妖花、咲く30
メアリの庇護下に入った大地に、薔薇騎士団の馬蹄音が響く。
彼女等の受けた命令は一つ、標的の殲滅である。
これは、同種の事態に対応している諸侯の騎士団とは質の異なる命令である。
野盗化した難民への武力行使。
これ自体は珍しい対処法ではない。標的を野盗と断言するか、難民と正確を期するかは様々だが、騎士達が対峙した相手には大差ない。
ただ、他領ではほとんどが「追い払う」の範囲で良しとした。そう明言した指揮官もいれば、曖昧な命令で濁した結果、そう解釈された騎士団もある。
いずれにせよ、いくらか標的の先頭を槍で突いて脅してしまえば、後は逃げ散るに任せた。逃げ散った難民達は間もなく再び集まり、同じところを襲うか、別なところへ移動して襲う。
それではなにも解決しない。だから、メアリは厳命したのだ。
鏖殺せよ、と。
討ち漏らしは可能な限り少なく。二桁の塊で逃げる集団は見逃さない。可能な限り追跡して、集合地点があるならそこまで追撃する。
軍を相手にするよりも徹底的に、飢えた人々を殲滅しろと命じたのだ。
それは善悪による判断ではない。
ただの事実として、助けられる人間と助けられない人間がいて、助けるための方法が限られている。
それだけの話なのだ。
少なくともメアリにとっては、それだけの話に過ぎない。
結果として、わずかに生き残った難民の怨嗟、傍観者の口にする悪逆非道との評価、良心を血だらけにしながら槍を振るう麾下の恨みを受けると知っていても、メアリは俯いてみせる必要性を認めなかった。
ましてや――
「この悪魔め! なんの罪もない民草を虐殺するとは、貴様など人間ではない!」
多くの飢餓の発生を防げる立場にいながら、なにもできなかった無能者の罵倒を前に、良心があるかのような振る舞いをするつもりなど、絶対にない。
泡を吹くような勢いで喚くリーシル子爵を前に、メアリは優雅にハーブティーに口をつける。
そのことにリーシル子爵がさらに文句を連発するが、メアリは騒音がなくなるまで一言も返さなかった。
会話を試みるだけ無駄だとわかっているのだ。
やがて、リーシル子爵が息切れを起こしたところで、メアリは言った。
「なにも救えない人間の分際で、一部だけでも救った悪魔を罵倒するなんて身の程知らずだこと」
「なんだと!」
「黙りなさい、無能者。今回の件で、お前は領主としてなんら責務を果たしていない。そればかりか各代官等の責任者の自由を奪う命令を発し、事態を悪化させた。何もしないだけ無駄飯食らいの方がまだ上等だわ」
さっさと西部統括官に任じてくれれば、このような面倒はないのに。
メアリは内心で宮廷にも毒づきながら、もはや感情が表現可能域を超えているリーシル子爵へ、形式的には最大級の侮辱を叩きつける。
「貴族の血に連なる者として、勧告するわ。お前は貴族の名に値しない。恥じるだけの能がまだあるなら、自害なさい」
貴族の名に値しないとは、宣戦布告か、決闘の宣告でしか使わないような侮辱的表現だ。
もっとも形式外の侮辱を含めれば、メアリに対するリーシル子爵の数々の振る舞いの方がよほどひどいのだが。
「貴様、貴様のような、汚れた血の小娘が、貴族として私に口を利くなどと!」
「わたしはわたしの庇護下にある民を守っているわ。飢えからも、外敵からも。お前とは違って」
「私だって守っている! 貴様のような悪魔から、神のご意思に従って!」
「それは神が守っているのであって、あなたが守っているとは言わないわ。神を相手に図々しい。あなたが守っているものなんて、精々がその哀れな大きさの自我くらいよ」
大体、こんなところまで文句を言いに来る暇があるなら、難民に食料を与えて出身地に戻せばいいのだ。それだけで悪魔に殺される難民は減る。簡単なことだ。
メアリへの抗議ならその後でもできる。
そんな簡単なこともできないのが、今のリーシル子爵だ。
「この冬の騒動が終わった後、今回の顛末については宮廷へ報告を送るわ。難民を大発生させて隣接領に迷惑を押しつけた貴族については、その名に値しないとの評価もつけるから、身辺整理を進めておくことね」
「汚れた小娘の言うことを国王陛下がお認めになるものか!」
「領地を守り切った小娘と、多数の難民を発生させた貴族、どちらの言葉が重用されるか楽しみだわ」
神の次は国王の名を出して吠えるリーシル子爵を冷笑して、メアリは面倒事をまとめるために言葉を継ぐ。
「ダドリーにも伝えておきなさい。この程度の動揺も治められない浅い器で、我がウェールズ家の血を汲めると思うな」
****
メアリの宣言は、かなりの誇張を経てダドリーとその一派に伝えられた。
身なりのいい男達が、そろいもそろって憤懣を爆発させる光景を眺めながら、ダドリーは密かにため息を漏らす。
怒号をあげる者達の数が、減っているのだ。
それも、例外はあれども能力の高い者から順に、顔が見えなくなっている。逆に、能力の低い者ほどダドリーへ熱心な忠誠を口にするようになった。
理由は、わかっている。
ダドリーが、大きな失態を犯したからだ。
余裕のある者はダドリーと距離を置いて身の安全を図り、余裕のない者は溺者がすがりつくようにますますダドリーに依存する。
そう思ってから、いや違う、と心中で首を振る。
原因は天災だ。このタイミングで大規模な冷害が起きたがために、策が上手くいかなくなったのだ。
おりしも、メアリが戦いを仕掛けてくることを考え、ダドリー派の領地では騎士団を増強していた。
例年より多くの食料を兵に与えて、備蓄が減ったところを凶作が直撃した。まったく誰がこうなると予見しえたことか。
ダドリーは拳に力がこもったことを自覚する。
無論、メアリから忠告があったことは了解している。
あれこそ卑劣な策だった。
冷害が起こると真に受けていれば、せっかく増強をかけた軍備を縮小しなければならない。当然、敵を弱体化させたいメアリの策略だと余人は考える。
そうして忠告を跳ねのければ、実際に冷害が来た時に損害が大きくなる。
なんの損害か。民の損害だ。
あの娘は、民を犠牲にしてまでも、自分が優位に立つために策を取ったのだ。
なんと卑劣な娘だ。やはり、ウェールズの血は汚れている。
ダドリーは信念をさらに強めた。
自分が、その信念のために冷害への対処を誤ったことを振り返らないために。
ダドリーは、自身の内面にできた影を見つめないよう、立ち上がる。
「諸君。私も、諸君の怒りの声にまったく同意見である」
してやられたことは認めなければ、とダドリーは苦渋の表情を浮かべた。
「まず、我々の領地には飢えた民が発生した。これは認めねばならぬ。陛下の耳にこの件が届いた時、事実としてそれは動かせぬ」
「ですがそれは、我々が悪いわけでは!」
憤慨する同調者に、ダドリーは頷く。
「その通りだ。メアリ・ウェールズは我等に罠を仕掛けたのだ。それに引っかかったことは責められねばなるまいが……」
「なにをおっしゃる! 悪魔がしでかした凶事によって、その討伐者である勇者が責められるなど痛ましいことですぞ!」
「しかり」
ダドリーは、同調者の言葉に再び頷いた。
「まずもって裁かれねばならないのは、悪辣な罠を仕掛けたメアリ・ウェールズでなければならぬ」
「そうだ! あの小娘こそ諸悪の権化!」
もはやダドリーは頷く必要はなかった。
彼等の言葉は、我等の言葉として、誰もが共有している。
「ならば、我々のすべきことはなにか。このまま小悪党のように、メアリが弾劾する時を待つことか?」
否、と男達は声をそろえる。
「そう、断じてそのようなことではない! 我等がすべきことは、正義はここにありと立ち上がることである!」
ただ粛々と相手の言い分だけを聞いていれば、周囲からは真実だと見られる。
真っ向から反論して、どちらが悪かを天の下に知らしめねばならない。
「我々は、メアリ・ウェールズに宣戦布告する!」




