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コミュ障TS転生少女の千夜物語  作者: てぃー
2章

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35/73

至高の愛

 喧々囂々。

 イナル村は今その言葉通りの状況にあった。


 あの襲撃から一夜明け、ここは村の集会場。

 いつにも増して多い人影で喧騒に包まれる中、一人の村人が腹立たし気にレイトを指さした。


「ちょっと待て。つまり何ですか? 兵士さん方は、あの子を助けに行くってんですかい。この危機に村を見捨てて?」


「見捨てるとは言っていない。そもそも危急の可能性が高いのはヨルンの方だ。ならば、優先して救出に行く必要があるだろう」


「おいおい。じゃあ俺たちの優先順位は低いって事ですかい?」

「違う。そんな事は言っていな――」


「そういう事だろうよ!」


 村人の怒号を受けてレイトは喧しそうに顔をしかめた。


 朝から代表を集めて話し合いしていたのだが、非常に白熱する議論となっている。


 今すぐにヨルンを助けに行くべきだと主張する駐屯兵団と少数の村人勢力。見捨てるべきだという大多数の村人との議論。

 村長が中立の立ち位置で仲裁するも、互いに一切譲歩することは無く話し合いは平行線のままだった。


「いいかい隊長さん、昨日の襲撃はアイツの奪還が目的だったんだろう? 奪還だ。つまりアイツが教団に連れ帰されたところで、元の木阿弥に戻るって話。村に損は無いじゃないか」


 反対派の意見に多くの村人が頷き返す。


「あの子はそもそも何者なんだ。村として正体不明な奴を助ける必要が有るのか?」


 多くの人間が昨夜、仮面の女の話を聞いていた。

 ヨルンが元々教団に所属しており、脱走して来たという事。それを追って教団が襲撃して来たという事を知ってしまった。


 村人にとって親しくもない、会ったばかりのヨルンを助けるという事は、少ないメリットと多大なデメリットを抱えるという事に他ならない。

 これが身内ならば話は別だろうが、生憎とヨルンは村に来たばかりの余所者だ。村という閉鎖的な社会は元来排他的であり、内外で如実に線を引く。


 一方、兵士達はこの村出身では無く、王都から派遣されてきた職業軍人であり使命は人の命を守る事。

 その立場の違いが価値観の違いとなって食い違う。


「だがヨルンが居たから以前の襲撃も対応できたわけだ。それに彼女は魔種からの護衛だってしているだろう。十分、村の役に立っているはずだ」


 レイトの弁明。

 しかし、村人は鼻で笑った。


「以前の襲撃だって目的はアイツだろう? 呼び寄せてんだ。撃退してくれなきゃ困る。それに教団みたいなヤバい存在と害獣なら、害獣の方が気楽だね」


「そうだそうだ。村の被害を見て、もう一度言ってくれや。兵舎はいいねぇ、無事で。俺の家なんか潰れたよ!」


「畑も半分以上が大鳥にやられました。こうなると、冬を越せるかという問題も……」


 レイトが一つ言い返せば数倍になって返ってくる。

 俺も自分もと怒りを露に捲し立てる反対派は次々に不満を口にした。


 いかに自分たちが大変な状況で、命のリスクがあるのか懇切丁寧な説明。ゆえにヨルンは見捨てて、村の問題に向き合うべきだとレイトに翻意を願う。


 それに対して救出の必要性を幾ら述べても、相手は聞く耳を持たない。これは堂々巡りの出口なき迷宮。このやり取りだって、もう何度目の事か。


 机をたたき、置かれた湯飲みが零れても気に留めず口論は加速する。

 そんな論争に村長が割り込んだ。


「まあまあ、互いに落ち着いたらどうじゃ。双方の言いたい事はよく分かる。だが熱くならずに、冷静に現実を見ようじゃないか」


 まるで宥めるような言い方だ。


「兵士さん達の言いたい事は分かる。よーく分かるんじゃ。儂もあどけない少女の犠牲は可哀そうだと思うし、彼女に罪はないのも分かっとる」


 中立を保持しているようで、その腹の奥底に秘めた思惑が見て取れる口調。

 そして次の言葉を聞いてやはりなとレイトは嘆息した。


「だがの? みんな村も大切なんじゃ。それによく考えてみよ。兵士さんの所属は【アルマロス王国】じゃろう。防衛ならともかく、独断での侵攻は許されない」


 下手に動けば不利益を被るのはお前等だぞと。兵士の方を見てそう言う村長の言葉。

 レイトは表向きの建前を述べてみる。


「侵攻ではない。森の探索と、その際に"見つけてしまう"施設の調査だ」


「通らんよ、その理論。教団復活はもう一ヵ月以上前に報告しておるし、村への事実確認が来れば君は独断専行の罪を被る。そうなれば困るのは隊長さんじゃろう」


「……それは、そうだが」


 村長は恐らく大多数の村人寄りの思想だろう。


 ヨルンの出生の秘密を知っているはずだし、教団は憎く思っているはずだ。しかし己の子同然の村も大切。

 温和な雰囲気で救出派を諭すように理論を展開していく。


 レイトは諦めるように溜息をついた。


 これは、もう説得は不可能だなと。





 レイトさんが矢面に立って議論してくれている間、私は喧騒から離れて双方の様子を伺っていた。しかしどこか心ここにあらずで、遠くの出来事のように論争を見つめる。


 思い返すのは昨日の事だ。

 力なくうなだれるヨルちゃん。それを抱えるヨルちゃんに似た三番。


 私はやっぱり彼女が悪だとは思えなかった。

 口ではどう言おうとヨルちゃんを抱える動作は丁寧で、見え隠れする不安気な表情は優し気で。


(本当に嫌になる……それに最後の言葉はなんだったの?)


 別れ際に零れ落ちた謝罪の言葉。平坦な口調だったが、ヨルちゃんの喋りになれた今ならわかる。

 たった一言。ごめん、という短い言葉は三番の心の発露だった。


 あの人の真意が知りたい。

 ヨルちゃんを助けに行きたい。


 でも、それは難しい。


(……分かってる。いまヨルちゃんの救出に動けば、成功しても失敗しても大変な事になる)


 救出に成功しても「やったー良かった」では終わらない。必ず次の襲撃があるはずだ。そうなれば村は復興どころではないし、次はもっと犠牲が大きくなるかもしれない。


 だが救出に失敗すれば、作戦に参加した兵士は死ぬことになる。つまり大切な労働力や、村の防衛戦力を削ぐことになる。

 そうなれば教団どころではない。

 森から出てくるだろう魔種に対抗できなくなる可能性すらあり、村の存続が危ぶまれる。


 つまり救出作戦を行うという事は、どちらに転んでも村にとっては損しかない。村人だってそれに気づいているからこんなにも反対するのだ。


 分かっている。

 それは分かってるのに……私は村人に対して失望を感じざるを得なかった。


 昨夜の襲撃により倒壊した家屋は10を数え、半壊は50棟を超える。にもかかわらず死者はゼロ。


 それは偏にヨルちゃんのおかげだった。

 彼女の指示により動いた夜人が村人の命を守ってくれていた。危ない所を夜人に助けられたという報告がいくつも上がっていた。

 敵の夜人と、ヨルンの夜人が入り乱れていたせいで「夜人=悪」という印象が村人に刷り込まれたようだが、そうじゃない。


 ヨルちゃんだって、必死に村人を護ろうとしてくれていたのだ。


(なのに……なんで、みんな認めてくれないの……)


 ヨルンが悪くて自分は被害者。全てアイツの責任で俺たちは正論を述べている。

 村のため、皆のため必要な事。


 ―― ヨルンを切り捨てろ


 村人の口からそんな本音が聞こえてくるようで、悔しさと怒りをかみしめる。

 

 あの子はまだ子供なのに。

 成人すらしていない、女の子なのに。


 彼女の生まれが悪いのか。引き寄せる悪意が邪魔なのか。

 ならばそれを打ち払い庇護する事こそ大人の役目だろう。なのにそれを放棄して、のうのうと生きる事が許されるのか。

 

 卑劣な不条理を為そうとする村人に怒りを覚える。


(いや……大人の役目が出来て無いのは私も一緒か……)


 だが、それ以上に自分に対する不甲斐なさが押し寄せた。


 村人を責めるには私はなにも為せていない。

 純潔に負けて、勤勉に負けて……三番にも負けた。


 忍び寄る悪意からヨルちゃんを護ると誓ったはずなのに、いつも私が彼女に護られている。


(弱いなぁ……私)


 くしゃりと髪を握り込む。

 隣に彼女が居ない喪失感は言い表せない。あふれる涙で腫らした目はまだ治っていない。


(もう、だめなのかな……? 私じゃヨルちゃんを護れないのかな。助けにも行けないのかな……)


 私じゃダメだろう。幹部の一人にも勝てない。

 隊長もダメだろう。隊規により動けない。


 村人も多くが救出に非協力的で、なにより中立であるべき村の指導者(村長)が反対に回っている。


 もう村の協力は得られない。

 ならいっそ聖教の本部まで直訴に行った方がいいんじゃないだろうか。どうか彼女を助けて下さいと応援を願った方が有意義だ。


(うん……そうだよね、私じゃ役に立てないよね……)


 どこか夢を見ていたのだろうか。

 悲劇的な少女との出会い。襲い来る悪意の群れ。そこから少女を守ることに、私は酔いしれていたのかもしれない。

 子供が夢見る無邪気な英雄譚は現実じゃあ通用しない。

 

 ならば最初から間違っていたのだ。

 私の醜悪な思い上がりが招いた結末がこれなのだ。


(ごめん……ごめんね、ヨルちゃん)


 過去を悔やみ歯を食いしばる。喉を刺すような鉄の味が広がった。


 もっと早く対応するべきだったのだ。

 私達だけで教団の悪意を打ち払えると過信せず、強引にでも助けを求めて聖教本部に駆け込むべきだった。


 今から助けを呼べば来てくれるだろうか?

 ああ、でも時間かかるかなぁ……。と、そこまで考えた所でハッと気づいた。


「時間……。いま、何時ですか?」


「ど、どうしたんじゃ? ディアナさん」


 全ての議論を遮るように立ち上がる。

 窓から太陽の位置を見れば、もう間もなく正午を回るかといった所。


(援軍要請はもう一ヵ月前から出してるのに、来たのは南都からの調査くらいで進展なし……聖教本部に動きなし。じゃあ、援軍はいつ来るの?)


 ヨルちゃんが連れ去られて、すでに半日以上が経っている。


 彼女はいま、どんな気持ちだろうか。

 実験台に戻されて、辛くて苦しんでいないかな。寂しくて泣いていないかな。


 私は悔しくてしかたない。

 なぜ彼女が苦しんでいる今、私はどうでもいい事に思考を割いてしまったのか。

 現実に押しつぶされそうになった自分が。ヨルちゃんの事を他人任せにしようとした自分の愚かさが腹立たしい


(……ならやっぱり、待てないよね)


 力が無いのは仕方ない。弱さは必ず乗り越える。

 だからこの心だけは教団に負けたくない。


 もういいか。

 私はこれまでの葛藤、逡巡といった些事を全て捨て去る事にする。


「時間? 時間がどうかしたかの、ディアナさん」

「いいえ。何でもないですよ」


 好々爺を気取った村長が不思議そうに聞いてくるけど、どうでもいい。


 まだ話が終わっていないと制止する人たちも振り切って集会場を後にする。かつて家だった瓦礫の山や、それを前に立ち竦む村人を横目に歩みを進める。


「みんなみんな自分の事ばかり。家が無い、畑が無い。護るだの、護れなかっただの、そんな事は関係ない」


 ヨルちゃんを護れなかった? 幹部に負けた?


 ああ、不甲斐ない――――それがどうした。


 目覚めてから、今までの事を思い返して自嘲する。

 


 自分の無力さや、ヨルちゃんへの申し訳なさに(かま)けて、すぐ動けかなった己の愚かさに自己評価がどんどん下がる。


 馬鹿だった。なんと無駄な時間を過ごしたことか。

 負けた事を悔やんでも仕方ない。大事なのはこれからだ。


 彼女はいま、生きるか死ぬか瀬戸際にいるのだ。あるいは飽くなき実験という拷問に遭っているかもしない。


 だけど、きっと生きている。

 なら私の矜持や自尊心なんかどうでもいい。全ては後でいい。


「する事はただ一つ。どれだけ惨めに這い蹲ってでも、可能な限り早くヨルちゃんを助け出す」


 今のヨルちゃんには何も無い。

 傍らで温めてくれる人も、想ってくれる人も無い。暗く冷たい檻の中にただ一人取り残されている。


 ならば助けるかどうかの議論など不要。

 するべきは「どう助けるか」の討議で、それが出来ない場に長居は無用。


 実力不足とか、勝てないかもとか、そんな心配は役立たず。

 すでに応援は呼んでいるのだ。あとは待つか、行くかの二択なら私は今行きたい。


 無謀でも不可能でも仕方ない。

 自分にウソを吐きたくない。今すぐ動かなければヨルちゃんに合わせる顔が無い。


 その答えに至るまで、私は随分と無駄な感傷に浸ってしまった。


「よし……1人でどこまでできるかな」


 深淵の森の入り口で立ち止まる。


 三番に奪われて聖具は失った。幹部に出会えば命はない。

 正攻法での救出は不可能。ならば潜入だろうか?


「ちょ、ちょっと待て! 早い、早いぞディアナさん!」

「あれ? レイトさん?」


 勢いで森まで来てしまったが、どうやって救出するか悩んでいたところで声が掛った。

 振り返れば息を切らした隊長さんが居た。


「まったく……覇気が無いと思ってたら突然動き出すんだな。ヨルンを護れずに心折れたかと思って、慰めの言葉を考えていたのが無駄になった」


「隊長さんは朝からいつも通りでしたね。やっぱり強いですね」


 彼は不甲斐ない私に代わり、村人とヨルちゃん救出の討論をしてくれたのだ。

 本当に兵士さんは凄いと思う。私も負けないように気合を入れなきゃだろう。


 そう思っていたらレイトさんは呆れたように言う。


「俺は仲間の生死に対して鈍感になっただけだ。いいもんじゃない。それより一人で勝手に立ち直ったディアナさんの方が強い気がするが……。一般人だろうに、一体どんな精神してるんだ?」


 冗談交じりか、胡乱な目で見てくる隊長さんの言葉に首をかしげる。


 それよりも用事は何だろうと尋ねると彼は気まずそうに切り出した。


「ディアナさん。言いたくはないんだが、こんなところに何しに来た? 一人で行く気か? まさか勝ち目が有るとでも?」

「さあ……どうでしょうか。教団の拠点すら見つけられないかもしれないし、私まで囚われて実験台になるかもしれませんね。勝算は高くないでしょう」


 でも行くしかないじゃないですか。

 そう言うと隊長さんはバカにするように首を振った。


「死にに行ってどうする、馬鹿らしい。……無謀な救出作戦ってのはな、兵士(オレ)の仕事なんだよ」


 そして見せてくる「辞表」と大きく書かれた便箋。


「え、それは……」


「俺は人を守るために兵士になった。なのに兵士という肩書が邪魔で動けないなら、辞めてやるさ。楽しみだな、突然辞表の一文を送り付けられた上司の顔。こんな辞め方する兵士なんか他に居ないぞ」


 こりゃ軍法会議ものだと愉快そうに笑う隊長さん。

 いや……もう、隊長では無いのだろうか? レイトさんが「だから俺も連れていけ」と、私の背中を叩く。


 彼も彼で、人生の決断を下していた。

 なんだ。私は一人じゃないらしい。

 少しだけ気持ちが楽になった。彼と共に笑い合う。だが、それに盛大な文句が飛んで来た。


「おーい、居たぞ! 隊長……いや、もう違うか。レイトの馬鹿を見つけたぞ!」

「レイトお前、抜け駆けか!? 前からクソみたいな性格してるなって思ってたけど、やっぱりクソだったか」

「今日からため口解禁ですかぁ!? おいレイト、南都から甘いもん買って来いよ、ヨルンにやるからさ」


 口々に罵倒を送りながらゾロゾロと兵士達がやってくる。


「……お前ら、ぶっ殺すぞ」


 レイトさんが青筋を立てながら凄むが、兵士はまるでおびえた様子を見せない。


「おっと衛兵への威圧。殺人示唆。はい実刑」

「ちょっとでも手を出したら長いよー? 10年冷たい飯食う? んん?」


 ニヤニヤと腰の剣を見せつけながら、小悪党のようなことを言う兵士たち。だがレイトは構うもんかと兵士の胸ぐらを掴み上げた。


「残念だったな、どうせお前らも辞めるんだろう? ならこれは一般人同士の喧嘩だ。ヨルンの後ろ姿ばっかり目で追ってる変態共が舐めるなよ」


「ひぇ! バレてる!?」


 全員に拳骨が落ち、その度に岩を殴るような音が何度も鳴り響く。兵士たちは地面で沈黙。

 怯えが混じった兵士たちを一睨みするとレイトは鼻で笑った。隊長という肩書が外れても、立場は変わらないらしい。


「皆さんとても仲がいいのですね」

「ふん。コイツ等は馬鹿なだけだ」


 不満そうなレイトさんの言葉とは裏腹に、彼はどこか自慢げだった。

 

 ヨルちゃんを思う人がこんなにいる。

 それだけで、荒んでいた心が癒される。だけどまだ終わりじゃ無い。


「おっと、我輩が最後かな? すまんね紳士は準備に時間がかかるものである」


 揚々と現れたのは真っ白い紳士服を身に纏ったムッシュ司教。


 彼は兵士たちを見回すとステッキを一振り。

 兵士たちの手から辞表届がふわりと浮き上がる。兵士たちが声を上げた。


「あ」


 どうやら兵士さんの状況を把握していたらしい。

 彼は辞表届けを回収すると魔法の火に焼べた。燃えとなって散っていく辞表届。


「正義に後顧の憂いなし。キミたちは為すべき事を為す。そこに何故、不満を抱かれようか。前を向き、胸を張り給え。キミらは聖戦の戦列に加わるのだ」


 彼は紙吹雪の様に灰を浴びながら宣言する。


「吾輩はキミたちに森の調査を依頼する。悪鬼たる教団の根城を探すのだ」


 周辺国家を庇護し、大きな影響を与えるエリシア聖教の高位聖務者たるムッシュ司教の依頼。

 それはつまり南都アルマージュの最高権力者に近い存在から、命令が無く動けなかった兵士達に勅命が下ったことになる。

 

 レイトは片膝をつくと頭を下げた。


「承知致しました。我が団の全霊をかけて司教の存意を遂行致しましょう」

「うむ。もしや戦闘が有るかもしれんが、我輩は然様な荒事に詳しくない。現場の判断に委ねる事とする」


 しかし、これは命令系統を逸脱した越権行為。

 ムッシュ司教には後程、王国から苦情が入る事だろう。それを分かった上でしてくれる好意。私は思わずお礼を言った。


「ムッシュ司教。……ありがとうございます」


「ふむ? なんの礼かは知らぬが、要らぬと言っておこう。吾輩は正義の使者。ここで見捨てればそれは正義とは言えぬからな。さあ行くぞ! 教団退治だ!」


 フハハハと笑いながら、ステッキを振り回すムッシュ司教。だがその足は僅かに震えていた。


 くすっと笑みがこぼれる。

 昨日、あんなにも脅えていた人が頑張っている。やっぱりこの人は強い。


 やる気に満ちた数十人。

 これだけ居れば、何とかなるかもしれない。そんな希望が湧き上がる。


 レイトさんは早速、他の兵士さんと話を進め始めた。


「まず作戦を決めるか。まず敵の拠点を探さなきゃだが……人数を分けるか?」

「兵士は全員参加ですし、普段通りの班で探索に回りましょう。いつもより深く。かつて【捨て場】を見つけた先が有力候補かと」


 捨て場――。

 それは教団の紋章が付いた魔具や、実験被害者の遺体が無造作に捨てられていた場所の事だ。


 その先がかつてヨルちゃんから聞いた場所とも合致する。

 だが、確か森が黒くなっている……神代の霊地【死誘う黒き森】があるという情報も語ってくれていた。


 近づくだけで命を吸い取る魔の森。

 聖書に載っている対処方法は、正規ルートを通る事だったはず。

 それならば安全に抜けられるらしいのだが……隊長は反対らしい。


「時間がない。霊地も本物ではないだろうし、模造品ならば防護魔法でいけないか?」

「強行突破ですか……試してみましょう」


 兵士さんも検証してもいいかもしれないと乗り気だ。

 だけど、それは危ないんじゃないだろうか? 失敗すれば死ぬという事。私は止めようとしたが、それよりも早く声がかかる。


 何度も聞いた声。


「それは勧めませんね。十中八九、死体を増やして終わりでしょう」


 地の底から届くような邪悪に満ちた声。

 全員が声の主を振り返る。


 剣を構え、ステッキを構え、私は魔法を何時でも放てるように。


「おっと、おっと。敵意が一杯ですね、皆さんもっと平和にいきましょう」


 そこに居たのは仮面の男――黒燐教団の【純潔】だった。







「何をしに来たんですか。妨害ですか」


「とんでもない。まずは落ち着いて話をしましょう」


 手の平を向けて和平を申し出るが、ディアナ司祭からかつてないほどの殺意が向けられる。


 それは私が以前相対した際や、勤勉との争いでの闘気を超えて研ぎ澄まされたモノ。

 幾たびの困難と習練、苦境と絶望の果て。鋼が打ち付けられて精錬されるように、片割れたるヨルンを攫われて彼女は一段と成長していた。


「弱冠19歳。子供も子供、ひよっこの成長は早い物ですね。見るたびに強くなる」

「……そうですか」


 嫌味と取られただろうか? だが事実だ。


 私が19歳だった時は何をしていただろうか。

 どうせ大したことない国家機関で、しょうもない研究をしていたのだろう。もはや思い出すこともできない。


 分かることは私が長年を費やして得た力。年月が齎した彼我の差をディアナ司祭が着実に埋めてきている事だ。


 己の四半分も生きていない小娘がという思い。

 だがそれ以上にディアナ司祭を好ましいと感じる思いが満ち満ちる。


 光の存在がヨルンのために生死を投げ出して動くのだ。幾人もの人が立場を捨て、犠牲を払い、それでも彼女の為に邁進する。


 ああ、これぞ愛。 

 だからこそ私は手を指し伸ばさずにいられない。


「私にはヨルン救出を手伝う用意があります」


 みんな怪訝な顔をした。

 そして、え?と聞き返してくる。


 ふむ……分かってた。

 私は見た目が怪しいし、彼等と敵対していた人間だ。こういう反応は自明の理。だから言葉を続ける。


「私は貴方に負けて愛に目覚めたのです。貴方の傍らで見守り、その愛を肌で感じる事こそ私の使命と知った。故にこれはその一歩なのですよ」


 なぜか更に怪しまれた様子。


 ……どういう事でしょう。

 教団でも、ここでも誰も私の言葉を信用してくれる人が居ない。


「そ、それはあの時言っていた『惚れた』とかいう奴でしょう、か?」

「ふむ? ああ……」


 ディアナ司祭が困った顔で尋ねてきた内容。それは昨夜勤勉が言っていた事だろう。

 「ディアナ司祭に惚れたか!?」などと言われた事を思い出す。


 あの時は似たようなものと言ってしまったが、ディアナに恋愛感情を抱いていると勘違いされると悪い。訂正しておく。


「正確には違いますね。私のこれは陳腐な惚れた腫れたの概念を超えた領域。そう、(アガペー)です」


 互いに想う関係は素晴らしい。

 ディアナとヨルンが抱き合う場面を見た時など昇天するかと思った。あれこそ、宗教画として残すべき光景だ。


 人々はあのように生きるべきなのだ。


「そ、そうですか……分かりました」

「おお! 分かってくれましたか、良かった。……おや、どうして離れるんです?」


 別に危害を加える気などないのに、彼女は二歩三歩と下がっていく。そして兵団の隊長――レイトと耳打ちした。


「おい、アイツ手伝ってくれるらしいぞ。ディアナさん、仮面野郎に惚れられたのか?」

「わ、分かりませんがそうらしいですね。ぶっちゃけ……イヤです。助けてください」


 話の内容は聞こえないが、二人が何とも言えない表情で見てくる。


「いや、ここは利用してやれ。ああ言っているんだ、情報を聞き出す程度ならできそうだ。もちろん、ディアナさんの判断でいいが」


「うぅぅ……そう、ですね。これはヨルちゃんのためになる。私も我慢してみます」


 話が終わったのか、ディアナ司祭が再び近づいてきた。

 そして真面目な表情で提案する。


「それでは、どうすれば手伝って貰えますか? 私は何をすればいいんですか? 貴方の求める愛とはなんですか」


「私の求める愛……? そうですねぇ、光と闇の混ざり合う事無き二律背反を超えて為されるモノ。人の抱く倫理など打ち砕き、紡がれる奇蹟こそが『至高の愛』でしょう」


「ひ、光と闇が混ざる? それってまさか私と貴方が、そういうこと? 倫理を打ち砕くってなに、私なにされるの……!?」


 ヨルンとディアナがそうであるように互いに(いと)おしむ無垢な間柄。

 白き理想を咲かせた世界の真理こそが、私の求める理想の愛!


「世の中には愛を騙るもので溢れています。やれデートだとか、やれプレゼントだとか。そして囁かれる愛してるよと言う軽々しい言葉。……生温いッ!」


「な、生温い」


「その点、貴方の愛は素晴らしい。命を()して、慈しむ原初の祈り。私も思わず欲しくなってしまいますね。ふふ」


「う……」


 少し熱くなって語気を強めてしまった。その所為でディアナ司祭が恐怖を抱いてしまった様だ。だが、彼女は気丈に問いかけた。


「そ、それで対価は何を求めますか。貴方がヨルちゃん救出に協力してくれるなら、私は何を差し出せばいいですか? やはり、か……体ですか?」


「ふむ? くれるならば私にも愛を――と、言いたい所ですが愛とは対価を求めないモノ。それは無粋」


 そもそも、ディアナ司祭には既に相手(ヨルン)がいる。

 絶対に受け取れないし、私も受け取りたいと思わない。


 純粋にヨルン救出に協力したかったので、対価だって求めていなかった。

 だがディアナ司祭から提案してくれたのだ。貰えるものは貰っておこうという気はある。


「体をくれるなら、頂きたいですね」


 高位聖職者の体など、そうそう確保できない。

 彼等の血肉は聖気や魔法によって保護されており、違法な手段――殺害や拉致など同意なき手段――で入手しようにも難しい事が多い。

 だから、僅かばかりの血液でも貰えるなら、有り難いのが本音だ。


 一秒。二秒と沈黙。


「……分かりました」


 そして重々しくディアナ司祭は頷いた。


「ちょっと待て! そんな事は認められん!」

「うむ。今のやり取り、しかと聞かせてもらったがそれは脅迫と言うのではないかね?」


 しかし隊長やムッシュ司教が猛反対して来た。

 ディアナ司祭がいいんですと、力なく首を振って制止するが二人はまるで納得しない。


「ヨルちゃんを助けられる可能性が少しでも上がるなら私は何だってする。この人は信用できないけど、"契約"を交わせば少しは大丈夫でしょう」


 そう言いながらもどこか不安そうな表情だ。

 私は少しでも安心させるために、説明を加える。


「体を差し出すのは初めてですか? 大丈夫、私は痛くしないし、優しい男で有名なのですよ」


 昔からそうだ。

 私は被験者の痛覚と意識を消してから実験を行ってきた。

 中にはそれが楽しいんじゃないか、などという理解できない輩もいるが私は被験者が騒ぐのは好みではない。


 部下からも「純潔様はお優しいですね」と褒められた事も有る。

 そもそも今回差し出して貰うのは指先の肉片と血液で十分だ。絶対に痛くない。


「……」


 しかしディアナ司祭は悲壮な表情だった。

 ……さすがにここまでの顔をされると、私もやりにくい。


 ムッシュ司教の方を向いて聞いてみる。


「ちなみにですが、ディアナ司祭がダメなら、ムッシュ司教の体でもいいですよ。使わせてください」


「吾輩かね!? 節操がないなキミは!」


「そうですかね? 貴方の体は良いモノです。首周りの肉がとてもいい。少し昔の私なら、どんな手を使っても欲しがったでしょう」


「気持ち悪いなキミは!」


 彼も有力な聖職者。

 ぜひ欲しいと言ったのだが……なんだか、風当たりが強まってしまった。


 兵士たちの目線にも脅えが混ざり込んでいる。


 おぉ、とか。

 ホモ野郎が、とか聞こえるが何を言ってる?


 彼等からの罵倒が止まらない。

 やはり欲張りが過ぎたのだろうか?




至高の愛!


それは光と闇が混じり合って、倫理感に囚われないもの!


なお男同士もヨシ!


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[一言] まさかこの話に泣かされるとは… ムッシュ司教;;
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