妖花、咲く12
「そもそも、あたしはメアリに殺されても文句が言えない立場なんだよ」
別荘の地下に広がる研究室、その中でも最も厳重な石造りの小部屋で、カミラは零す。
ジャンヌが知る限り、極めて稀な酒が入っていないカミラの表情は、普段とは異なり一分のズレも許さない真剣さでもって、メアリの血をガラスのフラスコに移している。
「メアリは、生まれる前から実験体になることが決まっていた、というか、メアリは実験体にするために作られた子でね」
メアリの父親、エドワード・ウェールズの方針だった。
結社の主導権を握るために、あの男は自分の子供を犠牲として使い潰すことを計画したのだ。
それもメアリ一人ではない。彼女の兄姉弟妹はとても多かった。
今はメアリ一人しかいないが。
カミラから見たエドワードという人物は、赤い血の代わりに貴族の義務やら使命やらが流れているようにしか見えなかった。
「メアリの実験を担当したのがあたしだ。他にも三人ほどがあたしの担当だったけど、六歳になれたのはそのうちの一人だけで、つまりまあ、それがメアリだ」
カミラ以外が担当した他のエドワードの子供達も、似たようなものだった。
「当然と言えば当然だ。メアリ達に施された施術は、人体をより強靭にするための薬物投与でね。簡単に言い換えれば、毒を飲ませてそれに耐えさせることで体を強くする。一つを一度なら常人でも使えるものだけど、複数を常用するようなものじゃない」
メアリを含めて、ほとんどベッドの上から離れられない生活を実験は強いた。
それでも何人かは五歳まで生き延びたのだから、カミラとしては驚く他ない。ウェールズ家の血を引く子ならではだろう。
王家の血も引くウェールズ家は、戦う者として王国最優秀の高い魔力と、高い魔力を利用した強靭な肉体を備えていた。
確かに、王国西部において結社の実験にこれ以上相応しい存在はいない。
「まあ、エドワードの言い分も、貴族としてはごもっともと言える部分はあるんだよ。王国西部に影響を与える犯罪組織を制御できる立場になるのに、手っ取り早い手段だったからな。それをやれるかどうかは別として、手段としては有効だった」
普通はやらないし、やれない。
やったところで、途中で耐えられなくなる。
しかし、有効だからやりきったのがエドワードだ。
そのあまりにあんまりな行動に、メアリの母親で正妻の辺境伯夫人キャサリン・リッチモンド・ウェールズは実家であるリッチモンド伯爵家に戻っている。
名目上は夫婦だが、実質的には離婚状態だ。
「まあ、ここまで言えばわかるだろうけど、有効だからやりきったエドワードと、そのやりきるための手先だったあたしってのはまあ、共犯者じゃん? 殺すほど恨まれても文句言えないよね。ぶっちゃけ、いつか殺してくれるんじゃないかなと思ってる」
こんなのでも、良心と名前のついた臓器が胸にあるんだよ、とカミラは笑う。
今にも止まりそうな、弱々しい脈動だけどね。力のない笑いだった。
「そんなわけで、あたしはメアリお嬢様に対する負い目もあって、その手の実験は全部やめたんだよ。やってるのは美味しい物作りだけ。メアリお嬢様は食べることが好きだからね」
それも小さい頃の影響だ、とカミラは知っている。
メアリは実験の過程で、口にする物にほとんど自由がなかった。
贅沢を言わないのは、そもそも口にすべき贅沢を知らないから。インテリアにこだわるのは、ベッドから室内を眺めるだけの時間が長すぎたせいだろう。
「そういうわけでね。メアリお嬢様は癖の強い子だけど、それはあたしやエドワードのせいなんだ。苦労するかもしんないけど、それについてはあの子じゃなく、あたし達を恨んでくれな」
ジャンヌが見たところ、結局カミラの言いたいことはそういうことらしかった。
メアリの敵対勢力に送りつけるお土産の準備を手伝ってくれと連れて来られて、何も指示されずに椅子に座っていたジャンヌである。
しっかりと頷いて、カミラに了解を返す。
ジャンヌにとってはメアリに使ってもらえるだけで幸せなことなので、何か苦労を感じる、というのは想像もつかないことなのだが。
「いや、良かった良かった。メアリお嬢様は、今後ジャンヌをやたらめったら連れて歩きそうだから、間を見てウェールズ家にまつわることを話しておこうと思ってたんだ」
ウェールズ家の常識は非常識だから、とその一員が新入りに教える。
それは薄々わかっていたので、ジャンヌは再び頷いておく。ジャンヌ自身村娘だが、どこの貴族令嬢が、先輩侍女と一緒に新人侍女にお茶菓子を食べさせ、その仕草を愛でるというのか。
「さて。それじゃ、ジャンヌ、ちょっと離れててくれ。今、先代女王様を軽く起こすから。大丈夫だとは思うけど、いざとなったらメアリじゃないと抑えきれない危険物だ」
カミラが、小さな桶の中に赤い種を落とす。桶には種と同色の液体――メアリの血が一杯に溜められている。
それが、見る間に減っていく。
「メアリの血肉、桶一杯分。それに含まれた栄養と、混沌花の燃費から考えると、最大で見積もっても全盛時の半分が半時間ってところが活動限界――のはず」
この推論通りなら、カミラが余裕で相手にできる。
両腕に、メアリと同様の血薔薇の茨をまとわりつかせながら、血が減っていく桶を眺める。
その底には、メアリの肉にしっかりと根付き、それでも栄養が足りぬと根を蠢かせる種がある。
ジャンヌも時間をかけて戦闘態勢を取る。メアリが帰って来てから、ようやく使い方を教えてもらえた、自身に寄生した花の力を引き出す。
ジャンヌはやる気満々だった。
なぜなら、メアリが命じたのだ。
「ちょっと物騒なことになるから、カミラを守ってあげなさい」
もちろん否はない。メアリの役に立つなら、最低でもカミラの身代わりに殺されるくらいする。
しかし、自分なんかでそこまで役に立つだろうかと問いかけると、「第一世代の適合者じゃないと役に立たない」と言われた。
さらに、ジャンヌの主人は付け加えた。
「私の姉さんをよろしくね。……うん? 姉さん? いえ、母親に近い……でも、それもちょっと違うし……」
両手に青い結晶を生み出しながら、ジャンヌはカミラに視線を送る。
なんだか負い目があるようだが、メアリの方はしっかり懐いているだけにしか見えない。
一時間後。ぼろぼろの姿で、カミラはメアリに報告を行った。
混沌花の相手はメアリがやってくれ。
あたしはもうやだ。死ぬ。




