妖花、咲く33
食料が欲しいかと聞かれて、欲しくないと答える難民はいない。
若者は、ベイリーと名乗る女の話に乗って、何人かの見知った難民に声をかけた。数は二十人ほど、若者と同様、この辺りに着いて長い者ばかりだ。
彼等を集めると、ベイリーの指定した場所――神殿近くの路地でベイリーと待ち合わせる。
「ああ、いらっしゃい。丁度いい時間帯ですね」
日が暮れて、もう街は暗い。
手を伸ばせば触れる距離で顔を合わせているのに、互いにどんな表情をしているかわからないほどだ。
「夕暮れに酒樽を差し入れてきました。今頃、皆さんに黙って豪勢な晩餐会の真っ最中ですよ、あそこ」
指さされたのは、真っ暗で静まり返って見える神殿だ。
「二階の奥に、窓のない広間があるんです。建てる時に、世俗から離れて神に祈りを捧げるためだとか言ってたらしいですけど、もっぱら人目につかないように楽しむために使われてるんですよね」
「本当なんだろうな?」
難民達からあがった疑問を、ベイリーは鼻で笑う。
「今まで考えたことないんですか? 食料の炊き出しをしている神官達で、自分達より痩せている神官っていました?」
そう言い捨てると、ベイリーはフードをかぶって神殿へ歩き出す。
難民達は、互いの表情は見えないものの、頷き合ってその後に続いた。
そうだ。確かに、難民より痩せている神官は見たことがない。
今までずっと考えていた。あの連中、自分達よりよっぽど腹一杯に食っているはずだ、と。
「大体ですね、ここの炊き出しの食料は、ずっとウェールズ領から提供されていたんですよ。ここの代官が伝手に頭を下げて、ウェールズ家から援助してもらったのを、神殿が全部巻き上げていたんです。ここの領主が神等教狂いですからね。代官に預けるより平等に、正しく分けられると思っているんです」
神殿の正面扉を避け、脇にある窓にベイリーが手をかける。
不自然なほど頑丈な鉄格子がはめられていたが、ベイリーがバールのようなものを取り出してぐいぐいと力を込めると呆気なく外れた。
「ウェールズ家からもらった食料で難民に施しをしながら、ウェールズ家を侮辱してたんですよ、ここの連中。皆さんのこと、そんなことにも気づかない馬鹿だと思っているんです。餌さえ与えれば尻尾振る獣程度にしか思ってないんです」
鉄格子の奥の窓を叩き開けると、派手な音が鳴ったが、誰も出て来なかった。
正確には、正面扉のそばに見張りと思われる男はいたが、そいつは倒れて動かない。
ベイリーはそれに近づいていって足で蹴っ飛ばす。呻き声が弱々しくあがるばかりだ。
「ね? 言った通り、大丈夫でしょ? 差し入れたのは毒酒ですから、飲んでいたら動けなくなるんですよ」
暗がりの中、たっぷりと笑いの含んだ声が響く。
それは、真実を語る悪魔の笑いだった。
悪魔は、聖堂脇のドアを示す。その向こうが、二階への階段だ。
その指示に、今度は難民達が先頭に立つ。彼等は、悪魔の語る真実を受け入れ始めていた。
荒々しい足音が、階段を上っていく。通常なら、誰か神官達が出て来るだろう。
だが、誰も出て来ない。
神の代弁者の不在に、悪魔はますます饒舌になる。
「ここの代官は、領主と神等教の動きにずっといらだっていました。そりゃそうですね。ウェールズ家からもらった援助と、炊き出しの内容がどう考えても合わないですから。それがとうとう我慢できなくなって、ウェールズ家につくことを決定したんですよ」
難民達の前に、大きな扉が現れる。
神官達の言うところでは、世俗から離れて祈りを捧げるための場所、悪魔の語るところでは、周囲から隠れて楽しむための場所だという。
真実は、ドアを開ければすぐにわかった。
大きなテーブルに、所狭しと並べられた酒器と食器、そこかしこに倒れている神官達の周囲には、こぼれたブドウ酒と、テーブルから落ちた肉やチーズが落ちている。
「ほら、あのありさまですよ。あの肉やチーズ、皆さんの炊き出しに入っていました? 皆さんが食べていたのは、根菜や豆のごった煮スープでしょう?」
その通りだった。この時、悪魔はなにも嘘は言っていない。
「こんな連中のこと、皆さんはなにか信じるんですか?」
答えは、暗がりの中で、無言であっても雄弁であった。無人の聖堂に満ちたのは、怒った人間達の体臭だ。
悪魔はそれをとても喜ばしいものとして、煽る。
「先程も言いましたが、ここの代官は領主と神等教に大変怒っているので、ここで騒ぎが起きても衛兵は出て来ないですよ。そうするよう、話をつけてきましたから」
あっという間に大火にまで燃え上がった怒りがもたらす災禍は明白だ。暗がりの中、呻き声をあげることしかできない神官一人一人に、複数人の手が伸びる。
殺人の罪を糾弾しながら、餓死者の分の食料を貪っていた神官達が二度と口を開けなくなるまで、一時間もかからなかった。
****
夜明け前、神官達の食べ残しを貪っていた難民達に、ベイリーは教えた。
「皆さんに、残念なお知らせをしなければいけません」
沈痛な表情、というにはいささかわざとらしい顔で告げる。
「ウェールズ家の庇護下に入った以上、この土地にいては難民の方は殺されてしまいます。なにせどこかの誰かさん達が無駄に食べ過ぎてしまったため、難民の皆さんを含めてこの地を保たせるほどウェールズ領も豊かではないのです」
今度は、ベイリーも嘘をついた。
神官達の無駄遣いによらずとも、難民達まで抱え込むだけの余裕はメアリにもなかっただろう。
「ですが、メアリ様も皆さんを殺したいとは思っていません。今のうちにこの地から去るようにとおっしゃっています。ここの食料があれば、他の方に分けても移動する分にはなるでしょう」
その後をどうすれば、と怒りの反応をしそうになる難民達に、ベイリーは頷くことで理解していることを示す。
「ここからどこへ行けばいいのか。答えはありますよ。皆さんのやって来た領地です。生まれたところでもいいですし、そこが遠すぎるのならここの領主がいる街でも」
数時間前、真実を語った口が回りだす。
「今まで皆さんを追い払った騎士団がいたでしょう? あの人達が、今度はウェールズ領に向かってやって来るんですって」
生まれ故郷がまだ残っている(少なくともそう思っている)難民達は、顔色を変えた。
そうでない者達も、不愉快そうに顔をしかめる。軍の進路にあれば、食料を奪われるのは明白だ。
彼等はいずれも、難民となる前は奪われる側の人間だった。
「どうして食料難の時にそんなことをするのか、メアリ様も大変困惑しています。いえ、ひょっとすると、もしかしたら、あなた達の食べ物がなかったのは、攻めて来る連中が食料をあなた達から奪っておいて、騎士団のために使っていたせいなのかも?」
神官達の飽食の上にそんなことまでしていたら、これだけ飢饉になるのも仕方ない。
ベイリーは推測を真実らしく語る。
「ともあれ、現状、食料を持っているのは進軍してくる騎士団です。皆さんから奪っていた食料なのか、道中で奪ってきた食料なのかはわかりませんけれど、連中は確実に食料を持っていますね」
難民達は、自分達の怒りをぶつける敵を見つけた。
ついさっきまでは、ウェールズ家というものが怒りの矛先だったような気がする。だが、それは間違いだった。神等教の連中がついた大嘘だったのだ。
「もちろん、メアリ様は皆さんにそのまま騎士団とぶつかれとは言いません。食料にはこれ以上の余裕はありませんが、それ以外ならば分けられるものがあります」
そういって、ベイリーは神官達の自由を奪った毒酒の瓶を掲げる。
「ここの代官も、皆さんの無事を祈って、出て行く時に護身用の道具をお配りするそうです」
表情は、親切心を塗りたくったような笑みだった。




