恐怖の足音
暮色に染まる空の下、ヨルンの救出が終わって帰るだけとなった一行の前に【勤勉】が立ちふさがる。
神殿の石畳は緋色に輝いて、周囲を囲む円柱の影は大きく伸びる。いっそ神々しいまでの空間だが流れる空気は最悪だ。
勤勉は現れた時と同様に、唐突に飛びかかってきた。レイトが瞬時に前に出て剣を振り抜く。
「ッ! やはり人間と思えない体をしているなお前……! 肉で剣を防ぐんじゃあない!」
「俺は神を見た。怒りと失望を身に宿して仰った。裏切り者は生きて帰すな、敵を殺せと仰った」
鋼を打ち払う勤勉の肉体。彼はレイトの剣を腕で防ぎながら、焦点の合わない瞳でどこか遠くを見ていた。戦闘を蔑ろにした行為。だが一振り、二振りと剣を交えるとレイトの方が苦渋の声を上げる。
「なんだコイツ、昨日より強くなっているぞ!? おい純潔! 何故コイツがここにいる。逃がしたか、それとも和解でもしたのか!?」
「いえいえ確かに殺したと思ったんですがねぇ。死体は森に捨てたのですけど……不思議な事も有るものですねぇ」
「死者が生き返るのを不思議の一言で済まさないでください!」
とぼける様に言う純潔。ディアナの叱責が飛んだ。
彼女は造魔器官に意識を落としこむと、怒りを力に変え、魔力を練り上げる。循環する血流に合わせて全身を巡らせ、精練、紡ぎ、そして一言。
「bishop【sparkle/生命の煌めき】」
ディアナの強化魔法を受けたレイトの体が淡く輝いた。
反応速度の向上、筋力の上昇、そして破邪を纏わせる効果を持つ上位強化魔法だ。たった一つの魔法で広くカバーできるこの魔法は戦闘開始初期において汎用性が高く多くの戦士に好まれる。
しかしその分、魔法構造は複雑で使える人は概ね司教位以上に就く聖職者に限られる。故にbishop級の魔法。
「おっと、ディアナ君に詠唱速度で負けてしまったか。では吾輩は少し頑張って、archbishop【sacred arousal/修道者の悟得】といってみようかね!」
ムッシュが唱えた呪文はさらに上位の呪文だ。【生命の煌めき】が汎用的な強化ならば、ムッシュ司教の【修道者の悟得】は攻撃に特化した強化呪文。
ディアナとムッシュの支援魔法でレイトの肉体が一段上の領域に押しあがる。
「二人ともありがたい……ッ、コイツ!」
だがそれでもレイトは力負けしていた。
勤勉の剛腕で弾き返された剣。少しでも気を抜けば、持っていかれそうだ。抗わぬように体を流して受けに回るも大きな筋力差が戦況を押し込んでくる。
小さな汗がレイトの頬を伝った。
―― このままでは押し負ける!
レイトがそう感じた瞬間、勤勉の顔が獰猛に歪んだ。
「不安か? さらに上が有るかと恐怖したな? よく分かってるじゃあないか」
「ッなんだ!?」
強化されたレイトを突き放す様に勤勉の力が更に強まっていく。一回り以上太くパンプアップした筋肉が湯立つように赤みを増した。
「いいぞ、いいぞ。いい調子だ。今の俺は神の加護の下、無限の力を与えられた。どんどん力を上げるぞ、貴様など後10秒で捻り潰してくれる!」
「このっ……ふざけた男が……!」
その言葉は決して増長した男の妄言ではなかった。
膂力の増加が止まらない。勤勉の肉体は上へ上へと一足飛びに階段を登っていく。人間という脆弱な枠組みを抜け出して、怪物の領域へと踏み込む。
レイトは力比べを諦めて飛びのいた。追撃を躱して、軽業で相手を弄する。
「くっ、レイト君! もう少し援護しやすいように戦えないのかね!? そんなに動き回っていたら、我輩達が魔法を撃てぬぞ!」
「俺に死ねと言うのか!?」
一歩でも立ち止まれば押し潰される。レイトは位置を変え、飛び回り、なんとか勤勉の猛攻を往なす。
1秒。勤勉の力がさらに増した。盾にした神殿の柱が吹き飛んだ。
2秒。敵の腕が掠った部分が大きく刮がれた。骨がむき出しとなり、動脈から大量の血が噴き出る。ほぼ同時にディアナの治癒で修復された。
3秒。レイトが命の危機を感じ始めた頃、純潔が「ああそうだった」と口を開いた。
「勤勉の使う魔法は相手の【恐怖】を媒体にするモノです。変な事を考えれば、利用されますよ?」
「よく分からん! つまりどういう事だ!?」
「そうですねぇ、勤勉は敵が感じた恐怖を実現する力を持っています。簡単に言えば、貴方が負けると思えば、負けます。死ぬかもと敵を畏れれば、死にます」
勤勉が使う闇魔法は恐怖を実現する能力。過程は吹き飛び、結果だけが現れる。
そんな理不尽な魔法を聞いてレイトたちは僅かに閉口した。しかしすぐ純潔へと文句が飛ぶ。
「……そういう事は早く言え!!」
まだまだ、戦闘は始まったばかり。
▼
闇魔法の研究は、広大な砂漠から一片のガラス玉を探し出す作業に似ている。
しかも先駆者から享受される知識は無く、探究者は砂漠の在処から探さなければならない。
そうした苦労を乗り越えた者達が集う場所こそが黒燐教団。その幹部たる純潔は、浮かび上がる笑みを抑えきれなかった。
「期待外れと思っておりましたが、素材は良いではないですか勤勉。少しは見直せました」
社会から身を隠し、体という器を変え、寿命による制限を超えて漸くたどり着いた教団幹部の座。夜の神を崇拝する人間の上位7人に辿り着いた時は、俗ながら喜びを感じてしまったものだ。
だが昨夜。シオンは勤勉と戦って失望を覚えていた。
あれが自分と同類なのか。教団幹部という優秀たるべし神の尖兵が、あの程度で許されるのか。そんな怒りが殺意に代わり、気付けば勤勉を解剖していた。
その時に得た知識こそ勤勉の秘奥だ。
相手の恐怖に呼応して形を変える闇魔法【恐怖の体現者】。
日中では自分の体にしか効果を及ぼせないが、夜こそ本領を発揮して周囲の現実まで変幻自在に書き換える――というのが本来の闇魔法。
しかし昨夜の勤勉はその真価を半分も発揮できていなかった。
相手の恐怖を読み取るまではやっていたようだ。だが、現実に影響を及ぼすには至らず、幻覚で再現しているように見せていただけ。
それがどうだ。今の勤勉はしっかり《《現実を書き換えている》》。
レイトが感じた力負けするのではないかという恐れを吸収して、自分の体を変質させた。誰にも勝る肉体を手に入れた。
そしてそれは持続する。例えレイトが今後どれだけの補助を受けて力を増しても、勤勉はその上を行く。もう力負ける事は無い。
「だから、余計な事を考えないでくださいねって……善意で忠告したのに、なんで私が怒られるんですかねぇ?」
「貴方は言うのが遅いのです!! どうするんですか、あれ! あれ!」
ディアナが暴れ狂う勤勉を指さした。
巨大な柱をへし折って振り回す大男。押し潰されたレイトが血を吐き出した。
「ディアナ君ーー! 援護を頼むよ、我輩だけじゃ間に合わない!」
「あぁ、すみませんムッシュさん! レイトさんもごめんなさい!」
慌てて治癒魔法が飛んでいく。
「あの拘束衣は魔力を留めておくためのモノですね。あの魔法、燃費が悪いからバックアップ用の魔具でしょう。どうやら彼の趣味では無かったようです」
「そんな事は聴いてません! ……では、粘ればガス欠になるという事ですか?」
「いいえ。今の勤勉は何かがおかしい。魔力炉を体内に備えているんですかね? まるで魔力が減らないようです」
勝つにはその秘密を暴くしかない。だがそんな時間は無いだろう。先に夜が来る。
黒き森を見れば殺意に溢れた夜人が二人。後ろ、神殿の入り口にも戦闘音を聞きつけたのか、内部から山ほど夜人が現れてこちらを覗いていた。
まだ西日が強いから外に出てこないが、夜になれば彼等も動き出すだろう。
そうなればもはや勝ち目はあるまい。いや、純潔の秘奥を開帳すれば、引き分けには持ち込めるかもしれないが全員無事とはいかない。
となれば逃げるべきだが、それも夜人が妨害してくるだろう。複雑な黒き森の正規ルートだ。逃げながら応戦という訳にも行くまい。ならば……。
「ん、どうしたのですか?」
悩むシオンの袖を引く小さな手があった。
ヨルンは不安そうな顔で聞いてくる。
「あの二人と話したい」
「森に居る夜人とですか? 何故、いえ……なるほど」
少し身長の高い者と、首に赤いリボンを巻いた者。
よく見ればあの二人はいつもヨルンと共にいる夜人だった。
ヤトが敵方についている。
理由は分からないが、恐らく主導権の関係だろうとシオンは予測する。三番でもヨルンから奪えなかった二人の夜人を勤勉が簒奪して使役している。
まさしく勤勉がヨルン達の主ということか。
「……危険では?」
「かもしれない。でも、話さなきゃ」
「駄目です! ヨルちゃんは無理しないでください!」
勤勉を主とするだけで、人が変わったように殺意に満ちた目をする様になったヤト達二人だ。あれに近づける訳にはいかないとディアナは必死の声で制止する。
なんとか翻意を促そうとヨルンに声をかける。しかし、また前線でレイトが悲鳴を上げた。
「くっ! 有効打は何かないか!? ディアナさん、ムッシュ司教すまん、もう少し援護を強くできるか!?」
「無心で戦うというのは初めてでね! 吾輩もあまり策を考えられんのだ……ああ、ディアナ君! 援護が遅れ始めているよ!」
「す、すみません! ……いいですか純潔! ヨルちゃん達の護衛はしっかりしてくださいよ!? 分かってますね!?」
本当は任せたくないが仕方ない、そんな感情がありありと見て取れる。ディアナはそれだけ言うと、再び前線へと視線を戻した。
すると今度は銀鉤が恐怖に引き攣った表情でヨルンを制止する。
「だめ、ヨル行っちゃダメだよ。離れたら殺されちゃう!」
「銀鉤、抱き着かないで。でも……うん。行くよ。なにか怒らせたら私が行かなきゃ」
「ヨル!」
「ふむ……私はどうすればいいのでしょうか」
勤勉は三人が抑えている。純潔の役割はヨルンと銀鉤の護衛だ。
勝ちの見えない戦況、沈みゆく太陽。悩む時間も無い。
純潔は二度三度、ヨルンの顔を見た。決意を秘めた顔。シオンはゆっくり頷く。
「……行きましょうか。逃げるにしても退路がない。ならば前に進むのが良いでしょう」
「純潔!?」
「ディアナ司祭の気持ちは分かりますとも。愛する者を危険に晒したくない、それは私も一緒ですよ。ですが、こうも思いませんか?」
――愛するからこそ信じてしまう。
「私はね、確信しているんです。勤勉よりも、まだ見ぬ『主』よりもヨルンが相応しい。彼女こそが最も闇に近しい存在だ」
ヨルンもまた信じているのだろう。
自分について来てくれたヤトが、仲間が勤勉ごときに操られるはずがない。話をすればきっと分かってくれる。また味方になってくれる。
「だから、行くのです。仲間を信じて行くのです。ヨルンは貴方達が勤勉を抑えきると。ヤト達も帰ってきてくれると信じてる。ならば一体、何を恐れる必要が有りますか」
「……危険だと思ったら、貴方が身を挺して守ってくださいよ!」
「ええ。違いなく」
▼
怖いんですけど。すっごい怖いんですけど。
なんか突然現れた大男は神殿の柱を振り回すし、隊長さんの剣も体で弾く。
剣を腕で弾くって人間じゃねぇよぉ……あんな化物どっから来たの? そしてヤトと佳宵。なんでこっちを睨んでるの?
「銀鉤は、ここで待ってる?」
怒れるヤト達の真意を確かめねばならない。
その為に彼等の下に向かおうとしたが、どうやら銀鉤は酷く怯えているようだ。しかし逡巡のあと、首を振って俺の腕にしがみ付いてきた。
「……行く」
「ん。じゃあ行こ」
俺もあんなに怒っている二人を見るのは初めてだ。不安で一杯だが、行かねばなるまい。
荒れ狂う大男の近くを歩くのは怖かったけど、隊長さん達が上手い具合に敵を往なしてくれた。
「ヤト……?」
シオンを護衛に俺と銀鉤は森の境界線までやってきた。黒い森は怪しくさざめいて、それに合わせてヤトと佳宵が近寄ってくる。
「ヤト?」
もう一度名前を呼ぶ。しかし帰ってきたのは攻撃。ヤトの腕がうなりを上げて振り出される。
「――ッ!?」
「た、助けてヨルー!」
思わずぎゅっと目をつぶって銀鉤を抱きしめる。
襲い来るだろう痛みを想像していたが一向に来ない。目を開けば、すぐそこで震えるヤトの拳が有った。佳宵も何かを抑え込む様に耐えている。
「……なにが有ったの? 私はどうすればいい?」
俺は最初、ヤト達が裏切ったのかと思った。だって見知らぬ人を連れて、俺たちを攻撃して来たから。でもすぐそんな訳が筈ないと思い直した。
この世界に来て早数か月。言葉を交わした回数は限られど、彼等は彼等なりの優しさを持っていた。
怖い事ばっかり言うヤト達だけど、それも全部俺のため。だから理由も分からず彼等が裏切る事なんかある訳ない。
そして、それは正解だった。
こうしてヤトに近づいて確信する。彼に俺を害する意思はない。そうでなきゃ拳を止める理由がない。
『作戦、演出、主の望み』
彼はシオンに気付かれないように、そっと俺に教えてくれた。
俺を抱擁する様に近づいて、体を目隠しにすると靄を操って空中に文字を書く。なんかどんどん器用になるねヤト。
(でも、ああそっか……。さすがだわヤト、頭いい)
昨夜、村を襲った主犯は謎の「大人ヨルン」ちゃんだったが、協力者として夜人が居た。だから村人の多くには「夜人=危険」の方程式が刻まれてしまった。
それを修正するためにもこのイベントが必要だったのだ。
一度敵対っぽい事してから、味方に戻る演出をする事でヨルンなら夜人を制御できる、教団の人間が来ても制御を奪われないと思わせられる。
俺が村に帰るためにも夜人の安全性を知らしめる必要があったのだ。彼等はそのために、こんな演出をしてくれたという事か。
そしてあの大男がこの施設で俺たちを襲う事により、設定に迫真の裏付けをつける。全て俺のために動いてくれたという訳か。
「ありがとう、ヤト。佳宵」
心からの笑みを二人に送る。表情こそ変わらないが、気持ちは伝わる。ヤトと佳宵は当然だと言わんばかりに頷いた。俺の頭を交互に撫でてくる。
「ところで、あれ誰」
『拾った、人間、勤勉』
「ええ……」
お前ら、今度は誰を拾ってきたの?
勤勉なおっさんをその辺から拾わないでください。前に拾ったおっさんなんか、まだ居ついちゃってるぞ。
『聖女、襲った、処分?』
「しないよ」
そりゃ現在進行形で襲ってるけどさ……。でもそれヤトの命令じゃん?
それで処分て、鬼じゃないんだから俺は。
『神殿、壊した、処分?』
「しないよ」
それも演出のためでしょう。分かってるから、そんな怖いこと言わないで。
しかし、あのおっさんも凄い迫真の演技力をお持ちだ。「裏切りものには死を!」とか叫んで、こっちをメッチャ睨んでくるし、本当に殺す気みたいな攻撃をしてくる。
それを辛うじて防ぐ聖女さん達三人も凄い……というか、そこらで拾ったおっさんが、これまた強えーんだわ。シオンといい、どうなってんだこの世界のおっさん。
ぶおんぶおんと風切り音を立てながら柱が動く。周辺をなぎ倒し、叩き付けで礫が飛ぶ。それを全て撃ち落とす聖女さん。逃げ惑うムッシュさん。隊長さんは凄い形相で突撃していった。
(……映画かな?)
ヤト達による演出だと分かったから何とか落ち着いていられるが、もし本当に敵だったらヤバかった。
分かってるのにハラハラドキドキ。聖女さんたちに負けないでと祈りを向けてしまう。
『作戦、遂行、奮闘』
「ん、任せた」
最後にヤトが所信表明。ちょっとその意味が分り辛かったが、たぶん「作戦きっちり頑張るよ!」と言いたいのだろう。俺はその調子で頑張れとヤトの体をぽんぽん叩く。
彼らはやる気を出したようだ。銀鉤を一睨みすると、ゆっくりと離れていく。
「ん? ああ」
なんで銀鉤を睨むのかと疑問だったが、すぐに思い至った。
たぶん彼等は銀鉤に嫉妬してライバル視しているのだろう。最近はずっと俺が銀鉤に頼りっぱなしだったし、鶏のから揚げも銀鉤にだけあげてしまった。
彼等もここらで活躍して褒められたいという事か。
「好きにやって」
それならばと、ヤトに頑張れと応援。
ここまで自分の考えで作戦を立ててくれたのだ。その調子で最後まで任せるよと。
……なんかヤトと佳宵が、すごく嬉しそうな気配を出した。
「ひぇえ、ヨルぅ」
銀鉤は情けない悲鳴を出した。
いや、別に取って食われるわけじゃないんだから。
主人公「夜人同士の切磋琢磨いいね」
ヤト&佳宵「主の支持を得たぞ!」
銀鉤「ひぇぇ……聖女さんバリアがぁ」




