貧乏子爵令嬢の恋は雨模様
「はうっーー。いつ見てもとても素敵な方なのですわ」
アッテリーナ・シュテルクは子爵家の令嬢だ。
そんな貧乏子爵家のアッテリーナの楽しみは、英雄様を鑑賞する事。
英雄クラディウス・レ・ブラッドブルク公爵は、銀の髪に透き通るような碧眼で、筋骨隆々でとても美しい青年だ。
そんな彼はいまだに婚約者がいない25歳。
このリード王国で悪さをするドラゴン退治に明け暮れて、なかなか婚約者を探す機会がなかったとの事。
そんなクラディウスも、最近は積極的に夜会に出席し、婚約者探しをしている。
擦り切れた桃色のドレスを着て、茶の瞳を持つアッテリーナは18歳。お年頃だがいまだに婚約者なんぞいない。
そんなアッテリーナは英雄様が大好きであった。
だから最近夜会に出席する。婚約者探しの王宮で開かれる夜会は未婚の女性ならば招待状が無くても入れるのだ。
クラディウスの周りにはたくさんの女性達が囲んでいて、自分は入り込む隙もないのだが、
見ているだけで幸せで。
そんなアッテリーナの事を、他の貴族家の令嬢達は馬鹿にしてくる。
「あーら、アッテリーナ。貴方なんて来るような場所ではございませんことよ。貧乏子爵家の娘なんて英雄様に及びでもないわ」
そういうのは子爵家のマリア・ミットレーヌだ。
マリアの家は事業も上手くいき、大金持ちである。
それに比べて事業も細々としており、貧乏なシュテルク子爵家。
着ているドレスもまるで違う。悔しくて悔しくて。
震える声で反論する。
「わ、私だって英雄様を見たい。婚約者に選ばれるなんて思っていないけど、傍で彼を見たいの。」
「まぁ。貴方なんて冴えない女、英雄様の目の端にも止まらない事よ。何よ。その擦り切れた古そうなドレス。相変わらず貧乏ね。オホホホホホホ」
高笑いをし、その場を去るマリア。
悲しかった。確かにこんな薄汚れたドレスでは、この夜会にふさわしくない。
現に英雄様の傍にいく事すら出来ないのだから。
バシャっ。
戻って来たマリアが赤ワインをかけてきた。
「あら、手が滑ったわ」
他の令嬢達もせせら笑って、
「みっともない姿だこと」
「本当に。さっさとこの場から消えたら」
ドレスが赤く汚れてしまった。
たった一着しかない古ぼけた桃色のドレス。
泣きながら会場を出れば、外は雨が降っていて。
こんな辛い思いをするなら、もう夜会に来ることも出来ない。
たった一着のドレスも汚れてしまったし…ワインのシミを落とすことは出来ないだろう。
その時、背後から声をかけられた。
「私の婚約者選びの夜会で泣いているなんて感心しないな…」
振り向いたら憧れの英雄様がこちらを見ていた。
何故?何故この方がこんなところにいる?
アッテリーナが驚いていれば、手を引かれて、
「雨に濡れていたら風邪を引いてしまう。」
あっという間に夜会の会場の控室へ連れて行かれた。
クラディウスは連れてきたメイド達に指示を出して、
「このお嬢さんに着替えを。雨に濡れていた」
メイド達はじろりとアッテリーナを睨みつけてくる。
メイド達もクラディウスの事が好きなのだろう。
それなのに、得体のしれない娘を連れてきたのだ。
睨まれるのも当然だ。
クラディウスは一言、
「君たちは職務に忠実ではないな」
メイド達は慌てて頭を下げて、
「申し訳ございません」
「すぐに着替えを」
あっという間にメイド達に控室に押し込まれて、簡素なガウンに着替えされられた。
温かい紅茶が運ばれてきて、冷えた身体に丁度いい。
それからしばらく部屋には誰も来なくて、疲れていたのか、ソファでアッテリーナは眠ってしまった。
コンコンとノックの音がして、慌ててソファで身を起こせば、憧れの英雄、クラディウスが入って来て。
「私は主催者だから…様子を見に来るのが遅れてすまない」
「い、いえ。こちらこそ気を使って頂き有難うございます」
ソファの対面にクラディウスは座ると、
「私は人のオーラを感じる事が出来るんだ。会場の誰もがキラキラと輝くオーラを放っていた中で、君のオーラだけは悲しみに包まれていた。何故、あんな所にいたんだ?」
「そ、それは…」
嫌がらせでワインをドレスにかけられて、ののしられたから悲しんでいたなんて言えない。
「な、なんでもないです」
「そんな事はないだろう?」
顔を覗き込まれる。近くで見られればそれだけ破壊力が抜群な美しい英雄様。
アッテリーナは胸がドキドキした。
「今宵は馬車を手配して送らせよう」
「有難うございます」
「そういえば、名前は?」
「アッテリーナ・シュテルク、子爵家の娘です」
「君もこの会場に来ていたという事は私と結婚したいのかね?」
ひぃいいいいいいいっーーーー。そんな恐れ多い。
心の中で悲鳴を上げて、首をぶんぶん振ってしまった。
「身分が違い過ぎますっ」
「私は多少の身分の差は気にしない。だから色々な貴族の令嬢達が来ていただろう?」
「それはそうですけど」
「まぁ私と結婚を望む令嬢は多い。縁があればまた、会う事もあるだろう」
「そうですよね」
がっくりした。そしてその言い方に傷ついた。確かに雲の上の人なのだ。
自分なんて…道端に生える雑草のようなもの…涙がこぼれる。
「いや、そんなに泣かなくても」
「ごめんなさい。申し訳ないですっ…涙が止まらない」
綺麗な刺繍のハンカチを手渡された。
そのハンカチを受け取って涙を拭く。
クラディウスは申し訳なさそうに、
「泣かせて悪かった。このお詫びは何か贈り物をしよう」
「いえ、泣いたのは私が勝手に泣いたのですから」
アッテリーナは思う。
こうして二人きりで話すことができただけでもとても幸せ…
この思い出を胸に明日からも生きていこうって…
英雄様の手配した馬車に乗せられて、いい香りのするハンカチを手に、帰宅するアッテリーナであった。
翌日、昨日の英雄様との出会いは夢だったのかしらと、アッテリーナが庭で物思いにふけっていると、どかどかと入って来る足音がした。
「アッテリーナ。会いに来てやったぞ」
従兄のラウドである。
アッテリーナはこの従兄が大嫌いであった。
「私は会いたくないです」
「何が会いたくないだ。お前、分不相応に英雄の嫁探し夜会に出たらしいじゃないか」
「出て悪いですか」
「ふん。英雄がお前なんぞ気に留める訳ないだろう。この貧乏子爵家に俺が婿入りしてやってもいいんだぞ」
「お父様とお母様が決める事です」
19歳のこの従兄は素行が悪く、後、1年で家を追い出されると聞いている。
だから従兄は追い出されたらこのシュテルク子爵家へ婿入りすることを企んでいるのだ。
なんだかんだと言ってもラウドの両親もこの駄目息子が可愛いらしく、シュテルク子爵家に婿入りを望んでいるらしいのだ。
アッテリーナは嫌だったので、断固、やめて欲しいと両親に頼んでいるのだが。
ラウドは庭のテラスに設置してある丸テーブルの椅子に座り、
「遠慮するな。この俺がいれば子爵家の悪い経済状況もあっという間に解決してやるよ」
「あっという間につぶれてしまうの間違いでは?お金を色々な女性に貢いでいるって、伯父様が愚痴っていたわ」
「親父め、余計な事を。男が色々な女と楽しくやるのは、本能だろう?それ位、大目にみてくれよ」
「貴方と関係ないので…大目も何もないです」
「関係なくないだろう?お前の夫になる男だぞ」
イライラしてきた。こっちは嫌だって言っているのに…
思わず叫ぶ。
「帰って下さい。」
「ちぇっ…冷たい女だ。素直になれよ」
「何を言っているんです?私は嫌だって言っているのに」
ラウドは立ち上がり、
「ふん。叔父さんに頼んで、必ず結婚してやるからな。楽しみにしてろよ」
泣きたくなった。
ふと、英雄様に借りっぱなしの刺しゅう入りのハンカチを思い出す。
返さなくては…
丁寧に先日のお礼の手紙を書き、ハンカチを同封して、送り返すことにした。
本当ならこのハンカチ、貰ってしまいたい…
でも、それは失礼よね。
もう、会う事も無いのだ。
夜会に出れば虐められ、大嫌いな従兄に迫られる日々…
辛い事は沢山あるけれども、英雄様との思い出があれば頑張れる。アッテリーナはそう思っていたのだけれども…
翌日、王宮に設置してある貴族ならば入る事が出来る、王立図書館へ出かけたら、待ち伏せされていた。
「貴方が、クラディウス様と二人きりで過ごしたと言う、貧乏人かしら」
数人の女性を引き連れて、図書館で声をかけてきたのだ。
見るからに高貴な雰囲気のきつい顔立ちの銀の髪の令嬢に、確か先日の夜会で、クラディウスの傍にべったりくっついていた高位貴族の令嬢だったと思い出す。名前までは知らないが。
慌ててアッテリーナは、
「私が雨に濡れていたので、気遣って頂いただけです」
「まぁそうなの。わたくしがクラディウス様の婚約者に選ばれるに決まっているのです。だから貧乏人が余計な事をするのではなくてよ。わたくしはレティシア・アルテハイム、アルテハイム公爵家を敵に回したらどうなるか。解っているんでしょうね」
ひいいいいいいいいいぃーー
悲鳴を上げたくなる。もう災難続きだ。
慌てて頭を下げて、
「解っております。余計な事はしません」
「そう、それならよくってよ」
もう、どうしようもない程、ろくな事がない。
慌てて図書館を出て、俯いて廊下を歩いていると、ドンと人にぶつかった。
「ごめんなさいっ…」
「こちらこそ…あ、先日の…」
「え?クラディウス様っ」
公爵令嬢に脅された悲しみに、涙をポロポロ流せば、クラディウスは慌てたように、
「どうして泣いている?」
「何でもないです」
その時、声をかけられる。
「まぁ、クラディウス様。レティシアですっ。先日はどうも」
「これはレティシア嬢。」
「これからお茶でも如何です?お会いしたかったのですわ」
「いえ、私は用事がありますので、さぁ行こう」
手を引かれて、アッテリーナは廊下を歩く。
慌てて、
「手を離して下さいっ。貴方様に関わりたくないです。もう…」
「私が原因で、困ったことになったんだね?」
「解っているなら。私、貴方の事を好きになるんじゃなかった…もう、辛い事ばかり…大嫌い。英雄様なんて…大嫌い…」
廊下に座り込んで、涙を流して泣いた。
みっともないと言われようと、もう耐えられない。
王子様に貧乏人が見初められて結婚したなんて嘘…
英雄様に憧れて…でも、英雄様に関わったらろくな事がなくて…
現実なんてそんなもの…
アッテリーナは泣き続けるのであった。
英雄様は婚約者選びの夜会を開かなくなった。
婚約者が決まったと言う話も聞いていない。
アッテリーナは、しつこく付きまとう従兄ラウドとその両親に向かって、きっぱりと断った。
「私はラウドと結婚する気はありません。ただでさえ、貧乏なシュテルク子爵家。ラウドなんて婿にしたらつぶれてしまうわ」
ラウドが叫ぶ。
「お前は俺の妻になって、従っていりゃいいんだよ。俺が婿になったらつぶれる?お前に何が出来ると言うんだ?」
「女だからって馬鹿にしないでっ。貴方なんかと結婚しなくたって私、必ずこの子爵家を立て直して見せるわ」
その言葉を聞いて父であるシュテルク子爵は喜んで、
「という訳だ。兄さん。ラウドを連れて帰ってくれ。娘が立派に育って私は嬉しいよ」
母、シュテルク子爵夫人も涙して、
「そうね。これから家族みんなで、頑張って立て直しましょう」
と家族みんなで追い出した。
英雄様の傍で泣いたことでアッテリーナは吹っ切れたのだ。
これからは泣いてばかりはいられない。
シュテルク子爵家の事業は、領地で花の栽培をしている。
それを王都に収めているのだが、他の貴族達の花の方が評判が良くて、売れ行きがいまいちなのだ。
貴族に我が領地特産の、深紅のキラキラ薔薇を流行らせたい。
だが、今、貴族で主流なのは、キラキラ光る薔薇ではなくて、上品な赤い薔薇であった。
深紅のキラキラ薔薇の良さを知って貰わなくては。
キラキラ具合が足りないのかしら…いまいち、品が無いって人気が無いのよね。
そんな中、大量注文が入ったと、父が大喜びで報告してきた。
注文主はクラディウス・レ・ブラッドブルク公爵だと言うのだ。
婚約者が決まったのか?今はそんな事は良いわ。我が深紅のキラキラ薔薇を大量注文してくれた事を感謝しなくては…
数は3000本。
領地から3000本のキラキラ薔薇を集めて、馬車につんで、自らアッテリーナがブラッドブルク公爵家に納品することにした。
門番に取次ぎを頼めば、クラディウス自ら、門の所に出てきて、
「久しぶりだね。アッテリーナ嬢」
「クラディウス様。あの時は取り乱して申し訳なかったです」
「いや…私が原因で、アルテハイム公爵令嬢があのような脅しに出たのだから」
アッテリーナは頭を下げて、
「今回は大量の注文有難うございます」
「花を中に運び込んでくれないか?」
「はい。かしこまりました」
共についてきてくれた人達に馬車につんだ花を公爵家の庭に運び込んで貰う。
クラディウスはその薔薇を見て、
「本当にキラキラ光っているんだね」
「貴族の皆様には品がないって言われる薔薇ですけれども…」
「私は好きだよ」
クラディウスがアッテリーナに跪いて、
「アルテハイム公爵家には、圧力をかけておいた。レティシア嬢と婚約すると決めてもいないのに、どういうつもりだとね。公爵家の門の前に退治したドラゴンを置いておいたら、とても素直になってくれたよ。
後、あの夜会で君を虐めていた令嬢達がいたね。彼女達の家にも圧力をかけておいた。もう、二度と、君が危険な目に合わないだろう。どうか、私の婚約者になってくれないか?」
アッテリーナは驚いて、
「私はクラディウス様の前で、大泣きした女ですよ。なんで私なんか…」
アッテリーナの手の甲にちゅっと口づけを落としてから、クラディウスは立ち上がり、
「庭のベンチに座って話さないか?」
「はい」
二人で庭のベンチに腰掛ける。
クラディウスはアッテリーナに、
「私はね。悪事は許せないんだ。それにも増して、泣いている人を見ると放っておきたくはない。皆を幸せにすることは出来ないが、少しでも幸せにしてあげたい。君は泣いていたね…だから君を泣かせたくない。私が守りたい。そう思ったから…君と結婚したい。私と結婚してくれるね?」
嬉しかった…ずっと憧れていた英雄様。でも…
「お断りします」
「何故?」
「私は弱いままだから…このまま、クラディウス様と結婚しても、周りの圧力に負けてしまうでしょう」
「私が守る」
「いえっ…守られている訳にはいかないのです。貴方様は英雄でしょう?英雄として、魔を倒すのも仕事でしょう?足を引っ張る妻がいてはいけない。そうでしょう?」
「アッテリーナ」
「私に対する思いは同情です。だから…受ける訳にはいきません」
「君に対する思いは本物だ。」
「今日は有難うございました。本当に薔薇を買って下さって助かりました」
立ち上がり、頭を下げる。
悲しかった…それでも…
アッテリーナは深々と頭を下げて、その場を後にした。
それから3年経った。アッテリーナはシュテルク子爵家の事業の為に、父を手伝って頑張っている。
薔薇もキラキラ薔薇だけでなく、もっと色々な薔薇を品種改良した。
最近、新しく作った青の薔薇は、貴族の間でとても人気が出て注文が殺到している。
それもこれも、クラディウスが社交界で広めてくれたお陰だった。
― 貴方は私の英雄様。今も昔も変わらない英雄様なのね… -
「アッテリーナ。今回はドラゴンを退治してね。これはドラゴンの鱗の土産だ。受け取って欲しい」
そして、クラディウスは良くアッテリーナの元へ訪ねてくる。
恋人という訳でもなく、単なる知り合い…
そういう距離感で。
それで構わないと思う。
あの人の妻は自分にはあまりにも重いから…
そんなアッテリーナの思いも何もクラディウスが外堀を埋めに埋めて、両親とも仲良くなり、いつの間にか子爵家に家族のように居座っていて…
何だかなし崩し的に結婚しちゃったなんて事は、それから更に先の話。
その頃には泣き虫のアッテリーナは、すっかり図太くなり、社交界のドンと呼ばれる夫人に気に入られて、夫を助けるふさわしい妻になったとの事。
そんな未来が待っているだなんて、思いもしないアッテリーナ。
今はただ、にこやかに土産のドラゴンの鱗を渡して来るクラディウスを労って、
共にお茶を楽しむ時間が幸せと思うアッテリーナであった。