病鳥の止まり木4
セスは、西部に調査へ行く準備をしながら、王都内で集められる情報をまとめていく。
主に宮廷へ送られてくる文書と世間の噂の二種類、問題はメアリ・ウェールズへの評価の高低が激しいことだろう。
ウェールズ本家の文書と、メアリ派の西部諸侯から送られてくる文書は、西部統括官は彼女で決まりだろうとセスが思えるほど際立った手腕が見えて来る。
一方、反メアリ派の西部諸侯から送られてくる文書では、飢饉よりメアリが殺戮した人間の方が多いことになる。
どちらの信ぴょう性が高いかは……どちらの領地が落ち着いているかを確認すれば自ずと導き出される。
反メアリ派の領地は、飢饉から立ち直るどころか悪化している。反メアリ派によると、それすらメアリ・ウェールズの悪逆非道の仕打ちよる災禍らしい。
それが本当ならば――セスは真面目に思う。
メアリ・ウェールズは神に等しい化け物だろうから、私は絶対に逆らわない。まあ、実際のところは、責任を悪名に擦り付けようとしているだけだろうが……。
後は世間の噂だ。こちらは、王都で聞く限りはすこぶる悪い。
それも当然で、王都ではフィッツロイの顔が一番広い。彼がいる以上、メアリに対して好意的な噂は出ないだろう。
それに、メアリに敗れたダドリー・リッチモンド所縁の者達が、続々と王都に落ち延びている。
彼等は、西部の領地に踏み止まっている諸侯以上に、自分の敗北の無様さを隠す必要から、メアリ・ウェールズを悪し様に口にしていることだろう。
王都でのメアリの噂は、尾ひれ背びれ、角・翼・複眼・多頭までくっついていると考えるべきだ。
結局のところ、王都で得られるメアリ・ウェールズの情報は、本人からの自己申告が一番正確かもしれない。
困ったことだ。これでは公平な評価とは到底言えない。やはり本人をこの目で見ないことには、確かなことは何も言えない。
そんな状態だったので、セスは兄から持ち掛けられた招待に応じることにした。
ありふれたダンスパーティの招待だが、招待主に興味がそそられた。
主催はフィッツロイ・ウェールズ。カインの推す西部統括官候補者であり、メアリの対抗馬だ。
どうやら兄は、妹が機嫌を取るために口にしたお願いを叶えてくれたらしい。
会場に到着すると、無数の視線が交錯する。セスが誰かを確認すると、その視線はすぐに主催者フィッツロイと、その後援であるカインに向かう。
二人が何事か囁き合うと、フィッツロイがにこやかな笑みで挨拶にやって来た。
セスも、コンパクトミラーで自分の笑みを確認する。
「ようこそ、セス殿。本日はご多忙の中、お時間を頂きありがとうございます」
「こちらこそ、お招き頂きありがとうございます。兄からお聞きとは思いますが、今回はご縁ができましたので、私も久しぶりにフィッツロイ殿とお会いしたかったところなのです」
無難な挨拶の後、フィッツロイの表情が引き締まる。
「この度は西部のことで、中央諸侯の重鎮であるクリストファー公爵家をお騒がせしてしまい、恐縮しております。ウェールズ家の者として、お詫び申し上げます」
「西部の動静は王国の大事。父が動くも当然のことでしょう」
「いえ、元より西部の鎮撫は、陛下より我が祖父に任せられたもの。それが今回このような事態となり、忸怩たる思いです。祖父より代々我が一族がかの地を治めていられれば……そう思わずにはいられません」
なるほど、とセスは頷き、責任感が強いのですね、と返しておく。
今回の一件は、元々西部統括官を任されていたウェールズ家の責任であるが、自分の分家は初代以降当主ではなかったので、責められるべきはメアリのウェールズ本家である、という立場らしい。
責任を回避しつつ、正当な血筋というアピールか。無難といえば無難である。
平時であれば、扱いづらそうなメアリよりもフィッツロイを選ぶ、というのは中央貴族として十分に利益のある話だ。
残念ながら、今の西部はとても平時とは呼べない状況だ、というのがセスの認識である。となると、やはり兄とフィッツロイのコンビでは不安が……。
自分のその考えに気づいて、セスは慌ててコンパクトミラーに視線を落とした。
鏡の中の自分に罵声を浴びせる心地で問いかける。
今、自分は本気でメアリ・ウェールズを推すことを考えていなかったか。
何を馬鹿なことを。自分は私情を交えず、淡々と事実をまとめて報告書を作成するだけだ。兄がこちらの足を引っ張るつもりであっても、こちらが兄の足を引っ張る必要などない。
「どうだ、セス。フィッツロイ殿は」
兄の声に、鏡から顔を上げる。
大丈夫だ、考えはまとまっている。いつも通り、公爵家の後継ぎになど興味はない。
「お話するのは久しぶりですが、中央社交界では流石ですね。今の西部諸侯の中で、これほど王都で存在感がある方はいらっしゃらないでしょう」
会場の人々の顔も含めて、セスはそう答える。
「ほう、お前の目から見てもそれがわかるか」
素直じゃないか、とカインは勝ち誇るような笑みを浮かべる。
中々の顔ぶれなのは事実だ。西部の関係者で、これほどの面子を集められるのは他に何家あることか。リッチモンド家の没落が確定した今は一つ減った。
とはいえ、それを勘案しても、セスの心中でのフィッツロイの評価は低いと言わざるを得ない。
この時期にダンスパーティを開くのは、王都内で自分の票集めが目的だろう。
それ自体は悪くない。王国中央の話ならまずは常道、自分でもそうする。
しかし、事は西部の話だ。
この場の中央諸侯は、王都のパーティにはいそいそと顔を出しても、荒れた西部に金と手間を出すだろうか、という疑問がある。
肝心の西部諸侯の関係者がほとんどいない。
無論、西部諸侯の関係者は、自分の主家や本家が大わらわなわけで、呑気にダンスする余裕がない。来られないのは当然だが、来られない状況でパーティを開いたというのは、さてどう見るべきか。
中央だけで物事が回るのならば、なるほどフィッツロイを西部統括官にすれば良い。
しかし、今の王国は、中央・西部・東部という三つに分かれている。
兄カインと、フィッツロイは話が合うかもしれない。
どちらも、中央を偏重しすぎるきらいがある。いや、逆に言えば、メアリは中央に無頓着すぎるかもしれないが……。
そこまで思考が走って、セスは再びコンパクトミラーを開く。
いけない。また余計なことを考えている。カイン・フィッツロイでは現状に不適格な理由を探すなんて、自分は兄を蹴落とすつもりがあるのか?
これはあくまで、誰を西部統括官にするかの話。兄とて、フィッツロイが沈むとわかれば見捨てるだろう。
ああ、いや、だから自分はそこまで考える必要はない。それは父の仕事だ。
「そうそう、フィッツロイ殿。あなたから見たメアリ・ウェールズという人物は、どのような方でしょう」
「メアリ・ウェールズですか」
「ええ、今回このような運びになりましたが、彼女と私はお会いしたことがなく、また中央では彼女と面識がある人物というのも少ないようです。直に見たことがある方の印象を聞いてみたいのです」
「難儀なお役目ですな。私の意見でよければ」
「是非、お願いします」
フィッツロイは頷いたが、頭の中に浮かべた人物をどのように表現すべきか、いささか悩ましいようだった。
「無能、とは言えません。それくらいならば有能と言うべき人物であることは、認めざるを得ません」
フィッツロイの言葉に、隣でカインが嫌そうな顔をした。
「本家から長く病床に臥せっていた娘と聞いてはいましたが、それは考えない方がよろしいでしょう。ただ、領地領民、あるいは御家を任せるに足るかと言われれば、それは恐ろしくてとても……」
「安定感を欠く、と?」
「今の西部をご覧になってわかると思いますが、苛烈に過ぎるでしょう。動乱を起こさざるを得ない人物、と評すべきかもしれません」
「なるほど」
意外とまともな答えが返って来た。
一方的に貶すでもなく、事実を踏まえてそれよりは自分が、と訴えて来る。
無難な回答である。相手を強烈に貶めないが、自分を強烈に押し出すでもない。
「フィッツロイ殿、第二王子殿下がお出でだ。ご挨拶が必要だろう」
「ありがとうございます、カイン殿。では、セス殿、失礼させて頂きます」
「はい、貴重なお話をありがとうございました」
パーティで時間を潰した分の見返りは、十分に得られた。
セスは、いささか満足を覚えて従者からグラスを受け取る。
そのグラスを空にする前に、そんな満足感は消し飛んでしまったが。
――パーティ会場に転がり込んで来たのは、メアリ・ウェールズがリッチモンド伯爵領を抑えた、という知らせであった。




