病鳥の止まり木2
解散後、早速カインの従者からサロンへの誘いを受けたことに、セスは小さな嘆息で気分を表現した。
用件はわかっている。
西部統括官を誰にするか。それは、クリストファー公爵家の今後のパワーバランスをどうするか、という言い換えになる。
自分にはそんな気はないのだけど――セスは、兄からの誘いをお受けすると伝えて、もう一度嘆息した。
落ちた吐息は鉛の枷のように、サロンへ向かう足に絡みつく。
兄のカインと異なり、セスは公爵家後継について、積極的に掴みに行くつもりはなかった。
あくまでも兄の予備、幼い頃からその態度を崩したことはないのに、兄からの敵視は続いている。
父である今代当主のノアを見ていれば、争ってまで手に入れたい身分とはとても思えなかったのだ。
ノア・クリストファーは、一部の隙もなく日々を過ごし、頭の中はいつも仕事で一杯である。
誰とお茶をし、誰と昼食を共にし、誰と観劇へ出かけ、誰を妻とし、何人子供を作るか。公私混同どころではなく、私というものがあるのかどうか、セスは父を見る度に疑問だった。
紳士という世評すら、父にとっては利用価値があるから着こんでいる盛装に過ぎない。
人格者の宰相殿が仰るならば……それは父の提案に相手が折れる時の決め台詞だった。
父がそうであるので、当然、娘であるセスにも同じことが求められた。
ノアには実子が少なかったため、娘であっても婚姻政略用の教育ではなく、公爵家の跡取り候補として育てられることになった。
他家の娘が、ドレスのデザインや流行の髪型と共に、未来の夫人としての心得を習う中、セスは乗馬や武術と共に貴族家当主としての心得を教えられた。
それ自体には、今のセスに不満はない。
教育の結果か、それとも元々そういう性質だったのか、華やかなドレスよりもパンツとベストの方が落ち着くことに気づく。
しかし、実の兄から向けられる憎悪には、どうしても慣れない。それは全く人間らしくない、醜い化け物の姿だ。
クリストファー公爵を目指すのなら、セスとカインは競争相手である。それはわかる。
競争過程に忌々しさや煩わしさから悪意も混じるだろう。それもわかる。
しかし、あれほど感情的になる必要があるだろうか。
人より魔性に近いあんな目をするほどに?
父ノアは、たとえその内実がどれほど歪んでいようとも、少なくとも外面は完璧に偽装しているというのに。
サロンのドアが開けられ、セスに突き刺さった視線は、まさにその化け物の目から放たれたものだった。
「お誘い頂きありがとうございます、兄上」
「うむ。会議の直後で疲れているだろうが、事が王国の浮沈に関わることだ、許せ」
「心得ています」
サロンにいるのは、兄カインの派閥の人間ばかりだ。
王国の浮沈に関わる相談をするなら、セスの派閥の人間も入れて、どちらの候補者により利があるか話し合うべきだろうに。
大人数で圧をかけて、自分に有利に話をしたいのだろう。それはわかるが、その手段を取った気持ちはやはりわからない。
西部統括官の候補者二名、その本質を語り合って競うのではなく、話し合いの舞台に小細工を弄することで勝とうとするなど、初めから自分が擁立するフィッツロイに自信がない、と言っているようなものではないのか?
少なくとも、父なら参加者を公平に近くなるように整えただろう。これでは、あまりにあからさまだ。
セスはそう考えながら、コンパクトミラーを開いて、閉じた。
セスは集まる視線の悪意を感じながら、カインが促す席に座る。
妹の所作が、敵地に孤立している状況とは思えないほどに落ち着いているのを見て、カインの視線がさらに毒を帯びる。
「会議の流れでああなったが、セス、お前はメアリ・ウェールズを本当に擁護する気か」
「擁護、と言っても別段守るつもりはありませんが……。ええ、父上から当主としてのご指示ですし、メアリ様について調査し、その適性を評価します」
セスに与えられた仕事とはそれだ。
メアリ・ウェールズの行動を辿り、その結果を調べ、西部統括官に相応しいかどうか、少なくともフィッツロイ・ウェールズより任せるに足るかを評価する。
「メアリの悪名はお前も知っているだろう。血染めなどとおぞましい名が、王都まで聞こえているのだぞ」
「もちろん、その辺りも評価の対象となります」
血染めの悪名については、やはりマイナス評価になる。
領民の感情はもちろんだが、社交界で足を引っ張る要素にしかならないだろう。
「世間の評価、当人の能力、配下の扱い、現地の情勢……可能な限り詳細に調べ上げて評価します。その後、兄上がまとめたフィッツロイ殿の評価と比較して判断しましょう」
「比較などするまでもなかろう! 十代の小娘と、王都の社交界でも知られたフィッツロイ殿、どちらが西部統括官の重責に相応しいかなど、誰にでもわかる!」
犬歯を剥いて吠えるカインに、セスはコンパクトミラーを強く握る。
こんな風に恫喝を中心にして話を進めるから、周囲から「妹の方がノア・クリストファー公爵に似ている」と評価されるのだ。
父の名声が高い分、後継の王国宰相に求められるのも父のような人物になってしまう。
それもわからないほど、考えなしだとは思わないのだが……。
セスは、ちらりとコンパクトミラーに視線を落とす。鏡の中、力の抜けた笑みを浮かべていることを確認する。
「誰にでもわかることであれ、王国宰相としての父は、きちんと報告をまとめなければいけないでしょう。メアリ・ウェールズはこれまで社交界に出て来ることがありませんでしたから、報告書の上でだけでも知っている私がたまたま適任だった。それだけのことでしょう」
普段は下手に出ない妹が、兄の前でだけ見せる遜った表情――昔から、兄の嫉妬を薄められる表情は、今になっても有効だった。
カインは、前のめりになっていた体を椅子に沈め直して、余裕のある笑みを取り戻した。
「今すぐに決めなければ、西部の国民がそれだけ苦しむのだがな」
「確かに早く決めた方が良いのは間違いないでしょう」
西部統括官の権限が使えれば、西部の窮状も早期に解決することができる。それは事実だ。
ただし、適切な能力の持ち主が必要だが、とセスは内心で付け加える。
「ならばお前も俺に協力し、フィッツロイ殿を擁立すべきだ。後からなら心証も悪くなるが、今ならフィッツロイ殿もお前のことを協力者と思うに違いない」
話が戻ってしまった。どちらにせよ、調査しなければ父は納得しないだろうに。
「兄上に続いて私が後についてもフィッツロイ殿も扱いに困りましょう」
やんわりと断ると、カインの眉間にシワが刻まれたので言葉を付け足す。
「ただ、メアリ・ウェールズについてお伺いしたいので、機会があればお話はしたいところです。繋ぎをお願いしてもよろしいですか? その他は兄にお任せして、私は何かあった時の予備として大人しくしています」
「ふん、積極的に動かないか。国民の艱難辛苦を見過ごすことになるぞ、冷たいことだ。それでも王国紳士の鑑と呼ばれる父の子か?」
嫌味を口にしながらも、カインの眉間のシワは消えた。
自分が後継争いをするつもりはない、という妹のメッセージを、兄は頻繁に忘れてしまうらしい。
面倒な人だと、セスはコンパクトミラーに視線を落とす。鏡の中の少女は、きちんと愛想笑いを浮かべたままだ。
「冷血なお前と、悪逆のメアリ・ウェールズか。案外、気が合いそうだな?」
「そんなことは考えたことがありませんでしたが……」
兄の言葉を受けて、セスはウェールズ本家からの報告文書を思い出す。
リッチモンド家や、フィッツロイのウェールズ分家の文書と比較するに、兄カインの言葉は正鵠を射ているように思われた。
「宮廷に届けられた文書を見るに、そうかもしれません。いえ、メアリ・ウェールズ本人ではなく、その配下の文書担当者かもしれませんが、仕事上では話が早いかもしれません」
装飾は、紙も文も必要最低限で、内容は具体的かつ簡潔。格式張って中身のない文書に比べれば、好みと言って良い。
そんな妹の答えは、完全に兄の想定外だった。
消えた眉間のシワが、兄の額に戻っていた。
「もう良い。お前とは話し合いにならないようだ。それでも、父上からの命令は命令だ。メアリの行状についてはお前が、フィッツロイ殿については俺がまとめる。西部の状況については、お互い共有するということで良いか?」
「妥当なところかと。私は、一度は西部へ視察に行くつもりですが?」
セスの言葉に、カインは嫌そうな顔をした。
「それはフィッツロイ殿次第ではあるが……いや、俺も行くことになるだろうな」
当然だろう。現地と候補者の性質が合うか合わないかは、重要な評価対象である。
その現地の情報を対立候補側にだけ任せていたら、流石に手落ちを指摘されてしまう。
「では、その日程の調整も後日話し合うということで。合同で向かうか、別個で向かうかの問題もありますし」
「別個、と言いたいところだが、西部の混乱を考えれば二度に渡って対応させるというのも考え物だろうな」
どうやらカインの思考も、ようやく落ち着いて候補者同士の比較に傾いたようだ。
父上からの指示なのだから、最初からそう考えているべきだろうに。セスはまた話し合うことを約束して、席を立つ。
背中に兄の視線を感じながら、コンパクトミラーを開く。
鏡の中の少女は、冷めた表情を浮かべていた。





