妖花、咲く34
リーシル子爵は、騎士団を集めて出陣式を行っていた。
集まりは悪い。
彼の領地では、離反した代官も多く、代官の一族出身の騎士達は、実家の意向に従って子爵家を辞めていた。
それ以外にも、俸給の支払いが悪いと縁切りをした騎士、都合を様々と述べて今回の出陣を拒否した騎士もいる。
そのことをリーシル子爵は苦々しく思っていたが、反面で彼を喜ばせることもあった。
不足した戦力を、神等教が出してくれたのである。
食うに困った難民がその中に多数いることは気になったが、元家臣で神官になった者が統括しているので、リーシル子爵は問題ないと判断した。
実際、難民達は大人しかった。
出陣式の宴席の準備などを進んで手伝っている様子に感心して声をかけたら、神等教の炊き出しには世話になったので、と若い難民は短く答えた。
式典の挨拶で、リーシル子爵はそのことに言及して、神の偉大さを讃える。
「かように、人の平等とは尊いものである。他人に悪意を施せば悪意を、善意を施せば善意が返って来るのだ。そして今、大いなる悪意を振りまいたメアリ・ウェールズに、我等善意の騎士団が鉄槌を下す時が来た!」
野外にしつらえた宴席は盛り上がった。
リーシル子爵の命令で、子爵家の家臣達も凶作の中で節約に務めていたため、彼等にとっても久しぶりのご馳走だ。
保存されていた肉を焼き、折よく手に入った酒を飲み、一部の人間以外にとっては憂鬱でしかない戦争に向けて英気を養う。
はずだったのだが。
久しぶりの酒の味にも、リーシル子爵は節度を持って臨んでいた。
(飲みすぎてはいかん。いまだに民の多くは飢えているのだ。戦いを前に精をつける必要はあるが、それも最低限でなければ)
その自制が、会場の異変に気づくだけの余力を生んだ。
飲みすぎたのか、騎士の一人が倒れた。リーシル子爵は、はっきりと眉を釣り上げる。一体何をしているのか。正体を失くすほどに飲むとは。
そう思っていると、別なところで神官が突っ伏しているテーブルを見つける。
あちらでもか、とリーシル子爵が注意を喚起しようと立ち上がろうとして、自分の足がふらついたことに驚いた。
馬鹿な。
久しぶりの酒とはいえ、これくらいの量でふらつくほど酔うなどありえない。
驚いて顔を上げると、今度視界に入った倒れている人間は一人や二人ではなかった。
困惑の声や呻吟の声も弱々しく、次々と地面やテーブルに倒れ伏していく。
敵だ。
リーシル子爵は、理性によらずに直感した。メアリ・ウェールズ、あの悪魔の娘の悪辣な罠に違いない。
それは論理的ではなかったが、事実を正面から捉えていた。
メアリが知れば、目を丸くして驚いたことだろう。なんの意味もないことを考えるなんて、ことここにいたって余裕なのね、と。
倒れた騎士や神官達の様子を見て、動き出す者達がいる。
兵に志願して潜り込んだ、難民達だ。彼等はそれぞれ頷くだけの簡単な合図をすると、持参していた短剣を取り出して倒れた者達に襲い掛かった。
騎士といえど、立ち上がることもできない状態では、素人の殺意に抵抗できない。
「きさ、まら……! うらぎったのか……!」
上手く動かぬ舌で吠えた子爵に、騎士に馬乗りになっていた若者が身を起こす。
血まみれの短剣と、その凶器より凶悪な憎悪を顔面に張り付けて。
「悪意には悪意、善意には善意が返るんだろ? 人は平等なんだろ? だったら、俺達が大勢飢え死にしたんだ。お前達だって死なないと、平等じゃない」
テーブルに手を突きながらも立っている子爵に、若者は短剣を振り上げて駆け出す。
「これが、お前達の善意の結果だ!」
若者は、突き刺すというより、殴りつけるように短剣を振り下ろす。
「っ、賊徒めが……!」
その短剣を片腕で受け止め、あまつさえ殴り飛ばす。
毒が回っている状態で、恐るべき膂力だった。身体強化魔法を使える貴族でなければ、短剣を突き刺されて終わりだっただろう。
だが、そこまでだ。
短剣に塗られた毒が、さらにリーシル子爵の体内を駆け回る。自己強化魔法で対抗しようとするが、それで無効化できるような毒ではない。
ウェールズ家の、すなわち結社特製の魔法植物から抽出された猛毒である。
おまけに、同じ短剣を持った難民達が、五人、十人と子爵の周囲を取り囲む。
「おのれ、おのれ……メアリの手下め、悪魔の尖兵どもめ……今に神罰が、貴様らを地獄へ――」
「地獄はここだ」
毒に濡れた短剣が、神の下僕を一斉に襲った。




