妖花、咲く13.5
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大変申し訳ございませんでした。
エドワード・ウェールズという人物の死は、王国にとって今後五十年を左右する重大な出来事である。
それは、ウェールズ辺境伯領の領主の死であり、王国西部に広範な権威を持つ西部統制官の死でもあり――そして、王国西部に暗躍してきた影の組織、その大幹部の死でさえもあった。
その影響力の甚大さは、葬儀の日程を聞いた王国西部の諸侯が、他の何を置いても葬儀に駆けつけた様子から伺える。
エドワードの死から二ヶ月、葬儀日程の告知から二週間。
その短い猶予期間には、あまり多数の人間を集めたくない諸侯と、可能な限り参加したい諸侯の力関係を考慮した結果が見える。
つまり、この日に辺境伯家の邸宅にいる諸侯とその代理人達は、王国西部に無視しえない権益を持っており、王国西部に無視しえない影響力を持っていると言える。
これだけの人物が集う葬儀が、額面通りに死者を悼む場であるはずもない。
エドワード・ウェールズの葬儀とは、いかに自分の影響力をウェールズ辺境伯家に刻むかという、権力闘争の場となり果てた。
「ウェールズ辺境伯家は、王国西部の要である」
集まった誰もが頷かざるを得ない言葉でもって、重苦しい場の空気に斬りこんだのは、フィッツロイ・ウェールズであった。
すらりとした長身で目を引く三十代半ばの男で、故ウェールズ辺境伯の従兄弟に当たる人物である。王都での交渉事を担当しているだけあり、聞き心地のいい声を鳴らす。
「それゆえ、ウェールズ家の当主の座は、それに相応しい能力を持っていなければならない」
「至極もっともな意見だ」
放っておくと独壇場になりかねないフィッツロイを止めたのは、二十代後半の男だ。やや小柄ながら、シャツから覗く首の太さが目を引く、ダドリー・リッチモンドである。
「ウェールズ辺境伯領は魔物の発生も多く、領民の生活も過酷な土地柄。この地を治めるに足る能力は、知勇両面から考えねばなるまい」
「全くもってその通り」
ダドリー、フィッツロイ、両者共に大きく首を縦に振って見せる。表面だけ見れば、お互いの意見をお互いに認め合っているのだが、その内面は全く異なる。
フィッツロイは、自分ならばウェールズ辺境伯に相応しいだけの能力があるだろうと声をあげた。
それに対しダドリーは、お前は相応しくないと言ってのけたのだ。王都に常駐している分家筋の人間には、地方の現状も知らなければ、十分な武力もあるまい、と。
もちろんその裏では、自分ならばどちらも兼ねている、と鋭い目つきで訴えている。
辺境伯の椅子を狙う敵に、フィッツロイは睨み返して不適格を言い返す。
「それに、ウェールズ辺境伯の任は非常に重い。それに専心しなければ、とても耐えられますまい。リッチモンド伯爵?」
伯爵家当主との兼務はできまいと、フィッツロイは指摘する。
「確かに。しかし、それもやり方次第ではあろうな」
別にダドリー自身が当主になる必要はない。彼の一族の誰かを頭に据える方法もある。
フィッツロイもその程度は思いつくが、認める気はない。
「そのような生易しい土地ではないと、伯爵ならば知っておられるのではないかな」
視線の刃が、両者の間で幾度もぶつかり合う。それは、二人を支援するその他の参加者も同様だ。
現在、次期辺境伯を巡る論争は、この二人が中心となっていた。
すなわち、初代ウェールズ辺境伯の血筋であり、王都を中心に地盤を持つ分家筋のフィッツロイ・ウェールズの派閥。
それに対抗する、故辺境伯エドワードの妻アンの生家、王国西部有数のリッチモンド伯爵家の当主であるダドリー・リッチモンドの派閥。
どちらを次期辺境伯に盛り立て、その余禄にあずかるか。それが故人を偲ぶために設けられた、サロンでの焦点であった。
ただし、それは今この時のサロンで、音として吐き出された論争に限った話である。この場には、睨み合って言葉を交わしている者達よりは少ないが、沈黙する者達がいた。
彼等は待っていた。
黙って、待っていた。
彼等が支持すべき、次期辺境伯の登場を。
「遅くなりました」
そして、来た。
次期辺境伯候補の中で、最も若い――否、この場で最も若いにも関わらず、平気で遅参し、なお詫びの一つもない。
ただ、遅れたという事実報告のみで、その少女メアリ・ウェールズは微笑む。
そして、彼女は当然の権利として、それを行使する。サロンの最も上座の空席、ウェールズ辺境伯の席へと、その細身を据えたのだ。
ざわりと、険悪な音色が響く。次の叱声罵声のために、息を呑む音だ。
しかし、出て来ない。
「あら、何か、異論でもありましたか?」
メアリ・ウェールズが辺境伯を継ぐ。
それに文句があるのかと、少女は微笑む。
メアリの穏やかな問いかけに、誰も怒鳴り声を返さない。フィッツロイも、ダドリーも、飛びだしそうになった言葉をぐっと腹に呑みこむ。
何故なら、そもそもこのサロンは、故ウェールズ辺境伯エドワード・ウェールズの遺言通り、娘メアリ・ウェールズに次期辺境伯の継承を認める場なのだ。
血筋で最も妥当なメアリ・ウェールズが、故ウェールズ辺境伯の遺言通りに、辺境伯を継ぐ。
そこには何の問題もない。少なくとも、真っ向から反対できるほどの瑕疵がない。
貴族社会では最も妥当な継承の形であり、おかしなことに穏当に進まない手順である。
「それについてだが、メアリ」
「はい、フィッツロイ殿」
呼び捨てにしてきた相手に、メアリの応えは丁寧だった。それでいて、年長者に対してへりくだったわけでもないことは、変わらぬ微笑みが示している。
気にするほどの相手ではない。
メアリからしてみれば、フィッツロイはその程度の存在だと思われている。周囲の誰もがそれに気づいた。
次期辺境伯候補、そう呼ばれて間違いないはずの男が、自分の年齢の半分も行かない小娘に、格下扱いされているのだ。
フィッツロイの顔が紅潮して、その口元が制御できない感情にひくつく。
「いささか、形ばかりだが、ウェールズ辺境伯の継承について、確認が必要だと思うのだが?」
「ええ、構いません。そのための場ですもの」
なんなりとどうぞ。格上の余裕で促され、フィッツロイはさらに怒りを覚える。
しかし、表面上は逆に落ち着いた。
フィッツロイは、今ようやく、メアリを敵として認識したのだ。敵と言葉で戦うのは、王都で折衝を担当する彼の本領だ。
「それでは、まずはあなたの年齢について。女性に対して失礼ではありますが、あなたの年齢は確か……」
「ええ、今年で十五歳になります」
マナーとして、男からははっきり口に出しづらいことを、メアリは気軽に応える。
「ありがとう。とすると、領主としてはいささか若すぎる年、そう周囲に言われてもおかしくはない」
「そうですか」
メアリの応えは、それだけだった。
そうですね、などと肯定しない。
そんなことはない、などと否定もしない。
そんな名もない周囲の声など、何も関係ない。そういう態度であった。
「ん……ああ、そこで、うむ。そこで、そうした周囲の懸念を払しょくするため、後見人を置くというのはどうだろうか。それが、私からの提案だ」
予想と異なるメアリの態度に、フィッツロイの言葉もつかえたものになった。
発言に少なからず力が必要だったフィッツロイに対し、一方のメアリはさらりとしたものだ。
「フィッツロイ殿は、私が若すぎるとお思いですか」
「いえ、私がどうこうではなく、周囲の話をしているのであって」
「フィッツロイ殿がどう考えているのか、お聞きしています」
新緑色のメアリの眼が、同じ血筋の男を見つめる。相手を敵と見ているフィッツロイとは異なり、相も変わらず、メアリは気にしなくても良い相手を眺めている。
その視線のせいか。
「……いえ、そのようなことは、決して」
フィッツロイは、真っ向からメアリの継承に不信を唱えることを避けた。
不本意なことに、この時、フィッツロイは相手を格上だと認めてしまったのだ。
「あくまで、周囲の反応を慮っただけのこと。不要な騒動が起きないようにと思っての発言だ」
「でしたら、問題ないでしょう。フィッツロイ殿が、そしてこの場の方々が私の継承に賛同しているのなら、不要な騒動などおきないでしょう」
起こすとしたら、どこの誰が起こすのか。それを知っている者の発言だ。
メアリは、着席したフィッツロイから、視線を移す。
次に見たのはダドリーだ。当然である。彼女は誰が問題を起こすか知っている。
「他にも、何か確認したい方はいますか」
「では、俺から、メアリ」
リッチモンド伯爵の身分を持つダドリーは、フィッツロイとのやり取りを踏まえて、それでもなお、少女を格下として呼んだ。
言い分は立つ呼び方だった。ダドリーは現伯爵であり、メアリは今日この時を超えなければ、辺境伯にならないのだから。
さらに、ダドリーは別な言い分も用意していた。
「キャサリン姉上から聞いている。お前は、義兄上の葬儀の取りまとめを全て姉上に、自分の母に任せたそうだな」
困った奴だと、ダドリーは叔父の顔で、姪を叱る。叱られた形の姪は、大人しく頷いた。
「忙しかったものですから」
「だがな、メアリ。父母を敬うのは人の道、死者を弔うのは生者の務めだ。貴族とは多くの人の上に立ち、多くの生者を束ねる者。父の葬儀をないがしろにして、貴族は務まらぬ」
「まあ、務まりませんか?」
メアリは驚いた、顔をした。年頃の令嬢が、友人と談笑する際にふざけるような顔だった。
「それは大変です。では、明日からもっと、父の供養に励みます」
もっと。
メアリは、もっと、と言った。
それは、すでに自分は父の死を弔っているという宣言だ。お前の指摘など的外れも良いところだという、からかいだ。
驚いた顔をしてみせたのは、ダドリーもまた、フィッツロイ同様に相手にならない格下として扱っていることを示す。
それに、ダドリーは姪を見るにはきつくなりすぎた視線で尋ねる。
「もっと、というと、どんなことをするつもりだ」
「まあ、嫌ですわ。私がお母様に葬儀の支度を任せている間、遊んでいたわけではないと、知っているでしょう?」
その言葉の先に立っているのは、三百人の死者を積み上げた少女だ。
父の葬儀を放り出して領内を駆け回り、領民の敵を、時に領民ごと屠りさった娘。
血染めのメアリは、穏やかに微笑む。
「父はウェールズ辺境伯でした。その父が人生を賭けていたものは領地の安定、王国の安寧」
それこそが貴族の義務。多くの人の上に立ち、多くの生者を束ねる貴族という職。
少なくとも、建前上はそうである。それを小声で誤魔化す貴族はいても、大声で否定する者は貴族ではいられない。周囲の者が、喜んでその座から引きずり下ろすからだ。
「で、あるからこそ、辺境伯の遺志を継ぎ、私は領内の治安維持のために駆け回りました。亡き辺境伯がそれ以外の何かを望むと、まさかどなたか、お考えではないでしょう?」
民の税で暮らしているからこそ、民のためなら身を砕き、心を裂いて使い尽くす。
民の税でできている体なのだから、その死体すら最後の一片まで使い潰す。
そうあるべき貴族の娘が、一月も二月もかけて父の葬儀の支度をする?
まさか。そんなまさか。
喜んでその死を利用すべきだ。
ウェールズ辺境伯の死を見て、これ幸いと軽率な動きを見せた輩を、これぞ好機と狩りつくして当然だ。
人の道? それは民が歩めばよい。
生者の務め? まさか貴族が真っ当な生き物だと思うのか。
人の上に立つなど、人の分を超えた所業だ。ただ人に務まるわけがない。
事実として、ウェールズ辺境伯の肩書き欲しさに、それぞれがそれぞれに血縁と呼んで差支えない十五歳の娘を、どうにか引きずりおろそうとするこの場の人間が、ただの人だと言えるのか。
ましてや、三百の屍を作り上げた少女を、誰が常人と捉えよう。
「私なりに辺境伯の死に臨み、辺境伯の心残りを片付けたつもりになっていましたが、それでもなお亡き辺境伯のお心に届かないとなれば、これよりさらに領地に尽くす所存です」
すでに三百は屠った。
これはエドワードの死後、メアリ・ウェールズがこの領地のために為した実績である。
必要なら六百でも、六千でも、この上に重ねられる。
対して、フィッツロイ・ウェールズはどうか。ダドリー・リッチモンドはどうか。
ここで、エドワード・ウェールズの死を悼み、弔っていただけだという。
だからこそ、血染めのメアリは微笑む。
相手にならない。
すでに、彼女はウェールズ辺境伯として振る舞い、実績を積んだ。
本来、領政の機能が麻痺するはずの領主の死を、一切の遅延なく、問題解決として乗りこなしたのだ。
ウェールズ辺境伯領内の武官文官、そして周辺の有力者は、十五の小娘に対して、すでに信頼を抱いている。
信頼以上の、畏怖も。
血筋として順当、遺言からして正統、実績は妥当以上。
そうであるならば、辺境に馴染みのないフィッツロイ、辺境伯家にとって余所者のダドリーを擁護する必要はない。
サロンに集まった参加者のうち半数が、メアリ・ウェールズ支持を明らかにする。メアリの継承に何ら問題がない、という結論に流れていく。
もちろん、表向きだ。
たった一度の席で片がつくほど、ウェールズ辺境伯の肩書きにぶら下がる玉石は軽くない。
事実、ダドリー・リッチモンドとフィッツロイ・ウェールズは支持を明白に宣言しなかった。
この葬儀の場から諸侯が立ち去った後、すぐにメアリ・ウェールズの辺境伯就任への疑義が表明されるだろう。
それを知るからこそ、メアリは微笑む。
不満があるなら、どうぞご自由に――そう微笑む。
反逆でも侵略でも、好きにするがいい。
全てを絡め取ってくびり殺し、無駄なく滋養にしてあげる。だからどうぞ遠慮なく、殺されるために刃向うがいい。
生者の務めは生きることであり、死者によってその手を煩わされるべきではないのだ。
血染めのメアリの微笑みは、とても美しかった。




