妖花、咲く10
この日、結社の人さらい部門の関係幹部達は、辛気臭い顔を突き合わせていた。
三週間前には、エドワード・ウェールズの死を知って集まり、満面の笑みを浮かべていたのだが、今はその真逆。
それも当然で、彼等がここぞとばかりにウェールズ領内に送りこんだ人さらいの実働部隊が、軒並み壊滅させられたのである。
手足をもがれた組織のトップ達は、これからどうするかを話し合いに来たのだ。
結論は、どうしようもない、と集まる前からわかってはいたのだが。
「それで、何から話し合うつもりだ?」
若干他人事じみた言葉をかけたのは、比較的顔色の良い幹部シャリバだった。
彼は人さらいそのものを担当しているのではなく、さらわれてきた人を商品として売買する奴隷商である。
ウェールズ辺境伯の認可を受けた公認奴隷商の資格も持っている。
対価を渡して手に入れる奴隷より、人さらいが持って来た奴隷の方が利益も出るので、人さらい部門と繋がっているだけ――という当人の主観では要領の良い人物だった。
彼にとっても今回の出来事は、大打撃ではある。
だが、実働部門の統括者と比べれば破滅的な損害を受けたわけではない。
「まず、何故こうなったか、だ」
人さらい実働部隊の統括者の一人、ヤンセンが俯いたまま煮えたぎった声を吐き出す。
彼は、手持ちの全人員を、今回の儲け話に注ぎ込んでいた。
「こうも簡単に、俺の手下がやられるわけがない」
「しかしだな」
その言い方に、シャリバは眉をひそめる。
「実際にこうなり、しかもいざ戦闘となればメアリと薔薇騎士が相手だ。君の部下に勝ち目はなかったと思うが」
「ああ、そうだ、そんなことはわかってる。俺はメアリを小娘と舐めていた。所詮はエドワードの人形だと思って、あのタイミングで騎士団が動くはずがないと判断を間違えた。それは認める」
自分が状況の判断を誤ったことを、ヤンセンは顔を赤くして認めた。
「だが、だがな! 動かした全チームが壊滅だぞ! いくら薔薇騎士の馬が強化されていても、どこの地域が襲われるか知らずにできる芸当じゃない!」
机を叩いて叫ばれた内容に、議場の空気が冷える。
ヤンセンは言ったのだ。この中に、メアリに情報を売り渡した裏切り者がいる、と。
「誰だ。俺も先は長くないだろうが、そいつを真っ先に地獄に送ってやる。どいつが俺に殺されるんだ」
「落ち着け、ヤンセン」
ヤンセンの声音は本気だったので、シャリバを始め、周囲の幹部は慌ててなだめる。
この場の大多数が致命的な痛手を負っているが、そのトドメを身内の手で下されるのはごめんだと誰もが思っている。
「シャリバ様」
「なんだ、アンナ」
緊迫した空気が増していく中、シャリバの後ろから声をかけたのは、秘書のアンナだ。
服装は黒で統一されたシンプルなドレスだが、それでも隠しきれない色気が香る。
その美貌と頭の良さを見込んで、シャリバが自身の商品である奴隷娼婦から取り立てた美女だ。
「ここは情報を整理して、裏切り者が誰かを探してはいかがでしょう」
「しかしだな」
シャリバは顔をしかめる。
そんなことをしても、この場の猜疑心が高まるばかりのように思えた。
「ご懸念はごもっともですが、ヤンセン様は動揺されているご様子。裏切り者がわからない場合、この場の全員を……」
自分の秘書が濁した部分を、ヤンセンの表情から読み取ったシャリバは、より一層顔をしかめる。
「否定できんな」
「なのでひとまず、可能性として裏切り者は誰かを、情報を整理しつつ探してみるのがよろしいかと」
「やむを得んか」
アンナの提案を入れて、ヤンセンは場に提案する。
「ウェールズ領で活動した連中は、ほぼ全滅だ」
「ほぼ、ということは生き残ったところがあるのか。どこの手の者だ」
「生き残ったチームはいない。襲われたが運よく逃げ出せた者が一人や二人いただけだ。後は、壊滅したかわからない行方不明のチームがいる」
「それとて確認が取れていないだけで刈られたんだろう」
「そう思わせて、そいつらがメアリのところに匿われているんじゃないのか」
「そんなわけがあるか!」
「落ち着け!」
声の音量が、すぐに話し合いから怒鳴り合いの領域に至る。
案の定こうなったかと、シャリバは溜息をついて、怒りの視線を背後に向ける。叱責されたアンナは、神妙な表情で一礼して、責任を取るために前に出る。
「皆様、よろしいでしょうか」
「すっこんでいろ奴隷風情が!」
当然のごとく罵声を浴びるが、アンナは美しい顔に母性的な笑みを浮かべて受け流すと、怒鳴った方が黙り込んだ。
元高級娼婦の笑みは、女好きには抗いがたい魅力がある。
「その奴隷風情が確認すべきと考えますのは、どなたか利益を得た方はいらっしゃらないのかということです」
「そんな奴がいるか? どいつもこいつも、部下を失ったか、仕入れ予定の商品を失ったかだ」
「ええ、表向きはそうです。ですが、この場の皆様を裏切るのですから、相応の報酬を得なければ割に合わないのが道理では? 多少の金銭では、失う物に対してあまりに釣り合いがとれません」
確かに、という吐息が、いくつもの口から漏れる。
「まずはそこから確認してみてはいかがでしょう。急に羽振りがよくなった方ですとか、位が上がった方、あるいは大口の取引先が増えた方などは……」
幹部達の視線が、互いの顔を眺めて、それぞれの顔について知っている情報を思い出す。
普段は面と向かって口にしないが、嫉妬を感じていたそれぞれの儲け話や成功話が、その眼にぎらつく。
「お前のところ、確かコンベリア子爵家との取引に噛むようになったな」
「それならお前だって、リドーマ男爵家の領地で好き放題できると言っていただろう」
「王都のでかい商会、なんて言ったっけ?」
「キンドバ商会の件か。確かに取引しているが、それで疑われるのは心外だ」
「最近、そちらは隣国にも手を伸ばしたらしいな」
「おい、それは最近じゃないぞ。もう二十年前からの付き合いだ。今回の件とは関係ない」
次々と飛び出してくる情報は、本来なら大きな声で話すような内容ではない。
そもそも、彼等は秘密結社の中でも後ろ暗いことに手を染めている人間だ。その繋がりにしたって、昼日中の人目のある場所では会えない類のもの。
お互いある程度の事情は知りつつも、知らぬふりをするのが暗黙のルールだ。
その情報が、今この場で次々とさらされる。
誰もが断片しか知らなかった実態の全貌が、明らかになっていく。
それを、頭の中で組み立てながら、アンナは眼を細める。
素晴らしい情報ばかりね。この会議には予想以上の価値がついたわ。
これなら、メアリ様にもご満足頂けるでしょう。
――裏切り者が、その美貌の下で笑う。
議席についた人間同士、いくら疑ったって裏切り者がわかるはずがないのだ。彼等の眼中にない盤外にこそ、裏切り者がいるのだから。
彼等は、自分達が扱っている奴隷が反抗するなどと、夢にも思っていないのだろう。
それについて思いが至るだけの人物は、この場に集まっていない。大人しくウェールズ家の方針に従って奴隷商をしている。
彼等は気づいたはずだ。
ウェールズ家の方針に従わないということは、ウェールズ家に奴隷が逃げこむ可能性を考慮しなければならない、と。
それがどれほど面倒で危険なことか、彼等はわかっていた。
そして、この会議場にいる者達は今でもわかっていない。
まあ、すぐに思い知ることになるだろう。
この場に駆け付けている、薔薇騎士団の苛烈な制圧によって。
アンナがその前にしなければならないことは、制圧の際に生きていた方が役に立つ人物と、どうでも良い人物の選別だ。
その点から考えると、西部諸侯の情報は比較的すぐに使うから良いとしても、王都や隣国の情報が役に立つのは当分先になりそうね。
継続的に情報を得るためにコネを繋いでおく必要があるわ。
誰を生かして利用すべきか。誰は見せしめにしても良いか。アンナは素早く計算し、判断を更新していく。
そして、それぞれに応じた香りを、その人物に付着させる。
これなら、通常の人間の嗅覚では気づかないが、同じ寄生花の能力を持っている者ならば見分けがつく。
一瞬、シャリバが違和感を覚えたのか自分の体を見回したが、新たな怒号が卓上に響くと、溜息をついて目の前の問題に集中する。他の者も、多かれ少なかれそんなものだ。
念を入れておいてよかった、とアンナは平静な顔の下で胸を撫でおろす。
普通に香りをつけただけでは、気づかれたかもしれない。極めて適合率が高い人間にしか感じられない程度の、わずかな香りしかつけなかったことは正解だった。
具体的には、第一世代適合者くらいしか、この微量な匂いは気づかないだろう。
その点、アンナが手引きした騎士団は問題ないはずだった。
騎士団長が、精鋭を突入させると約束したのだ。それはつまり――アンナが、議場の男達の不運さに隠しきれない笑みを浮かべる。
議場の壁が、突っ込んで来た男によって粉砕されたのは、そのタイミングだった。
レンガと木で作られた壁材と一緒に室内に転がり込んだ男は、護衛に当たっていた今では希少な人さらいの実働部隊の人間だ。
肥大化した筋肉から見て、第三世代の戦闘用寄生花を持ち、かつ強化薬によって過剰活動状態にあるのは間違いない。
議場の壁を粉砕することはできても、自分からすることはありえない人物。そして、そんな戦闘員を使って、壁をぶち抜く人物とは――
「ごめんあそばせ」
呼ばれたお茶会に訪問するような気安さで、騎士団の精鋭は現れた。
十代半ばで、黒髪の美しい少女――メアリ・ウェールズ騎士団長。
文句なしの、最精鋭である。
少女は、舞い上がった埃に少し顔をしかめた後、割り切ったように髪をかきあげて見栄を切る。
「本日はこちらで結社関係者の集まりがあると聞いたから、結社の長として参加しに来たわ」
「メアリぃ――!」
即座に反応したのは、ヤンセンだった。
この会議に参加する前から、自分の破滅を悟っていた男は、目の前に現れた少女を相手に、交渉や駆け引きを試みるという選択肢を考慮しなかった。
ただ、メアリは目の前にいても、掴みかかろうとしたその手が届く相手ではない。
埃が落ちるメアリの足元、そこから茨が跳ね上がる。生きていた方が役に立つ、に分類されていなかったヤンセンは、筋肉質な胸板を複数の茨に刺されて、本来の出入り口のドアまで射抜かれる。
「そんなに慌てないで、ゆっくり話を聞かせなさい。私、この集まりは初めてなのよ」
ぞぞ、と音を立てて、ヤンセンをドアに射止めた茨が伸びていく。
同じ音は、大穴の空いた壁や窓にも這い回り、鋭すぎる棘を生やした茨が、逃げ道をふさぐ。
「話の内容によっては、今後の扱いを考えてあげても良いわ」
少なくとも、と言いながら、メアリは見せしめにしても良い、に分類されていた幹部の一人を茨で絡め取って悲鳴をあげさせる。
「苦しみ抜いた後に死ぬ、という扱いだけは許してあげる」
私はどちらでもいいのよ、と微笑むメアリから目をそらさぬまま、シャリバはアンナの手を握る。
『アンナ、後ろの壁を壊して逃げる。お前は私の後に続いて脱出しろ』
植物通信で伝えられた内容は、つまり逃げ出す際の追撃に対して盾になれ、というものだった。
『それは止めた方がよろしいかと』
アンナの冷たい返事に、シャリバは眉をひそめる。
『ここの壁にメアリ様が茨を展開していないのは、そうしなくとも逃げ道をふさいであるからです』
『何故それがわかる』
疑問には答えず、アンナはシャリバの手を握り返す。
『それに、あなたが持つ情報には利用価値があります。この場で殺してしまうには少々もったいないですから、大人しくしていてください』
握った手をねじりあげ、机に顔を叩きつけるようにねじ伏せる。
「きさ、貴様、アンナ! 裏切ったのは貴様か!」
「裏切るなんて人聞きの悪い」
子供の駄々に困った風にアンナは微笑む。
「ウチは結社の構成員で、結社の長はメアリ様ではありませんか。ウチはただ、裏切り者の鎮圧に協力しただけですわ」
「奴隷娼婦風情が結社の何を!」
シャリバの台詞に、アンナはねじった腕に力を込めすぎることで感情を表現した。
自分が奴隷になったのも、娼婦になったのも――可愛い妹が使い潰されて死んでしまったのも、一体誰の、あるいは何のせいだと思っているのか。
それが結社のためだと言うなら、妹を殺した結社などにどんな価値があると言うのか。
「奴隷商風情が、ウチの何を?」
骨肉をひしゃげさせるアンナに、彼女の新しい主人が声をかける。
「アンナ。別にそれ一つくらい好きにしても良いわよ」
すでに人間扱いをやめた言葉遣いの主人に、アンナははっとして力をゆるめる。
「いえ……いえ、メアリ様。ここで殺すのは簡単ですが、殺したところで益のないことですわ」
でも、ありがとうございます。
そう言って、アンナは今できる精一杯の柔らかな表情を浮かべた。
それを受け止めたメアリは、満足そうに微笑む。
その顔に、アンナは似てもいないのに、亡くなった妹を思い出すのだった。




