妖花、咲く17
そもそも、ルイからしてみれば、メアリ派だのダドリー派だのフィッツロイ派だの、まったく関係のない話だった。
彼はリーシル家の人間だし、現リーシル子爵の弟であることに間違いはない。
だが、弟である以上、子爵家の主権は兄にあり、弟のルイは代官として小さな都市一つを任されているに過ぎない。その都市とて、取り立てて何かがあるわけではない。
名産品があるわけでもなければ、大悪党がいるわけでもない。農村で食うに困った二男三男が流れ着くスラムがあり、比較的小奇麗な一角があり、安定した生活者と不安定な生活者が衝突をする。
都市で一番の悪党といえば、恐らくルイ自身のことだろう。代官の常識的な役得として、様々な賄賂が手に入るからだ。
商会の関税逃れを見逃す代わりに袋を一つ、職人同士の諍いを見逃す代わりに袋を一つ、有力者の息子のバカ騒ぎを見逃す代わりに袋を一つ。溜まった袋を両手に抱えて、都市の色町で大盤振る舞い。
それが彼の住む世界で、守るべき生活だ。
次期辺境伯が誰になろうと、どこの神様が説法を垂れようと、今の生活が明日も明後日も続くならば万々歳である。
そのルイの生活というのは、ウェールズ領からの流通なくして成り立たないのであり、それについて「やむを得ない」という兄とは見解が異なる。
であるからこそ、自身の仰ぐ神にひざまずいて周囲を見ていない兄とは別口で、メアリ・ウェールズに渡りをつけなければならなかった。
「そういう事情でして、あたしとしては何もメアリ様に刃向おうなんてつもりはさらさらないんですよ。なんとかそれを、そちら様にわかって頂けないかと思う次第でして……」
この通りです、とルイは深々と頭を下げた。
それこそ、応接室に相応しい艶の良いテーブルに額をつかんばかりの深さである。ルイが、テーブルにごつりと音を鳴らさなかったのは、流石にわざとらしすぎて反感を買いそうだからに過ぎない。
誠心誠意のルイの訴えを受けたのは、リーシル子爵の隣領、バロミ男爵領の領主である。
齢六十を超す老領主は、自分が治める都市からほとんど単身でやって来たルイの行動に対し、好意的な評価を笑顔で伝える。
「ルイ殿のお気持ちは確かに、理解しましたよ。ずいぶんとご苦労をなさいますな」
「はは、立場に応じた良い目はそれなりに見ていますんで、その支払いと思えば、このくらいはまあ、必要経費かなと」
「結構な心構えです。まあ、お一つどうぞ」
そう言ってバロミ男爵は焼き菓子とお茶を勧める。
ありがたくルイがクッキーを口にすると、驚くほど甘い。リーシル領では口にできない甘さだ。
「ううん、やっぱりバロミ家のお菓子は美味しい。これは蜂蜜の甘さですかね? 養蜂が順調なようでうらやましい限りですよ」
「ええ、先代の頃から、ウェールズ家に色々とご支援を頂いた結果です。まったくありがたいことですよ」
バロミ男爵は、笑みでシワを深めながら、ウェールズ領の方角へ顔を向ける。
今のやり取りで、老領主が「先代」エドワードだけでなく、「今代」メアリにも信頼を置いていることをルイは知った。
「あたしはメアリ様とお会いしたことがないのですが、それほどの人物ですか」
「この老骨にとってはこの上なく。なにしろ、そうあるべし、という我々の理念の下に造り育てられた御方ですから」
老人が彼方の少女に向ける笑みは、孫を見守る祖父のようであり、実験結果の誤謬を認めぬ狂人のようであった。
ルイは、この温顔の男爵が、秘密結社・混沌花の幹部であることを知っている。しかも、メアリ・ウェールズに忠誠を誓って、先の粛清を濡れずに過ごしている。
だからこそ、ルイはこの人物を頼りにしに来たのだ。
「ルイ殿も、メアリ様にお会いすればわかるでしょう」
「あたしなんかがお会いできますかねぇ」
「ええ、ええ。ルイ殿ならば問題ありませんよ」
バロミ男爵からしてみれば、こういう時のために、何くれとなく贈り物をし、催し物に招待し、ささやかな悩みを解決してやって来たのだ。
立場の弱さゆえに扱いやすかったから、ということから始まった付き合いだが、老男爵はルイの持つバランス感覚を評価している。
妙な宗教との距離の置き方といい、敵対派閥であるバロミ家との接し方といい、味方に引き込んで育てれば使えそうだ。だから、必要最低限よりも親切をするにやぶさかではない。
ただし、とバロミ男爵はタダではないことを付け加えた。
「その前に一つ、やってもらうことがありますがね」
「まあ、当然でしょうね」
ルイがメアリ派につく。そのことを行動で示さなければ、メアリも動かない。
当然のことだと、ルイは承知する。やるのは苦労するだろうなという予感を、顔に張りつけてはいたが。
「じゃあ、兄にかけあって、なんとか調査を受け入れるようにしましょう。あたしの都市の調査だけなら、なんとかできるように思いますんで」
「それがよろしいでしょう」
正解をすらすらと導き出したルイに、老男爵は、やはり使えそうだと笑みを深めた。
そのため、いざという時の逃げ道を用意することにした。
「何かあったら、我が領へおいでなさい。ルイ殿であれば歓迎しますよ」
「それはありがたい。いや、本当にありがたい。思ったより、兄が宗教に入れ込んでいたもんで、ちょっと不安があるんですよ」
ほう、とバロミ男爵はヒゲを撫でる。
「神等教はそこまで勢いがありますか」
「あたしもちょっと驚きましてね。まあ、兄が特別入れ込んでいるって可能性もあるんですが、ちょっと他の地域でどうなっているかも調べた方が良いかもしれませんよ、あれは」
「ふむ……」
バロミ男爵はわずかに考えこみ、少し早いが、ルイを一つ懐に入れることを決めた。
「ルイ殿、この場にもう一人混ぜてもよろしいですかな? 丁度、情報通の方とこの後に会う予定があったのですよ」
「よろしいので? ええ、もちろん、もちろんですよ」
一瞬、ルイは自分が退出すべきかと考えたが、わざわざ「混ぜる」と言ったことを考える。
神等教についての話なら、自分も聞いておきたい。バロミ領より、リーシル領の方が連中は元気なのだ。
「バロミ男爵がそうすべきと思ったのなら、あたしは異論なんてありませんよ」




