妖花、咲く31
手元に届いた宣戦布告文書に目を通して、メアリが示した反応は、肩をすくめることだけだった。
そのまま、大幹部のカミラ、アンナに回すようジャンヌに預ける。
同じ文書を見たカミラが、飲みかけた酒に口をつけずに戻す、という珍しい反応を示す。
「なんで決闘じゃないの? 食糧難の時に軍を動かすとか本気で言ってんの?」
驚きをたっぷり含んだカミラの言葉に、アンナも待ちきれずにカミラの手の中の紙を覗き込む。
「あら、本当。戦争の宣言ですわ」
できるのかしら、とアンナは首を傾げる。
それほど、アンナが把握しているダドリー派の各地の食料事情は悪い。
「決闘ではない理由は、多分わかるわ。本来の決闘って貴族同士、対等な間柄を認められる相手に申し込むものなのよ」
「は? そうなの? あいつら、割と商人や臣下にもふっかけてんじゃん」
「大抵、男女関係のもつれでね。その辺は、同じ相手を愛した者同士うんたらという言い訳の定型句があるの」
娼館勤めの長いアンナが、よく聞いた文句ですわ、と形のいい顎に指を当てて頷く。
「なるほど、あれはそういう決まり文句だったんですのね。それで、ダドリー一派はメアリ様を対等な間柄だと認めたくない、と?」
「貴族として不適格だなんだと散々喚いた挙句、自分達はこの大失態。わたしを徹底的に下に見ないことには、体裁が保てないのではないかしら。まともに自己評価をすれば、憤死ものの赤っ恥でしょう?」
まともならな、とカミラが皮肉ると、アンナもメアリも呆れを多分に含んだ微笑を浮かべる。
「今、彼等の頭の中は、自己弁護と自分の失態のなすりつけで一杯のはずよ。人間的な反応ではあるのでしょうけれど、現実の難題を前にした貴族として、まとも、とは言えないわ」
しかし、彼等はそこから目をそらさなければ、大量の飢餓民を発生させた責任や罪悪に直面しなければならない。
だから、彼等は無意識に、あるいは意識して、自分達の失策を別な問題にすり替える必要がある。
「そこに登場したのが、悪逆非道の令嬢メアリ・ウェールズというわけよ」
メアリは笑って、カミラから宣戦布告文書を取り上げる。
「彼等によると、メアリ嬢はダドリー派の領主達を悪辣な罠に仕掛けて、食料難をわざと発生させ、その難民を個人的遊興のために虐殺したそうよ」
わたしってすごいわね、とメアリは面白そうに目を細める。
「ダドリー派にとってのわたしは、貴族云々ではなく、人間でもない。悪そのものが人格化した存在、つまり悪魔というわけね」
それにここぞと神等教が乗っかってきて、メアリは一部で立派な悪の象徴として祀り上げられているらしい。
「う~ん、それはなんとも」
カミラが、悩まし気に腕を組む。豊かな胸が服の下でひしゃげるのを見て、メアリが少し気取った仕草で髪をかきあげる。
「わたしには似合わないって?」
「いや、逆。似合いすぎて恐い」
「そ~ぉ、ふぅん?」
声が一段低くなったメアリに対し、カミラは慌てなかった。
「嫌いじゃないだろ?」
「……善女扱いより心地いい自覚はあるのよ」
やっぱり、とカミラはにへらっと笑う。
二人のやり取りに、黙って聞いていたアンナはにっこりと微笑んだ。ジャンヌにいたっては、身じろぎせずにメアリの背後に侍っている。
二人にとっては、メアリが神でも悪魔でも構わない。そうなる人生の上で、そういう主人を持ったのだ。
「んん、ともあれ、連中にとってわたしは、一切の妥協を許されない悪でなければならないのよ。そんな相手に一定の対等を認めざるを得ない決闘を申し込んだら、彼等が丹念に作り上げてきた幻想が壊れてしまうでしょう?」
もっとも、彼等の気配りは無駄だろう。
そもそも無理のある幻想、悪意を持った指先が触れれば砕け散る脆いものだ。
「憐れなものね」
ダドリー達は現実という大水のただ中で、自分の貴族としての能力、つまり為政者としての能力に寄る辺を失ってしまった。
「そうして溺死しかけた彼等に残されたすがれるものは、正義というどこにでもある藁、というわけね」
自分達は正義である。
だから間違っていない。
自分達は悪と戦う。
だから存在する価値がある。
「正義。正義、ねぇ」
メアリは、麦畑のようにありふれた概念を舌の上で何度か転がす。
「私の好みではないわ」
お気に召さない味だと麗しい顔をしかめる主人に、彼女の側近達はそうだろうと頷く。
「それで、この宣戦布告をどうするんだ?」
「こんな無粋なお誘い、お断りよ。メアリ・ウェールズは淑女として教育を受けているの。知っているでしょう?」
「え?」
どうだったかな、とカミラは本気の顔で過去を振り返り始める。
メアリの両親よりずっと長い時間を過ごしてきた家族のような側近は、その優秀な頭脳をしても「淑女教育を受けているメアリ」という記録を探り当てられない。
「存じておりますわ。もちろん、そうですとも」
そんなカミラの腕を叩いて、アンナが笑って肯定する。事実がなんらの生産性も発揮しないことだってあるのだ。
この場合も、アンナが察知した通り、その類例となるべき案件だった。
メアリはアンナの返答に満足した。
「連中がわたしを悪魔と呼ぶのは結構。わたしも、連中を賊軍と扱う以外に認識できない」
秋から冬にかけて散々討伐して回った、野盗化した難民と大差ない扱いに貶めることを、メアリは宣言する。
「賊を相手にわざわざ出向く必要はない。わたしの支配地に押し入るというなら、貴族の義務としてこれを討伐する。それ以上の対応は必要ないわ」
相手のことをまともに扱わない、という意味では、メアリもダドリーもやっていることは変わらない。
「大体、文書で決戦地に指定されているのはダドリー派の領地内よ。そこまで騎士団を連れて足を運べって言うの? 食料がもったいないわ」
まあ、合戦地の指定は珍しくない。戦争中でも宣戦布告の段階でも、「通れば儲けもの」くらいの感覚でばんばん指定する。
挑発の一環のようなものだ。
「こういう無駄な浪費は趣味ではないわ。そもそも戦争をしたいのは向こうなのだから、向こうが浪費すればいいだけのことよ」
「浪費するだけの物資があるかどうか、ウチははなはだ怪しいと思うのですが」
敵勢力の情報を最もよく知っているアンナが、文書を見た途端に感じた疑問を再度提出する。
「ダドリー派の領内は全体的に困窮状態です。壊滅的な地域がいくつもあり、比較的平静な地域でも不足状態です。リッチモンド伯爵領でも、飢えた領民が原因で、治安が著しく悪化していますわ」
その状況下でも軍事行動に移れるとなれば、考えられることは二つとアンナがすらりとした指を立てる。
「一つ、軍事用の備蓄を確保しておいた。二つ、行軍中に徴発していく。このどちらかかと思われますが……ああ、いえ、どちらも、ということもありますわ」
「どちらもありえる可能性ね」
メアリは考え込む素振りを見せずに、決定した。
「そのどちらも使いましょう。アンナ、情報を流して」
「はい、お望みとあれば。しかし、ええと……」
主人の意図を汲みかねて口ごもったアンナに、メアリはその整った顔に、善女よりもしっくり来る表現をまとった。
「ダドリー派の領内に、近く軍事行動が行われると。飢饉のひどいところには、その時に動く騎士団は食料をたっぷり持っていると流して」
「なるほど。備蓄に余裕のある地域には、騎士団が徴発するようだ、と情報を流せばよいのですわね」
その結果起きるであろう惨事に、メアリは笑顔に類する表情のまま頷く。
「わたしは悪逆非道の令嬢だもの。効率よく敵を地獄に送り込めるならば、迷いはしないわ」
「かしこまりました。では、いくらか物資も差し入れいたしましょうか? 例えば……毒ですとか」
「あら、いいわね。そうね、武器に塗る毒以外にも、食事に混ぜる毒もいいわね。正面切って騎士団と戦うなんて、平民には荷が重いもの」
パーティの飾りつけを相談するように、女達は笑う。
「ああ、そうだわ。もう少し煽っておきましょう。賊軍の首には対価を支払う約束もしておいて。もちろん、対価は食料よ」
「名案ですわ、メアリ様。邪魔者がより減らされる上、メアリ様に恩義を感じる者が増えます。事後の統治に大いに役立つ出費かと」
くすくすうふふと敵を自滅させる策を次々アップグレードしていく二人に、カミラはジャンヌに顔を寄せる。
「見てみろ、あの様を。ダドリー達が悪魔呼ばわりしているのも納得の恐ろしさだ」
『はい。お二人とも、とっても楽しそうで、素敵ですね』
「あー、うん。そうだな、ここはどちらかといえば地獄だったもんな。うん、そうだ。あたしがそう言ったな」
カミラは、ひょっとすると自分が常識人なのではないか、と世の中が心配になった。




