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コミュ障TS転生少女の千夜物語  作者: てぃー
3章

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ヘレシィ

「どうして……どうしてアンタはディアナを裏切った!? アンタはそれでも母親か!」


 ヨルンを送り届けた直後に襲撃者が現れた。怒声と共に拳が飛ぶ。

 どうやら先ほどの転送場面を見られていたようで、聖職者としてあるまじき闇の魔力を用いた魔法を証拠に教団員であることを指摘される。


 大した問題じゃない。

 義娘の親友を名乗るマーシアの拳を躱しながら、ヘレシィは歪んだ嘲笑を浮かべた。


「あらあら、貴方は不思議な事を言うのね。私は裏切ってなどいないわ。だって私は、最初からディアナと家族になったつもりは無いものね」

「ッ! コイツ!」


 薄汚れたスラム出身のヘレシィに「家族」は分からない。

 実の母親は育児放棄して6歳のヘレシィを置いて何処かへ消えた。次の母親は狂人だったから愛された記憶がない。

 二度の家族から与えられたモノは痛みばかりで癒しを知らない。人が言う「家族」の良さがヘレシィには分からない。


「それは貴方もそうでしょう? ねぇ、ロートティスマンの娘。貴方だって家族に利用された口でしょう?」

「……っ!」


 養子を組んでから、ヘレシィはディアナに近づく全ての存在を調べていた。そして「ロートティスマン家」の隆盛と零落を知った。


 ロートティスマン家とは10年前、オールター帝国で急成長を遂げる商会の会頭を勤める家だった。

 行商人から始まった彼等は、一代にして飛ぶ鳥を落とす勢いで販路を広げる注目株に成長したが、ある時、大きな壁にぶち当たる。


 平民と貴族の壁。

 特権階級であり、国を支配する貴族は、自分達を追い落とす可能性を持つ者を忌み嫌った。


 ロートティスマン家も商会が大きくになるにつれて目を付けられ、貴族と懇意の商会の利益を奪う存在として嫌われた。嫌がらせや妨害は日常茶飯事となり、身の危険も現実味を帯びてきた。

 貴族の世界において敵とは消すものだ。成り上がりの平民風情であったロートティスマン家は、存続の危機にさらされる。


 マーシャの父親――ロートティスマン家の当主が決めた解決案は政略結婚だった。

 後ろ盾となる貴族を得れば、ロートティスマン家はまた飛び立つことができる。お家のために、父親の非情の判断によってマーシアはタナトフィリアに狂った有力貴族に嫁ぐ事になった。


 見知った者の死を見ることで興奮するその貴族は、マーシア以前にも数え切れないほどの妻と離別――殺害――を経験していた。しかし妻の生家には相応の対価を差し出していた。


 つまり、マーシアは生贄だった。

 娘を差し出すから後ろ盾になって欲しい。我等を守って欲しい。そんな家族の欲望にマーシアは晒された。


「それでも貴方は家族が素晴らしいと本気で謳えるのかしら?」


 偽善者はすぐに家族だの絆だのと、愚かな希望を嘯くものだ。

 騙る内容はありきたりでヘレシィにとって聞くに耐えない狂人の戯言だ。


「貴方が逃げたからロートティスマン家は滅んだのよ。貴方の所為で、貴方の家族は殺された。あらあら? 家族のためと言うのなら、死ぬべきは貴方だったんじゃないかしら?」


 差し出されるはずだった生贄を奪われた変態貴族は怒り狂った。

 悍ましい矛先はマーシアの家を向いて、悲劇の幕が開かれた。


「ねえ偽善者って誰だと思う? マーシャ、貴方は聖職者なのだから、人に家族を語る前に自分がキチンとしなくちゃダメなのよ?」

「……ぃ」


 嫌な記憶を掘り起こされたマーシアは俯いた。

 事実に対して言い返すことはできない。


「じゃない……」


 だが、すぐに前を向くと、全力の雄たけびを上げた。


「知った事じゃないわよ、そんなの! 今はアンタの話をしてるんだっつうの!! 話を逸らすな、バーカ!」

「っ!?」


 マーシャの失った左腕から炎が吹き上がる。髪の色のように朱く、莫大な熱量を持った焔が意思持つ蛇のようにヘレシィへと襲い掛かった。

 ヘレシィはなけなしの魔力で対魔法用の空間を展開。しかし、炎は防御を通り抜ける様に貫いた。


(これ、は……魔法じゃない!?)


 魔法とは物理現象だ。魔力が特定の刺激を受け、特定の形をとった結果が魔法だ。

 炎とは一般的な攻撃魔法の一種で、防ぐ方法は大きく分けて二通りある。こちらも攻撃魔法を放ち、同等のエネルギーをぶつけて掻き消す方法、そして防御魔法によって魔法を通さぬ壁を張る方法。


 だが、ヘレシィには三つ目の方法があった。

 枢機卿となって与えられた聖具を解析・再現した魔法。決して、公にでない「対魔法に特化した解除域」。

 それは魔法という形を取った魔力結合を解除する空間を展開することで、どんな強力な魔法であろうと存在できなくするという絶対の防御方法。こちらは少ない魔力で、敵の攻撃を無に帰する事が出来るのだから、効率の良い万能の防御空間だった。


 だが、それが、まるで存在しないかのように突破された。


 迫りくる炎。

 ヘレシィは仕方なく解除域を消すと、攻撃用に準備していた魔法を防御に回す。


「解ッ!」


 同出力の炎と氷がぶつかり合って、爆発的に生まれた水蒸気が洞窟中に広がっていく。視界が遮られた。

 急激に蒸し暑くなった事でヘレシィの腕の中の子犬が驚いて目を覚ましたようだ。混乱してオロオロする子犬の首筋を撫でて宥める。


 どこからくるのか。いつ来るのか。

 マーシャがどう攻めようとも対応できるように身構えるが、数十秒待ってもマーシャはやってこなかった。


 水蒸気が覆う白の世界。

 静かで進まぬ状況。


 まさか逃げたか?

 そう思って、ヘレシィが一度大きく息を吐いた――


「うぉおおおお!!」


 ――瞬間。

 雄たけびと共に、煙を突き破ってマーシャが現れた。


 殴り飛ばそうと、振りかぶった腕はフェイク。

 マーシャは射程距離まで入ると一気に姿勢を落とした。地面すれすれの体勢から、ヘレシィの首目掛けて蹴り上げが飛ぶ。


「あらあら」


 随分と元気のいい淑女なことで。

 マーシャのスカートが捲れて下着が見えてしまっている事を指摘せず、ヘレシィは首を逸らして一歩後ろへ。追撃に合わせてもう一歩。


 引けども、引けども、マーシャの攻撃は終わらない。次々と繰り出される大攻勢。

 脚撃が主体なのは片腕所以か。しかも単調な攻撃とならないように、マーシャは絶えず姿勢を変える。


 回転を併せた二連撃。膝突き。片腕で地面を支えての蹴り上げは、天地に囚われない。相対する者に息つく暇も与えぬ、緩急自在な打ち掛かり。

 しかし、ヘレシィは焦ることなく回避に専念。その時を持ち続ける。そして、連撃を繋ぐ僅かなタイミングを突いて、2人の影が一瞬で交差した。


「ここですね」

「なっ!?」


 ヘレシィの肘がマーシャの顎を捉えた。チィっと皮膚同士が擦れるような威力の無い一撃。出血は無い。痣にもならない。マーシャの肉体にダメージなど与えない。

 だが、息つく暇もなかったマーシャの連撃の雨が嘘のように止んだ。


「互いに魔力不足ですね。私はあまり肉体派ではないので、ここらで仕舞としましょうか」

「ふざ、け……!」


 顎とは人体の急所だ。顎先を掠める打撃は撫でるような威力でも、振幅を増大しながら脳天を突き抜ける。

 脳が揺さぶられ、視界が回るだろう。マーシャは覚束なくなった足取りで、ヘレシィから距離を取ろうと足掻くが隙だらけ。ヘレシィが適当に足を払うと簡単に転がった。


「あら、また?」


 そしたら左肩の炎がマーシャを守るように立ちはだかった。

 どこか女性の人間のようにも見える陰影。なるほど、とヘレシィは炎の正体を見破った。


「それ魔法でなく、残留思念でしたか。炎なのはマーシャさんの影響でしょうかね? 初めて見ますね」


 残留思念――霊魂あるいは、魂と言い換える事もできるかもしれない。

 心霊魔法を扱うネクロマンサーや降霊術士は極稀に存在するが、いまだ解明しきれていない死後の世界や魂を体系的な魔法技術に落し込めていない現状もあり、彼等は希少な存在だ。

 

「興味深いですね。私の解除域で防げなかったから、やはり魔法とは違う存在なのでしょうが……魂、気になりますね」


 マーシャの傍らに立つ気配は彼女と近しき者。

 迷宮探索の道中でマーシャの戦いを見ていたが、こんな技を使う場面は無かった。隠していたにしても、これ程の存在を隠蔽するのはいささか難しく、無くしたマーシャの左腕を鑑みれば悪魔との取引で得たものと予想される。


 推測を重ねるヘレシィに対して、まだ回復しきっていないマーシャが語り掛けた。


「わた、し……は」


 それは時間稼ぎであったのかもしれない。

 だが、興味を持ったヘレシィは黙って敵の言葉に耳を傾ける。


「私は、間違った。母様も間違った。苦しい時こそ、家族でもっと話し合うべきだったのよ。でもそれをせず、2人のとった勝手な行動が裏目に出てしまった」


 揺れる眼球で視界が定まっていないにもかかわらず、マーシャは両足でしっかりと大地を踏み締める。泥に汚れた顔を上げた。


「母様は私のことを愛していなかった訳でも、利用したかった訳でもない。彼女は彼女のやり方で、私を逃がそうとしてくれた。だけど愚かな母娘にはそれが引き寄せる結果が分からなかった。最後に会話を交わした時の顔は見れなかったけど……きっと母様は泣き顔だった」


 例え話をしよう。

 誰かが「等価交換の悪魔」との取引で親しき人の蘇生を願ったとしよう。それは己の命を対価に叶えられる。だが蘇生された人は、親しき人の物言わぬ躯を見て、そのとき一体何を思うのか。


「死んだと思った。悪魔に体を持っていかれた。だけど――」


 そういえば、ヨルンを探している時、一時的とは言えマーシャの気配が消えた時間が有った事をヘレシィは思い出す。その瞬間だけ別人の魔力が感知されたが、すぐにマーシャの気配に戻っていた。

 老化に伴う魔力制御の不安定化だと思い、気のせいと判断したが……もしかしたら、それで正しかったのかもしれない。


 ヘレシィはマーシャの言わんとする事を理解して炎に目を向けると、炎は娘を守るために揺らめいた。


「だけど、懐かしい声が聞こえたのよ。貴方は生きて、って……切なる母の声が!」


 ここは霧降山の麓。神話に最も近き望みの地。

 魔力が足りずとも、肉体を対価に捧げれば奇跡は顕現する。魂は結ばれ御業は為される。今ここに、マーシャと母親は一つとなった。


「deacon【be burning my heart/炎点ぜよ我が気魂】!!」


 マーシャが跳ね起きる。

 詠唱は簡素。階級は低位。しかし母なる焔が効果を押し上げる。

 全身に焔を纏い、音より速く。風より静かに。闇を祓うためにマーシャは走り出す。


 一方ヘレシィの片手は子犬で埋まり、魔力も尽きている。逃げるにしても一本道で取られる手段は限られる。――だが、侮るな。ヘレシィは堕ちたといえ枢機卿。


「面白い。けどダメよ。その程度の魔法じゃつまらない」


 彼女は迫りくるマーシャを前に、瞬時に最適な手段を選択した――格闘戦の継続だ。


「私をおばあちゃんと舐めないでくださいな!」

「なっ!? うっわ!」


 相手の力を利用するように、ヘレシィは片手でマーシャの勢いを変えた。

 攻撃したかった筈なのに、突如浮き上がった自分の体にマーシャは戸惑いの声を上げる。円運動で回り出した体は止まらない。マーシャはそのまま迷宮の壁へと突っ込んだ。


「行動が直線的すぎますね。速く、力が有れば強いと言うものではありません」


 常に万全の状態で戦える筈がない。

 魔力切れ程度の逆境は何度も経験してきたし、乗り越えてきた。それこそ子供の時からだ。


 剣に弓、暗器に爆弾。使える全てを使う。

 ヘレシィは祭服の内側から取り出した"毒薬"と描かれた瓶を見せつけるように突き付けた。


「ちょ、ちょっとアンタ! それマジ!? マジでいってる!? なんつーもん持ってるの!?」

「備えあれば、憂いなし。知ってます? 殺し合いとは魔法だけじゃない。正攻法で行われるモノじゃない」


 分かりやすく髑髏模様が描かれた瓶に入っているのは、見るからに毒々しい色の液体だ。

 蓋を取ると紫の煙が漏れ出してくる。それをヘレシィは躊躇することなくマーシャに振りかけた。


「うっわ!?」


 液体は雨のように降り注ぐ。

 毒薬であれば蒸気すら致命的だから炎で燃やすわけにはいかない。マーシャは慌てて回避するべく飛びのいた。

 その一瞬が欲しかったヘレシィは、自分で撒いた毒霧の中に突っ込んで、最速を持ってマーシャへと肉薄する。


「おっと勘違いしないでくださいな。誰がこれを毒と言いましたか? ただの色水ですよ。まあ、ちょっと毒液の瓶を再利用させてもらいましたけどね」

「っそれ卑怯じゃない!? アンタまじで――ごっ!」

「あら、戦いにそんなモノは存在しませんよ?」


 マーシャの水月をヘレシィのつま先が貫いた。

 【造魔器官】が存在し、魔力を司る場所を強い衝撃が襲うことで、マーシャの身体強化魔法が効果を無くす。だがそこで追撃の手を緩める理由はない。


 次は二度と起き上がれないように丹念に。ヘレシィはマーシャを責め立てる。


「あ、っ、ぐう……! 止め――!


 顎は基本だ。こめかみも脳を揺らす急所。叩いておけば普通の人間はまず動けなくなる。鼻と口の間――人中――を付けば呼吸困難になるだろう。

 喉もいい。体重を載せて踏み砕けば首の骨が折れて死に至るし、それでなくとも確実に呼吸は乱れてくれる急所の一つ。


「う、が……ぅ」

「ふむ。炎が邪魔ですね」


 倒れたマーシャへ追い打ちを掛けていたら、ヘレシィを拒絶するようにマーシャの焔が寄ってきた。娘を害された怒りに昂ぶっているのか、炎は青白く燃え上がり、火力も増している。

 灼熱の火の穂が舐めるようにヘレシィを焼き尽くそうとするが、気にするほどの事ではない。煩わし気に手で払うと炎身の半分が消し飛んだ。


 これは自然炎でなく魂そのものであり、正体にさえ気付ければ対処は簡単だ。

 降霊魔法があるなら除霊魔法もまた存在する。基本的に出番のない魔法であり、習得者は多くないが、ヘレシィは魔法戦のエキスパート。使えるのは必然だった。


「さて偽善者さん、大切な炎も静かになってしまいましたね? ……っと、もう魔力が回復してきましたか。若さっていいですねぇ」


 そうこうしている間にも、悪魔に捧げて激減していたマーシャの魔力が戻ってきたようだ。


 魔力とは体力に似ている。

 その大半を使い果たしても休憩すればある程度は回復してくる。

 マーシャのように若い健康な人間であれば、こうやって会話している間にも、低級魔法の数発分は回復してしまうだろう。一晩も寝ればばっちり回復だ。

 対して今の老いたヘレシィでは、一向に回復しないのだから羨ましくなってしまう。


「おっと、危ない。駄目ですよ魔法を使っちゃ」

「ぐっ……うぅうう!」


「だから駄目ですって。話を理解してくれますか?」

「あがあぁ、げほ……ごほっ、ごほっ!」


 マーシャが魔力を練ろうとするたびに水月を蹴っていたら、肋骨が何本か折れたらしい。

 マーシャは血の混じった唾を吐き出すと、焦点の合わない忌々し気な目で睨みつた。気を失ってもおかしくないほどの激痛だろうに、辛うじて意識はあるらしい。

 追い込まれたマーシャを見下してヘレシィは考える。


 そういえば、マーシャはディアナの親友だったはず。

 ならば、もしも……親友が死んだとディアナが聞いたなら。犯人が義母と知ったなら。娘も私のように苦しんでくれるだろうか。


(……いえ、そんな遊んでいる時間は無いですけどね)


 湧きあがってきた仄暗い欲望に蓋をする。

 優先すべきはヨルンだ。無駄な時間を過ごす訳にはいかないから……それに。


「さてマーシャさんは、もうまともに動けないようですね。じゃあ、これぐらいですか」


 殺す必要は無いだろう。

 もう十分に追い込んだと判断して、ヘレシィはマーシャの上から足を退けた。背を向けると出口に向かって歩き出す。


「っアンタ、どこ、に! 行くつもりよ……! 逃げるっていうの!?」

「……」


 往生際が悪いと言うべきか。それとも、その度胸を褒めるべきなのか。

 去ろうとするヘレシィに向かって、悪態をつきながら地面を掴むマーシャ。しかし、もう戦う力は残ってない。


 痛みで魔力操作がおぼつかず魔法は使えない。手足は砕かれ、力が入らない。

 それでも、せめてもの抵抗なのか炎を飛ばしてくるが、まるで見当違いの方向に幾つも着弾する。洞窟内で燃え広がった焔は力なく、真っ赤だった色まで弱弱しいオレンジとなっていた。


 マーシャは立ち上がる事すらできず、地面に這い蹲ってこちらを見上げる無様な姿勢だ。そんな状態で無理に大声を出すのだから、折れた肋骨が肺を突き破ってしまったらしい。マーシャ大きく何度も咳込むと、喀血して血を吐いた。

 ヘレシィは残念な子を見る目で振り返る。


「そのまま寝ていれば、そのうち回復魔法を使えるのではないですか? マーシャさん。死にたいのですか?」

「黙りなさい! アンタ、逃げるっていうの!? そうやって……! アンタはまた逃げるんだ!」


「……『また』? マーシャさんは不思議な事を仰る。逃げるとは敗者がする行動。この状況でどちらが敗者なのか。頭を打ち過ぎて、それすら理解できなくなりましたか?」


「ええ、私は負けたわよ。魔法一つ使わないアンタに、攻撃を掠らせることも出来ず無様に負けた! でもアンタだって敗者じゃない!」


 坑道内で長く大きく、炎々と燃え上がる黄金の焔に照らされてマーシャは叫ぶ。

 だが言葉の内容に思い至らずヘレシィは首を捻った。


「はて」


「とぼけるな! アンタは前の私とおんなじ目をしてるのよ。家族を嫌っているけど、その実、アンタが一番家族を求めている。理想的で、互いに愛せる本当の家族を欲してる。でもアンタはその一歩を踏み出すのが怖くて、ずっと(ディアナ)から逃げてきた!」


「……なにを根拠に」


「なら言ってみなさい! アンタが何のためにディアナを娘にしたのか! ここまで一切手を出す事なく過ごしてきた意味を! 曝け出してみなさいよ、アンタの本心を!」

「……っ」


 ――ディアナ。

 今から10年以上も昔に孤児院から引き取った少女。

 ヘレシィは何年経っても余所余所しい関係の娘を考える。その瞬間、頭がくらっと揺れた。


「あ、れ……」


 吐き気、めまいの不調が襲い掛かってきて、立っている事ができない。

 震える手足を自覚して思わず膝を突くが、それでも体調は戻らず目の前が暗くなっていく。


「やっと効いてきたみたいね、ごほっ! あぁ、息し辛いわねぇ。人の肋骨を何本もポキポキ折りやがって」


 マーシャは数度咳込むと、自分の口に手を当てて小さく浄化の魔法を放つ。


「一酸化なんたら中毒。『火属性が好きなお前は、炎の色と頭の高さには気を付けろよ』って……まあ、ハルトの言葉は殆ど理解できなかったけど。これ、上手くいったのかしら?」


 マーシャが何か言っているが頭に入ってこない。ヘレシィの意識はそこでプツリと途絶えたのだった。


「……ふん。アンタには、ディアナの前できっちり本心を語って貰うんだから、覚悟しなさいよ」







 微睡む意識で、思い出す様に夢を見る。

 それはヘレシィが王国中の様々な孤児院を回っていた過去の記憶。


 義母を殺し、エクリプス家の当主として枢機卿に就いてしばらく。ヘレシィは周囲に怪しまれないためにも後継者を探す必要がでてきた。

 エクリプス家の慣習では孤児から才能ある次代を探すらしい。特に興味が無かったので、ヘレシィはそれに倣って行動することにした。


 別に誰でも良かった。

 光に絶望し、平和のために活動する気などさらさら無いヘレシィにとって、今更、聖職者を育て上げるのはただ面倒なこと。だから規模の大きい孤児院を中心に回り、適当に魔力の多い子供をリストアップしていった。


 最後の孤児院の視察も終わり、出そろった候補の名前が書かれた紙を持って散歩する。

 この中の誰かでいいだろう。運で決めるのが簡単か。そう思い、ヘレシィが目をつぶって適当な名前を指さそうとしたその時。遠くから子供の泣き声がした。


『うわぁあああああん!! ぼくのお菓子、取ったぁああ!!』


 そこは街の小さな孤児院だった。

 先ほど見てきたような、貴族の手が入った豪華な施設じゃない。街の司祭が個人的に経営する貧乏な孤児院。そこでヘレシィはディアナと出会った。


『こら! だめじゃない! 貴方はお兄ちゃんなんだから、弟のお菓子とっちゃ!』


 慌ててやってきた少女が、泣き叫ぶ幼い少年をあやしながら叱責する。

 怒られた方は不満顔で反発していた。


『俺じゃねーし! つーか弟じゃねぇ!』

『弟でしょう。だって同じ孤児院にいるんだもの、みんな家族で――』

『家族じゃねぇし……! うるせぇな! もういいよ!』


 お菓子を取ったであろう犯人の少年は逃げるように走り去る。

 怒られて、苦し紛れの台詞を吐いたのか。それとも本心からか。否定の言葉を残して行く少年の背中を寂しそうに見つめる少女。それが当時のディアナだった。


『違うもん……家族だもん』


 本当にそう思っているであろう辛そうな声。

 それを聞いた瞬間、ヘレシィはその少女が欲しくなった。


 これまでの候補に居なかった種類の人間だ。

 保有する魔力はそこそこ有るが、エクリプス家の後継者としては落第もいい所。決して選択肢に入る人材ではない。だけどそんなの関係ない。


 幼いディアナが放つ暖かい魔力は、ヘレシィが持つ僅かな陽だまりの記憶を呼び起こす。

 ヘレシィには予感が有った。彼女は特別な人間だ。凍てついた者の心を解きほぐしていく才能を持っている稀有な人材だ。

 

 ――あの少女なら、あるいは私でも……。


 抱いてはいけない希望の光をヘレシィは見た。もう一度、私は誰かを信じられるかもしれない。家族となれるかもしないと。

 だが「どうせ裏切られる」と冷静な自分が制止する。期待すれば、その分だけ辛い思いをするのは自分なのだと。


 好きだった実母に捨てられて、エクリプス家に引き取られて、ここまで良い事が有ったか。何も無い。


 隠れて仲良くなった魔犬は殺された。

 ずっと一緒だよと誓いあった親友は、その日の内にヘレシィが手に掛けた。


 叫びたい程、壊れそうだった心は何時からか動かなくなった。

 ヘレシィが帰り着く場所は決まって地獄の底だった。こんなことなら、もう未来に希望を感じたくない。


 ――なら、あの子が絶望する瞬間を見れば、慰めくらいにはなるか……。


 だからヘレシィは見つけた希望を自分で壊す事にした。

 家族を信じ、愛を想う少女が自分と同じように堕ちてくれれば、それはそれで寂しくない。


 ディアナを引き取るのはひと手間かかったが上手くいった。だが、そこからが順調では無かった。


『で、ディアナって言います……よろしくお願いいたします』


 少女の警戒する瞳。だけど、その奥底で期待も見え隠れしていた。

 ヘレシィは、ちょっとだけ壊すのを後回しにした。


『貴方はエクリプス家を継ぐ人間です。もっと胸を張りなさい』

『は、はい』


 礼儀を教えた。


『魔法を使う時は術式を理解しなさい。丸暗記なんて意味がない。その小さな頭で、少しは理論を考えなさい』

『は、はい!』


 魔法を教えた。


『あのお母さま……お菓子作ってみました、一緒に食べませんか?』

『……馴れ馴れしくしないで貰えますか。要りません。そんなの、独りで勝手に食べなさい』


 気付けば何年も経っていた。ヘレシィは持ちうる全てをディアナに教え込んでいた。


 壊すはずだったのに、それがどうしても出来なかった。

 ディアナの雰囲気に充てられて、もしかしたらと思ってしまう。だけど仲良くなることもできなかった。彼女が近づこうとするたびにヘレシィは距離を取った。


 怖かった。

 自分が幸せになることが、恐ろしかった。


 もしも暖かい世界を知ってしまえば、二度と無感動ではいられない。既に闇にどっぷりと浸かっていたヘレシィは、審判の日が来ることに怯え続ける事になるし、再び絶望に突き落とされればもう耐えられない。

 だからヘレシィは付かず離れずの距離を欲した。影から陽だまりを見つめる位置が彼女には丁度良かった。


 そしてディアナの方も、ヘレシィの腹の内が読めない事や、仲良くなりかけるたびに冷徹な対応をされる事で、その内に諦めてくれた。


 そこから関係は一切進んでいない。

 互いに警戒し合う冷戦状態の様な関係で今に至るのだった。







「……ここ、は」


 懐かしい夢をみて、ヘレシィは目を覚ました。

 マーシャとの戦いでしてやられた事を思い出し、それでも自分がまだ生きてることを不思議に思い、そして何かに乗って運ばれている事に気が付いた。


「あら。子犬ちゃん」

「がう」


 それは、ヘレシィが「等価交換の悪魔」で蘇生させていた子犬だった。

 先ほどの戦いの最中はずっと腕の中にいた魔物。だが、いまではヘレシィを背中に乗せて運べる程大きくなっていた。


 手足はすらりと伸び、可愛らしかった顔は精悍な顔つきに変わっていた。四つある目の半分がヘレシィの方を向いた。


「成長したの? ……そう、『悪魔』ね」

「がう」


 魔犬がヘレシィを運ぶ周囲にマーシャはいなかった。

 魔犬の後ろ脚の一本がミイラのように干からびている。状況的に、倒れたヘレシィを助けるために悪魔と取引したということだろう。そしてマーシャの元からヘレシィを連れて逃げ出した。


 自分の魔力が多少戻っている事に気付いたヘレシィは、見るからに痛々しい傷に手を添えると呪文を祈る。


「Bishop【Physical healing/身体回復】……ごほっ、あー」


 聖魔法はやはり使い辛い。だけど、まだなんとか使えるようだった。

 魔犬の回復した後ろ足を見て、ヘレシィは微笑んだ。


「ところで、子犬ちゃんは何処へ向かっているの?」

「がう?」


「適当なのかしら……そっちは迷宮の奥みたいよ」

「がうー?」


 あらあら、この子、馬鹿の子かしら?

 急成長した肉体に知能が伴っていない。何もわかっていない様子で首をかしげる魔犬に、ヘレシィは笑いを漏らした。


 もう、どこでもいい。

 マーシャに自分の本心を見破られ、突き付けられ、そして敗北した事でヘレシィは全てがどうでもよくなっていた。


 これからどんな顔をしてディアナに会えばいいというのか。今更、家族になって欲しいなんて言える筈がない。

 かと言って、教団に戻って世界の破滅を願う程の情熱も無くなってしまった。


「なんだか、疲れちゃったわ……」


 ヘレシィは抜け殻のように魔犬の背中に寄りかかる。


 もう、やりたい事が無い。生きたい欲がない。


 ……そうだ。せめて、戦いに勝ったマーシャには、助言でもあげるとしよう。ヘレシィは何となくそう思い至った。

 ヨルンの製作者である、聖女と日ノ本会の情報。そして実は第三者であった黒燐教団が、今はヨルンの確保のために動き出しているという内容を伝える。


 標的式転移魔法の応用だ。声だけ飛ばすという「念話」を使って、ヘレシィはまだ先ほどの場所で倒れているマーシャへ一方的に語り掛けた。


「あら……」


 それらが全て終わった時、魔犬に連れられたヘレシィは坑道を抜けて、いつの間にか開けた場所に出た。



 見渡す限りに広がる大平原。

 夜霧のような魔力が降り注ぐ切り立った山々が聳え立つ。空を仰げば明るい星々が瞬き、白銀の月輪が世界を照らしていた。


「……霧降山」


 優しい風が頬を撫でる。

 ここは迷宮の中ではない。いつの間にかヘレシィは異なる世界へ迷い込んでいた。


 魔犬から飛び降りると、近くの草に潜んでいた狐の精霊種が驚いたように飛び出して、そのまま逃げて行った。


「そっか」


 辿り着いた……いや、魔犬が連れてきてくれた。


 ありがとう。

 そう言おうと振り返れば、もう魔犬はどこにも居らず、見知った顔が立って居た。


『ヘレシィちゃん』

「……エリ、ちゃん?」


 自分が殺したあどけない親友。そして、会うのが怖いと悪魔に蘇生を願う事すらできなかった、大好きだった人。


 怨みを吐かれるか。それとも問い詰められるのか。

 どうして私を殺したんだと責められるのが怖くて、ヘレシィは顔を伏せてしまう。


 だがそんな事は起こらない。

 エリーチカはドンと勢いよくヘレシィのお腹に抱き着いた。


『ヘレシィちゃん……おばあちゃんになっちゃったね』

「……そう言うエリちゃんはずっと小さいのね。仕方ないわ、あれから何十年も経ったもの」


 もう思い出すことも出来なくなってきた。魔犬と並び、唯一、仲良くしてくれた幼い少女。

 ヘレシィは不思議に思いつつ尋ねた。


「どうして、ここにエリちゃんが居るの?」


 エリーチカの体は透き通っていた。生きた人間でない、魂だけの存在。

 聞いてみるとエリーチカは嬉しそうな顔で見上げて言った。


『神様が連れてきてくれたの! 少しだけだよって』

「神様?」


『うん! 黒くて、小さくて、可愛いらしい神様!』

「……そう。そうなのね」


 何が起きたのかヘレシィには分からない。

 だけど何となく、その神様とやらが救いの手を差し伸べてくれたと理解できた。そして、神の正体もなんとなく分かる。魂と死を司る神をヘレシィは一柱しか知らなかった。


『ただ伝えたかったの。私は大丈夫だよ、怒ってないよって……だからね、ヘレシィちゃんはもう一度前を向いてって、言おうと……思ってたんだけど……』


 エリーチカの声はどんどんと小さくなっていった。

 それも仕方ないだろう。前を向いてまた歩き出して欲しいと伝えに来たのに、その相手が、もう生きたいと思っていなかった。

 そしてあろうことか、願いが叶う地で"楽になりたい"と願ってしまったのだから。


「そうなのね……でもごめんね。私、ちょっと疲れちゃったから、少しだけ、眠りたくなってきたから、休ませて頂戴。ほら、私おばあちゃんだから、体力がなくってね?」


『……そっか。じゃあ起きたら、私が良い所を案内してあげる! 2人でまた、沢山遊ぶんだ!』


「そう、ね……そうなれば、いいわね。じゃあ……まず何をして遊ぼうかしらね……」


 儚い望みは叶うまい。エリーチカは天国へ逝くだろうが、自分は地獄へ往くだろう――ヘレシィはそう思った。

 だから笑った。最期は笑顔でお別れするために、何十年ぶりに本心からの笑みを浮かべてヘレシィは笑った。


 現世の苦しみから解放されて、ゆっくりと薄れていく2人の魂。どこへ行くのかは誰にも分からない。

 旅立ち始めた2人の背中を、草むらから狐の精霊だけが静かに見送っていた。


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