妖花、咲く15
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大変申し訳ございませんでした。
メアリ・ウェールズは、貴族としての資質に欠ける人物である。
事実、メアリは父エドワードの葬儀を他人任せにし、その間に領内で人を殺し回るという常軌を逸した振る舞いを行った。
また、多くいたはずのメアリの兄弟姉妹が今や誰一人いないのは、どう考えてもおかしい。エドワードにしても、死ぬには若すぎる。
これらについて、メアリ・ウェールズから納得のいく説明がない限り、我々はメアリ・ウェールズのウェールズ辺境伯就任を決して認めない。
――リッチモンド家を中心とした、反メアリ連合の主張であった。
アンナが持って来た報告を聞き終えて、メアリはソーセージに歯を入れる。
パリッという心地良い音が響き、香ばしい肉汁が口内にあふれる。粗めの肉を噛み締めると、肉の旨味の後をハーブの風味が流れていく。
最後に、軽く冷やされたスタウトをあおると、苦味と酸味がソーセージの濃い味を一気に押し流す。鼻腔に返ってくるのは、酒精を含んだ麦の甘い香り。
ビールの余韻が完全に消える前、かすかに惜しいという気持ちを覚えつつ、付け合せのポテトのフライを細い指がつまんで、口に放り込む。揚げたての表面の歯応えの奥、ホクホクとしたジャガイモの食感と共に、振りかけられた塩の味とジャガイモ本来の甘さが口内を楽しませる。
「うん、とっても美味しいわ」
メアリお嬢様、ご機嫌のランチタイムである。
植物を大きく成長させたパラソルを庭にでっち上げ、お気に入りの侍女をはべらせて新作料理の味見。
「これぞ貴族の嗜みね」
もう一つソーセージを食べて、ビールのグラスを空にしながら、料理研究者カミラを褒める。
「よくやったわ、カミラ。これからも励みなさい」
「へーい、どもども、恐れ入り。予算よろー」
メアリの隣で、主人同様に椅子に座って酒食を楽しみまくるカミラに、真面目に報告に来たアンナは眉を潜める。
「カミラさん、メアリ様とお付き合いが深いのはわかりますけれど、もう少し相応しい態度があるのではなくて?」
「うん? 相応しい態度は、そりゃあるだろうけど……」
カミラが相応しい態度を捧げるべき相手に視線を投げる。メアリは、お気に入りの侍女ジャンヌが注ぐビールの方を気にして応える。
「カミラは研究者だもの。研究結果を出しているなら、礼儀くらい良いわ」
「メアリ様がそうおっしゃるなら……」
納得はしかねる、と顔にはっきり出しながら、アンナは引き下がる。
そんなアンナにも、椅子が用意される。地面から生えた植物が絡み合って、足を伸ばせるくつろぎ用の椅子が作られる。
「アンナもこっちに来なさいな。お昼はまだでしょう?」
「はい、ありがとうございます。ですが、本当にウチなんかがよろしいのでしょうか?」
「良いのよ。各地の情報収集、ご苦労だったわ」
まったく興味がない様子で聞いていた反メアリ派の情報だが、きちんと受け取ってはくれていたらしい。
アンナは少しほっとする。
「新しくまとめさせた商会の舵取りも順調だと聞いているわ。その褒美と思いなさい。もちろん、これだけで済ませるつもりもないわ」
メアリの悪戯っぽい笑みは、くつろいだ姿でも上位者としての風格がたっぷりとあった。
ごてごてと装飾をつけ、周囲に鎧を着こんだ兵を並べなくとも、勝てないと悟らせるだけの格の違いを、少女はその身一つで持っていた。
アンナは、主人の威風に素直に敬服した。
「いえ、結社の大幹部に取り上げて頂いて、大きなお仕事まで任せて下さったのですから、褒美なんてウチには」
「あなたが良くても、私が良くないのよ。とある連中の評価によると、私は貴族としての資質に欠けているらしいけれど、能力と実績に応じた褒賞を振る舞うくらいの資質はあってよ?」
そこまで言われれば、アンナに断る意思もない。
「では、ありがたく頂戴します。ただ、ウチとしては、メアリ様に対してすでに命を捧げるだけの大恩があると、それだけはご理解頂きたく」
「ええ、確かに聞いたわ。その時が来たら、遠慮なくあなたの命を使い潰してあげるから、安心して仕えなさい」
メアリの美しい笑みには、明確な毒が含まれている。迂闊に触れれば、即座に命を奪うような猛毒が。
「はい、メアリ様。全てお任せいたしますわ」
そんな妖しい主人に、アンナは喜んで寄り添う。これ以上の大樹はない、そう信じている者の態度であった。
椅子に座りこんだアンナにも、ジャンヌはビールを注ぐ。
カミラだけは手酌である。ペースが速すぎて、お酌をされる方が迷惑であることは、誰の眼にも明らかだ。
「ありがとう、ジャンヌさん」
『いえ。ごゆっくりどうぞ、アンナ様』
ジャンヌが軽く腰を落として頭を下げる。手元の酒を揺らして味を壊さぬよう、気を配りつつも十分に上品な所作だ。
ジャンヌが追及して覚えた侍女っぽいムーブの一つである。
メアリはすかさず、ジャンヌの動きの採点をした。
「ジャンヌ、こちらへ来なさい」
『はい、メアリ様』
ちょっとドキドキしながら、それでも侍女っぽく静かに移動したジャンヌの口に、ソーセージが差し出される。
「はい、あーん」
パっと赤い血がぶちまけられたように、ジャンヌの顔が色づいた。
ジャンヌの侍女っぽいムーブに、メアリが満足したというご褒美である。
『あ、あーん』
喜びにちょっとまごついてから、ジャンヌが眼を閉じて口を開くと、メアリが優しくソーセージを頬張らせる。
それをそばで見ていた二人は、目線で会話を交わす。
「侍女らしい動きへのご褒美が、全然侍女らしくない動きに繋がっていると思うよな?」
「まぁ、その家独特の家風というものもありますし……。今のジャンヌさんが侍女らしいとはウチも思いませんけど……」
もぐもぐとソーセージを食べ進める侍女ジャンヌとその主人の様子は、どう見ても可愛い小動物とその飼い主である。
でも、メアリがとても楽しそうなので、それで良いかというのが、周囲の結論だった。
****
「さて、カミラ……」
しばらく、大ボスと幹部と侍女で楽しいランチをこなした後、話題は真面目な方向へと舵を切られた。
「確かに美味しかったけど、これだけだと流石にちょっと飽きるわね。さっぱりした野菜とか必要じゃない? 味的にはもちろん、栄養的にも」
「まあね。でも、それはその地方それぞれに酢漬けなり塩漬けなりあるんだし、わざわざこっちで手を出すのもなんだなと思ったんだ」
「ああ、なるほど。ちゃんとその辺も考えてあったのね」
なら良いわ、とメアリは満足げに頷く。
頷けないのは、話の流れがわからないアンナだけである。
「今の食事がどうかしたんですの、メアリ様」
「ええ、大事な試食だったのよ。アンナとしてはどうだったかしら、今の料理の味は?」
「十分以上に満足の行くものでしたわ。お腹にも溜まって味も良い。とても楽しい食事でしたわ」
その高い評価に、メアリも満足そうだ。
研究責任者のカミラはずっと赤ら顔でご機嫌なので、よくわからない。
「なら良かった。今後、この料理の材料になった作物と家畜を、私の支配地に広めていくから、たくさん食べられるようになるわよ。主には、ジャガイモと豚のことね」
「豚はわかりますけれど、ジャガイモですか」
「ええ、馴染みがないでしょう? イモ類は野生種がそれなりにあるのだけれど、毒があるから食べる習慣は珍しいのよ」
もったいないわよね、とメアリは残っていたジャガイモのフライをもう一つ頬張る。
「このジャガイモは、カミラが品種改良をして、生産性を上げて毒性を減らしたものよ」
「完全に無毒化したわけじゃないから、そこは注意な。収穫時期の可食部位に毒がない、っていうものなんだよ」
完全じゃない、と言いたいのだろうが、アンナからしてみれば十分にすごい成果だ。
「ウチはこういう農業に詳しくないので、それについては感心するしかできないのですけれど……これをメアリ様の勢力圏に広げるというのは? 一体どのような目的ですの?」
「このジャガイモ、すごい量が獲れるの」
「おまけに痩せた土地でも寒い土地でも平気で育つんだよ! 種イモを残しておけば、それを植えるだけで次の収穫もできるし!」
それは、とアンナは皿に残ったジャガイモを、改めて見つめる。見栄えのいい形とは言えない揚げたイモが、先程とは全く別物に見えた。
「それは、すごいですわ。豆のスープだけで飢えをしのいでいる地方も多いんですもの。これがたくさん獲れるなら、どれだけの人が助かることか……」
奴隷として売られ、娼婦として過ごしたアンナには、この作物があれば助かったかもしれない顔がいくらでも浮かぶ。
「しかもな、このジャガイモ、豚も食べるんだよ」
「本当!?」
豚というのは、雑食であるため、貴族から低所得層まで、多くの者達が好んで育てる生き物だ。作物が取れなくなる冬場に向けて、人間が食べない残飯やくず野菜などを与えて、豚という形で保存しておくのだ。
だが、低所得層の残り物だけでは、豚も栄養が足りない。野山に入って木の実などを拾って食べさせる者もいるが、そうすると魔物に遭遇する心配もしなければならない。本格的な畜産を営む者か、よほど裕福な者でなければ、そこまですることは珍しい。
結果、豚は保存食として役目を果たすものの、十分な量にはなりづらい。だが、収穫量が多いというジャガイモが現れれば、事情が変わる。
「それで、今日の試食なんですのね。ジャガイモと豚のセットで、美味しい食べ合わせの食事まで考えたから、その味見でしたのね」
ジャガイモが広まれば、豚も増やせる。この二つは同じ車の両輪なのだ。
「アンナは、綺麗な顔してるけど、割とこの辺の話が早いな」
「ウチだって、生まれた頃から娼婦だったわけではありませんわ」
カミラの感想に、アンナは不本意そうに唇を尖らせる。
「ともあれ、お話はわかりましたわ。今後どのように広めていく予定ですの?」
「ウェールズ領と近隣友好領には、すでにいくらか広まっているわ。うちには父が実験用に援助している農村がいくつかあるし、結社所属の領主はこういった実験に理解があるから」
となると、主に敵対的な他領に対してになる。
「実験が終わったから、領内にも本格的に広めるけれど、近隣の敵対領にこれを持って行くわ。これだけではなく、父がこれまで進めてきた農業研究、食料加工研究の成果もね」
なるほど、とアンナは微笑む。アンナの察しの良さを喜び、メアリもまた似た笑みを浮かべる。毒餌を食べた害獣を見るような笑みだった。
「私は貴族としての資質が欠けているそうだから、きっと失敗するわね。なにせ、私より貴族としての資質に優れた人達の治める領地だもの。この程度の技術を見せつけただけでは、領民は誰一人感動しないに違いないわ」
「ええ、誠に残念ですけれども。それでも、せっかくのカミラさんの研究成果ですもの、一度は試してみましょう。例えそれがダメ元でも」
くすくすと笑う二人に、結構な手間暇をかけた研究責任者は、ひでえ言われようじゃないの、と肩をすくめた。
彼女もまた、楽しそうだった。




