「駄犬」
少女が名残惜しそうにクレープの最後の一口を頬張る。
「あのぉ、ご馳走様でした。想像していたよりも、すごく、すっごーく美味しかった」
「お粗末さまでした、と。さて、クレープも食べ終わった様だし、どうする? 俺とデートでもする?」
この少女の事をもっと知りたいと思った俺は、ダメもとで少女をデートに誘ってみた。
「ごめんなさい……これから家に戻らないといけないの」
「そっか、それは残念だ」
「本当にごめんね……」
申し訳なさそうな表情で謝罪する少女をみて、俺の事がいやで断っている訳ではないと感じられる。
本当に家に戻らないといけないのだろう。
そうであればしつこく付き纏うのはカッコがつかないって言う訳だ。
「そんなに謝らなくいいって、俺が急に誘っただけだし。そうだ、俺、黒木零って言うんだけど、あんたの名前は?」
折角こうして知り合った縁だ。
名前くらい聞いてもバチは当たらないだろう。
「黒木零君ね。私は――ッ!?」
少女が自分の名前を口に出そうとしたタイミングで、数名の黒服の男達が俺達が座っているベンチを囲む様に立ち止まる。
屈強そうな男達の肉壁により息苦しくなるほど圧迫感を感じるが、俺はそれよりも男達の胸元で光っているエンブレムに目が行く。
4本の鋭利な牙を持つ犬の顔が描かれている。
ヘルハウンドか……。
「困りますぜ、お嬢。外部の人間との接触は禁じられているはずだ」
「違うの! 彼とは今日、偶然あっただけなのッ! 関係のないただの一般人よ!」
黒服の男達にただ事ではない様子で必死に弁明している少女。
「はぁ~まったく……小僧、平穏な日常を送りたければ今すぐこの場から立ち去り、そして、今日の事は忘れろ」
リーダー格だろうか。
男達の中でも一際大きい角刈りの男は威圧を込めて俺にそう言い放つ。
俺が角刈りを睨んでいると少女が「黒木君……」と俺の名を呼ぶ。とても不安そうそうに。
「クレープとても美味しかった。あとね、君とのお話も楽しかったし、可愛いって言ってくれて嬉しかった……ねぇ、お願い……黒木君。私の事はいいから、もうここから立ち去って」
平穏な日常、か……。
俺には、この子を守れる力を持っている。
ヘルハウンドは序列は低いが裏世界の組織であり、オヤジからは平穏な日常を送るため裏とは絶対に関わるなと釘を刺されている。
クレープ一つダメになった事でこの世の終わりみたいな表情を見せ、俺との他愛もない会話一つが楽しかったって言ってくれた。
平穏な日常を送る為にこんな良い子を見捨てる?
【ベエマス】のエースだったこの俺が?
「ありえねぇだろッ!」
俺は少女を背に立ち上がる。
「黒木君! だめッ!」
「いいから、いいから」
悲痛な表情を浮かべる少女に向けて親指をアップさせる。
「ふん、黙ってこの場から去れば良かったものの」
「キャンキャンうるせぇぞ? 駄犬共が」
「小僧……死にたいらしいな?」
駄犬呼ばわりされたのが頭にきたのか、男達は俺に敵意を剥き出しにしている。
怒りのせいか何故俺がヘルハウンドを馬鹿にする時に使う「駄犬」というワードを知っているのかは追求されない。
「や、やめて! この人達はそこら辺の破落戸とは違うのよ?」
「今さら遅いッ! 貴様の平穏は今日で終わりだあああ!」
角刈りが俺に殴り掛かってくる。
パチン!
「キャッ!」
俺が角刈りに殴り飛ばされると思ったのか、少女は堪らず目を背ける。
「ぐあああッ」
潰された蛙のような耳障りな声が響き渡る。
その声の主が俺じゃないと分かったのか、少女は直ぐ様視線を戻し「黒木君!」と俺の名前を呼ぶ。
「うん? なーに?」
「どうなってるの?」
「どうなってるの?ってまぁ、こうなってるの」
と、俺が握っている角刈りの右拳を少女に向ける。
「ぐああ……どうなってやがる、くそっ、離せ小僧!」
痛みと困惑が混ざりあった複雑な表情を浮かべてもなお、角刈りは強気だ。
そんな角刈りの態度にイラっとして握る手に力を込めると「ぎゃあああああ」と直ぐ様反応してくれる。
「き、貴様ああああッ!」
まさかの展開に思考停止していた、角刈りの仲間共が一斉に向かってくるが……おっせぇ!
まるでスローモーションを見ているかの様な男達を左手一本で対処する。
一発ずつ、確実に急所に突きささる様にして、打つべし、打つべし、打つべしいいいいいい!
「す、すごい……」
屈強な男達が、ポップコーンの様に弾け飛んでいく風景に、少女は驚きのあまり開いた口が塞がらないでいる。
「なっ、何者なんだ……貴様は……」
角刈りは、俺に対する警戒を最大限上げたようで、先程までの舐めくさった表情から一変プロの表情に変わる。
「何者って、ただの小僧だよ」
「ふざけるなッ!」
角刈りが俺に握られている手とは逆の手を天にかざすと、その手を中心に小規模なサイクロンが発生する。
「くらいやがれええ!」と角刈りは、サイクロンを纏った拳を俺に突き出すが喰らってやる義理もないので、サクッと躱し、そのまま角刈りを持ち上げ地面に叩きつける。
「くぶっは!」
苦しそうに踞っている角刈りを一瞥し、俺は少女にウィンクを飛ばした。