妖花、咲く11
「メーアーリー、情報持って来たぞー」
メアリの別荘で、執務室のドアをカミラは肘でノックする。
両手に荷物を抱えているため、どうしても行儀が悪くなる。まあ、両手の荷物のうち、片手は酒とつまみ、片手は書類で、書類はぐしゃぐしゃだ。
必要に迫られてというより、性格だろう。
そんな行儀の悪いカミラの前で、ドアが開いて、銀髪の侍女が出迎える。
「お、可愛い侍女がいるじゃん」
カミラが笑うと、ジャンヌは白い頬を薄っすら染める。
ジャンヌは新人侍女ではあるが、この別荘で一番身分の高いメアリ専属として抜擢されている。
もちろん、侍女らしさなどというものは見た目以外ゼロに等しいジャンヌだが、メアリが従者に求める能力は極めて低い。
どれくらいかと言うと、静かに待機していればまず文句は言わない。
メアリお嬢様、着替えは一人でできるし、紅茶は自分で淹れられるし、お腹が空くと厨房に遊びに行く。
自分のことは自分でやるのが好きなタイプだ。
ただ、身だしなみはちょっとうるさい。
服装が乱れていたり、寝癖がついているとお小言を頂戴する。カミラ以外は。
時折、わざわざ立つ場所を指定して侍女をはべらせることもある。その方が部屋の眺めが良くなる、と言って、しばらく満足そうに部屋と侍女を眺めて楽しむのだ。
メアリは、自分の侍女に対して、インテリア的な価値を求めている節がある。
その点、ジャンヌという美少女は逸材だった。
立たせて良し、座らせて良し、寝かせて良しの、実に汎用性のある見目をしている。
「カミラ、いらっしゃい。そこに座って。というかドアのところから早く離れて、邪魔よ」
今もメアリは、ドアを開ける侍女、という風景を満足そうに眺めている。
そういえば、とカミラは思い出す。今の執務室のドア、新しいのに買い替えたばかりだったな。新しいドアに新しい侍女、さぞご満悦だろう。
カミラがソファに腰かけて早速ヒョウタンを開けると、メアリは溜息を漏らす。
「そういうのは、もうちょっと煤けた、薄暗い地下の部屋なら似合うんだけど」
「酒はどこで飲んでも美味いなー!」
メアリからの苦情だと言うのはわかっているが、カミラは一切譲る気はない。
「せめてグラスに注いで飲まない?」
メアリの呟きに、ジャンヌがぱたぱたと走り回り、グラスを持ちだしてくる。
「良い子ね、ジャンヌ。ほら、カミラ」
「へーい」
直飲みにこだわりがあるわけでもないので、カミラは大人しくグラスに酒を注ぐ。
「それで、報告は?」
「その書類を見といて。研究部門からの情報はそんな感じ。あの連中、研究の邪魔さえしなけりゃ素直で良いわ」
「あら、そういう人は好きよ」
メアリが、カミラを見ながら刺突のように真っ直ぐ口にする。
酒に口をつけかけたカミラの手が、非常に珍しいことに一瞬止まった。「そういう人」に、自分も含まれているという自覚が、カミラにはあったのだ。
数秒、止まったカミラを動かしたのは、扱いやすくて、と付け足されたメアリの笑いだ。
「ぞっとするから、やめれ」
「どきっと、じゃなくて?」
「動悸的な意味では間違ってない表現だ」
まあひどい、とメアリはわざとらしく頬を膨らませて書類に目を通す。
俳優には向かないことを教えるメアリの表情は、すぐに感情の薄いものになる。
それは、旧研究所でくすぶっていた連中宛に、実験のために保管されているもので戦闘に使えるものがないか、という問合せについてだった。
「ふうん? この段階になって戦力補充の当てを探してるの?」
「見ての通りだね。はは、笑える」
あまりに遅い。
手に入ったら幸運だ、くらいのつもりならばまだわかるが、戦力の補充などというものは事が始まる前にはとっくに済んでいなければならない。
何故なら、慌ててかき集められた戦力というのは、おおむね有益というより有害なものだ。そこに間諜を紛れ込ませるのは、実に容易いのだから。
「元が研究者の集団、と思えば、無理もないのかしら」
「そうかもしれないけど、どうかな。想像力がないんじゃないかと」
「どちらにしろ、私にはそういう部下はいらないわね。特に幹部級には、一人も」
「じゃあ、潰す?」
カミラの確認に、わざわざ確認しないで、とメアリは書類をテーブルに放り出す。
「問題はそのやり方だな」
「戦力の補充をしようとしているんだもの。戦力不足の自覚があるなら、身を潜める可能性があるわ」
「じゃあ、適当な餌を与えるか」
「ええ。基本的には、連中が持っているモノを増やす形が良いわね」
それなら対処も簡単で済む。連中の主力が何なのかはアンナの情報網に引っかかっているので、研究部門経由で渡してやれば良い。
「後はそうね。ついでだし、なんかちょっと大きめの、臆病な連中も迂闊に出て来たくなるような餌を与えたいところね」
「また面倒なことを……」
カミラはグラスを二度ほど注ぎ直してから、メアリの提案に頷く。
「まあ、後々の面倒が少なくなるから、今やるべきかぁ」
「何かいいのはない? 私が相手できるのなら、何でもいいわよ?」
「それは範囲が広すぎる」
実質うちの研究物の全部いけるじゃないか、とカミラは呆れる。
「当たり前でしょう。そうでないモノを、結社の第一位とは呼ばないわ」
「つまり、どんな手を使っても良い、と」
そんなことを言われると、カミラが酒精で封じているものがうずいてくる。
「うちが持っている一番強いのは、先代の女王になるけど?」
ああ、言ってしまった。
もうそういう研究は止めよう、と思っていたのに。
「暴走させるの?」
「いや、一部制御状況というか、限定機能状態というか。そういうことができそうだなと」
メアリの眉が吊り上る。
ただ、それは角度的には非常にゆるやかだ。怒ったというより、面白がっている顔をしている。
「いけない人ね。そういう面白そうな話を、自分の中だけにしまっていたの?」
「まあ、その……研究過程である程度は実証できてたけど、流石にこれはどうかなってネタだったから」
カミラは、非常に珍しいことに、メアリに対して申し訳なさそうに頭をかいて表情を隠す。
そんな彼女の気持ちを、メアリは正確に読み取った。
「ああ、私の手が必要なのね。手というか、体? 血とか肉とか?」
「あたしはもう、メアリでそういう実験したくないんだけどなぁ」
「でも、実験はしてみたいんでしょう?」
カミラは、すぐには答えなかった。
腕組みをして唸った後、ようやく、詐欺師が自白するように頷く。
「結果は、すごく気になる。組み立てた理論通りになるかどうか、見てみたい」
「〝そういう人〟好きよ。扱いやすくて」
メアリは笑って、どれくらい必要なの、と傷一つ見当たらない白い腕を見せる。
必要な分をここからあげよう、ということらしい。
「えーと、このヒョウタン一杯分くらいの血と、肉は指二本分くらい欲しいかな。それが試験分で、作戦が行けそうなら、もう一回くれ」
メアリは、笑顔のままわずかに呼吸を乱した。
どうやら、思っていたよりも要求量が多かったらしい。
だが、ここでやっぱりやめた、と言えるほど、メアリは素直な少女ではなかった。




