妖花、咲く18
新たに呼ばれたのは、妙齢の美女だった。
歩き方が貴族とは違うが、洗練されている。色気を漂わせる仕草から、娼婦の経験があることがわかった。色町で散財するルイの経験上、相当な高級娼婦だ。
「初めまして、アンナと申します。お会いできて光栄ですわ、ルイ様」
「ええ、初めまして、アンナ殿……この呼び方でよろしかったですかね?」
高級娼婦ともなれば、相手が貴族やルイのような代官クラスなのだから、単に肉体的な満足だけでは相手にされない。
ただ美しいだけではなく、教養や話術も売り物だ。新米為政者よりその土地の政治に詳しい、などという名人もいる。
それを踏まえて、バロミ男爵がこのような場に呼んだ美女が、小都市の代官の身分で対等な呼び方で良いかどうか、ルイは疑う。
その対応に、バロミ男爵もアンナも、褒めるように笑みを深めた。
「もちろん、構いませんわ。ウチは黒蘭商会の会頭を務めております」
「ああ、〝あの〟」
バロミ男爵からの紹介を受けて、ルイは自都市にウェールズ領の商人を前々から受け入れてきた。ルイの最も大きな収入源である。
最近、その商人達の所属が変わったのだ。
一体どうしたんだい、とルイがたずねたら、トップが変わったから、と商人達は口をそろえて応えた。それ以上は詳しく語らなかった。秘密結社の下っ端である彼等は、それ以上を語れないのだ。
その商人達のトップが、目の前の美女だと言うわけだ。つまり、恐ろしい秘密結社の大幹部ということになる。
ルイは、美しい女性に対して頭を下げることに抵抗がない男性であることを、態度で示した。
「最近よくお世話になっていますな、いつもありがとうございます。それと、ご挨拶が遅れましたが、新商会の立ち上げ、お祝い申し上げます」
「こちらこそ、ルイ様には色々と便宜をはかって頂いていますもの。ウチの方こそ感謝をしないといけませんわ」
「いやぁ、お宅様の商人の方々が優秀ですからね。こちらとしても良い物が多く欲しいので、どんどん来てもらおうとしているだけですよ」
黒蘭商会に変わる前から、ルイはバロミ男爵が紹介した商人達の関税を実質的に徴収していない。一度は徴収しても、彼等の商品を買う時に徴収分を上乗せして支払うことにしている。
都市に入る税金は減るが、商人達が贈答品をくれたり、ルイ個人の買い物には値引きをしてくれたりするので、ルイにとっての損はない。
それに、ルイの都市から他に流す際に関税分の値を乗せて出すので、赤字にはならない。都市内に良い物が安く出回るおかげで、経済の流れが良くなっているくらいだ。
不安があるとすれば、外部から輸入するだけなので都市内の技術水準が低いままであることだが、リーシル子爵家自体が経済難状態では、そこは支えようがなかった。
そうしたルイ側の事情を、アンナは了解していることを伝える。
「嬉しいお言葉ですわ。ルイ様のような物の分かるお方に、そのように評価されているならば、ここを担当する商人達を褒めてやらないといけませんね」
「ええ、どんどん褒めてやってください。そうすれば、あたしのところにもまた贈答品が届くでしょうから」
「ふふ、よく言っておきますわ。ウチからも、良い物があったらお贈りしましょう。レイア宛でよろしいかしら?」
自分のお気に入りの高級娼婦の名前を出されて、ルイも流石に笑顔が引きつった。そこまで把握されているとは思わなかったのだ。
実力を匂わせてから、アンナは自分が敵ではないことも伝える。
「ルイ様は、色町で気持ちよくお金を使われているとお聞きしてしますわ。娼館の子達には、お使いの子にまでお優しいと」
「楽しむために遊びに行ってますから、それはそうですよ。遊びで怒鳴り散らすような趣味はありませんよ」
「ええ、ええ。ウチも、そういう旦那様が一等好きでありんす」
眼を細めた笑みで放たれる甘ったるい声は、商会の会頭ではなく、高級娼婦としての言葉だった。
会頭が娼婦であったのは一瞬、すぐに油断のならない笑みが帰ってくる。
「そんな格好のいい旦那様のおかげで、あそこの娼館ではたくさんの子を食べさせてあげられています。リーシル子爵領の他の都市では、もっとひどい有様ですわ」
「アンナ殿のような美女に褒められるのは、男として嬉しいことこの上ないが……後半の話、本当ですか?」
「残念ですけれど」
結社の保有する商会のほぼ全てを統括して、財源の強化と情報網の統一をはかった大幹部は、ルイのしかめた顔に真面目な顔で相槌を打つ。
「ああ、まあ、軒並み家臣の金がなくなっているから……そのせいか」
「ルイ様の代官地くらいですわ。リーシル子爵領で不景気に落ちていないのは」
「懐に入って来た賄賂を使いこんでるだけなんですけどねぇ」
「それはそれは、善良な悪人でいらっしゃいますわね」
アンナはくすくすと笑った。
その懐に入った賄賂が正規ルートの税金として計上されていれば、神等教の寄付金として奪われていくことを知っている者の笑いだった。
もちろん、ルイ自身が楽しいから色町で散財しているわけだが、社会的弱者が集まりやすい色町への投資は、公共の福祉への投資でもある。
農村で食うに困った者が、女ならば娼婦として、男ならば用心棒や客引きとして、糊口をしのぐ仕事を提供できるからだ。
その色町に金が回らないと、餓死するくらいならば……という人間が続出する。
「しかし、他の都市がそこまで危ないという話は聞いていないのですが……?」
「そういった地点では、神等教の活動が活発になるようですわ」
その返事が意味するところを、ルイは一瞬で悟った。
俸給が寄付金に回されたせいで、本来気前よく金を落とすはずの中流以上の家臣団が色町に金を落とさない。そのせいで困窮した色町の連中を、神等教が寄付金で食わせている。
なるほど、現段階で、表面的には問題がないように見えているわけだ。
神等教の勢力が、リーシル領内で急速に強くなったのも納得だ。
岩が坂道を転がっていくように、あの連中は自分達の勢いが増していく構造を作っている。
「こいつはひどい。盗んだ麦で作ったパンを施すようなもんじゃないですか」
「ええ、ルイ様が善良な悪人であるなら、神等教の神官達は悪辣な善人というところでしょうか」
アンナは美しい微笑みを浮かべていたが、冷ややかな毒が言葉に忍ばされていた。
「しかも、神等教は奴隷制に反対をしていますわ。おかげで、我が黒蘭商会もリーシル領での奴隷買い取りを禁止されてしまいました。食うに困った貧者が、自分や子供を売ることさえ禁じてしまえばどうなるか、リーシル子爵はご存じないようですわね」
「あぁ、兄はそうでしょうな。あたしもその辺は詳しくなりたいと思いませんがね。まあ、それも宗教が儲かりそうな話で」
経済的に行き詰った貧しい家で、突然の病死や行方不明者が発生するのは珍しくない。こうした突然の不在は、一般的に間引きなどと呼ばれている。
他の派生としては、一家心中などもある。無論、色町の方へ流れていく者も多いが、この場合そこも困窮していることに変わりない。
いずれにせよ、自分の重荷を神が預かってくれるなら、喜んでひざまずくような人間が量産される。
「ふうん……神等教、思った以上にきな臭い連中ですな。実際のところ、連中が何者か、そちらでは掴んでいらっしゃったりしません?」
「少しばかりですが……あの宗教、元は隣国で流行っていたものだそうですわ」
「隣国? 東部の方の?」
「ええ、商会の一部で以前に取引があった、という記録が残っていましたわ」
アンナの微妙な言い回しに、ルイは頭を抱えた。
つまり、アンナはこう言ったのだ。神等教は、長らく王国東部の国境を巡って戦争中の隣国と、王国西部の闇である秘密結社の一部が関わっていた、と。
表現の具合からすると、反メアリ派だった結社の連中だろう。ますます真っ当な連中の気がしない。
ルイのメアリ派の印象は、バロミ男爵を通して得たもので、それは非常に真っ当なものだ。
すなわち、怒らせるとおっかないが、話が通じない相手ではない。
バロミ男爵でそれなのだから、メアリに粛清された連中とルイが仲良くできたかというと、難しかっただろう。
結論として、ルイは先程より切迫した思いをこめて、メアリ派の二人に頭を下げた。
「ほんっとにがんばりますんで、何卒ご配慮のほどをよろしくお願いいたします」
「ルイ殿のそういうところ、私は非常に評価していますよ」
危険な状況を認識して、下げるところに頭を下げる。そういう能力があるところを、バロミ男爵は味方にしたいと思っていた。




