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コミュ障TS転生少女の千夜物語  作者: てぃー
1章

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16/73

主人公不在はドシリアスなんですけど!?

 太陽が空高く上がり大地を照らす快晴の下、ディアナの前に闇が現れた。


 黒く染まった口しかない仮面。全身を覆うロングコートと黒手袋。

 【純潔】と名乗った男は鈍く軋む魔力を周囲に漏らしながら、一歩一歩とディアナ達に近づいてくる。

 男の踏み締めた大地の草が染み出す瘴気に侵されて枯れていく。


「ちょっと待っててね黒髪ちゃん。すぐ終わるから」

「う、うん……」


 ディアナは膝の上にいた少女を横に下ろして、立ち上がる。


「なるほど……随分と早いお出ましですね教団員さん。ですが聞き間違いですかね、この子を返せとかなんとか? 無理ですね。この子は物じゃないから返せない」

「いいや奪ったのは貴方が先のはずだ。我らは大切な使徒を返していただきに参った次第。今ならば誰の命も取りません。私、無用な殺生はしない質なのです……さあ返しなさい」

「殺傷をしない? ……その崇高な意志で実験体を長く苦しめてきたのですね。素晴らしすぎて、眩しくて、私は貴方を直視したくない。吐きそうですよ……!」


 全く話が通じない。言葉は通じているのに論理が破綻している。

 嘘で塗り固められた男の言葉にディアナは嫌悪感しか覚えなかった。だが、それは相手も同じだったのだろう。

 シオンはディアナとの話を打ち切って少女に目を向けた。


「ジュウゴ様……さあ神殿に帰りましょう。私は貴方を助けに来た」


 宗教画に出てくる騎士のように、卑しいことなど何もないとシオンは手を差し伸べた。まるで受け入れられて当然と言わんばかりの男の態度。

 何を馬鹿なことをとディアナは思ったが、黒髪の少女はびくりと体を震わせた。


「神殿……呼んでるの?」

「ええ。私は彼らに願われてここに来た。村に長居は危険です。さぁ、さぁ」


 少女は視線を落として考え込んだ。同時にチラチラとこちらを窺っていることにディアナは気が付いた。

 様子がおかしい。

 なぜ考える必要がある? すぐ拒否してほしいのに、なぜ申し訳なさそうな顔を浮かべるのだ。

 悩む少女を追い込むように男が嫌らしく語る。


「いいですか……このままでは、大変なことになりますよ? 上層部の判断はなかなか苛烈でしてね。敵とみなした者、関わっただけの者ですら凌辱と軽蔑、拷問の果てに処刑する」

「……!」


 男の意味深長な言葉をディアナはすぐに理解した。


 これは村を人質にとった脅迫だ。

 お前が帰ってこないなら教団上層部の判断で村ごと潰す。残虐の限りを尽くして、村人全員殺す……仮面の男はそう言っていたのだ。


「下種な! やるならやってみなさい、私達はそんなに弱くない!」


 守れるとは言い切れない。本当に教団が動いたら必ず死者が出るだろう。しかしそれは少女を差し出す理由とは成りえない。


「うん……」


 ディアナが強気に立ち向かうが、しかし少女はまるで自分の影を見るように視線を落として考え込んだ。

 そして確認が取れたかのように頷くとゆっくりとシオンに向かって歩き出す。


「ッ黒髪ちゃん!?」

「……ごめん、帰る。ばいばい」


 名残惜しそうにディアナに別れを告げた少女はシオンの姿に怯えながら近寄っていく。


「そんな、どうして……!?」


 慌ててディアナが理由を尋ねるが彼女は振り返らなかった。

 本当は仮面の男となど一緒に行きたくないのだろう。少女の体は震えているし、警戒するように男を見つめている。

 だが、彼女は教団の下に戻ることを決めた。再び実験動物として使いつぶされることを自ら選んでいた。


「大丈夫! 黒髪ちゃん、私達なら大丈夫! かならず守る、みんな護る! だから待って!」

「でも……何かあると悪い。私は行かなきゃ」


 恐怖に縛られていたのかもしれない。

 あるいは優しい子だから脅しを聞いて、この村に掛かる迷惑を考えたのだろう。自分が犠牲になれば誰も苦しまなくて済む……そう考えてしまったのだ。

 彼女の悲壮な決意を尊重することは、このまま見送ることなのかもしれない。だけど……見過ごせば、きっと自分は後悔する。


 ディアナは無理やり少女の手をつかんで止めた。


「……駄目だよ」


 驚いたように少女は振り返った。だがその心は既に男に囚われていた。

 少女は困ったように眉を下げて、ディアナに手を放してほしいと目で訴えてくる。


「だめ。そんなのダメ。お願い、行かないで」

「呼ばれたから。ごめん、また来るから」

「また来るって、そんな男についていって次はいつ来られるって言うんですか!?」

「……今晩?」


 どれだけ言っても彼女はディアナの言葉に頷かない。

 その先にどんな苦痛があると知っても彼女は自分を顧みない。誰のためでもなく村のために彼女は地獄へ堕ちる覚悟を決めた。その決意は止まらない。


(なんで、なんでそんな風に生きられるの? ずっと苦しんできて、この子はあんなにも安寧を求めていたのに! やっと手に入れた自由なのに……! )


 怒りと悔しさと、悲しみの織り交ざったグチャグチャの感情が心で荒れ狂う。掴んでいる少女の手を握り込む。

 どんなに生きて欲しいと願えども、心配するだけの感情は彼女に響かない。

 己よりも他者を優先してしまう優しい子だから、彼女は自らを追い詰める。

 ――彼女はこの世界で生きるには酷く優しすぎた。


「……じゃない」


 ならばディアナは彼女の優しさを利用する。


「迷惑なんかじゃない! 貴方が可哀そうだからじゃない! 私が貴方と一緒にいたいから、私の為にここにいてほしい!」

「ぇ……?」


 彼女のための言葉が無意味なら、自分のために残ってほしいと(こいねが)う。

 卑怯な手だと自覚する。だけど彼女と共に居たいという、この想いは胸を張って言える事実。


「私は孤児だから、ずっと家族が欲しかった! 貴方に家族って言ってもらえてうれしかった!」


 彼女と一緒に学ぶことは楽しかった。


「私は不安だったんだ。同じ孤児院の子たちとも家族になれるって思ってたけど、相手もそう思ってくれているのか分からなかった」


 一緒にお風呂に入った。ベッドで眠りについた。

 彼女と共に過ごす時間は輝いていた。


「家族が欲しかったのは、ほんとは自分だけじゃないのかってずっと怖かった。だからみんなに精一杯優しくしたし沢山構った。『良い人』であろうと人一倍注意した。でも不安は残り続けた」


 知っているか。

 彼女は陽だまりが好きなのだ。


「貴方がその恐怖を打ち砕いてくれた。家族として求めてくれた言葉に私がどれだけ救われたか。私が貴方の感情を理解しきれないように、この想いはきっと誰にも理解されることはない」


 実は少女は怖がりで寂しがりで、ずっと誰かに甘えたがっていた。

 

「それでもいい。私は貴方と居るだけで救われる」


 お菓子が大好きで甘いものに目を輝かせる。

 この子はずっとずっと子供らしい。


「貴方だけが居ない日常なんて欲しくない。どんな地獄でも私は貴方と一緒に歩みたい」


 知っているかお前たち。


「だって、それが家族というものだから」


 知っているか仮面野郎。

 私の家族に手を出すその意味を。


「知ってるか黒燐教団。私はお前が大っ嫌い……!」







「『光よ 悪を祓う飛輪 蒼天に御座す主の寂光よ!』」

「総員、司祭を護れ! 少女を護れ! 命を懸けろよここが俺らの正念場だ!」


 聖女が詠唱を始めた。隊長が周囲の兵士に発破をかける。


「まるで予想通り。交渉決裂。ならば相済むまで鏖殺(おうさつ)致し方なし……!」


 仮面の男が両手を広げた。

 前後左右から剣で突き刺され、首が捻じ曲がる。

 血の代わりに黒い靄が体から噴き出した。仮面の口は瘴気を吐き出しながら哂っている。


「『虚空に舞え 真理 争乱 滲み出す冥漠』」

「『迎え入れろ落暉 打ち砕け暁光 未来を掴み取れ人の子よ』」



 なんか戦いが始まった件について。


 見たことも無い仮面の男が現れて神殿に帰ろうって言われた。

 なんじゃい我、不気味な格好で怪しいこと言っとるな。この世界流の誘拐か?……と思ったけど俺は頭の良い人。

 昨日そう言えばヤトが騒いでたのを思い出した。もしかしたらそっちの関係でなにか色々あったのかもしれない。

 そんで「この人、迎えに来たって言ってるけどマジ?」と俺の影に潜むヤトに確認したら、どうもマジらしい。


 マジかよ……絶対不審者じゃんこの人。お前なに思ってこの人に俺の迎え頼んだ?

 とはいえヤトも大丈夫と言ってるし、じゃあ帰ろうかーってビクビクと歩き出したら、まさかの聖女さんストップくらった。

 そんで始まる聖女さんの熱い告白。呆然としてたら、いつの間にか皆戦ってます。

 …………なんで? この人が不審者だから?



 両者の詠唱が進む。なんだか二人の周囲が歪んで見えた。


「離れろ! 戦略魔法がくるぞ……伏せッ!」


 兵士たちが全員伏せる。俺も混乱したままそれに続いた。


 その次の瞬間――


「完全詠唱、第9節【尽未来際(じんみらいさい)・落日】」

「完全詠唱、Patriarch【parhelion to illuminate/幻日の灯火】」


 ――音が消し飛んだ。






 五感を塗りつぶすホワイトアウトと轟音が落ち着いた時、周囲の地面は融解して表面が溶岩のようにぐつぐつと煮立っていた。

 広場周りの家屋は壁が半分ほど吹き飛んでいたがなんとか形を保っている。

 互いの大魔法が相殺し合ったとはいえ、村の広場の消失程度で済んだのはいっそ奇跡だった。


「いや、手間ですね。お互いに大魔法を使っていながら、その実、手加減せざるを得ない」


 もしも全力だったらこんな村は呑み込んで当たり前。しかしそれはできない理由がある。

 

 シオンの目的は少女を護ること。エリシア聖教から救うため。

 ディアナの目的は少女を護ること。宗教裁判で処刑するため。


 アルシナシオンは予想外に面倒だと嘆息した。


「どうです? ここは、お互いに使う呪文を制限して――ッ!」


 突如、シオンの胸から剣が生えた。

 振り返ると同時に詠唱破棄で魔法を飛ばす。後ろにいた兵士が横に転がって避けた。


「随分と余裕そうだな!」

「手加減してくれるなら、勝手にどうぞ」


 まさかこの熱量の中で瞬時に動ける兵士がいたとは。


 見回せば地面に転がっているのは守るべき少女のみ。

 最初の魔法は互いに手加減していたことと、相殺したこともあって実害は無かったはずだが、大きな音にビックリしたのか少女は目を回して倒れている。


「おっと! なるほど、それは手厳しい!」


 シオンは溶岩と化した地面に大きく踏み込んだ。

 足首までが融けた大地に浸かり、捲きあがるマグマと蒸気が視界を制限する。


 右から一人。左から三人。

 唐竹、袈裟、右薙、逆風。シオンは身をよじってギリギリで回避する。

 地面は何処までも沈み込んでいくようで、まるで灼熱の泥沼で戦っているような錯覚を覚える。


「――第1節【血肉に染まる小忌衣(おみごろも)】」

「deacon【Enchanting:wish sparkle/光り輝く強き意志】」


 溶岩の上を歩ける人間などいない。

 シオンもそれは変わらず、魔法の防御が無ければ瞬く間に燃え尽きる。

 

 対する兵士たちには加護があった。

 ディアナ司祭の胸元で輝く聖具【ミトラス】によるものだろう。体の周囲を薄い膜が覆っている。光と熱、そして闇属性に対する完全耐性だ。


「ミトラスの展開持続、出力維持! 隊長さん、お願いします!」

「ああ。ここまでお膳立てされたら、負けてはいられない!」


 村の兵士は戦闘開始から一人たりとも減っていない。全員が猿叫を上げてシオンに向かってきていた。


「せぃぃぃいや!」

 

 振り下ろされるのは破邪の剣。

 籠められた加護はこの身を断ち切って余りあるもの。


 シオンは身を屈めて上段の太刀筋をやり過ごす。直後、膝のバネを全開に無防備となった敵の懐に飛び込んだ。

 仮面と兵士の顔が触れるほど近くなる。そっと兵士の胸元へ鎧越しに触れた。


「第1節【貪り狂――」

「援護! 直後、転回!」


 後方から迫りくる凶刃に気づき、横にステップ。

 今度は光線が飛んできた。続けて二歩三歩と跳び退る。


「bishop【Grilled drought/旱魃の日照り】!」

「押せ押せ! ディアナ司祭の援護は気にするな! 俺たちが当たっても死にはしない!」


 溶岩に足を取られて少しだけ立ち止まる。そのわずかな時間で左右前後から兵士が雪崩のように突っ込んできた。

 まるで死を恐れない果敢な攻撃。

 なるほどこれは一流だ。シオンは自分の読みが浅かったことを理解した。


 注意すべきはエクリプス司祭だけではなかった。この村の兵士をもっと警戒するべきだった。


 王都の精鋭兵であろうと加護を受けても融ける地面の上は臆するもの。

 しかしここでは誰一人臆することなく溶岩上の戦闘に飛び込んでくる。さすがはレイト駐屯兵団とシオンは称賛を送った。


(状況が悪い。一度仕切り直すべきか!)


 包囲されたなら上へ逃げる。

 シオンはふわりと浮き上がると上昇気流を噴き上げて急上昇。村を見下ろす高さでふっと一息ついた。


「いいんですか? 晴天の空はエリシア聖教の領域ですよ」


 突如、前兆なくシオンの右腕が断ち切られた。

 落ちていく腕を拾い損ねて、切断面から瘴気が噴出していく。

 

「ッ、日光を媒介とした攻撃ですか? さてさて、回避は……!」

「させません。空の果てが続く限り、私は貴方を逃がさない!」


 太陽が煌めく。

 全身を焼かれる。


(……くっ、やはり日中は厄介過ぎる! これならば兵士に囲まれても溶岩の上がマシだ!)


 焦りがシオンの判断を誤らせた。

 回避不能の直射日光に晒されるよりも、マグマの蒸気がある地上の方が幾分戦いやすい。


「戻ってくるぞ! 爆撃に注意しながら迎撃、構えぃい!」


 シオンは幾つもの魔法球を地面に撃ち込みながら急降下。

 溶岩の飛沫と蒸気を巻き上げて直射日光を遮る壁とする。


「そこだ! せぇえェえァアア!!」

「――ッ煩わしい!」


 着地と同時に2人飛びかかってきた。劣悪な視界の中で完全に狙いすまされたタイミング。

 右腕が無いだけ対応は杜撰となる。

 腹部を斬られた。大腿を裂かれた。シオンの動きは鈍くなり、生傷が増えていく。


「おやおや、これは!」


 続く兵士を蹴り飛ばし、飛んでくる聖魔法を打ち弾く。

 後方からの一閃は前方に飛んで転がり逃げる。


「袋のネズミ……ってやつですかねぇ!?」


 逃げた先は槍衾だった。一斉に突き出された穂先は、自分の体を紐状に長く伸ばすことで緊急回避する。

 シオンの人間として在り得ない変化に兵士が僅かに慄いたが、それも一瞬のこと。すぐに指示が飛んで兵士は再起動を果たした。


「気持ち悪い野郎だ! 断ち切ってしまえ!」


 それは勘弁してほしい。

 シオンは縦5mに長く伸びた体を頂点位置で再構成。落下と共に周囲の兵士を魔法で弾き飛ばす。

 兵士の相手だけならば昼間でもなんとかなる。


「【sparkle/生命の煌めき】!」


 だが聖女の魔法が少しずつ、少しずつ、シオンの体力を削っていく。


 昼間は使える邪法が限られる。多人数相手に押し込まれ、大規模魔法は制約が有って使えない。しかも、これは護る戦いであり逃げることすらできない。そもそも自分は研究者であって、戦闘者ではない。


 ……そんなことは言い訳だ。言い訳などいくらでもできる。

 シオンはいま神のための聖戦に挑んでいるのだ。ならこの釈明は意味のない自己弁護。


「おおおぉおおお!!」


 シオンは柄に無く大声をあげた。

 なんとか魔力放出で兵士を吹き飛ばす。だがそれもディアナの聖魔法で回復されてすぐに戦線に戻ってきた。


 背中を裂かれる。瘴気が噴き出る。闇の魔素が足りない。

 回復しようとする。太陽と聖具に邪魔される。


「さあ、さあ……まだだ! 腕の一本を失っても私は生きている! 次は足か! 首か!? それでも私は戦える!」


 一歩、一歩。

 死に体となった体で、護るべき少女へと歩みを進める。

 残った手を伸ばして彼女を光の下から救い出す手立てを考える。


「そろそろ諦めませんか? 貴方はもう動くのがやっとのはずだ」


 少女の横に立つディアナは憐れんだ視線を向けていた。その余裕に歯噛みする。


「……ええ、ええ。分かりますかエクリプス司祭。そう……そうなんですよ、そろそろ体にガタが来た。貴方の聖具のせいで治療もできず、歩くのがやっとです」


 研究と実験を己に繰り返してきたシオンの体は、今や生身の部分の方が少なかった。

 血は瘴気に置き換わり、肉は流動汚泥の擬態でしかない。骨は色々な魔種のモノを組み合わせた。唯一自分のものと言えるのは脳しかなかったが、それも昨夜ついに壊れた。


 もはや自分は人間という脆弱な存在ではない。だが、それでも太陽に手は届かなかった。


「天敵としか言えませんね。私の魔法は大きな意味をなさず、貴方達は自由に力を奮う」


 左右後方には破邪の剣を構えた多数の精鋭兵。前方には未来の枢機卿と呼び声高いエクリプス司祭。

 絶対不利の状況で満身創痍。このままではシオンの勝ち目は限りなく低い。


「――ですが、それは諦める理由になりますか?」

「なりませんね」

「奴を取り押さえろッ!!」


 左右から二人の兵士が飛び込んできた。

 突き出された破邪の剣を手袋越しに掴んで止める。もう一人は頭を蹴り抜いて地面にたたきつけた。

 蹴り動作は思ったよりもバランス能力を要求される。シオンは動かなくなってきた足ではバランスをとれず、もつれて転んだ。


(に、肉体労働は私の仕事じゃない……)


 だが明らかな隙に追撃が来なかった。

 シオンは好機が訪れたと仮面の奥で凄惨な笑みを浮かべる。

 

「……そろそろ効いてきた頃でしょうか」


 肩で息をしながらなんとか立ち上がる。

 掴んだ剣先は震えていた。持ち手の荒い呼吸が剣越しに伝わってくるようで、シオンは小さく笑い声をあげる。


「ははは……くハハ! なにが『そろそろ諦めませんか?』なのでしょうねぇ! 貴様の感じた勝利はまやかしだ!」


 シオンは勝利を確信している愚か者に告げた。


「最終警告です。貴方がたはまだ誰も死んでない、日常への切符を持っている。ですがその有効期限はあと1分!」

「いったい何を……?」

「嘘ではない! そこの兵士を御覧じろ……!」


 シオンはさきほど蹴飛ばした兵士を顎でしゃくる。

 兜が衝撃で脱げて露になった顔は死人と言えるほど白く変わっていた。血走った眼と震える唇。吐息は荒く浅い。

 異常事態にしか見えない顔色にディアナが戸惑いの声を上げた。


「なっ!? 何をしたのですか! 呪詛……いや、毒ですか!?」

「ご明察……と言いたいがハズレですねぇ! いつもより効果が表れるまで気を揉むほど遅かった! やはり聖職者相手は嫌ですねぇ!」


 シオンは掴んでいた剣を容易く奪い取った。

 もはや兵士に抵抗するだけの力は残っていない。軽く突き飛ばせば、たたらを踏んで地面に倒れ込んだ。


「初期症状。悪寒、喘鳴、動悸」


 周囲の兵士たちも少しずつ崩れ落ちていく。


「進行に伴い幻覚、手足の振戦を発症。神経伝達の阻害と脳内分泌物質の著しい減少をきたし、ホメオスタシスは崩壊。全身臓器への負荷が増していく」


 シオンが舞台演者のように首を大きくかしげて謳うように解説を進める。


「中期症状。重度の呼吸困難、喀血を伴う咳嗽、平衡感覚障害」


 あちこちから酷い咳が聞こえる。

 もはや立っているのはディアナだけになっていた。


「末期症状。心機能低下、肝、腎機能不全……いわゆる多臓器不全。重度の昏迷、そして苦しみの果てに死へ至る」


 これはシオンの瘴気に含まれるウィルスにより発症する病気だ。

 この戦いでシオンがどれだけ兵士により傷つけられ、どれだけの感染源をまき散らす破目になったか。しかしついに、そのウィルスに曝露され続けた兵士はその病を発症した。


 普通の病気としてあり得ない進行速度・症状だが、それもそのはず。

 このウィルスは黒死疫【佳宵(かしょう)】の研究の果てにアルシナシオン・アタッシュマンが辿り着いた一つの極致だった。

 これこそ神話の病の再現であり、シオンと戦う者が逃れられぬ死の運命。


「貴方達の命の切符はあと30秒……今なら引き返せましょう。さあ、賢明な判断を」


 延命治療は意味をなさず特効薬は存在しない。仮にここでシオンを殺したとしても病は宿主を殺すまで決して止まらない。

 仮に生き残れるとすれば、それはウィルスの支配者たるシオンに認められることだけ。


 ディアナは荒くなり始めた呼吸と動悸を感じながら男を睨みつけた。





 何人もの苦しげな吐息だけが聞こえてくる。

 熱線と爆風により崩れ落ちた広場でディアナは倒れ伏す周りの兵士に謝罪した。


「ごめんなさい……圧倒的有利なはずだったのに、私は相手の抵抗を防ぎきれなかった」


 ディアナは何度も聖魔法で治療を試みていた。しかし病はまるで完治せず、戻した体力もすぐに落ちていく。病が治らぬ限り回復魔法に意味など無かった。


 ディアナの指先が恐怖とは違ったもので震えてくる。

 気付かぬうちに自分の呼吸が荒くなっていたことに気が付く。視界がグルグル回り始めて、いまでは立っているのもやっとになった。


「ご安心ください。これは病とは言え【神秘の病】。ウィルスを含んだ瘴気を感染源とした、魔力経路のヒト-ヒト感染を起こす致死率100%の奇病ですが、諸君はまだ引き返せる」


 仮面の男は愉しげに末期病棟さながらの光景を見回した。


「感染から発症、劇症化まで通常3分。この時点で意識は朦朧としてきますが、私が許せばまだ生き残れる。そもそもコレは使徒【佳宵】が用いたと言われる神話の病の再現であり、私もその制御は心得ております」


 やれこの病が初めて登場した戦いはなんだとか、やれ帝国領ドルマニス山地に残された古代の遺跡がどうだとか。

 仮面の男が嬉々として解説したが、熱に浮かされたようなディアナの頭には全く入ってこなかった。

 

「ごほっ……ごほ! な、なにが言いたい……ですか!」

「つまりですね、取引ですよ。ギブアンドテイク、貴方達の命を助けましょう。ですが、被験体15番……ジュウゴ様の身柄をお返し願う」


 予想通り過ぎる提案にディアナはいっそ笑ってしまった。

 そしてその話が嘘でしかないという確信を得る。


 人の命を命と思わないこの邪悪の権化がそんな約束を守るはずがない。

 百歩譲って守ったとしてもどうせ、病に罹患した被験体扱いだ。「命だけは助ける」と言って死ぬまで実験台にされるに決まっている。


 だから、ディアナは再び謝罪する。

 勝手に兵士たちの命の選択をさせてもらう。


「ごめんなさい、皆さん」


 ――私のために死んでくれますか?

 ディアナがその言葉を紡ぐより早くレイトが笑い飛ばした。


「っハ! 兵士に戦死は付きものだ。遺書は既に書いてある」


 倒れ伏すレイトの目はまだ生きていた。

 ディアナならば俺たちの死を有効活用してくれる、彼にはその確信があった。


「ありがとう……では、皆で死にましょうか」


 もうこの村は助からない。

 なんの病か知らないが、既に死病は風に乗って周辺一帯に広がっている。ディアナにはそれがなんとなく分かってしまった。

 村人はきっと一人残さず死に絶える。

 生き残るとするならば、教団が求めるため病に冒されなかった黒髪の少女だけだろう。


「ごめんね……私は貴方と一緒に生きられなかった」


 地面で丸くなる少女を見つめる。

 最期にもう一度だけ撫でてあげたかったが、屈んだらもう立ち上がれない。


 もっと沢山伝えたいことがあった。もっと一緒に遊んであげたかった。

 色んな場所を旅行して、美味しいものを食べて、この世界は思ったより悪くないと知ってほしかった。

 だけど、それはもう叶わぬ夢と散る。


「黒髪ちゃんが起きたら、もうここに誰も居ないけど……お願い泣かないで」


 零れる涙が少女の体を濡らす。

 悲しい時の涙は自分で拭えない。でも笑う。彼女にそうしたように、ディアナは自分の頬を引っ張って精一杯の笑顔を贈る。


「大丈夫、もう一度笑える日はやってくる。そのために貴方は必ず守るから……!」


 胸の聖具【ミトラス】を強く握り込んで、その全てを解放する。


解放(リリース)――長夜を明かせ朝日影」

「な、本気ですか!? そんなバカな! なぜお前が命を捨てる!?」


 仮面の男が慌てて動き始めたがもう遅い。

 ミトラスが放ち始めた目を焼くような光で世界が塗りつぶされていく。


 予想外か。

 自分の命を投げうって、誰か助けるのは非合理か。


(バカにするな。誰かの為に生きる、それが人というものなんだ――!)


 家も空も、時の流れさえも遮る極光が全てを覆い尽くした純白の世界。

 誰も動けない空間でミトラスから小さな光球が飛び出した。


 光球は周囲の人間を見て回るように飛び舞う。倒れ伏す兵士の前を通り、シオンを威嚇するようにジグザグと動く。

 ディアナの周りをグルグル飛び回って……黒髪少女の上で驚いたように急停止。

 光は信じられないモノを見たようにフラフラと彷徨いはじめた。そして少女のすぐ隣でゆっくりと慈しむように舞い踊り始め――握り潰された。


「……」

「く、黒髪ちゃん……!?」


 世界が色を取り戻す。


 村の広場では目を回していたはずの少女がいつのまにか立ち上がっていた。

 少女は光の球を握りつぶした手をニギニギと動かして確かめる。


 そして顔を上げて言った。

 戦いはだめ――と。



 ドシリアス先輩「いや……戦う理由が双方勘違いとか、シリアス舐めてますの?」

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