病鳥の止まり木11
悪夢にしてもなお悪寒をもたらす言葉に蹴りだされ、セスは夢から飛び起きた。
激しく打ち過ぎて痛む胸を押さえると、シーツの上に汗が滴り落ちる。額に手をやると、髪までべっとりと濡れている。
最悪の寝起きだ。
セスが嘆息を零すと、ようやく周囲の状況が認識される。
クリストファー公爵邸の自室ではない。壁紙や柱の装飾などはシンプルで力強いデザインで、花瓶に生けられた花や小物の家具といまいち親和していない。
ここは――
「おはよう。ひどい寝相だったわね」
ベッドの隣から、声をかけられた。
「なっ、な――!」
ベッドで同衾していたのは、メアリ・ウェールズだった。
真っ赤になって良いのか真っ青になって良いのか、悪夢を這い出てなお混沌とした現実に狼狽しながらも、セスは一瞬で色々と思い出す。
このリッチモンド本邸は、部屋数は無数にあるが、現在荷物と人員で埋まっているため、空き部屋がないということ(つまり、カイン達が残ろうとしても野宿になったのだ)。
そのため、同性なんだからと言うことで一番立派な領主の寝室を使うことを、メアリに提案されたのだ。
貴族令嬢ともあろうものが、幼児期でもあるまいに同じベッドで、などとセスは抵抗があったものの、メアリの機嫌を損ねる方が問題なので黙って頷いた。
多分、酔いも手伝ったのだろう。そうでなければ、昨夜あれほど恐ろしさを感じた少女と同衾するなんて、正気ではない。
そうに決まっている。
そうでなかったら……自分は、この美しい年下の少女に、魅入られてしまったか。
「夢見が悪かったみたいね」
「そう、ですね」
枕元からコンパクトミラーを引き寄せて、鏡に自分の顔を写す。
軽く手櫛で髪の乱れを整えながら、表情も整える。
「少し、悩みがあるようで」
「そう。誰しも悩み事くらいはあるものね」
殊の外、優しい口調で同意されて、セスは戸惑う。
黒髪で白いシーツに模様を描くように横になっている少女は、果たして、昨夜悪魔のように誘惑してきた人物と同じなのだろうか。
「それは、メアリ様も?」
つい、甘えるように問いかけてしまう。
「ええ、わたしにだって悩みはあるわ。例えばこの部屋、前の持ち主のセンスが合わないのよ。小物は入れ替えたけど、流石に柱や壁なんかの装飾は変える余裕がなくて……」
「そうですか」
セスは内心で前言撤回した。
目の前の人物は、やはり悪夢に見るような化け物であった。
今の西部の状況で、そして今の会話の流れで、出て来る悩みがインテリアの好みとは。人の心がないのだろう。
化け物らしい。そう思っていたら、
「生き方についての悩みはないわ。これまでの振る舞いも、これからの振る舞いも」
心を見透かすように、言葉が刺しこまれた。
「わたしはこの生き方と決められているし、決めているもの」
化け物は、美しく笑ってその咲き方を表現した。
どうして、そんな言葉が出て来るのか。化け物なのに、残虐さは満天下に明らかなのに、どうして美しいと感じてしまうのか。
「それは、貴族の令嬢として、ですか?」
「そうね。エドワード・ウェールズという貴族の娘として、他に生き方はなかったんじゃないかしら。それに、メアリ・ウェールズとしても、他の生き方は好みではないわ」
「好み……好みで、あなたのような――」
血染めで書き記されたメアリの所業を行間に含めて、セスは続けた。
「――そんな生き方が?」
「逆に聞くけれど、好み以外の何が人生を判断できるのかしら」
間髪入れずに答えられて、問いかけたはずのセスの方が答えにつまった。
いや、あるいはそれは必然か。問いかけるということは、答えを持たない証拠であり、答える側が優位になりえる。
「ひとまず、わたしの人生に次に必要なのはお風呂ね」
メアリの手を伸ばされて、セスの額に垂れた髪を優しく払う。
「さっきから気に入らなかったのよ。せっかく美人の寝起き姿なのに、汗でべたついているなんて……がっかりだわ」
これは、自分が謝ればいいのだろうか。怒ればいいのだろうか。
メアリ・ウェールズは、怪物の中でも理解不能な領域に生息している。セスはそう認識した。




