悲しきすれ違い
聖教国を起点に幾つかの国を経由してアルマロス王国に入国するまで、およそ半月ほどの時間が掛かった。
当然、私がアルマージュ大聖堂に到着した時には、馬車は長旅による汚れや傷で酷いものだった。
気の利くホストならば、馬車の外装を綺麗にするのはもちろん、中まで掃除してくれる。しかしそうなると私が「ポチ」を連れ込んでいるのがバレてしまう気がした。
それは不味い。
ここは神聖な大聖堂、それも最高天使の有らせられる文字通りの神域だ。
道中で拾ってペットにしたポチ――悪意ある言い方をすれば、薄汚い野生動物――を連れ込むのは不敬を通り越して反逆に近い愚行。もちろん、そんな禁止事項は無いし、連れ込んだからといって罰則が有るわけでもない。
ただ、私の気分が悪いのだ。
神から「そうかそうか、お前は私に謁見するのに、そんな下等生物を同列に扱うというのだな」などと、言われたら私は自害する他ない。
無論、温厚で正義を尊ぶサナティオ様ならば非道なことは言わないだろうが、可能性があるだけで怖くなる。
神に軽蔑されるのは嫌だ。でもポチを置いておく場所もない。
仕方なく、ディアナ大司教や天使様に気付かれないように隠すことにした。そして、御者が上手くやったと言うので、念のため隠し場所の確認に来てみたのだが……。
「こんにちは、聖女ラクシュミ。こんな所で一体どうしたんですか?」
思いっきり隠し場所がバレていた。
「あわ、あわわわ!?」
「何を慌てる、ラクシュミ? いや、こんなところに黒い箱が有ったので不思議に思ってな、見ていたのだ」
しかもサナティオ様までいらっしゃる!?
「な、中……! 中身は見ましたの!?」
「いいや見て無いが。……いいのか? 私達が見ても」
「だ、駄目ですの!」
「……そうか」
にこやかな天使様と大司教。しかしどこかピリピリした空気を感じる。
張り詰めた緊張感に私は全てを悟った。
これは……終わりましたの。
まだ中身は見ていないそうですが、時間の問題。このままでは私の不敬がバレてしまいますの。
一度、大きく深呼吸すると改まって謝罪を送る。隠し立てはできないなら全てを明かした方が潔い。
「大変失礼いたしましたわ。それは私のペット。ここに来る際に、南都で拾ったペットですの」
ぴくりと大司教の頬が動いた。
「皆様にも見せて差し上げたいのですが、如何せん、汚らしい存在でして。お見せするほどのモノではありませんわ」
「っ、汚らしい……存在ですか?」
何故そんな事を言うんだと大司教の目が雄弁に語り、私を非難しているように感じられた。
そしてチラチラと檻に目線をやっている。
なんだろう? 気になる事でもあったのだろうか。
まあ、あるでしょうね。中身が見えない黒匣とか、怪しさ満点だ。こんな木陰に隠しておいたのも減点対象。爆破物と思われている可能性すらある。
こ……。
これは不味いんですのー!
私は反逆者じゃないんですの! 違うんですのー!
「で、でも皆さんが気になるというのなら、お見せいたしますわ。……私の罪の形」
一歩一歩、ゆっくりと箱に向かって進む。
ここで焦っては駄目なのだ。不審を買っている私が慌てて駆けよれば、制圧されかねない。
私はディアナたちを刺激しない様にと、わざと緩慢な動作で近寄った。
そしたら、なぜか彼女等は緊張した面持ちで私と箱の間を遮った。
「待て。まぁ待て。私達の話はまだ終わってない。無理に見せる必要は無いぞ。だから近寄るな」
「ええ。その通りです。確かにこれは不審ですが、見せたくないというなら、ラクシュミ様のご意志も尊重いたしましょう」
「……? 良いのですか?」
「ええ、ええ。まだ色々聞きたい事が有りますから。あ、ただし、危険物じゃないかだけ確かめたいので、解析させて頂いてもよろしいですね?」
ディアナ大司教は意を決したように聞いてきた。
解析――おそらく、中身を見ることなく、魔法で危険物かどうか判断するというのだろう。動物を見せたくない、私の事情を汲んでくれる良い配慮。
私はほっと息を吐いて、どうぞどうぞと許可を出す。
「ありがとうございます。……なるほど、バレない自信があるのですね」
ぼそぼそとディアナが何か言ったが、上手く聞き取れなかった。
聞き返そうかと思ったが、それよりも早くサナティオ様が私に質問する。
「ディアナの解析が終わるまで、ここでゆっくり話でもするとしよう。ところで箱の中身はペットだったか? 名前は何と言うんだ?」
「はい、先ほどポチと命名しましたわ。そこそこ賢いフェレットなのですが、飼い主に噛みついて逃げだそうとする悪い子ちゃんなので、管理が大変ですわ」
「……噛みついて、お前のとこから逃げたと。ちなみに飼い主とはお前の事だよな?」
「そりゃそうですわ。私がせっかく飼ってあげるのに、もう大暴れですわ。毎日、餌をあげるし、水桶の中身も変えてあげますのに。あ、トイレの掃除もきちんとやりますわ!」
これでも私はペットを飼うのは初めてじゃない。
貴族として生まれた私は、親にねだれば好きなものが買って貰えた。
ペットだって小さい頃から飼っている。幸せにする自信がある。そう思っていたのに、ディアナが冷たい声で軽蔑するように言った。
「まるで、この子を檻に閉じ込めるような言い様ですね」
「そりゃそうでしょう。それは動物ですもの」
何を言ってるんだ、この人は?
「ところで、この街にペットショップってありますの? よければその子の餌用に、虫か何か買って帰ろうと思いまして」
「……虫を食べさせる気ですか!? あなたは! この子に!?」
「そりゃそうでしょう。それは動物ですもの」
さっきから、本当になんなんだディアナさん。
しかもどんどん私を見る目がキツくなるのは、どうしてなのでしょう……。虫嫌いなんですの?
あ、私が上手にペットを飼えないと思っているのでしょうか。
ふふ、それは勘違いと言うもの。
ここは私がキチンと実績を持っていると説明して安心させるとしよう。
「心配なさらないでください、私は昔から管理に慣れてますの。友人の中には、ペット同士で共食いをさせた人も居りますが、私はそんな惨いことはさせません」
「と、共、食い……ですか?」
「ええ。ディアナさんは、そういう小動物の生態を知りませんか? キチンと管理しないとストレスや空腹で、仲間同士で殺し合っちゃうんですの。困った習性ですわね」
小動物でペットといえど、元は気性の荒い野生動物だ。縄張り意識もあるし、気に入らない子と一緒の檻に入れれば喧嘩してしまう。
私が最初に飼った3匹のハムスターも、互いに相性が悪く、ある時大喧嘩して酷い怪我をさせてしまった時が有った。
ああ、思い出しただけで、悲しくなってきた。しゅんと思いに耽る。
――そしたら、ディアナ大司教が、泣きそうな顔で怒鳴りをあげた。
「それは、お前等がさせたんだッ!!」
「な、ぇ……な!?」
「貴方が彼女たちを殺した! いいや、互いに殺すように仕向けた!! 貴方が……! 貴方の所為で、あの子たちは!」
目に涙を堪えて、力一杯に叫ぶディアナさん。
な、なんで? なんで突然ディアナは悲しんでるんですか?
喧嘩する小動物が可哀想だったんですの?
えぇ……。
いくら何でも感受性が豊かすぎやしないでしょうか。
「お、落ち着いて欲しいのですわ。ごめんさい、私が悪かったのです」
怒りを見せるディアナを少しでも落ち着かせようと静かに語り掛ける。
「ディアナさんの気持ちも分からないでもないですわ。でも、いくら何でも悲しみ過ぎです。これはペットのお話。いいですか、所詮、動物のお話で――」
「違う! ペットなんか関係ない! 貴方に彼女たちの気持ちが分かりますか!? 貴方の判断で死しか許されず、友達同士殺し合わされた、あの子たちの無念が!」
「え、いや、それは分かるような……分からないような? まあ、人間と動物ではお話できませんから」
「そんな事はありません! 私はこの子と心が通じ合っている自信がある! 貴方が言う『ペット』達とだって、分かり合えると思ってる!」
いや、いや! うちのポチと勝手に心を通じ合わせないでくださいよ!
貴方まだ会った事もないでしょう!?
……はぁ。
なんだこれ。
一体何なんだ。
どうしてハムスターのお世話を失敗しただけで、私はこんなに責められなくちゃいけないんだ。しかも共食いさせたのは私の友人であって、私じゃない。
謝ってるじゃないか。貴方は関係無いじゃないか。
そう思うとイライラが募って、腹の底でどす黒いものが沸いてくる気がした。
「動物といってもペットの様な愛玩動物もいれば、実験動物だっているでしょう。ディアナさんは、その存在も否定するのですか? 彼等のおかげで今の医療が有るのですよ。いわば技術発展の代償。尊い犠牲なのですわ」
だから、ついキツイ言い方をしてしまった。
それが油となって彼女の火に降り注ぐ。
「今度は実験動物呼ばわりか! そうでしょうね、貴方にとってヨル――!」
「――落ち着けディアナ。そこまでだ」
「っ!」
興奮し始めたディアナを止めてくれたのはサナティオ様だった。
ポロポロと涙を零すディアナの背中を叩いて慰めると、まるで守る様に自分の後ろへと回した。
今度はサナティオ様が私の前に来る。敵を見るような、冷たい目。
「ラクシュミ。言い残す事はあるか?」
「な、なんですの!? どういう意味ですの!?」
「本当はな、私もあまり手出ししたくないんだ。アイツ等が言っていたように、人間の問題は人間が解決すべきだと思ってる」
「は、話を聞いて欲しいんですの!?」
「ああ、無論聞いているともよ。これは聞いた上での裁定だ。残念だが、貴様と私は分かり合えなかった。闇を孕む貴様の正義を、私は感じ取ることが出来なかった。……残念だよ"聖女"ラクシュミ」
一歩踏み出すサナティオの静かな威圧。
世界で最も偉大な神の一柱は、その腰からゆっくりと神剣を抜き取った。
太陽の輝きを放つ、天上の一振り。
神に敵意を向けられただけで魂ごと蒸発しそうな熱を感じて、私の体は動きを止めた。
「あ……ぅ、え」
既に弁明の余地はなく、震えあがる事すら許されない。
それでも声を上げようと口を開けば、そこから魂が逃げだしそうになって慌てて閉じた。
偉大な至上者はそこに在るだけで、私ら卑小な存在を滅してしまう。
「安心しろ。苦痛は無い。極光に焼かれて罪を洗い流してくると良い」
「ぃ、ゃ……」
なにが聖女だ。なにが歴代最高だ。
私は所詮、井の中の蛙に過ぎなかった。いいやミジンコだ。神の前では路傍の石にもなり得なかった。
「サナティオ様!? それではヨルちゃんが……!?」
「心配するな、敵の罠は全て断つ。失敗は無い――禍い転じて福となせ! 光芒一閃【裏後光】!」
「ひ!?」
サナティオが下から剣を振る。地面を擦る様に振り上げると同時に、光の奔流が私を包み込んだ。
まるで空へ空へと舞い上がる光の滝。
雲を割き、天を割る。あまねく世界に光よ届けと、放射状に広がったサナティオの一撃は清らかな魔力を持って輝かす。
ああ――これが神の御業なのだ。
どんな闇も祓いのける力があり、それどころか良くないモノを逆に利用する効果が有りそうだ。
まあ、人間でしかない私ではこの技の本領を知ることは出来ないのだが。
「あぁ……」
最期の瞬間を迎える私は、感覚が鋭くなったようで数瞬がずっとずっと引き伸ばされていた。
目に映る光の渦が美しい。でもそれと同等に何でこんな事になったんだという後悔が湧きあがる。
動物を持ち込んだせいか。
いや、まさか……ハムスターの育成が悪かった所為か?
……それで、殺しに掛かる神様ってどうなんだ。
なんだが不服でイライラがどんどん増えていく。このサナティオへの怒りは間違ってないと思う。なんとか抵抗してやりたいとすら思えてきた。
だけど走馬灯のように時間がゆっくりと流れた所で、ただ消え去るのみで……のみで……。
「……あれ?」
私なんか生きてるんですけど?
まさかサナティオが手心を加えた? いいや、そんな訳がない。彼女は確実に私を殺す気だった。
では……なぜ?
その答えは突然現れた。
「何をしているラクシュミ。大丈夫か?」
「あ……!」
光の奔流が収まって、その姿がよく見える。
私を守る様に立っている。大切な『友人』の後ろ姿が。
ヨルン「……そろそろ出てもいいかな?」




