真実の一片
漸くたどり着いた教団施設の外観は、私の想像していたものと随分異なる趣だった。
岩壁に四角く切り抜かれた巨大な穴。その入り口には柱礎が敷かれ、何本もの柱が聳え立つ。
至る所に刻まれたレリーフはドラゴンや人型の生物を模ったものだろう。精巧な芸術品は、目を逸らした瞬間に動き出しそうな威圧感を放っている。
一度見ればもう忘れられない。
洞窟と言うよりも神殿という名が相応しい。ここは聖都にある大聖殿を思わせる神聖な場所だった。
もっとおどろおどろしく、見る者を不快の沼に突き落とすような所を想像していただけに呆気にとられる。
「ディスタイル・イン・アンティス様式ですね。内部はゴシック様式でしたので、やはり入り口にはこれがきましたか、ふふ!」
なにか聞こえてきたが興味ないので努めて無視する。
「ここにヨルちゃんが居るんですね?」
「うん、そうだよ」
銀鉤と名乗った犬耳少女に確認すると、彼女はゆっくりと頷いた。
そっか……長かったな。
ヨルちゃんを連れ去られてまだ丸一日経っていないが、ずいぶん待たせてしまったような気がする。それだけ私が焦っているのかもしれない。
いよいよ突入となり、皆にも準備は良いか確認。
純潔から「待った」が掛った。
「次いつ来れるか分かりません。まずは神殿を模写して、今後の研究資料としましょう。少しお時間をください」
「よし、準備はいいですね。行きましょう」
今にも襲い掛かって来そうな威容を放つ装飾の間を縫って進む。
度々、純潔が立ち止まって神殿に夢中になるので、無理やり引っ張る。
洞窟内部に踏み込めば、そこは手を伸ばす範囲も見えない闇の世界だった。左右、天井に描かれた壁画が歴史の渦を感じさせる。
「うす暗いですね。入り口でコレなら、奥は一切光が無いのでしょうか?」
「松明は持てんぞ。敵を呼ぶだろうし、いざという時に出遅れる」
「では魔法による光を……いや、同じであるか。みんな暗視の補助魔法は使えるかね?」
銀鉤ちゃんの先導に従い進もうとしたが思いのほかに視界が悪い。
三人でどうするか話し合うさなか、純潔が大声を上げた。
「待ってください!」
襲撃かと全員が慌てて武器を取る。
「これは以前なかった壁画です! 碑文も新しくなってる!? か、解読しなくては!」
振り返ると、純潔が壁に抱き着いていた。
……なるほど。
周囲に人の気配がないのは幸いだった。
「暗視の補助魔法か。俺は昔から魔法が苦手でな……」
「あ、私が出来ます。では私が代わりにレイトさんにも掛けますね」
「待つのである。念のため、聖魔法に反応する警報が無いか先に調べたほうが良いのではないかね?」
「おぉおぉ、三使徒と氷崩龍に加えて六欲天の壁画が追加されましたか。並び順は恐らく序列? 長らく不明だったものが次々と、これはよい発見ですねぇえ!」
さっきから一人、可笑しな世界に入り込んでいる奴がいるのだが……本当にどうすればいいんだろう?
四方が壁に囲まれたここは声が反響するせいで小声でも目立つ。なのにこの男ときたら、壁画に夢中になって隠密行動を忘れている。
静かにするように言っても、私達の声はまるで届かない。
ぶん殴れば正気に戻るでしょうか?
いや、そもそもアイツに正気があるのか分からない訳ですが。
「ねえ、うるさい。静かにしてよ」
そんな狂人に強気に注意する銀鉤ちゃん。
彼女は少しイライラしているか、耳と尻尾の毛が逆立ち始めていた。
「ここはボク達が生まれた場所。ヨ――神様の御座す聖域。静かにできないなら出てってよ」
「……失礼しました。昔から私は、いえ……大変な無礼、謝罪いたします」
無駄だろうなと思っていた銀鉤ちゃんの叱責だが、予想外に純潔の心に響いたらしい。彼は襟を正すと大きく頭を下げた。
それでも銀鉤ちゃんの怒りは収まらないようで、徐々に尻尾の毛が膨らんでいく。純潔は更に身を屈めた。放っておけば地に手足を付いてしまいそう。
それもまた時間の無駄なので、私が間に入って宥める。
「まあまあ。ちょうど私達も準備が必要でしたし、気付かれてはいないようです。今はヨルちゃんの事を急ぎましょう?」
「で、ディアナ司祭……! まさか私の為に庇って!?」
感動したような声を出すのは止めて欲しい。
なんで私がこんな男を庇わなければいけないのだろう?
「……次は、ないから」
銀鉤ちゃんは何か言いたそうに口をモゴモゴさせたが、それらを呑み込んで一言そう釘をさす。そしてまた私達を先導し始めた。
トラップの場所を教えてくれたり、すれ違う夜人に「問題ない」と手を振って匿ってくれる丁寧な案内。なのだが、あまり会話が続かない。
―― ヨルを、助けてあげて。
そう言って助けを求めてきた彼女は、あまり私達の事は信用していないのだろう。
いや、それはそうか。
ここまで見てきた教団による彼女等への仕打ちは、他者への信頼や期待を根こそぎ奪い取るもの。彼女等が心を開くのは同じ境遇の者達だけ。
だからこそ、ヨルを助けてという発言なのだろう。
それでも――
「そういえば、銀鉤ちゃんの年は幾つなんですか?」
それでも、私は銀鉤ちゃんに話しかけた。
彼女は驚いたように振り返る。
「……なに?」
「銀鉤ちゃんは、ヨルちゃんより若いのかな。うーん……10歳ぐらい? どうでしょう、当たりましたか?」
だって寂しいじゃないか、そんなの。
彼女達の世界は狭く冷たい。
与えられる物は不合理で無慈悲な苦痛だけ。周りに居るのは敵か、同じ被害者だけで救いがない。
ならば、少しでもいい。
彼女にも他愛のない雑談という、敵じゃない物を知って欲しかった。
「年? この体は、まだ0才だよ」
「……そっか。若いなぁ」
どうしよう。
思った以上に反応し辛い答えが来てしまった。
言葉に詰まった私に代わって、隊長さんが会話を引き継いでくれた。
「この施設には君のような存在は何人いるんだ?」
「今は500人。少しずつ増えてるけど」
「500……しかも、まだ増えているのか?」
「よく死ぬけど、すぐ補充されるからね」
隊長さんも撃沈。
次にムッシュさんが聞く。
「その耳は何かね? なぜ人間の頭に犬の耳があるのだね?」
「そりゃボクの体は人間と動物が合体して作られたモノだからね。あと犬じゃない、狼」
ムッシュさん沈黙。
なんだろう。
とても会話がし辛い。
聞くこと話す事、全てがなんというか……悲しい。どうすればもっと楽しく会話できるだろうか。
しかし言葉に詰まった私達の雰囲気を察したのか、銀鉤ちゃんが事も無げに言う。
「キミたちは本当にそんな事が知りたいの? ボクの事は良いから好きに聞いていいよ。嘘は言わない。ボクは、ボクとヨルのために答えるだけ」
それは……。いや、凄く知りたいのが本心だ。
この教団の目的は? いつからここにあるの? こんなの事をして、人の心が痛まないの?
ヨルちゃんの事だって、銀鉤ちゃんの事だって私は知りたくて仕方ない。でも本人に聞き出す事なんかできる訳がない。
「銀鉤ちゃんの気持ちはありがたいです。だから、また後で教えてね。まずはヨルちゃんを救出して――」
「なんで? なんで今聞かないの? 興味ない? ヨルと同じ顔が三人捨てられたの見てたでしょ。どうでも良かったの?」
私が誤魔化した事はお見通しだったようだ。
銀鉤ちゃんは淡々と責めるように見上げてきた。期待外れと言う彼女の瞳に私が映り込む。
「それ、は」
「知りたいんでしょ、ヨルの事。なら知った方がいいよ。ディアナにはその価値がある」
「それは……!」
そこまで言われて、もう我慢なんかできなかった。
堰を切ったように感情が溢れ出す。
「なら、あの捨てられた遺体はなんですか? どうして同じ顔が三人もいるんですか。ヨルちゃんは無事なんですか? 酷いことされていませんか!?」
ずっと不安だった。ずっと怖かった。
ヨルちゃんと過ごした何気ない日常が崩れたのは昨日の事。そして現れたのは尋常ならざる闇の底。
その深さと悍ましさを知るたび、私は一つずつ自分の心に蓋をした。
彼女に似た三番を見た時、どうしてこんな事をするのか叫びたかった。
ヨルちゃんが攫われた後は塞ぎ込みたかった。
純潔に体を差し出す契約なんかしたくなかった。捨て場で見たモノは信じたくない。
私の気丈は全てを押し殺した強がりでしかない。
この子を救いたいのは本心だ。だけどヨルちゃんを想う気持ちも、また大きくて。
好きに聞けなんて言われれば遠慮なんてできない。ぐちゃぐちゃになった心が荒れ狂う。
「どうしてヨルちゃんは連れ去られたんですか! なんでこんな酷い事するんですか!? なんで! なん、で……!」
こんな非道をする教団に連れ去られたヨルちゃんはどうなってしまったのか。
ようやく答えをくれる人を見つけて、私は情けない悲鳴を上げてしまう。
「ディアナさん、声が大きいぞ。それにこの子に言っても仕方ないだろう」
隊長に注意されてしまう。
分かっている。分かっているけど、涙が溢れ出す。情緒が不安定だ。
でも――
「いいよ」
――銀鉤ちゃんが、優しく私の手を握ってくれた。
「……ぇ?」
「貴方は"ヨル"を救ってくれた、もう一人の立役者。あんなに穏やかなヨルを見たのは、ボクが生まれてから初めてだった。……だから、いいよ。全部答えるよ」
初めて銀鉤ちゃんが笑顔を浮かべた。
安心させるように私の手を両手で抱きしめた。
「それに今は面倒な二人がここに居ない。どれだけ騒いでも大丈夫だよ」
「……その二人がこの施設のトップなんですか?」
「トップは神様だけど、うん。実質的な主導者かな。ボクもよく虐められるし」
本当に嫌そうな顔で語る銀鉤ちゃん。
だけど、それは良い情報だ。
この施設の主が留守だというなら救出がしやすくなる。
それに少しぐらい騒いでも大丈夫というのは、私のさっきの失態を考えるとありがたかった。
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壁画に囲まれた直線の第一層を抜けて、第二層に降りる。そこは入り組んだ空間だ。見分けのつかない扉を幾つも越えて歩きながら会話を重ねる。
なぜ、この神殿が作られたのか。ヨルちゃんの存在について。そして自分たちの事。
銀鉤ちゃんは私達に色々と教えてくれた。
「重吾――ディアナが名付けてくれたから、今はヨルかな。ヨルの体は神の器として創られたモノだよ。ヨルもそれは知ってるはず」
「器……15より前の人たちでは駄目だったんですか? その人達はどうなったんですか?」
「重吾より前の人達は、ただの実験だから器には適してないよ。まだどこかで生きてるのは居ると思うけど……ボクの管轄外だから分かんないな。あ、重吾も本当は同じ実験体になるはずだったんだけど、直前で主の気が変わったみたい。唯一の器になった」
神の器。
恐らく【夜の神】を現世に降臨させるための体ということだろう。
それだけでも成功すれば世界が崩壊する大事になる。けど、私はそれ以上に気になることが有った。
「もし……もしも、神の再臨が為されたらヨルちゃんはどうなっちゃうのですか?」
人間の精神など神の前では存在しないに等しい。
人が不注意で蟻を踏みつぶす様に、神によって押し潰されてしまうのではないか。その時、ヨルちゃんという心はどうなってしまうのか。
銀鉤ちゃんは首をかしげて悩んだ。
「うーん、と……神様、次第? 気にかけて貰えれば大丈夫」
それはつまり不可能という事だろう。
死と破滅を司る夜の神が、人間一人を心配するとは思えない。
ヨルちゃんは教団員によって殺される事はない。けど神が降ろされれば死ぬ事と変わりない。これで救出しなければいけない理由が増えた。
「ならもしかして、ヨルちゃんと同じ姿の子たちは、彼女が村に逃げたから用意された代わりという事ですか?」
ヨルちゃんが唯一の神の器ならば、成功品という扱いになるだろう。
だが彼女は教団の非道な実験が嫌になり逃亡した。だから教団は代替品を作ろうとしたのではないか……?
そしてその予想は銀鉤ちゃんによって肯定された。
「うん。あの子たちはヨルをモデルに量産された個体だよ。ヨルの代わりになるようにって、主の命令で作られた存在。でも不良品だと断ぜられて……全部処分」
「やっぱりですか……」
これで大体のつじつまが合ってしまう。
ヨルちゃんの脱走から奪還まで一月以上の空きがあった理由もわかった。
教団は最初はヨルちゃんの脱走を大ごとと認識していなかった。
逃げるなら代替品を生産すればいいと考えたが、それが失敗。ヨルちゃんの奪還に乗り出した。
ならば、三番の辛そうな謝罪にも理由が見えてくる。
きっと彼女はこの事を嘆いていたのだろう。
ヨルちゃんは大切だ。逃げて欲しい思いもあったのだろう。
でも、次々と作られては殺されていく自分とヨルちゃんそっくりの子供たち。そんな場面を一月以上も繰り返し見せ付けられる。
そんな地獄、常人であれば精神がおかしくなっても不思議はない。
その蛮行を止めるためには、ヨルちゃんに帰ってきて貰うしかない。
ヨルちゃんか、代替品の子らか。どちらにせよ誰かが犠牲になる苦渋の決断。三番の裏にそんな重荷が圧し掛かっていた。
「……遣る瀬無いのであるな」
「ああ、間違いしかない二択は選びたくないものだ」
三番が放った言葉は冷たいものが多かった。
人の命を軽視したり、ヨルちゃんを不良品と言ってみたり、教団から逃げた事を裏切りと罵ったり。
果てにはヨルちゃんを助けようとしたリュエール君にむかって、ヒーロー気取りの愚か者と吐き捨てた。
でもそれは全部、他でもない自分に向けた言葉。己を騙すために被った冷たさの仮面。だから最後に本音が零れてしまった。
「ヨルはここに戻ってからも村に帰りたがってたよ。でも問題だらけで帰れない。だから……どうか、あの子を助けてあげて」
銀鉤ちゃんはもう一度、私に向かって助けを求めた。
当たり前だ。こんな所に一秒でもヨルちゃんを置くことはできない。今すぐに連れ出して一緒に村へ帰るんだ。
「でも、それはヨルちゃんだけじゃない。銀鉤ちゃんも一緒に行こう?」
「ぇ……ボク?」
決意を新たに手を差し伸べる。
私達はヨルちゃんを助けに来たが、この優しい少女だけ置いて帰るなんてできっこない。
人間と動物を無理やり繋ぎ合わせた実験体であろうと生きる権利は持っている。誰にも阻害されはしない。
隊長もムッシュさんも、純潔までも重々しく頷いた。私達の中に彼女を受け入れない人はいない。
だから彼女もきっとこの手を取ってくれる。
そう思っていた。だけど彼女は寂し気に首を振った。
「ダメだよ。ボクの処分は決定してる。生きたくても、主が決めたからそんな権利も無い。たぶん、もう数時間以内に――」
諦観が身を包み、当然のように儚く笑う。彼女は死を受け入れていた。
「――そんな事は関係ない! 生や死を他人に決定させないでください! 大切なのは貴方がどう思うかだ!」
その顔が私はイヤだった。だから彼女の言葉を遮って無理やり止める。
生きたいと思う事に理屈は無い。その権利なんて考えたって答えは出ない。なら大切なのは銀鉤ちゃんの意思になる。
「私は可能か不可能かなんて聞きたくない。ねえ、銀鉤ちゃん。貴方はそれでいいの? 私は貴方がヨルちゃんと一緒に生きてくれたら嬉しいよ」
銀鉤ちゃんの目を見つめて語り掛ける。
彼女の瞳が期待に濡れた。
「……いいの? ボクが生きても。だってボクの処分は、ヨ……主の命令だよ」
「主が何ですか。許可が必要ですか。なら私が認めましょう、貴方は自由に生きていい。だから、一緒に帰ろう?」
言葉が染み込む様に彼女に伝わり、彼女の尻尾が動き出した。
ゆっくりと大きく左右に振られ始める。笑顔が咲いた。
「――うん! ディアナの命令なら生きなきゃだね! あ、でもヨルに迷惑かけると悪いから、ヨルにも許可取ってね!」
「ふふ、大丈夫ですよ。銀鉤ちゃんなら、きっとヨルちゃんも喜んでくれるでしょう」
フワリ、フワリと。
彼女の尻尾が何度も大きく揺れ動く。本当に、本当に嬉しそうに。
▼
そして。
ようやく辿り着いたヨルちゃんの所。
しかし、そこで私が見たものは、数多の自分に向かって謝罪を繰り返す彼女の姿だった。
助けを求めてディアナに接触する銀鉤
儚げに自分の処分決定を告げる銀鉤
なお内心




