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ブラッディ・メアリは支配する  作者: 雨川水海


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病鳥の止まり木15

 翌朝、兄想いのアントニーの処刑場を訪れて、メアリは意外そうな顔をした。


「思ったよりも残ったわね」


 晒し刑のために使われた広場には、赤黒いシミが広がっていた。

 血の跡だ。だが、血を流したであろう肉体は、ほとんど残っていない。

 地面に転がる手枷と足枷が、捕らえていた罪人が消えてしまったことを、不思議そうにしている。


「あの、アントニー、殿は……」


 セスは、喉を切り裂くような硬い声で尋ねた。

 その視線は、アントニーが広場に引き出された時にはなかった、大鍋に向いている。 

 その鍋の中身を見ていたメアリは、考えればわかるでしょう? と首を傾げる。


「食べられたのよ」


 平然とした顔で告げられるその事実が、どれほど凄惨なものであったか。食べ残された生首の表情が物語っている。

 赤黒いまな板の上、その最後の瞬間まで自分の身に向けられる怒りを思い知ったであろうアントニーは、人とは思えない表情を残している。


「てっきり、頭まで全部食べつくされるかと思ったのだけれど……。昨夜からウェールズ家の手配で食料配給が正常化されたから、見せしめにするくらいの余裕が早速出来たのかもしれないわね」


 良い傾向だと、メアリは頷く。

 食べ物に群がる獣のような有様から、恨みを晴らすために頭を巡らせる人になって来ているのだ。

 じきに、秩序を重んじる社会性の動物にもなれるだろう。

 民心を測る目安扱いされたアントニーの頭部に、セスは思わず呟く。


「アントニー殿は、こんなことをされるほどの悪人では……」

「そうね。情に厚い人間だったのでしょう」


 意外にも、メアリはセスの言葉を一度肯定した。


「この男は、自分の死が決定づけられる最後まで、兄の命令に従った。この血染めのメアリの目の前でね。麗しい家族愛、と言って良いのでしょう。アントニーが妾腹であったことを思えば、血の繋がり以上のものがあった。彼の母親も苦労をしたそうで、そこを父である前ブルゼ子爵が助けたんだとか。その恩義について、いつも語っていたそうよ」


 メアリは知っていたのだ。ブルゼ家の事情の、かなり深いところまで。


「ええ、家族を愛していたのでしょうね。命をかけてまで家族に尽くす。それ自体は素晴らしいと、世間では言われているわね。甘い蜜とかぐわしい香りを蓄えた、極上の花」


 でも――それをメアリが踏みにじった。


「その素晴らしい家族愛が花を咲かせるには、大通りにまであふれるほどの餓死者が必要だったのよ。その死者が持っていた家族、友、愛を奪いつくして初めて咲く花。それは、本当に麗しいとあなた達が呼べるものかしら」


 善徳とされるものの足元を、メアリの言葉が掘り出す。


「家族愛に酔いしれるこの男は、無数の領民の飢えを見過ごした。結果、部下から見放され、こんな死に方をするほど恨まれた。そして、最後に咲いたのは因果応報という罰の花」


 メアリは生首の隣で笑う。

 シャレコウベに根付いた花のように、美しい笑いだった。


「これが、善人の最後かしら。どこからどう見ても、悪人の最後よ」


 結末はご覧の通りと、アントニーが無言で答える。


「あなたは、どうかしらね、セス」


 笑うメアリと、無言のアントニーが、セスを見つめる。

 それぞれの目に、自分はどう映っているのだろうか。セスは、背筋に悪寒が走るのを感じた。

 セスは、アントニーと同じなのだ。言い訳は、アントニーよりもできる。納得も、比べればされやすいだろう。


 しかし、悲劇を防げる立場にいて、それを避けているという事実は変わらない。

 何より、自分がそれを自覚してしまった。

 人の生死が、自分の手に握られている。一人や二人ではない。ブルゼ子爵領の、無数の飢える人々。それを無視してしまえばどうなるか。


 アントニーの恨めしい目が警告している。

 こうなるぞ。お前もこうなってしまえ。


 気のせいだ。そんなはずはない。あの濁った目は、もはや何の意思もありはしない。

 自分が、そう恐れているだけ。

 あの目に見られると、肌が粟立つ。

 恐怖が胸を冷やし、背筋を嫌悪が駆け巡る。


 目はもう一対ある。メアリだ。

 彼女は、確かに意思を持ってセスを見つめている。隣に置かれたアントニーをあんな目に遭わせたのは、彼女だ。

 セスのこともそうしてやろうと待ち構えている。


 嫌だ。あんな風にはなりたくない。

 どんな風に死んだのか……いや、どこまで生かされていたのか、想像もしたくない死に方なんて、誰がしたいものか。


 混乱した時の癖でコンパクトミラーを開いて、視線を落とす。

 鏡の中、セスの顔は紳士とは言えないが、人間のものだ。恐怖と嫌悪に歪んでいる、ただの、人間。

 だが、鏡を持つその手は――すでに、異形の何かに変じてしまっていた。


「――――」


 なぜ、どうしてと狼狽える必要はなかった。

 すでに、どうすべきかを自分は決めてしまっているのだ。


 アントニーの目を、見つめ返す。

 ああなりたくなければ、ブルゼ子爵領の混乱を何とかしなければならないのだ。あれほど忌み嫌っていた、人の運命を振り回す化け物になってでも。

 金属の擦れる音に、セスが目を落とせば、異形の手がただの人間のように震えている。

 無数の人間の命を、自分の意志で握りしめる恐怖か。

 化け物になってでも安寧を得ようとする浅ましさへの嫌悪か。


 人間らしく、紳士であらんと振る舞っていても、薄皮一枚の下は、こんなものだったのか。

 ただ命惜しさに長年の信条らしきものを放り投げ、化け物になり果てようなどと……。


「ああ、結局、私は――」


 とうの昔に、醜い化け物だったのだろう。

 父と同様、それを偽装していただけで。

 震えるセスの手に、別の手が重ねられる。

 滑らかな乙女の肌で、爪の形まで美しい、しかし化け物の手。


「安心しなさい。清廉潔白を謳うか弱い人間より、傲岸不遜に立つ強い化け物の方が美しく見えるものよ」


 メアリ・ウェールズが、睦言のように甘い声で囁く。


「少なくともわたしは、化け物になったあなたの方が、好みだと思うわ」


 魔性の誘いだ。堕落の入り口を示す、耳を傾けてはいけない誘惑。

 セスはそう思いながらも、メアリの言葉に心地良さを感じずにはいられなかった。


 自分が誰の娘であったか。

 セスは久しぶりに自覚し、鏡を閉じてポケットに仕舞いこんだ。


「メアリ様、昨日の質問についてですが」

「ええ、考えに変化があって?」

「ブルゼ子爵が、メアリ様のウェールズ家に攻撃を仕掛けたのは間違いないでしょう。子爵領の状況と、昨日の顛末について情報を下さい。父に送る報告書を作成します」


 セスは自分の表情を確認しないまま、決定を下す。

 醜い顔をしていたところで、目の前にいるのは正真正銘の化け物だ。取り繕ったところで下手な偽装と笑われるだけだった。


「こちらが動くのはその後の方が良いかしら?」

「それでは遅いでしょう」


 セスは、メアリの確認を一蹴する。

 どうせ化け物らしくやるならば徹底的にだ。


 大体、西部の状況は見ていて腹が立っていたのだ。メアリの下に来るまでに見た死者も、ブルゼ子爵領で見た死者も、あまりに多すぎると苛立っていた。

 もっと上手くできたはずだ。もっと少なくできたはずだ。


「多くの領民が飢え死にします。ウェールズ家の庇護下であれば、多少は改善する……と思うのですが、まだその余力はおありですか?」

「ブルゼ子爵家よりはずっとあるわね」

「では、迅速に併呑を。理由付けはこちらでします」


 メアリ・ウェールズに任せてしまえば良い。

 それだけで、苛立ちの正体であるこれまでに見た死者は、その三割……いや、五割近くまで減らせたかもしれない。

 任せるタイミングによっては、もっと。


 ああ、ますます腹立たしくなってきた。

 セスは、抑えきれない感情に任せて、荒っぽく前髪をかき上げる。


 自分が化け物になる原因が、そもそも西部諸侯の一部の不手際なのだ。

 ダドリーだのブルゼだの、連中がまともに貴族をやっていれば、自分はこんな目に遭わなかった。

 どうして、中央貴族の令嬢である身で、西部の民の運命を左右する立場にならねばならないのか。


 父ノアの策略か、兄カインの失策か、メアリの謀略か。どれもこれも等しく腹が立つ。

 人の運命だと思って軽々しく扱って。


 いいとも。そちらがその気なら、こちらも同じことをしてやる。

 私の人生は滅茶苦茶だ。

 だから、お前達も付き合え。


「もう全部まとめてやりましょう。メアリ様、喧嘩を吹っかけても正当性をアピールできそうなところの情報を全部回してください。中央に送る報告書をわたしが作るので、メアリ様のタイミングで順次併呑して下さい」


 さっさとメアリ・ウェールズを西部統括官にしてしまえ。


 この際、真正の化け物だって構うものか。

 支配者として多くの民を養えるならば、その正体が何であれ、多くの民を死なせる無能より余程相応しい。

 西部の現状は、もはや死者が蔓延る魔境なのだから、化け物にその主を任せて何が悪い。


「あら、わたしを顎で使う気?」


 セスの提案に、メアリは目を細める。

 怒ったか。そう見て、いい気味だとセスは鼻で笑った。


「メアリ様がいずれやることの筋道を、先に付けておくだけですよ」

「その通りね」


 しかし、メアリの表情は偽装だったらしい。

 セスの返答を聞くや、機嫌がよさそうに唇を釣り上げる。


「フィッツロイやダドリーはごめんだけれど。今のあなただったら、西部統括官を任せても良いわ」

「奇遇ですね。私もメアリ様に対して、同じ考えを抱いたところです」


 ああ、もう少し早くそうなっていたら――セスは口元に手をやって、内心でぼやく。

 自分はずっと、手を汚さずにいられただろうに。

 その手の下、セスの唇は、どうやらメアリと同じ笑みを作っているようだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] これは宰相閣下もにっこり
[一言] ようやく覚悟を決めたか。 まあ、出来ることをしないで死と滅びを広げる化け物よりは、1人でも多く命を拾い上げる化け物の方がはるかに好感が持てますがね。
[一言] あーあ、セス嬢キレちゃった
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