妖花、咲く24
アンナは、北寄りの友好領を中心に活動している部下から届いた報告書を手に、メアリ屋敷の一室のドアを叩く。
本当は部下に任せても良いのだが、この部屋の主は同じ大幹部として自分より古株の存在。下手をすると騎士団並に上下関係に厳しい娼館で世の中を学んだアンナとしては、自分の手で報告を渡すことを選んだ。
「カミラさん、前にあなたが言っていた報告が入ったので、お届けに上がりましたわ」
「はーい、鍵は開いてるから入ってくれ」
「では、失礼します」
カミラに与えられた私室のドアを開けて、アンナは手早く用件を伝えようとしたが、ぐっと言葉を詰まらせた。
甘い印象を受けるたれ目が、きりきりと釣り上がる。
「ちょっと、カミラさん!?」
「うん? どした?」
室内にいたのは、ちょっとだらしない雰囲気の美女ではなく、すごくだらしない恰好の残念美女だった。
服は例のだぼっとしたワンピースがシワだらけで着崩され、髪は寝癖がついてぼさぼさ。座りこんでいるのは、寝乱れたベッドと表現すれば色っぽいが、酒瓶とヒョウタンと紙束が連日夜を共にしていますと言わんばかりに転がっていれば、カミラという女性の素材がどれほど良くても魅力など出ようはずがない。
そんな同僚の大幹部の醜態に、一部の隙なく美女を装っているアンナは、衝撃のあまりに数度、叱責の言葉を空転させた。
「どうしたもこうしたも! なんですのっ、その恰好は!?」
「なにって?」
カミラは、自分のありさまを確認する。いつも通りの格好だった。
ベッドの上でお酒を飲みながら各種報告に目を通してそのまま寝入り、起きてそのまま残った書類を見ながらお酒を飲み始めた、いつも通りの姿である。
「これが?」
「これが!? これに何も感じないって言うんですの!?」
「ん?」
なんだろうとカミラは首を傾げる。
超巨大な価値観の違いが、そこには大峡谷よろしく横たわっていた。その隔たりといったら、史上最強を謳われた軍勢ですら、克服し得ないほどの要害となっただろう。
アンナはそのことを理解した。しかし許せなかった。
カミラは美人だ。もちろん、ジャンヌもメアリも美人に違いない。だが、まだ幼さの残る二人と、カミラは別な美しさがある。
育って来た環境ゆえ、アンナは自分と互角かそれ以上と思われる美しい女性は、一種の敵として見てしまう。
カミラは、まさに敵だった。強敵だと感じていた。
しかし、その敵は、あまりに自分の美しさに対してずぼらだった。
「あなた、朝風呂は!?」
「え? いや、別に入ってないけど……」
「このお屋敷では一日中入れる素晴らしすぎるお風呂があるのに、どうして朝起きて入っていないんですの!?」
「だって面倒だし……」
「~~~~!?」
美しい女性が、その美しさに対して無頓着に過ぎる。
それは、アンナにとって敵というより、罪人ですらあった。
「カミラさん!」
「お、おう?」
「あなたは、とにかくお風呂に入って、髪を整えて、清潔な服を着なさい!」
「いや、それは後で良いかなって……」
「良い訳ないでしょ――!」
アンナは先輩大幹部を肩に担ぎあげると、そのまま浴場に向けて突撃した。途中、暇そうな侍女を呼びつけて、カミラの服で洗濯済みのものを用意するよう命じる。
容赦なくくたびれた衣服を引っぺがして、浴場に座らせると頭からお湯をぶっかける。
「ぶわっ、ぺぺっ! 何すんだよぅ……」
「身だしなみを整えているんですわよ! あなたの髪、痛み過ぎじゃありません!?」
わしわしと頭を洗いながら、アンナのご機嫌はさらに悪化する。指に絡む金髪が、見た目の見事さとは裏腹に指に引っかかる。
「髪を石鹸で洗った後の中和油! 使ってないですわね、これ!」
「だってあれ面倒だし……」
「し・ん・じ・ら・れ・な・い~~~!」
きぃ、と歯噛みして、石鹸泡を流した後のカミラの金髪に、アンナはどばどばと中和油をぶっかける。これは結社の研究成果の一つで、石鹸が髪に与えるダメージを軽減するだけではなく、髪を綺麗に保つ効果もあるという優れものだ。
「馬鹿ですわね! あなた絶対に馬鹿ですわね!」
「ば、馬鹿じゃないやい!」
「いいえ馬鹿ですわ! なんで使い放題で置いてあるのに使わないんですの!? これの効果を知らないんですの!?」
「知ってるよ、これ作ったのあたしだよ!? 自慢じゃないけど結社の最高頭脳はあたしだよ!?」
「だったらもっと馬鹿じゃありませんの!」
乱暴な言葉遣いとは裏腹に、アンナの指使いは優しく丁寧に変化する。この傷んだ金髪を癒してやろうという聖母の如き愛情がそこに詰まっている。
「くぅ……駄目ですわ、傷みがひどくて一朝一夕ではどうしようも……!」
「別に良いよぉ、あたしの髪なんか誰も見てないだろ?」
「ウチが見ているんですのよ!」
その後、体の方も垢擦りをたっぷりに、マッサージ込みで洗顔も施してから、アンナはカミラを湯船に放り込んだ。
「ええい、忌々しいですわ! でも今はここまで! 夕方にもう一度お風呂に入れてまた徹底的に磨きますわよ!」
「もう一週間分くらい体を磨かれたよ……」
ぐでっと浴槽のふちに寄りかかりながら、カミラは疲れた溜息を漏らす。アンナは横で浸かりながら、耳元に垂れた髪をかき上げる。
「これくらいで何言っているんですの。お風呂から上がったら、化粧水をつけて、髪を梳いて、血行を良くするマッサージですわよ」
「うえぇ……そんなことして何の意味があるんだよぉ」
「結社の第三位、大幹部にしてメアリ様の側近として注目される立場ですのよ。カミラさんがだらしなさ過ぎる姿をさらしては、メアリ様まで舐められますわ」
「あたしは頭で勝負するタイプなんだよ」
「頭が良いなら、外見だけで侮られるのと、外見だけで威圧できるの、どちらが効果的かわかりますわね」
よくわかるので、カミラはお湯に口元まで浸かって、ぶくぶくと泡で文句を吐き出した。
「わかればよろしいですわ。それで、カミラさん、報告ですけど」
「この状態でするのかよ」
「時間がもったいないですもの。ウチだって暇じゃありませんわ」
じゃあこんな無駄なことするなよ、とはカミラも口には出さなかった。
結社で最高の頭脳と呼ばれる智者は、勝てる状況と勝てない状況を見極める利口さを持っている。
「以前に言われていた鳥、北の方で確認されましたわ」
「お、来たか。この時期に見られるとなると、やっぱり早いな。数とか、地元の人間の反応は?」
「地元では結構騒がれているようですわ。急いで薪を集めたり、炭焼きが慌てていたり」
「うん、間違いなさそうだ」
予想が的中した割に、カミラは嬉しくなさそうに顔をしかめる。
前もって話を聞いていたアンナも、心地良い湯船に浸かっていることを忘れたように嘆息した。
「冷害が来るんですのね」
「ああ。蒼氷鳥がこの時期に北で見られる年は、決まって秋の冷え込みが厳しい」
古代文明の書物によると、蒼氷鳥は上空の冷たい風の中に住んでいるらしい。
そのため、蒼氷鳥が出没するということは、上空に冷たい風が流れ込んでいる証拠であり、地上にも冷気が降って来る。
「知っていれば対策をして、早めに収穫をすることで被害も軽減できるけどね」
「メアリ様の警告がどれほど守られることか」
アンナの言葉には、懐疑的な成分がたっぷりと含まれていた。
「期待薄だね。メアリの言葉を受けて対策を取ったとして、実際に冷害が来たらメアリの手柄になる」
「対策を取らずに冷害が来たら?」
「メアリの手柄を嫌がる連中は、農民ほどには食うに困らない連中ばかりさ」
メリットとデメリットを天秤にかけて、よりメリットの大きい方、あるいはデメリットの小さい方を選択する。貴族でも商人でも農民でも、誰もが行う人生の基準だ。
ただし、神ならざる身では、天秤の上に乗せられたものが、未来を測るに十分であるかを知る術はない。
「さて、それじゃ、メアリに報告に行くか!」
カミラは勢いよく立ち上がり、温まった体で伸びをする。一種の芸術性を感じさせる曲線を、水滴が滑り落ちていく。
「お待ちなさい」
大抵の人物が見惚れる肢体を見せつける美女の手を、アンナはしっかと握る。
こちらも、湯船から立ち上がった姿はカミラに負けず劣らず美しい。
「お風呂から上がったら、肌の手入れと髪の手入れとマッサージと言ったでしょう?」
美女の一人はにっこり笑い、もう一人はうんざりと肩を落とした。
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美女大幹部二人からの報告を受けたメアリは、少し考え込む様子を見せながら頷いた。
「良く察知したわね。報告ご苦労様」
主人の労いに、カミラは軽く、アンナは恭しく応じる。
「この後の対応はわかっているわね。わたしの勢力内では備蓄と配給準備の再確認。これは園芸団で担当すること」
「はいよ、うちの食いしん坊達のことは信用してくれて良いよ」
園芸団の所属員は、農民上がりで食へのこだわりが特に強い者達が多い。栽培収穫から加工調理まで、全てを一括して研究している。
「アンナは黒蘭商会を使い、今後起こるであろう大量の口減らしに備えて、奴隷売買ルートを強化しなさい。通常売り物にならない奴隷でも……わかっているわね?」
「メアリ様の配下は、今後ますます必要になるものと心得てございます」
「よろしい」
スムーズな回答に、メアリは満足げに頷く。
事前に打ち合わせてあった通りであり、ウェールズ家にとっては先代エドワードから続く通常の備えでもある。メアリの代になって組織的な変更があったものの、根本は変わらない。
実際に動いた時に発生する無数の想定外はあれども、打ち合わせ段階での遅延はありえない。
それにも関わらず、メアリの眉間からかすかなシワが消えることはなかった。
付き合いの短いアンナとジャンヌが、そんな主人を心配そうに見つめる。
彼女達にとって、メアリとは常に泰然とした人物であり、あらゆる問題を前にしても怯むことなどないように感じられていた。
それが今、何がそれほどまでに悩ましいのか。
「……ねえ、カミラ」
慎重な眼差しで、メアリは最も信頼する存在に問うた。
「あなた――なんで今日はそんなパリッとした格好なの?」
視線の先、カミラの髪はきちんと整えられ、唇には薄い紅が引かれている。服装も、いつものオーバーサイズのワンピースではあるが、腰元をきっちり帯で締めてメリハリがついており、一種の戦闘態勢が整えられていた。
今日、だらしない大幹部にそんな武装が必要な、大きめの会議はあったかしら。メアリはジャンヌに本日の予定を確認する。
慌てて侍女ジャンヌはふるふると首を振る。
『今朝の時点で連絡のあったものは、ありません』
「そうよね。わたし間違ってないわよね」
ほっと胸を撫で下ろして、改めてメアリは眉間に眉を寄せる。珍獣を目の前にしたような表情だった。
「それで、カミラ……どうしたの? 石鹸の香りまでするし、新種のお酒の香りじゃないわよね、それ?」
らしくなさを不安そうに問われた金髪美女は、無言で隣の黒髪美女を指した。
指名されたアンナは堂々と胸を張る。
「ウチがやりました」
「ふうん?」
なんで? メアリは小首を傾げる。
「カミラさんが、あまりにだらしなくご自分の美貌を食い潰しているので、ついカッとなってやりました」
「なるほど」
大いに納得できたようで、メアリはこっくりと頷く。それから、おもむろに席を立って、カミラの顔を覗き込む。
「ほほう」
さらには、くるくるとカミラの周囲を回って三六〇度、背伸びと腰折りまで使い上下角をつけて、古い付き合いの美女をじっくりと鑑賞する。
最後に、正面からの眺めを堪能したメアリは、ほっそりした顎に指をあてながら、掘り出し物を見つけた芸術愛好家の笑みを浮かべる。
「流石ね、アンナ! これは良い仕事だわ!」
「ありがとうございます」
清々しい笑みを交わす二人に、鑑賞されたカミラは、嫌そうな顔をした。付き合いが長いだけあり、メアリの次の台詞がわかったのだ。
「この調子でぜひがんばって頂戴! カミラはいくら口で言っても身だしなみに気を使わないから、どんどん実力行使をしてやりなさい。わたしが許すわ!」
「お任せください。得意分野ですわ」
一人居心地悪そうにしているカミラに、ジャンヌも興味深そうに視線を送る。
世慣れぬジャンヌの目から見ても、今のカミラは磨きがかかって見えた。




