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コミュ障TS転生少女の千夜物語  作者: てぃー
3章

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ラストバトル

最終話とエピローグ同時投稿です

ご注意ください

 悪鬼の城で巻き起こる、たった二人の最終決戦。光と闇の激突は格闘戦から始まった。


 ディアナと慈善。双方が威圧するように近づいていく。一歩ずつ、確実に。しかし射程圏内に踏み入った瞬間、2人は弾かれたように飛び出した。一呼吸の合間に影が交差して入れ替わる。


(これは……っ!)


 打ち合った拳から伝わる感覚。慈善と一合やりあったディアナは瞬時に理解した。


 負けている。

 慈善の力にも、速度にも、ディアナは一切合切負けている。

 

 彼女の肉体は決して強いものじゃない。

 女性特有の柔軟性は持ちうるが、筋力は弱く、生粋の戦士――レイトの様な男性――と比べると力負けしてしまう。


 強化魔法を使っても基礎の差は大きな壁となって立ちはだかる。慈善と正面から殴り合えば必ず打ち負かされる。それが、この一合で彼女には理解できた。

 慈善も同様に読み切ったようで、余裕を浮かべた笑みでディアナを見下した。


「まずは僕が一勝。さあ次はどうする、このまま殴り合うかな? それとも魔法使いらしく、魔法戦で打ち合うかい?」

「そうですね……!」


 腕がしびれて指が震える。避け切れなかった拳で斬った頬から垂れる血が床にしみを作っていた。

 しかしディアナは地面を蹴ると、再び慈善の懐へと飛び込んだ。


「っ! 君、魔法使いじゃなかったのかい!?」

「そりゃもう神官ですからね!」


 慈善は驚愕の声色をあげて一瞬の硬直。予想外の行動が彼の判断を鈍らせた。


 ディアナだって理解できている。


 男と女。

 肉体という絶対的な格差が生まれる格闘戦は愚かな選択だ。早々に「闇」に対して有効な聖魔法を用いた魔法戦に切り替えるのが最善だ。


 だけど、だけれども――!


(こいつには一発入れなきゃ、私の気が済まないッ!)


 ディアナが幼少期から「お義母様(ヘレシィ)」に叩き込まれた格闘技術は護身用だった。

 『魔法使いには、魔法使いの戦い方が有ります』。そう言ってヘレシィが教えてくれたのは、相手の力を利用する武術の極意。弱者が驕る強者をねじ伏せる力。


「おぉおおお!!」


 ディアナは己を鼓舞するように咆哮を上げた。


 慈善相手に一歩だって引くつもりはない。勝てる勝てないじゃない、コイツだけには負けたくない!

 ヨルンを生み出した犯人は、悲しみを重ねる罪の権化だ。いくつもの悲劇を作り、生命を冒涜した邪悪を赦せない!


「ふぅん、いいだろう! じゃあ男女平等、僕は君を殴り飛――!?」


 ディアナの予想外の行動で、慈善は思わず身を引いて及び腰になる。ディアナはその体を強く押し込んだ。すると相手は前方に踏ん張るので、一気に反転。

 足払いと合わせることで相手の体が浮き上がる。自分の力で前に倒れ込む。


 慈善が言ったように、魔法使い(ディアナ)が格闘戦をする機会は殆どない。

 しかしそれは「出来ない」と同義ではない。むしろ――


「魔法使いだからこそ接近戦が重要なんだ!」


 辛く厳しい教育はこの日の為にあったのだ。

 『敵を投げるなら頭から地面に叩き付けなさい。石畳の上なら効果倍増。首の骨を砕きなさい』

 

 お義母様の言葉に倣って慈善の体を真っ逆さまに振り下ろす。


 タイミングは完璧。角度も良好。


 だけど、まさか直撃はしないだろう。

 彼はあの【純潔】や【勤勉】の上司。きっと容易く対処して、二度目の攻防に移り行く。そのために投げ技から繋げる先を幾つも考慮する――ディアナはそう思っていた。


「あ、ぐゅ!?」


 ところが、予想に反して慈善は無防備に石畳へと叩き付けられた。


「……え?」


 数十キロの質量を持った肉体が真っ逆さまに落下した。受け身や姿勢制御などできずに首から落ちた。

 それは細く脆い頸部に全ての衝撃が集約してしまうということだ。小さな悲鳴と共に、慈善の首が不自然な方向へねじ曲がる。口元の包帯が赤く染まっていく。


「……」


 動かない。


 死んだ。


 あっけない。


「っ! そんな訳ないですよね!」


 いくつもの感情が浮かんでは消えていく。

 しかし油断は無い。ディアナは背後で発生した気配を察して、その場を飛びのいた。


 今まで自分が居た場所を見れば、「もう一人」の慈善が抜き手を放つところだった。そこは丁度ディアナの心臓が有った場所。気を抜けばやられていたと嫌な汗がディアナの背中に浮かぶ。


「おっと、避けられたか。さすがに【純潔】のようにはいかないね」

「偽物? 影武者? いやアレは……」


 地面に倒れ込む慈善と、新たに出現したもう一人の慈善。2人を見比べてディアナは訝しむ。


 影武者を殺させて、油断した所を奇襲するつもりかと思ったが違う。そうじゃない。

 二人の【慈善】の気配は一致していた。同一人物と考えるのが正しいだろう。


「……もしかして、双子でしたか?」

「そんな訳ないだろう」


 冗談を挟みつつ、不審なものを見るようにディアナは睨みつけた。


 自分の遺体を事もなげに見つめる慈善が不気味だった。

 敵の種が分からないのが不気味だった。


 だがなによりも、一人の慈善を殺した瞬間から変わり始めた空気が身を焦がした。


 慈善が本気になった?

 それもあるだろう。


 だが、まるで世界が変わったようだ。

 今までいた場所が明るい光の世界なら、ここは黒く淀んだ地の底か。


 まるで目の届かない範囲から不気味な手が伸びてきて、四肢が絡めとられるような悪寒。この部屋が慈善の胃袋の中であるような気配に急に自分の背後が怖くなって振り返る。

 カンテラの光によって細く、長く伸びるディアナの影で何かが蠢いた気がした。しかしそれはディアナに感づかれた事を知ると消えていく。


「……嫌な感じですね」


 ディアナはもう背後を取られないように警戒を全方位に向けて、ゆっくりと距離を取った。


「柔道って奴かな。いや正確には柔術かな? そこを間違うと怒られちゃいそうだ。……なつかしいね、昔は毎日のように味わっていたよ」

「『光よ 悪を祓う飛輪 蒼天に御座――っ!」


 敵の話を聞くつもりはない。会話する余裕があるなら、詠唱してやろう。


「――ぅぐっ」


 そう思って呪文を唱え始めたディアナだったが、口内で生じた異物感で中断させられた。

 自分の口で突然発生した燃えるような痛み。次いで広がる鉄の味。ディアナは慌てて己の口から異物を吐き出した。

 

「うぇう、なにがっ……釘!?」


 ディアナの口からは指の先程の小さな釘が何本も出てきた。

 どうやら詠唱中に釘で口内を傷つけたことが痛みの原因だったようだが、なんで釘があるのか。いつ入ったのか。

 

 ディアナは手に持った血だらけの釘を投げ捨てる。うすら寒い恐怖を感じて慈善に目を戻すと彼は笑っていた。


「いいね、その顔が見たかった。自分の口という絶対的な領域を侵された、未知の攻撃に焦っているね。原因が分からないから対策しようがないだろう。入ったのが釘でよかったね? でも、次は何が出てくるかな?」


「……」


 慈善は使い込んでボロボロになったスーツのポケットから、ディアナが持つ釘と同じものを取り出した。


 しかし釘はすぐに捨てる。

 代わりとばかりに、慈善は死んだ天使の口から吐き出され続けている虫を数匹摘まみ上げた。


「どうして天使の体内に虫がいたのか不思議じゃないかい? どうやって入ったのか。犯人は誰なのか知りたいだろう?」


 名前も分からない黒い虫。

 甲殻を持っているのか黒光りして輝いて見える。その足は返し刃のようにギザギザの棘だらけで痛そうだ。慈善はそれをディアナに見せつけた。


「君も天使が可哀想と思ったんだろう? ならば痛みを分かち合うと良い。二度と味わえない貴重な体験だ」

「――ミトラス!」


 敵の攻撃を一つでも喰らえば命取り。防がねば終わりという背水の陣で頼れるのはたった一つ。絶対的な神の力、ミトラスを全開で起動する。

 聖具から放たれる浄化の光が部屋中を満たしていく。その中でも特に強固な結界を張ってディアナは防御に回った。


「はぁっ! はぁっ!」


 空気を求めて肺が何度も大きく広がる。痛いほど荒い呼吸。

 聖具を連続起動した疲労の所為か。戦いの緊張か。それとも、人の体内に気色悪い虫を入れようとする慈善に対する恐怖の所為なのか。ディアナの緊張は今にも断ち切れそうなほど張り詰めた。


「……またそれか。危なくなれば『助けて神様』って、情けないと思わない? 守って引き籠って、君は僕に勝つ気があるのかい?」


 一息付いて状況を持ち直そうというディアナに対して、慈善は失望したと肩を落とした。挑発だ。


「上っ面の正義感が心地よかったんだ。民のため、秩序の為にって、見せ掛けの正義を振りかざして城に乗り込んできたものの、君1人じゃどうしようもなかったんだ」


 つまらない挑発。分かってる。


「お前じゃ僕に何も出来やしない。ジュウゴもサンも守れない。多くの取り巻きを引き連れて、弱者を嬲りものにするしかできない奴に相応しい醜態だ。ああ、これで僕の気分も晴れるや。爽快だ」


 だけど……とても不愉快だった。


「ふぅん。こんなに言われても引き籠っているんだね? もう、いいよ。それならそこで見てると良い。僕が世界を変えるその時を――っ!」


 だが突如【慈善】の挑発が途切れた。

 彼は口元を抑えると、恨めしそうな目を向けて、ゆっくりと口から小さな釘を取り出した。


「……やってくれたね。ディアナ」

「ああ、すみません。その無駄に動く口が、がら空きだったので入れてみました。なんだ簡単ですね」


 ディアナは鼻で笑って見下し返す。

 慈善がしたように、相手の口に異物を放り込むという悪趣味な小技でやり返す。


「へえ? 種を明かしたってこと?」

「どうでしょうね? 気になるなら、次はそれを貴方のお腹に入れてあげましょうか?」


 無論、嘘だ。

 ディアナは敵の魔法を解いていないし、釘の応酬も慣れない転移魔法を使って模倣したに過ぎない。低位の転移術で敵の体内に異物を送ることなんて不可能だ。


(でもせめて、これで騙されてくれれば……!)


 結果は同じでも過程が異なれば防御方法はまるで変わってくる。

 魔法のからくりを解けていないディアナは、こうやって虚勢を張るしかない。そうすれば敵が諦めて別の手段で攻撃してくれるかもしれないから。


「無理だね」


 けれど、それは慈善には通じない。


「ムリムリ。不可能だ。深淵を禁忌として忌み嫌う人間にこの理論は通じない。理解できやしない」

「……!」


「自信が有るならやってみるといい。どうした、来なよ。僕はここだ。しっかり狙え」


 慈善は大きく腕を広げて待ち構えた。

 無防備に。あからさまに。トントンと自分の胸を指さした。


「君は僕を1人殺したろう。二度目を見せてくれないか。三度目だって期待してるんだ。望むなら100回やっても構わない。君が倒れるか、僕が諦めるか。結果は二つに一つ! さあ、さあ……さあっ!」


 ディアナは決断を迫られる。


 このまま守勢に徹するか、それとも打って出るか。

 分の悪い賭け。先の見えない勝負に嫌な汗が頬を流れ落ちていく。







 聖女さんと平太が城に突撃して数十分。

 なんか、城から化物が降ってこなくなった。ようやく敵切れか?


「えぇい! 民家の防衛班が薄いぞ! なにをやってる、貴様はそれでも神の軍勢か!」


 しかし街中の戦闘はまだまだ激戦だ。溢れかえった化物相手に対して天使達を筆頭に、聖教会の聖職者、騎士、それに街の駐留軍が戦闘を繰り広げている。

 その指揮を取るサナティオは興奮しているらしく、叱咤を飛ばしまくっていた。


(ぬぬぬ……腕が取れない。せめて俺は放っておいてくれよ!)


 しかし「(ヨルン)を守ってほしい」という聖女さんのお願いは忘れていないようで、ぎゅっと手を握ったまま離してくれず。

 ぐいぐい引っ張っても「ええいお前は落ち着け! ディアナは大丈夫だ!」と宥められる始末。


(ほんとかぁ!? 俺は嫌な予感しかしないんだけどぉ!?)


 だって空に浮かぶ――もう巨大ワームで縫い留められているけど――巨城は、見るからにラスボスの城だもの。


 敵もこれまでのモノとは毛色が違う。というより、ガチ戦闘って初めてかもしれない。 

 今までやった戦闘っていえば数えるほどだ。【純潔】は勘違いで襲ってきたお茶目さんだし、名も知らないマッチョのおっさんは夜人に雇われた演者だった。


 一応、村で教団に襲われて戦った事はあるみたいだけど、それはレイト隊長とか兵士さん、味方が一杯いた。防衛戦という事もあったし、今みたいに敵地に乗り込む危険性は無かったはずだ。


 それが今度の相手は、非戦闘員の多い南都に怪物を降下させて無差別に殺そうとするヤバい奴。


 ああ、そうじゃん!

 聖女さんの身が危険じゃん! なんとかしなくては!


「はなして、離して……!」

「だからディアナは心配ないと言っているだろう! 私の人を見る眼を信じるんだ! ディアナは強い!」


 聖女さんが強いのは知ってるの! でも、お前の目は節穴だと思うの!?

 戦闘指揮だって結構ミスってただろ。すぐ隣で聞いてたんだからな!


 だけど、普通に頼んで無理なのは分かったから言い方を変えてみる。


「違う。トイレ、もう限界、だから……!」

「……」


 サナティオがなんとも言えない顔をした。


「が、我慢できないのか?」

「できない」


「どうしてもか?」

「どうしても」


「そうか……」


 そしてゆっくり解かれるサナティオの拘束。


「トイレはあっち、だ。早く戻って来いよ」

「ん……!」


 やっぱりお前の目は節穴だ!







「聖女さん!」


 慈善と睨み合っていた静かな空間に聞きなれた声が反響する。

 見れば心配げな顔で駆けてくるヨルンの姿。ディアナはさぁっと顔面の血が引いた。


「なっ!? なんでここにヨルちゃんが!?」


 対照的に慈善から歓喜の声があがる。それもそうだろう、彼の追い求めていた器が自ら帰ってきたのだから。


「あぁ! これが神の采配か!! まさか君の方から来てくれるなんて!」

「ん……うっ!?」


 ヨルンは初めて気づいたとばかりに慈善の方を向いて、驚き、固まった。


「ぇ、なんで、包帯……そんな、全身……?」


 自分を作り上げた者との再会で恐怖に慄いたのであろう。

 ヨルンはいつも無表情な顔を酷くゆがめて、直視できず顔を伏せた。まるで怯えるように後退したが、慈善が追従していく。


「闇夜に輝いて見える君が美しい。吐く息すら神々しい。ああ……僕はずっと君に会いたかった。この瞬間を恋焦がれていたんだ」

「あ、の……こないで。お願い」


「何故だい。僕と君で直ぐに世界を取り戻せるんだ。なのに、何故? どうしてそんなに怯えるんだ」

「その……昔を、思い出す……から。やだ」


 目まぐるしく表情を変えるヨルンは、壁に阻まれて後退出来なくなった。それを慈善が追い詰める。

 そんな最悪の光景を前にしてディアナから冷静さが消し飛んだ。


「その子から離れなさい! 慈善ッ!!」


 敵の魔法が分からないなんて怯えている余裕は無い。これ以上、悩んでいる暇は無い。

 大切なヨルンに魔の手が伸びぬよう、ディアナは結界の外へと飛び出した。


「来たか!」


 慈善が待っていたぞと言うようにこちらを向く。もしかしたら誘われたのかもしれない。

 でも行くしかない。罠と知っていてもディアナに選択肢は存在しない。


 慈善が右手に持っていた虫を握り込んでディアナの視界から隠すと、闇の魔力が蠢いた。

 

 一歩。体内に異物感が有ればすぐに対処できるように感知を高める。

 一歩。内蔵を喰い破られる覚悟を決める。


 もう一歩。


 ――しかし、何も起こらない。


 そしてディアナは慈善の元へと辿り着いた。

 ヨルンに対して厭らしい眼を向けた怒りを籠めて力一杯、右ストレートを慈善に打ち込んだ。


「ぶばぶっ!」


 強化魔法を掛けられたディアナの殴打によって、無防備な慈善の体は暴風に吹きすさぶ枯れ枝の如く吹き飛んだ。何度も何度も地面を跳ねて遠ざかっていく。


 しかしディアナはそんなことはどうでもいいと、ヨルンを抱え込んだ


「どうして来たのヨルちゃん!?」

「っ……だって、だって、聖女さん」


「危険だって言ったでしょう!」


「わ、私も、まさか……あんなのが居るとは……ごめん」

「もう!!」


 ディアナの心には怒りが半分、そして安堵と自分を心配してくれた事への嬉しさが占めた。

 しかし今は二人で和気藹々としている余裕はない。ヨルンへの注意もそこそこに、慈善の方へと注意を戻す。すると慈善は消えていた。


「居ない!?」


 倒れて動かないサンは居る。しかし、一人目の慈善も、二人目の慈善も見当たらない。

 まるで最初から存在しなかったかのように全ての痕跡が消えていた。


「どこ……? どこに行った!?」


 慈善の気配を探る。

 どんな奇襲が来てもヨルンだけは守るんだと、ぎゅっと抱きしめて集中する。


 少なくともこの部屋には居ない。しかし油断はできない。奇襲だけは絶対にさせないと探知魔法を維持し続ける。


 慈善は逃げるような奴じゃない。

 ここにはサンが居る。ヨルンも居る。


 奴が野望を叶えるには、ここに戻ってくるしかないのだ。故に奴は必ずここに来る。そして、来た。


「君本当に魔法使い? なんで僕を二回も殴り殺すのさ、止めてよね」


「……貴方、普通に入り口から入ってくるんですね」


 ようやく戻ってきた【慈善】は、なぜか奇襲をしてこなかった。


 むしろ戦意を無くしており、ぼやきながら歩いてくる。

 それは余裕だからか。それともこれ以上戦えない理由ができたのか。


「いやぁ、だってさぁ。その数の暗翳(あんえい)は卑怯だよね……。さて、ここから僕に勝ち目はあるのかな」

「……ヨルちゃん」


 敵は慈善1人に対して、こちらはディアナとヨルン。

 そしてヨルンが援護に来たことによって、部屋を埋め尽くす様な夜人の群れが現れた。


 どうやらヨルンがいつの間にか夜人を全力で召喚したようだ。

 数十人単位で群れを成した夜人は怒りを滲ませて慈善を包囲する。


 夜人とはヨルンの親衛だ。片割れとも言える。ヨルンの気持ちを代弁し、表現する大切な友人。つまり慈善に対する夜人の対応こそヨルンの心。


「私は貴方が苦手。人の闇から生まれる妄想の病はもう嫌。だから……お願いだから、もう私に近寄らないで」


 ヨルンが辛そうな目で慈善を見つめる。

 慈善を良く知るであろうヨルンが漏らした、そんな言葉。キーワード。


「闇から生まれ……妄想の病?」


 ヨルンが現れてから傾き始めた戦況の天秤はディアナに味方した。

 形勢の余裕は、心の余裕となって、ヨルンから与えられたピースを組み立てていく。そしておぼろげながら敵の正体を掴みかけてきた。


「……ヨルンちゃんが勝利の鍵を運んできてくれたのかな」

「ん?」


 ディアナは抱えていたヨルンを優しく降ろすと、慈善に向かって歩き出す。

 助けられて最後までお膳立てされては保護者を名乗れない。コイツは私が倒さなきゃいけない。そんな矜持と使命感でディアナは最後の一手に手をかける。


「貴方と戦い始めてから、ずっと視界に入らない場所が怖かった。目を逸らした瞬間そこから世界が腐り落ちるような悪寒を感じて震えた。それは私が恐怖に駆られたからだと思ったけど、でもそんなのじゃ無かった」


 『二人目』の慈善が出てきたのはディアナの知り得ぬ背後だった。

 釘を出されたのは、ディアナが意識しない口腔内だった。


「闇とは未知だ。人が暗闇を恐れるのは、その先に何が有るか分からないからなんだ。けれど、分かってしまえば何てことは無い。あんなにも怖かった夜道は、照らせばただの道路と変わらなかった」


 ヨルンを助けようと飛び出したとき、慈善は何も出来なかった。

 二度目の慈善を倒した後に、三人目の慈善は何も出来なかった。


 夜人で溢れかえった今、部屋中を誰かの視線が飛び交って背後の恐怖は消え去った。


 その差。その違い。

 全ては意識されているか、いないかの違いだった。


 つまり慈善の魔法とは「人の認識しない未知を操作する」こと。死んだ自分すら「未知」から再構築して、新たに生み出した。


「ねえ、貴方はまだ『人間』ですか?」


 ならば、死んで、闇から再誕した慈善は『慈善』と呼べるのか?

 それは自分と言う名の他人ではないのか。そんなの化物と変わりない。ディアナが問い詰める。


「く、くく……」


 慈善は大きく笑い声をあげた。




「あははは! 凄いね、こんな短時間で僕の種がバレるとは思わなかったよ、うん80点。もうちょっとで満点だ」


 慈善は愉快そうに笑う。気分が高揚したのか、煩わしくなったようすで顔面の包帯を脱ぎ去って素顔を露にする。

 剥き出しになった筋線維と歯列が不気味に笑う。


「うっ……!?」


 ヨルンがディアナに抱き着いた。


「闇とは混沌だ。全ての可能性を秘めた、始まりの元素が混沌だ。人が観測することでそれは初めて決定される」


 暗闇を見てお化けを想像する人間がいるように、闇は人の想像を駆り立てる。それを自由に操るのが慈善の秘術だった。


 もしかしたら、見えないところに釘が有るかもしれない。

 もしかしたら、見えないところに慈善がいるかもしれない。


 そんな可能性を具現化して顕現させるのが慈善が編み出した闇の技法。


 弱点は多い。意識すればいいというだけの対策は簡単だ。

 仕掛けがバレてしまえば、もう勝てないだろう。


 だけど決して負けることはない。


「やっぱりジュウゴを確保されたのが痛かった。……次に期待しよう。僕は何十年も待ったんだ。今逃げるのは恥じゃない」


 慈善は自分の不利を悟った。

 ジュウゴとの敵対は無数の目と敵対するようなもので相性が悪すぎる。天使と違って暗翳――夜人のこと――は闇に精通しており、慈善の秘術に対処してくるというのも厄介だ。


 それに加えて、誰かが起こした南都の戦闘は収束に向かっている。ディアナにも仕掛けがバレた。ここで粘ればサナティオがやってくる。


 勝ち目は消えた。だけど負けることはない。


 慈善にとって死とは次の『慈善』へのバトンのようなもの。自分はここで終わっても使命を継いだ他の『慈善』が頑張ってくれるのだから、何も恐れることはない。


 夜襲、奇襲、不意打ちと。手段は豊富に残ってる。正攻法で負けたなら、次はそうすればいい。

 失敗は悔しいが、次は勝つ。慈善は怨みと蔑みを込めてディアナを睨みつけた。


「貴方は死なないんですね」


「うん? ああ、そうだよ。僕は不死なんだ。殺されても、すぐ誰にも観測されていない闇から再誕する。自分で自分をそういう風に作り上げた」


「でも、生まれ変わった者は本当に自分と言えるのですか?」


「……さあ? 別人かもね。僕は僕のことを【慈善】と思ってるだけの狂人かもしれない。本当の僕は遥か昔に死んだんだろう。だけど、それがどうしたんだい?」


 夜の神を復活させることが自分の使命。

 そこに己が誰かなんて疑問は関係ない。使命を果たす者が居たなら自分でなくとも構わない。


 崇める神は違えども、ディアナがそれすら分からぬ信徒だったとは。やはり太陽神の信徒は不甲斐ない。

 慈善はディアナの問いに対して鼻で笑った。




「そうですか……」


 狂ってる。そうとしか言えない慈善の価値観にディアナは悲しみを抱いた。


 なんと救われない魂か。

 神への階段に一歩踏み込んだ不死の怪物。それが慈善だった。もう罪の咎は永遠に終われない。


「ならば、私がここで断ち切ります」


 いま逃がせば次は無い。

 きっと慈善は二度と表に出てこないだろう。どう足掻いても殺しきれない慈善は、ずっと闇の中で蠢いているはずだ。人類の希望が崩れ去るその日を待ち望み。


 そんな未来は許さない。


 ディアナは首からミトラスを外すと両手で包み込んだ。


解放(リリース)――長夜を明かせ朝日影」


「な!? ディアナ、それはっ……ぎ、あぁあああ!!」


 ミトラスを包み込んだ指の隙間から光が溢れ、夜人を消し飛ばしながら部屋中を包み込む。慈善も破邪の光にやられて地べたを這いまわった。


 慈善の母胎たる闇を世界中から祓う。

 それは、神代の太陽神でも困難だった御業だ。


 天使じゃダメだ。サナティオでも不可能だ。


 それでも誰かがやらなきゃ、救われない。


 ここからが正念場だ。

 命を捨ててでもやり遂げる。


 そう覚悟したディアナだったが、気が付けば周囲は何も無い真っ白な世界になっていた。



 ―― 無理しないでって、私言いました


「あれ?」


 二人きりの世界で悲し気な声が聞こえた。


「あ……エリシア様」


 ディアナの前に現れた小さな光の玉。

 その正体はディアナの崇拝する聖教の主神にして、かつて世界を統べた太陽神エリシアだ。


 何度も繰り返しミトラスを使う事で親和性があがっていたのか。

 ラクシュミの闇を祓った辺りから聞こえ始めていた声が、ついに姿を現した。


 聖具とは太陽神の力が籠められた神具で、力とは存在そのものだ。このエリシアが太陽神エリシアその者かは疑問だが、その一部であることには変わりない。


 ―― たしかにミトラスを全開で起動すれば、世界の闇を祓えるかもしれないです。でも、それじゃ貴方の体が耐えきれない!


 光の玉が激しく明滅して「止めて」と訴える。

 しかし、ディアナは首を振る。


「慈善は逃がせません。今追いやっても奴は諦めない。次が来る。ヨルちゃんを解放するには完全に、完膚なきまでに、奴を滅ぼさなきゃいけないんです」


 ―― だ、大丈夫です! ヨルンなら大丈夫! だって彼女はあの子の器だし。でも私は、それよりも貴方の――


「それに! 慈善がいれば、ヨルちゃん以外にも被害者は出続ける……。明日、誰かの家族が殺されるかもしれない。そんな悲しみが連鎖する。だから、ほら、止めるしかないでしょう?」


 敬愛する主神に対して、意見を述べるのはちょっと不敬かなぁなんて思ったり。


 でもこれは譲れない一線だ。

 ディアナは確固たる意志でもってエリシアの光を見つめ続けた。


 ―― でも、だけど……!


 光が飛び交ってディアナの翻意を促すが、それはあり得ない。ディアナがディアナである以上、ここで引き下がることはない。

 その内根負けしたようで光の玉はしょんぼりと項垂れた。


 ―― じゃあ、覚悟してくださいね。


「はい。この城に乗り込んだ時から、できてます」


 ―― いいえ。死ぬ覚悟なんかいりません。私が手伝うから、貴方は死なせない。だからそうじゃなくって……生きる覚悟を。


「生きる、覚悟?」


 なんだそれは。

 ディアナはオウム返しで聞き返すが答えは無い。


 白い世界は再び色を取り戻し、ディアナは城の中へと戻ってきていた。




 その瞬間、ディアナの脳内に情報の暴力が襲い掛かった。


「……っ! これ、きつい!」


 世界を照らす太陽の光がミトラスの光と重なって、術者たるディアナに世界の全てを解き明かす情報を押し付ける。


 はるか遠くの国でのんびりと食事を楽しむ老夫婦の映像。森の奥で獲物を追う肉食獣の光景。戦争に明け暮れる見知らぬ国家。幾つもの大陸を超えた先にある海底の遺跡。


 生まれ落ちる命、散っていく命。それは太陽の光の下で行われる生命の営み。

 眼は天を走るというように、太陽の光が世界の全てを見通していく。慈善の操る未知を悉く消していく。


 だが、それはありとあらゆる出来事がディアナの頭に流し込まれるということ。


「あぁあああ!!」


 頭が壊れるようだ。

 だけど足りない。これはまだ、太陽が見守る世界の半分に過ぎない。


 これから、さらに世界の裏側へ。

 夜の世界を照らして、闇を祓わなきゃならない。世界の全てから未知を無くす。そうしなきゃ慈善は倒せない。


 だけど、いけるのか?

 今にも意識を失って楽になりたい。そんな苦痛の中で、倍以上の負荷を、これから?


「ああぁあっ、ああ!!」


 恥も外聞もなく、悲鳴が漏れる。

 そうしなければ意識が保てない。


 夜人が消滅して伽藍洞になった部屋を意識する余裕は無い。ミトラスの光で息絶えそうになってる慈善に構う余裕もない。


 ミトラスを握る手が焼けるように痛い。

 こんな聖具、放り投げて逃げだしたい。泣きだしたい。


「聖女さん」

「ヨル、ちゃん……?」


 そんなディアナの震える手を、ヨルンの小さな手が優しく包み込んだ。


「よく分からないけど、夜なら私も手伝えるから……ぁ、うーん? おー?」


 ぺたぺたとあまり理解していないようにヨルンが触る。

 だけど意味はない。ぷにぷにとしたヨルンの手の感触だけが伝わった。


「ふふ……っ、ありがとう。気持ち、だけで……大、丈夫」


 いや、ちょっと気が紛れたか。

 その間に星の裏側まで知覚範囲を広げて、頑張ろう……そう思っていたら、もう1人。大きな手がディアナとヨルンの手を包み込んだ。


「ジュウゴ、違う。これはこうやる」

「サンちゃん?」


「うぇ!? あぇう!?」


 ヨルンが驚きの声を上げた。

 それも仕方ない。だって手を添えてくれたのは、ずっと敵対していたもう一人の被験者。三番こと「サン」だったのだから。


 いつの間にか起き上がっていた彼女は、穏やかな表情でディアナに微笑むと言った。


「手伝う。こんな事しかできないけど、私は貴方の苦しむ顔を見たくない」

「……サンちゃん」


「っあえ!!? えぇ!?」


 ヨルンは及び腰でサンから逃れようとしているが、仕方ない。

 今までずっと敵対行動しか取ってこなかった彼女が味方してくれることが信じられないのだろう。

 

 慈善も嘘だと言うように声を荒らげた。


「止めろ!! 止めるんだ! サン! なぜ僕を裏切る!? 僕は君を生み出した親だ! お前は親を裏切るのか!?」


「貴方は貴方なりに私を愛してくれた。それが気持ち悪かったけど、ちょっとだけ、嫌じゃ無かった。だけどディアナを苦しめるなら、もう付き合えない」


「ソイツを選ぶのか!? 何故だ! なんで!」


「ディアナは私を変えてくれた。救ってくれた。だから……バイバイ」


 ディアナが昼を視て、ジュウゴとサンが夜を視る。

 世界の半分ずつを太陽と月の光が照らし出す。邪悪が潜む場所を許さぬと、全てを清め澄まして冴え渡る。


「もうちょっとでッ、もうちょっとでぇええ!!」


 多くの命を穢した悪鬼は怨みの声を残して消えていく。

 闇に染まった肉体が浄化され、中身を失ったスーツと包帯だけが空しく落ちた。

 

「……」


 静かになった空間だが、警戒はまだ解かない。もしかしたらと思ってしまうのだ。

 しかし数分経ち、何も起こらないことがわかるとディアナはへたり込んだ。脱力しきった手からミトラスが零れ落ちそうになって、慌てて抱え込んだ。


「……終わったね」


 疲労感と達成感があふれ出る。

 これで不幸の連鎖は断ち切られる。ここからは幸せな生活がはじまる。


「全部終わったよ、ヨルちゃん。サンちゃん……っ!?」


 そう思っていた。

 なのに、みれば「サン」の体が指先から崩壊していくところだった。

 

 深海のように青く冷たい粒子に分解され、空へと昇っていくサンの体を見てディアナは絶叫した。


「どうしたの!? なんで!? 慈善は倒したはずなのに!」


「……耐えられなかった。この体に『神の力』が宿ったから、不完全な体が耐えられなかった。これは、その結果」


「っ! それって!」


 間に合わなかった?

 この部屋に来た時、慈善はサンの体に何かしているようだった。あれは神降ろしの儀式だった?


 あるいは、さっき無理して手伝ってくれたから?


 後悔が押し寄せる。

 あと数分早ければ、サンを救えたはずだった。もうちょっと頑張ればサンを自由にできたはずだった。


「いいや。神の力を使わなければ、ディアナが危なかった。後悔はない」

「でも! それでも!」

「問題ない。全部、元の通りに戻るだけ。体は消えても私の心はジュウゴと一緒にいるから。だから貴方にジュウゴを頼みたい。これからは、『私』を一杯甘やかして?」

「――っ!」


 何てことは無いように言ってのけるサンを見ていられず、顔を伏せる。

 

 なんで、そんな風に言えるのだ。


 死ぬんだよ。慈善の呪縛から解き放たれて、これからだって所で終わってしまう。

 悔しくて悲しくて、涙が零れ落ちる。救いたかった者が救えなかった絶望に慣れることはない。


「あ、うん。そっか……またね」

「ん……ジュウゴ、また」


 唇をかんで、血が出るほど拳を握るディアナの横で行われる、ヨルンとサンの別れはそっけないものだった。

 

 それは今まで彼女たちが幾度となく繰り返してきたことなのだろう。

 死に別れることに、一々泣いていられなかったのだろう。


 慈善を倒して喜ぶ場面なのに涙が止まらない。

 大団円で終わらない悲劇を、どうすればいいのか分からない。


「……っ私は! もっと、もっともっと! ヨルちゃんを甘やかすから! だから!」


 それでも分かることがただ一つ。

 今宵の別れを涙で終えたくない。


 ディアナは精一杯の笑顔で、サンの最期を見送った。


「またね!」


「――ん」



 人の悪意が尽きぬ限り戦いが終わることはない。


 しかし今日、多くの犠牲者と悲しみを残して悪の一つが滅んだ。


 ディアナの辛く苦しい戦いはひとまずの終わりを告げたのだった。



~裏方~


夜の神「ただいま」

ヨルン「おかえり。なんでサン(?)の中に居たの?」


夜の神「お手伝い」

ヨルン「ほへ~」



次回!

エピローグで最終回!


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