妖花、咲く28
このように穏便に済んでいたのも、秋のうちだけだ。
例年より早く冬に入り、野草も獣も手に入りづらくなれば、あるところから食料を盗もうとする者は増え、奪おうとする者達に変化する。
ウェールズ領に本拠を置く黒蘭商会の荷馬車は、大抵食料を積んでいるため、反メアリ派の領地では必ずと言っていいほど厄介事に遭遇した。
「ここを通りたければ、その荷物を全て置いていけ!」
クワや鎌を掲げた十数人の盗賊団が叫ぶ。
「あら、またお会いしましたね」
馬車を引いていた黒蘭商会所属の商人、ベイリーは微笑んだ。昼に通り過ぎた農村で見かけた顔ばかりだったからだ。
「食料を買うお金の準備ではできましたか?」
「うるさい、業突く張りの商人め!」
どうやら違うようだ。
「でしたら、奴隷としてお売りする方が決まりましたか?」
「そんなこと、神様が許すわけがない!」
これも違うらしい。ベイリーは、うーんと首を傾げる。
「では、どのように私どもの商品をお買い上げになられるのです?」
「買うなんて言ってない、置いていけと言っているんだ! 領主様の命令もある!」
「領主の命令?」
「関税だ! この領地を通る商人は、緊急時につき全ての商品を供出するようにとのことだ!」
その領主の命令の方がよほど業突く張りなのでは、とベイリーは考えた。
確かに、関税をかける権利は各領主に約束されている。しかし、最大どれくらいか、という上限が王国法には記されている。
そうしないと、とんでもない関税をかけて自滅する貴族がいるからだ。
ここの領主がメアリ憎しで情勢判断を誤った無能者とはいえ、大っぴらに王国法に背くほど間抜けではあるまい。大方、目の前の即席盗賊団の考えた脅し文句だろう。
なので、ベイリーは荷台にノック音で合図しながら、要求を拒絶した。
「それが仮に領主様の正式なご命令であれ、国王陛下の民として認めるわけにはいきません。お断りします」
「だったらお前等は領主様の命令に逆らった反逆者だ!」
土に汚れ、錆の浮いた農具が、馬車へと近づく。
「王国法を破り捨てた反逆者が一体何を言っているのやら」
対して、荷馬車から降りてきたのは三人分の全身鎧だ。手に手に、赤い薔薇をよじり合わせたような槍を持っている。
見る者が見れば、ウェールズ家の恐怖の代名詞、薔薇騎士団の名を思い出したことだろう。
「最終勧告です。大人しく引き下がるか、対価をお支払いなさい。そうすれば、私どもも業務外の商売をせずに済みます」
「相手はたった三人だ! 脅えるな、一斉にかかれ!」
ベイリーの忠告は、面倒事を避けたい心情が大きかったが、親切心がなかったわけではない。その親切心が手ひどく打ち払われた時、ベイリーは肩を落とした。
あ~あ、やっぱりこうなった。
奴隷売買を禁止すれば、こういう連中が増えることは目に見えていたのだ。神等教のろくでなしどもめ。
自身、奴隷として身を売ることで家族の一冬を助けたベイリーは、冷めた目で前を向いた。
「殲滅しちゃって」
このための護衛として派遣されていた赤い全身鎧達は、無言で命令に従った。
たった三体。しかし、それはただの三人ではない。クワを振り下ろされても、鎌で切りつけられても、ピッチフォークで突き刺されても、呻きもしない三体である。
複数の攻撃を受けながら、全身鎧は自らの槍を振るう。槍が一つ風を切る度、農民兼業盗賊が一人倒れる。三人、六人、九人と倒れて、盗賊達は勝ち目がないことを思い知り始めた。
「なんだ、お前等!」
クワを振り回しながら、一人の若者が叫んだ。
「なんで倒れない! 首、首に当たっただろう!」
若者の目の前では、首に鎌が刺さった全身鎧が、足元に転がった鎌の持ち主に槍を突き刺している。
その槍が引き抜かれ、次に向けられたのは叫ぶ若者だ。
「なんだよ、なんなんだよ、お前等!」
振り回したクワが、全身鎧の兜を打つ。跳ね上がったバイザーから、うめき声一つ漏らさない兵士の顔が覗いた。
それは、頭部を蔓草で覆われた、血の気の失せた男の顔だった。
化け物の正体を見た若者に、ベイリーは荷台で頬杖を突きながら声をかける。
「棺草って知ってる? 死体に寄生する植物で、死体の養分を吸って成長する蔓草よ。その一種に、死体を操って移動して、他の宿主がいるところまで運ばせようとする種類があるらしいの」
共生菌の種類がどうの、寄生した死体の鮮度がどうのと、ベイリーにはよくわからない説明をされたが、要は宿主の生前の記憶を頼りに、同族がいる「巣」まで案内させるのだという。
「ウェールズ領ではよくある怪談話で、殺して埋めたはずの隣人が蘇って、殺人犯に復讐するっていう話があるんだけど、どうもそれは棺草の変異種が起こしているらしいわね。メアリ様のところで教わってびっくりしたわ」
全身鎧の死人兵士達は、その棺草の変異種を、さらに改良したものだ。
「彼等は死兵草に寄生されたウェールズ領の死刑囚よ。寄生した草が生命維持機能をある程度代替するから、かなり殺しづらい、らしいの」
頭部破壊が一番有効だと聞いているが、ベイリーはそこまで話そうとは思わなかった。
それに、聞いている生者も、もういなかった。
「ご苦労様。一応、死体を積めるだけ荷車に積んでもらえる?」
あまり気分が良い同乗者にはなれないが、ここで獣に食い荒らさせるくらいなら、持ち帰って利用する方がいくらかメアリ様の活動に寄与する。
そう自分に言い聞かせながら、ベイリーは荷台を再整理して少しでもスペースを確保する。
彼女の苦心を、どこかの神様も見ていたのだろう。
兵が運んでいた遺骸の一つから、それなりに質の良い紙が零れた。
「あら? なにかしら、飢えた農民が持っているような紙じゃないわね」
拾い上げて、ベイリーはメアリの下で覚えた識字能力で内容に目を通す。
「……これ、領主ではないけれど、代官の文書じゃない」
内容は、緊急時ゆえに商人を襲っても黙認するということが書かれている。
襲撃者達が吠えていたことは、あながち全てが嘘というわけでもないようだ。
「これで訴えても、偽造文書だとかなんとか言い逃れは出てくるんでしょうけど」
ベイリーは、指で文書を弾く。
「アンナ様やメアリ様に渡せば、使い道もありそうね」
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この他にも、黒蘭商会の商人達は食料を持っていたために、各地で呼び止められていた。
通常価格の販売で済むこともあれば、奴隷として村人の一部が売られることで済むこともある。
厄介な事態にまで発展するのは、神等教の神官が出てきた場合か、反メアリの貴族が出てきた場合だ。
脅迫ばかりではなく、実際の襲撃まで発展することがあり、連中と来たら強盗団と変わらない。
そうなることはわかっていたので、商人達はそれぞれの手札で自衛した後でメアリへ報告し、メアリは宮廷へ報告をあげた。
悲劇。
無数の悲劇。
だが、ただの悲劇。
この程度で済んでいたのも、まだ序の口。
冬が深まり、野草の類も獣の類も手に入らなくなると、備蓄もなく、その日の食べ物も手に入らない人々が村一つという規模で出てくる。
そのまま従容と餓死する者もいれば、隣人と争って数少ない食料を手にする者もいる。
そしてまた、どこかにはあるはずだと食料を求めて故郷を捨てる者もいる。
飢えた難民の発生である。
彼等に罪はないが、彼等は罪の滋養になる。
メアリ派の領地に蓄えがあるからと言って、飢えた何百人、何千人に食事を出せるほどではない。雨風をしのぐ家屋が余っているわけでもない。
各領地は、元々の領民の生活を保障するだけで手一杯だ。他領から流れてくる難民達は、その守るべき領民の生活を脅かす侵略者でしかない。
「そこでわたし達の出番よ」
薔薇騎士団の部下を前に、メアリは断言した。
「今、各地から難民の流入が報告されているわ。当然、難民の発生元の領主には徹底的な抗議が送られているけれど、最善を尽くしてこの体たらくだそうよ。その上、わたしに助けてくれとも言えないらしいわ」
配下の薔薇騎士達は、礼儀正しく主人の言葉を傾聴しながら、それぞれの態度で呆れや怒りといった感情を表現した。
「つまり、ウェールズ辺境伯を継ぎ、西部統括官を継ごうとするわたしの手元に届く嘆願は、自領に不法侵入している難民を追い出してくれという訴えのみ。これに対し、わたしが取る行動はただ一つ」
血で押し流しなさい――メアリは美しい声で命じた。
「難民自身の血で、難民を押し流しなさい。槍で脅して逃がそうなどと半端なことは許さないわ。槍で貫き、抉り、屠りなさい」
この時のメアリは、具体的な方法にまで言及した。
「あなた達が、この命令をどう思うかは知ったことではない。ただ、わたしはこの命令を必要とする。発生した難民は多く、侵入した領地は広い。一人の難民に時間をかければ、十人の難民が罪を起こす時間を与え、百人の領民の怨嗟を生むわ。それは人災の大火よ」
わたしはそれを望まない。メアリは歌う。
「そんな危険な火を、わたしの支配する領土に放つくらいならば、わたしがその火を引き受ける。一千だろうと一万だろうと、わたしの名の下に殺しなさい。わたしの名を血で染め上げなさい」
わたしはそれこそを望む。メアリは歌う。
「今一度命じる。メアリ・ウェールズの名の下に、不法に領土を越境した難民達を鏖殺なさい。それに必要な怨嗟、憎悪、絶望に慟哭は、全てこのメアリが飲み干すわ!」
メアリは、殺戮の命を受けた騎士達を放った。
その先頭の一つを、自分で走りながら。
血染めのメアリの名は、さらなる血で赤く大きく、歴史に記されることになった。
この冬を超えた時、王国西部中央の人口は二割の減少し、最西部の人口は一割増加していた。




