勤勉という男
暮れなずむ夕日を背に猛り狂う大男。勤勉を冠する教団幹部は、歴戦の司教たるムッシュを加えた三人でも抑えるのがやっとの状態だった。
筋力に遠心力を加えた横回転。弧を描いて鋭く伸びる脚撃。巨体の繰り出す全てが一撃必殺だ。
「さあ避けろ避けろ! 当たれば死、掠れば致命傷! それでも寿命は数秒ずつ伸びていく!」
「――ッなんて喧しい野郎だ。少しは戦いに集中させろ!」
こちらの不安を煽るような掛け声にレイトが応戦。負けじと剣を振り上げる。切っ先が石畳を擦り甲高い悲鳴を上げた。
斬って、突いて、避けて、避けて。数多度の攻防。瞬時に二人の間で主導権が入れ替わる。
「貴様の攻撃は生温いなあ! 羽で撫でられている気分だぞ!」
「腕力が全てじゃない! 羽には羽の舞い方あるように、万物には長所がある!」
勤勉の正拳を剣の腹で受ける――瞬間、重心を半歩ズラして相手の力を回転力に変換。流れに逆らう事なく勢いを保ったまま大きく一閃。手ごたえが無い。
「馬鹿か貴様は! たかが剣で俺の防御を抜ける筈がない!」
攻撃の後には大きな隙が来る。
剣を振り抜いた姿勢で止まったレイトの腹部へと重い一撃が向かう。だが、彼に焦りはない。
「剣の腹で受けても剣は折れなかった。ならば、俺の腹で受けても同じだろう」
勤勉の拳が腹部に触れるか触れないか、その刹那。迫りくる攻撃に合わせて前方縦回転、飛びあがる。着地地点は彼の腕。
「ほらな? 羽は軽かろう」
「貴様……!?」
切っ先を向けるは敵の眼球、人体が鍛えられぬ唯一の点。張り詰めた弦から放たれる矢のように、レイトの剣が突き出された。だが――
「期待したな?」
――通らない。
鋼の剣は眼球の薄皮一枚突き破ることなく、勤勉の瞳で止まっていた。
「……おいおい、ふざけるのはいい加減にしてくれ。瞬きで白刃取りされた方が、まだ希望が持てるじゃねぇか」
「期待は不安の裏返し。始原の感情こそ恐怖。分かるか、キサマに俺は殺せない」
「ああ、そりゃ残念だ!」
腕から飛びのき、走る。走る。
迫りくる肉の山から距離を取る。一歩後ろの地面が爆発したように捲れ上がった。
「【追い縋る卒去の哀歌】」
新しい闇魔法。走り抜けた場所が次々と爆発していく所を見る限り、追跡系の攻撃魔法かとレイトは予測する。ならば!
「逃げていては、前衛の意味が無いなあ!」
攻勢に移らねば奴のターゲットがズレる。
この場で前線を堅持できるのはレイトただ一人。ヨルは守る、ディアナもムッシュも守る。それこそ戦士たる男の矜持。
「戻って来たか! いいのかぁ!? 貴様への鎮魂歌が謳われているぞ!」
「生憎、浅学な身なもんでなあ! そんな歌は知らないな!」
まだまだ戦闘は終わらない。
▼
剣と腕。ぶつかり合うたびに飛び散る火花を幻想し、改めてディアナは世界の壁の厚さを知る。
「……届かない。レイトさんですら、押し切れない」
敵はこちらの感情を読み取って無限に成長する闇の怪物だ。あまつさえ夕日は傾き、今は夜の迫る時間帯。膠着は敵に味方する。
「策略を考える程に首が締まる。対抗策を練れば練るほど、相手は上を行く。なるほど、いい術ですねぇ。私も使えるようになりたいですねぇ」
「言ってる場合ですか! 私達は無心で戦うなんて出来ませんよ。この数分で勤勉の肉体がどれだけ強化されたか……!」
こうして会話を重ねるだけで絶望的な状況が積み重なる。だが無策で挑むには勤勉は強大すぎた。
ディアナは感じられる程に目減りした己が魔力を確かめる。強い魔法は打てて数発。使えうる最大魔法はもう撃てないだろう。
「アイツを倒すには、『勝てて当然』と自信溢れる夢想家が必要であるな。それも実力を兼ね揃えた稀有な者……ふむ、いる訳ないか」
勤勉の前では事前に建てられた戦術、勝つための小細工など全てが無効化される。周到に用意された、弱者の技では意味がない。
そんな理不尽あり得るのか。あり得るのだろう。勤勉はそれができるから教団幹部なのだ。
「……あれは?」
ふとディアナの目に勤勉の装備が目に入った。
レイトにより刻まれた拘束衣の穴から見える、黒く小さなアクセサリー。
「な、あれは【ミトラス】!?」
昨夜、三番に奪われたディアナの聖具。枢機卿のみに所持することが許された神造魔具が、敵対する者の胸元で苦しそうに黒く輝いていた。
「どういうことですか勤勉!! 何故アナタがそれを持つ!?」
「ああ……これか? いいだろう、主様にお借りした物だ」
勤勉の指が嫌らしく聖具を撫でる。
「主から『聖女に渡せ』と命令を受けてな。俺が預かった」
「……聖女ですか」
一体、どういう意味なのかディアナの思考が加速する。
聖女――その名を戴く者はエリシア聖教のトップもトップ。枢機卿団に並び教皇を補佐する一人の女性が就く役職だ。
今代の聖女は代替わりしたばかりの若輩者であるという話がある。黒い噂も少なくない。だが、教団に繋がっているとは思いたくない。
だが、それでは聖女に聖具を渡す意味がわからない。
何が目的だとディアナは悩み、気付く。レイトと純潔がこちらを見つめていた。
「なんですかレイトさん?」
「いや、あれは"聖女"に渡す物らしいぞ。立候補してみるか?」
「……」
何故か分からないが、ヨルンがディアナを呼ぶ時の名が「聖女さん」だった。もしかして関係あるのだろうか?
ディアナこそ伝手があって所有していたが、本来の聖具の所有権は枢機卿にあり聖女では決して使えない。だからこそ関係ありそうな「聖女」はディアナになるのだが……。
試しにとディアナは「私も聖女ですから返してください」と言ってみる。が――
「……お前、頭大丈夫か?」
普通に馬鹿にされた。
かぁああっと顔が赤くなる。
「レイトさん!!!」
「俺の所為じゃないだろう……」
そんなのは知っている! でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだ!
これでは聖女を自称する痛い女ではないか! どうしてくれるんだ!
「純潔!!」
「ご心配なく。私の聖女は貴方だけですよ、ディアナ司祭」
「……気持ち悪い!」
「ははは、酷いですね」
ディアナは今すぐ布団に飛び込んで丸まりたい気持ちに悶え苦しむ。咳払いをして、光明を得るためにも勤勉へと語り掛けた。
「……話をしましょう勤勉。貴方はこんな事して悪いと思わないのですか? 良心は無いのですか」
「こんな事? 生憎だが何も感じんな。むしろ神の為に働けることを嬉しく思う。聖教だってそうだろう? 神の為に働くならば、お前も俺たちの同類だ」
「は、え……」
言われた内容が理解できず、ディアナは呆けてしまった。
かみ砕き、理解するにつれて
「ふ……ふざけないで! こんな幼い子達を自らの手で殺す悪鬼と比べられたくもない!! 同じ闇でも、貴方とヨルちゃんが同類とも思いたくない!」
思わず銀鉤とヨルンを抱きしめて、怒りの咆哮を上げる。
ヨルンとヤト達との邂逅を見たか。
お前が奪い取ったヨルンの仲間だったが、ヨルンはずっと彼を信じていた。向けられる殺気に負けず、彼の傍に近寄った。
ヤトだって、ヨルンを攻撃しかけたが堪えて支配に打ち勝った。
互いの抱擁を見たか。
安堵と信頼に満ちた顔。歓喜に溢れた声。お前らじゃ決して真似できない希望の光だ。
だが――勤勉は不思議そうに首を傾げた。
「俺が、幼い子を殺す? そいつ等みたいな……?」
腕を組んで、考える。そして彼は禁忌に思い至る。
「ああ、それは違うな。俺は殺していない。そいつに似た者達は、主の希望で互いに殺し合ったぞ」
「……え」
彼の口から説明される事実。
銀鉤と共にいた、あの二人が互いに殺し合いをした。主の希望で、凄惨に。
剣で幾重にも切刻まれた者、魔法で生きたまま朽ちて行った者。どちらの死体も残っていない。それこそ二人が望んだ結末。勤勉はそう嘯いた。
「……そうですか」
事実と真実は似て非なる存在だ。真実は事実という上辺の殻で覆われる。
目の前で殺し合った。事実だろう。
どちらも死体は残っていない。事実だろう。
だけど――両者が望んだ殺し合い、その結末? そんな訳がない。それが真実であっていい訳ない。
銀鉤は生を望んだ。なのに、あの二人が死を望むはずがない。あんなにも仲間の死を嘆いた二人が、希死念慮を抱くはずがない。
「主の希望とやらで、その子たちが犠牲となった。強制的に死を望まされた……」
ぐつぐつと怒りが煮えたぎる。勤勉の顔が直視できない。顔を伏す。
あの時。あの場所で、隠れて三人をやり過ごさず、動いていれば救えていただろうか。もっと彼女たちを信じられれば未来は変わっただろうか。
後悔がディアナの心を削る。だが、それ以上に義憤で燃え上がる。
「すみません、ムッシュさん。私も前に出ます……」
「ああ、行きたまえよディアナ君。援護は吾輩に任せて、君は望むままに敵を討て」
もう負ける負けないは関係ない。不安も恐怖も無くなった。
レイトと肩を並べて死地に立つ。
接近戦は不得意だ。でも今ならコイツを倒しきれる。そんな気がした。
▼
レクイエム――鎮魂歌と訳されるそれは、死者のための葬送曲。
ならば勤勉の【追い縋る卒去の哀歌】が終曲する時は、レイトが死者となる時だろうと予想された。
それは対象が死ぬまで永遠に尽きぬ攻撃魔法なのか、あるいは終曲と同時に対象の死が確定する魔法なのか。
効果の全貌が見えぬが関係ない。そんなもの打ち消してしまえ。
『遠き東から射す曙光』
言ほぐ祝詞は神の威光。暖かな力が風に載る。
『春暁に充てられて、普き魅せる東風の色』
恐怖を参照して進化する【恐怖の体現者】。果たしてそれに対する対抗手段はあるのだろうか?
――――ああ、関係ない。そんなものは消し去ってしまえ。
司教はおろか、大司教ですら扱えない枢機卿級の聖魔法を紡ぐ。一国に一人いるか、いないかという傑物にだけ許された聖なる御業だ。ディアナが若き天才と呼ばれる所以である。
「それをさせると思ったか!」
「それをさせるために、俺がいる!」
目の前で行われる剣戟の応酬。踏み込み、打ち合い、躱して攻める命のやり取り。
『風雨の声、小夜嵐を抜けた先』
レイトに護られるなら前に出る必要は無かった……そんな訳がない。
この呪文は【対抗呪文】。対となる呪詛を知らなければ成り立たない。ならば、近づいて闇を直に感じてこそ意味がある。
ディアナは瞬き一つせず勤勉の全貌を目に焼き映す。
『澄める大気に舞う金烏。羽搏き、躍り、慶賀の旋律が鳴り亘る』
ムッシュの援護を超え、レイトを打ち飛ばし、猛獣の如き大男が襲来する。
巨大な影だ。押しつぶされてしまいそうな体格差。ディアナはそれを鼻で笑った。
「鬼ごっこは得意ですか?」
「っ――! この!」
小柄な身長を活かして下がるのではなく前へ。一歩踏み込んで距離を狂わせる。
たった数十センチ。だが、下がると思っていた敵が前に出た事で勤勉の予測は小さくズレる。噛み合っていた歯車に些細な歪みは致命的。
大きな流れに生じた僅かな隙間。ディアナはそこを突くように、勤勉の横を抜けて前に出た。慌てて勤勉が振り返るがもう遅い。
そっと彼の背に手を添える。伝わってくるヘドロの様な闇の気配。最後のピースが揃い上がった。
「払暁――【daybreak/夜気を祓う天の星】!」
空へ空へと光輪が打ちあがる。夕景から宵へと移り変わっていた空は塗り替わり、再度の昼が来た。太陽に似た、魔法の星から折伏の光が燦々と降り注ぐ。
「があっ! ぐぅううううっ!!」
勤勉が苦悶の声を上げた。
光から身を隠す様に丸くなって――
「……なんて。"期待"したな愚か者!」
――跳ね馬の様に飛び掛かってきた。
レクイエムは鳴り止んだ。しかし勤勉を包む闇の衣は剥がせず、彼は獰猛な笑みのままディアナを打ち倒さんと肉薄する。
しかし、その体を後ろから魔法の炎が焼焦がした。
▼
「が、ァアアア!!? なに、が! 何が有ったァ!?」
火を消そうと地面を転がる勤勉。今度は演技の悲鳴ではないだろう。それほど無様な姿。ディアナがはぅと息を吐いて礼を言う。
「ええ。実に期待通りでしたよ……ありがとうございます、ムッシュ司教」
「ふふん、もっと感謝してよいのだよ。吾輩の無敵の魔法に掛かればこの程度」
カツンと。ステッキを突いて何も無い空間からムッシュ司教が現れる。同時に、遠くで援護していたムッシュの姿が掻き消えた。
「馬鹿な! 俺には神のご加護がっ!? 無限の闇が俺を祝福しているのに……!」
勤勉が信じられぬと【ミトラス】を取り出した。どうした、もっと力を寄越せと言わんばかりに力任せで握り込む。その瞬間、罅が入った聖具は破片となって崩れ去る。
「な、な……!?」
聖具は神が作り出した神造魔具だ。多少力を込めた所で壊れない……はずだった。
だが聖具を失った今もなお、不思議と力の減衰は感じなかった。身を護る万能感に包まれて勤勉は訳が分からぬと息を呑む。
「昨夜、君は幻覚を使っていたらしいね。では奇遇と言わせてもらおうか。吾輩が最も得意とする術もまた幻覚なのだよ」
勤勉の終わりを悟ったムッシュは得意げに語り出す。
村で勤勉と初めて遭遇した時ムッシュは幻覚を置いて、恥も外聞も無く逃げ出した。だが今それが絶対の自信につながった。
あの時、勤勉に見破れなかった幻覚だ。誰にも見破られなく命をつなげた幻覚だ。ならば成功するに決まってる。不安を抱く要素は無い。
「気付かなかったかね? 何時から感覚が狂っていたか、分からぬかね?」
フフンとカイゼル髭を撫でつけてステッキを鳴らす。
「吾輩は既に一度死んだ身だ。正義の味方が死んで蘇ったのだ! なれば恐れを抱くことは無く、堂々と謳って見せよう勧善懲悪の交響曲!」
ムッシュ司教の手から聖具【ミトラス】がディアナの手に渡される。幻覚でない、本物の神造魔具。これが全ての源だ。
敵の手により汚染された聖具は勤勉に無限の力を与えていた。
それが【恐怖の体現者】を常時展開できた理由。気付いてしまえば、なんてことは無い見掛け倒しだ。
この魔法は日中に限り、現実改変応力は勤勉の体にしか作用しない。どれだけミトラスの奪取の作戦を練っても、ミトラスは守られない。
夜間戦闘だったなら在り得ない勝利だった。誰一人が欠けても成し得ない勝利だった。しかし、結果は定まった。
「馬鹿な、馬鹿な……俺が仕事を失敗するなんて……。神から承った使命を、この俺が、まさか……」
力なく項垂れた勤勉に影が差す。仮面を被った純潔だ。彼は彼の傍まで近寄ると優しく語る。
「理由が知りたいですか? 貴方に足りなかったものが分かりませんか?」
「……」
「いいでしょう。同僚のよしみで、お教えしましょう。貴方が間違っていた事それは――!」
「弱者を虐げられるだけの存在と勘違いした事だ。驕り高ぶった自尊心が視野を狭くした。ムッシュ司教は弱かったか? 気にする必要もなかったか? それが間違いだ」
レイトが純潔を押しのけて前に出た。
「この世に本当の弱者なんて存在しない。誰もが、何かしらの強みを持っている。それが分からないからお前は間違った。他者を利用するしか知らない教団は間違っている」
ヨルンしかり。銀鉤しかり。
多くの犠牲を生み出して得た力など、たかが知れている。レイトは強く言い切った。
「ええ、ええ。その通り。さすがですねレイトさん。ちなみに、その理論の名を何というか知っていますか? 世界に知らしめるべき、至高の命題! その名は、あ――」
「吾輩は多くの人を見た。追い詰められて犯罪に走った者を見た。生きるために手を染めた人を見た。だが、黒燐教団ほどに倫理を欠いた者は見た事がない」
ムッシュが純潔を押しのけて前に出た。
「正道こそが人の道。間違った手順を踏む者に神は微笑まんよ。君は一歩目から間違っていたのだ」
「……」
勤勉が押し黙る。悔し気に、憎々し気に二人を睨む。
その後ろで純潔が寂しそうに手を彷徨わせていた。
「……勤勉には愛が足りませんよぉ」
▼
「ヨルちゃん、銀鉤ちゃん……私達勝ったよ」
ずっと応援されていたことは気付いていた。
ヨルンはハラハラとした表情で戦闘を見守っていた。銀鉤は声援を上げながら猛烈に応援してくれていた。彼女達の祈りは届いていた。
ディアナは柔らかい笑みを浮かべて二人を抱き寄せる。
「すごい! すごいよディアナ! やったー!」
銀鉤が喜びのあまり飛び跳ねた。彼女が付けた青い髪飾りが大きく揺れる。
確かあのリボンは、かつてヨルンにあげたものだったなとディアナは思い出す。そうか。今はヨルンの手から銀鉤に渡ったのか。
じゃれ合う二人を見て、仲良くしているようでディアナも嬉しくなる。
こんな日がこれからずっと続いていくように。せめて亡くなった二人の分まで、どうか一杯幸せにとディアナは願う。強く……強く……。祈りを捧ぐ。
ヤト&佳宵「……」
銀鉤「\(*゜∀゜)///」




