリストファー公爵家に確保するため、メアリ・ウェールズの忠臣の一人、アンナはやって来た。
クリストファー公爵家の娘、セスを伴って。
「よくもおめおめと我が家の門を潜れたな、セス! 紳士たる父上の名に泥を塗った分際で!」
公爵家の権勢を訴えかける王都公爵邸の玄関ロビーで、兄カインの大声が響き渡る。
この出迎えに対して、アンナが抱いた感想は、公爵家にしては躾のなっていない番犬だこと、である。
「メアリ・ウェールズの悪行に手を貸したと、中央ではお前の評判は散々だぞ。俺が忠告の手紙をあれほど送っても無視をして、どういうつもりだ!」
この犬は、とにかく吠えれば良いと思っているらしい。
確かに、公爵家の権威があれば、大抵の人間は身をすくませるかもしれない。中央で生きる者にとって、その影響力を考えずにはいられない。
しかし、アンナは西部の人間であり、セスは同じ公爵家の人間だ。怒鳴ったところで得られる効果は乏しいと言わざるを得ない。
つまり、それがわからない程度の人間なのね。アンナは可哀そうなものを見る目を、身形は立派な公爵家の子息に向ける。
一方、肉親であり、ずっとこの兄の吠え声に悩まされて来たセスは、温度のない声で応じた。
「どういうつもりも何も、私はクリストファー公爵家の人間として、父ノアの名に恥じぬよう動いたにすぎません。そのことについては、報告書にある通りです」
「なにを!」
「西部諸侯でメアリ様に逆らっている輩はろくな人物がいませんでした。貴族たりえないので退いて貰ったまでのこと。王国法に照らしても問題はありません」
「貴様、俺の忠告を無視するとどうなると思っている!」
従者を傷つけられて脅されて以来、セスはカインに逆らったことはない。
しかし、今カインの目の前にいるセスは、もう兄の知る妹ではなかった。
「公爵家当主の父上からは、一言も止めろとの命令は受けていません。それなのに何故、兄上の忠告如きを、私が容れねばならないのです」
カインの顔色が、見るも鮮やかに変わる。溶岩のように煮えたぎった血が、顔面に上ったのだ。
カインは、公爵家の中の身内争いを、公爵家の長兄という上の立場から、力によっていつも抑えこんで来た。セスは、甘んじてそれを受け入れて来た。
それゆえ、カインは他のやり方を考え、覚えることができていない。
顔を真っ赤に鬼の形相をするカインが、肩を怒らせて前に出て来る。
それに対し、アンナがセスの前に立った。それは、幼子を守る母の姿に似ていた。
「カイン様。そこまでにございます」
「何者だ貴様! この俺の前に立つとは! これは公爵家の問題だぞ!」
「わたくしはメアリ様のご指示で、セス様の務めのお手伝いをすることになった、アンナと申します」
家の威を借るカインの怒鳴り声など、アンナの微笑に傷をつけるほどの力もない。
「現在、セス様はノア・クリストファー公爵閣下の命を受けた任務を終えて帰着したところでございます。閣下にそのことを速やかにご報告しなければなりません。その足止めをするということはどういうことか、公爵閣下にも納得のいくご事情がおありでございますか」
自分より偉い父の名を出されて、カインは前のめりだった姿勢を後ろに弾かれた。
それでも、一瞬の余裕があればまたすぐに大声でまくしたてに来ただろうが、それよりはセスの方が早い。
「君、父上はどちらに?」
カインの従者に、セスが尋ねる。
当然、カインの味方である従者は咄嗟には答えない。セスは、その反応に対して眉を顰めた。
「君は、クリストファー公爵家の従者のはず。兄上に付けられているとしても、その雇い主は公爵閣下。閣下の命を受けた私が、報告のために所在を確認しているのに、答えられないとはどういうことか」
「あっ、わ、私は、存じ上げずに……!」
「答えが遅い。それに、在宅か、外出かも把握していないと」
セスは冷ややか目で、兄を見た。
「兄上、あなたの従者です。しっかりと教育なさった方がよろしいでしょう」
一撃を入れたセスは、相手が反撃を思いつく前に素早く動く。
「誰か! 父上の所在を教えなさい、王国西部について重要なご報告がある!」
セスの声に、視界の隅から影が湧くように侍女が寄って来る。歩く姿に立ち姿、どこにも(戦闘とは別な意味で)隙がない。
その滑らかさと無駄のない動きに、流石は公爵家であると、アンナは感心した。
控え目に言っても、ウェールズ辺境伯家の――というより、メアリ配下の侍女もどき達ではお話しにならないレベルだ。
「旦那様がお待ちでございます、お嬢様」
「ありがとう」
旦那様、つまりノア・クリストファー本人が待っていることも把握しているとなると、公爵自身の侍女か。
クリストファー公爵家の門をセスが潜ったことを知り、カインがこの玄関で待ち構えていたように、ノアも兄妹の動きを察知して、控えながら観察するように侍女に命令を出していたらしい。
「アンナ、あなたも一緒に」
「かしこまりました」
兄の方はどうにもあれだけれど、公爵本人は甘い人物ではなさそうだ。
アンナは微笑の硬度を最高まで引き上げて、セスの後に続いた。




