妖花、咲く25
寒冷な大気の影響は、確実に地上へとその冷たい手を伸ばしていた。
山や森で手に入る餌が少ないせいで、まずネズミのような小動物が食料のある場所へと殺到して来たのだ。
ウェールズ家の別荘と本邸は、まさにその最前線である。骸の森の中か入り口にあり、領内から集められた農作物を備蓄する一大集積地となっている。
その大事な倉庫の周囲、オーバーオールをまとった女性達が、薔薇で作られた鎌やピッチフォーク、毒花粉団子を武器に、敵襲を迎撃していた。
「くっ、数が多い!」
「北からも大群の反応!」
「まずい! 北は西に人員を回したばかりだわ!」
その場の全員の顔に、苦いものが浮かぶ。金花園芸団によって敷かれた最終防衛線が突破されるという、避けがたい予感。
「あきらめちゃダメだ!」
一団の中のリーダー格、淡い金髪の少女ケリーが花粉団子をポイポイ放り投げて、着弾点の周囲三メートのネズミを呼吸困難に陥らせながら叫ぶ。
「ボク達の後ろには、大事な、大事な食料があるんだ! ひもじさで苦しむ人を救うための食料が! だから、だから! 絶対にここを守ってみせる!」
自分のためにも、メアリ様のためにも。
ケリーは叫んで、額の汗を散らしながら鎌を手に取る。花粉団子がついに切れたのだ。
最後まで奴等を食い止める。何をしても、何を使ってでも。
ケリーの立ち姿は、言葉以上に彼女の決意を物語っていた。
部下であり、同僚である園芸団の者達は、その背中に思い出す。
そうだ。確かにそうだ。後ろにある食料は、メアリ様の今後にとって大事な物資であり、今後発生する、貧しさがためにささやかな生活を奪われる者を救うための物資なのだ。
そう、それは、奴隷として売られ、メアリ・ウェールズに拾われたかつての自分達を救うための――救って欲しいと願うしかできなかった、無力な自分達の心を救うために、必要なのだ。
頭の片隅で避けられぬ敗北を意識しながらも、屈してなるものかと、団員達は全身に力をこめる。疲労が激しい。全力には程遠い。敵は減らない。
それでも――
「ここは、絶対に守る!」
決意を吼える声に――
「良くぞ言ったわ!」
応じる声――!
群がる敵軍の後方から、声は一直線に敵陣を食い破って金花園芸団と合流する。
援軍だ。窮地にあっても気高い意志に応えたのは、箒や背負い籠で武装した侍女服をまとった凛々しい――とはなんか違う――女性達だ。
「忙しさあるところに我等あり! ウェールズ家で最も汎用性のある超・応援部隊! 銀鈴蘭侍女団、参上!」
「銀鈴蘭侍女団! 来てくれたんだね!」
侍女団の先頭の侍女、マリエが手にした箒を振り回して二十センチはあるネズミを森の方角へホームランしながら鼻をこする。
「ふふん、当然でしょ! ここはウェールズ家の敷地内、つまり侍女の仕事場でもあるんだからね!」
「ごめん、ボク達がふがいないばかりに、君達まで……!」
「なに言ってるの、ケリー。さっきも言ったでしょ。あたし達は最も汎用性のある超応援部隊。手が足りないって時は、いつでも呼んでよ」
涙ぐむ園芸団のリーダーに、侍女団のリーダーが冗談っぽくウィンクする。
「さあ、銀鈴蘭侍女団が合流したからには、もう心配いらないわ! 食料を狙うケダモノ共を蹴散らしてやるわよ!」
「うん! 皆で力を合わせて、絶対に守りきろう!」
二人は力強く手を握り合って、戦友的な絆を大いに高めて謎の士気回復を図る。
ノリの良いそれぞれの団員もリーダーにならってハグしたり、拳をぶつけあったり、ニヒルな笑みを交わしたり、小芝居に余念がない。
彼女等は、何もただふざけているわけではない。
敵襲――森で食うに困った小動物の大群で、しかも魔物が率いているせいで統率が取れている――を迎撃するうち、彼女達は段々と疲れてきたのだ。
魔物が率いているといっても、それも草食多め。大群といってもネズミやイタチ、精々が小型の猿。
メアリ配下の奴隷達にとっては、身の危険を覚えるような手合いではない。
が、何せ数が多すぎた。身の危険がないことは、緊張感を維持するのが難しいというデメリットも持ってくる。
そこで、こりゃあ飽きる前にちょっと変化が必要だと、何かそれっぽい寸劇を混ぜて真面目にふざけているのだ。
単純作業が嫌いな自由人達から、延々と続くお仕事がアドリブを連発する遊びになって楽しいと好評である。
一方その背後で、普通に真面目な連中は、ごく普通に事務的に会話をする。
「汎用性ってか、ぶっちゃけ侍女団ってこれといった長所がない面子多いから、そうなっちゃうんだよね」
「でも、ほんとに助かるわ。あ、北の方に回ってもらって良い? あっちから破られそうだから」
「はいはーい。毒花粉団子、なくなったでしょ? こっちにも籠ごと置いていくね。後方で量産してるから、バンバン使っちゃって」
「わー、助かる! これがあるとまとめて仕留められるから、楽なのよねっ」
後ろから聞こえてくる会話に、マリエはちょっと嫌そうに顔を歪める。
「ねえ、ちょっと君達、もうちょっとリーダーのノリに合わせてくれない? 正気に戻されると流石につらいんだけど」
「いや、だって忙しいんだもん。しょうがないじゃない」
「ちょっとそういう小芝居するには、わたし年齢的に厳しいかなって」
「見てる分には楽しいんで、どうぞ続けて」
流れ作業のようにリーダーの苦言を流されて、マリエはブーと頬を膨らませる。
「ま、良いけどね。じゃ、侍女団マリエ隊、北の応援に回るからねー!」
はーい、と部下の侍女達が返事をして、長袖をまくる。
「超応援部隊、突撃~! 敵を蹴散らせ、大掃除だ~!」
わぁ、と侍女達は声をあげて、敵群を蹴散らしながら進んでいく。
メインウェポンは箒だ。植物系の「魔物使い」である彼女達が持てば、植物素材の箒といえど、ただの箒では済まない。
毛先の柔らかいものは伸びて獲物に絡みつき、毛先が固いものは伸びて敵を挟み取る。
侍女団の進路上にあるものは、全て塵芥のように掃き清められるのだ。
その様子を見送ったケリーは、園芸団の仲間にちょっと呆れた声でぼやいた。
「あの子達さ、侍女団って名前だけど、普通の侍女はあんなに戦闘力高くないよね?」
「ケリーちゃん、それうち等も言われてるから」
「えっ、そうなの!?」
農業、畜産業、その加工業を一手に引き受ける金花園芸団の少女は、魔法植物である緋薔薇製の鎌を振るい、返り血で頬を染めながら驚いた。
****
配下の少女達が小動物相手に大立ち回りを演じる様子を、屋敷の二階のベランダから優雅に眺める者もいる。
全配下のトップであるメアリと、金花園芸団のトップに君臨するカミラである。
「あいつら、遊んでるなぁ」
「ちょっとずつ慣れてきてるわね。防衛戦のやり方ではなく、寸劇の展開の方が」
素人芸ながら見世物としてもそこそこ面白い。メアリはお気に入りの侍女、ジャンヌを見やる。
娯楽の少ない農村で育った少女は、あちこちで小まめに展開される寸劇を一つも逃すまいと、ベランダの手すりをぎゅっと掴んで見入っている。
目を輝かせちゃってまあ……。メアリは緩んだ口元にホットワインの入ったカップを運ぶ。
その表情を見て、カミラはほっとする。どうやら、メアリお嬢様は配下のああした遊びを許容しているようだ。
「メアリが気にしないなら良いんだよ。あたしはああいうの叱れないから、止められなくてな」
素面で仕事をしている方が珍しい人物は、自分のことをよくわかっている。仕事中にふざけるなと、ほろ酔いの人間に言われても反発を食らうだけだ。
「あの子達なりに仕事をより良くやろうと工夫して、ああなったんだもの。何を叱る必要があるのよ」
それに、とメアリは組んだ足に膝を乗せて頬杖をつく。
「あの子達、すごく楽しそうじゃない」
そう口にするメアリの視線は、向こうの騒ぎではなく、隣の美女に絡みついている。
「先代のお父様の頃には、全く楽しくなさそうな顔で仕事をしている人がいたわね。わたし、あの顔は嫌いだったわ」
「ふうん?」
カミラは向こうの騒ぎを眺めるふりをして、メアリの視線から逃れようとした。
「ま、良いわ」
その仕草について、付き合いの長いメアリお嬢様は見逃してあげた。
代わりに、地域情勢について話題にする。
「ウェールズ領でこの調子なら、王国西部の大部分でこんな感じでしょうね?」
「地理的に考えればそうなる。ウェールズ領より北側の地方はここより寒いはずだし、南側って言っても、三分の一もない。ああ、でも、ここほど小動物が大群で襲ってくるのは珍しいかもな」
「まあ、そこはね。骸の森は立派な魔境だもの、近隣諸国合わせても有数でしょう」
これから忙しくなるわね、とメアリはホットワインを飲み干す。
「メアリ派の諸侯には、うちの団員を派遣したからそうひどくはならないさ。収穫量が増えて、作れる保存食も増えた。倉庫の守りもばっちりだ」
その団員の派遣によって、メアリ本拠のところの防衛線が薄くなってしまったのだが、対応可能なレベルで何とか持ちこたえた。
「こちらの食料が豊富。それ自体は良いことだけれど、面倒事も群がると思わない? ネズミだって、ああしてうちに食料があることを嗅ぎつけるんだもの」
「その備えはあたしの仕事外だ。アンナとメアリで頑張ってくれ」
確かに、とメアリは頷く。
発生する難民と野盗の対処は、黒蘭商会と薔薇騎士団の仕事だ。きちんと準備もしている。
しかし、メアリの表情は渋い。
「ところでカミラ、あれ、少数なら中に侵入されても平気なのよね?」
「うん、中は中で守りをしっかり固めてるからね。よほどの大群じゃない限りは」
「あの調子なら問題なさそうだし、わたし、中に入って良い?」
メアリは、空になったホットワインのカップを両手で握りしめて、残った熱を必死に受け取ろうとしている。
その表情は、微妙に余裕がない。厚手のドレスにケープを巻いているのに、スカートの下ではこっそりと足をすり合わせている。
メアリお嬢様は寒がりだった。




