病鳥の止まり木16
セスは、自分が臆病な性質であることを知っている。
だが、臆病な人間が、穏当で無害であるとは限らない。臆病な人間は、その臆病さがゆえに、自分の平穏が乱された時に、激烈な防御反応を見せる。
その防御反応の、最初の一矢が突き立ったのは、ブルゼ子爵だった。
「それにしても、いささか意外でした」
「あら、そう?」
はい、とセスは素直に頷いて、凛々しい騎士姿のメアリ・ウェールズを眺める。
中央の社交界にて、男装の麗人として男女を問わない人気のあるセスではあったが、その彼女をしてメアリ・ウェールズの戦人としての姿には感嘆の思いを抱いた。
猛々しいわけではなく、しかし弱さは微塵も見えない。名手の放つ百の矢さえ、その立ち姿を避けて通りそうな威風がある。
かといって、野蛮な暴力を全身から発散しているわけでもない。あくまで美しく、しかも女性的な魅力が陰らない。
まるで、歌劇の中にしか存在しえない女騎士のような人物だ。
だが、セスが意外と述べたのは、見目のことではなかった。
「これまで、ずいぶんと手加減をしていたのですね」
血染めのメアリの悪名を耳にした中央社交界の人間が聞いたならば、目を剥くようなセリフだった。
手加減。父の葬儀を放り出して匪賊を討伐して回り、発生した難民を虐殺して回ったメアリ・ウェールズのこの一年に、どんな手加減が存在しえたのか。
それは、セスが書類をたぐる執務室の眼下、こじあけられた館門が物語っている。
ブルゼ子爵の居館を守る正門だ。
城塞ほどとは言わないが、領民の反乱や魔物の襲撃に備えた守りである。ブルゼ子爵の政治手腕相応に――つまり、領民との関係が悪い分だけ、堅固であった。
それが今や、大破炎上し、黒い焼死体となり果てている。
メアリの進軍は少数による電光石火だったため、ブルゼ子爵は最初から籠城を選択した。
何と言っても、弟のアントニーを刑に処してから五日の早業である。ほぼ移動時間しかかけていない。
ブルゼ子爵の対応は常識的というか、それ以外なかっただろう。
それでも、少数であるメアリ達に対し、初撃を持ちこたえさえすれば、周辺から騎士を集めて逆包囲、と勝ち筋があった――ように見えただろう。
そこに、いきなりの正門ぶち抜きである。
セスには一体なにが起こったのか、正確なところはわからない。
固く閉じられた正門の真ん中に、メアリが棘の槍を投げつけた。その槍が樹木に成長して固い門を歪ませたと思ったら、次には槍だった樹木が爆発を伴って燃え上がったのだ。
この時点で、セスは訳がわからなかった。
防衛側から矢が飛んでくることもほとんどないまま、一番守りたかったであろう正門が抜かれたのだ。
後は、セスと同様に呆然としている守備兵に向けて、メアリが先頭を切って突撃をかけて終わった。
そして、払暁の奇襲は太陽が中天にかかる前に終了し、現在は勝利を祝う昼食を挟んで戦後処理である。このペースで敵の本拠地を叩ける力があるなら、メアリはもっと勢力を拡げることもできたはずなのだ。
大義名分など、こうして本拠地を制圧してしまえばどうとでも作れるのだから。
「これまでそうしていなかったのは、手加減というのでは?」
「敵勢力を撃破するだけなら、ご覧の通り簡単よ」
セスの言い分を、メアリは肩をすくめて認めた。
その言外の意味に、セスはなるほどと頷く。
「その後の統治が問題でしたか」
「貧乏臭いことは口にしたくないわ」
ぷいっと、メアリは拗ねた乙女の素振りで顔を背けた。
ウェールズ家の保有する武官も文官も、これ以上の支配地域の拡大に手が回らないのだ。それを、素直に「人材不足」「手が回らない」「維持できない」と言えないのは、メアリらしさと言えば良いのか。
とはいえ、現在の飢饉に見舞われた王国西部の状況を思えば、一貴族家としては広すぎる領地と重すぎる難題に対処している。
恐らくは、とセスは推測する。
あの白い侍女のように、平気で平民上がりの人材を用いていることが大きいのだろう。
本来、そうした役目に当てないはずの人材を教育し、登用する仕組みができているのだ。今回の苦難を乗り越えた後、ウェールズ家はさらに大きく力を伸ばしていることだろう。
が、今のウェールズ家にはそこまでの大きさがない。
思うに――セスは、自分を嬉々として取り込んだメアリのやり口から、ウェールズ家の力の形を推測する。
社交用の人材が足りていないのだろう。特に貴族用の、対外的な交渉ができる人材だ。
それがあれば、他家に餌をちらつかせて人材を集めることができたはず。
ウェールズ家本家は、先代のエドワード・ウェールズから評判の引きこもりだ。
外向きの社交は、フィッツロイのウェールズ分家に任せっきりである。本家を継いだメアリは、その手の力が不足している。
そこにのこのこと現れたのが、クリストファー公爵家のセスである。宮廷を牛耳る宰相の娘、当然社交界にも顔が利くし、公爵家の人間としての発言は威力が高い。
「社交下手の家風が、意外と響きましたね?」
「そんなものがなくとも、西部統括官を名乗れていれば、今頃西部を平らげていたと思うのだけれどね」
「それについては、今しばらくお待ち下さい」
メアリにせっつかれて、仕事を進める手が早くなる。
現在、セスはメアリを伴い、ブルゼ子爵の執務室にて書類漁りに励んでいる。
ここから出て来た各種の埃が、後にメアリ・ウェールズとそれをそそのかしたセスの大義名分になる。万が一にも埃がなかったら、適当に作れば良い。
暴力で勝ったメアリとセスには、その権利がある。
まあ、セスの簡単な流し見ですでに埃は見えているし、そもそもアントニーが横流しした食料だけでも、けじめを迫るのに十分といえば十分なのだが。
それだけで、道理を曲げて我意を通すだけの権力をクリストファー公爵家は持っている。
ただし、セスが公爵家の力を使うならば、問題が一つ。
「ところでメアリ様、こちらの報告書をクリストファー家に送った際、兄が面倒なことになるのですが」
「今の西部は面倒がたくさんだから、片付けるのもすっかり慣れてしまったわ」
いささかうんざりとしたメアリの言いように、セスは目を細くして笑う。
この不機嫌な化け物を、あの王都に招き入れれば一体何が起こるのか。
想像するだけで胸がすく心地になるセスであった。




