これはいっそ恋であったのかもしれない
村の中は何というか田舎だった。
木製の家屋が密集するように建てられているが、その多くが平屋で二階なんか存在しない。
道はむき出しの土のままで雨が降れば最悪な状況になるだろう。
街灯は無い、信号は無い、あるわけない。まるで観光地の映画村に迷い込んだ錯覚を覚えて、キョロキョロしてしまう。
俺にとって村を囲む柵の先は近くて果てしなく遠い場所だった。それが今や手の届く距離にある。
「めずらしいですか?」
「うん」
夕暮れ時にやってきた俺は聖女さんに案内されて村の中にいた。
最初は彼女が俺の住処に連れていってほしいと言ったのだが、歩いて数時間かかる距離だし夜人式ジェットコースターさせるのは申し訳ないから遠慮願った。
辛うじてうすぼんやりと明るさの残った空の下、聖女さんと手をつなぎながら村を行く。
知らない人が見れば、一緒に家に帰る途中の姉妹のように見えるのだろうか。
迷わないように……そう説明されたが、たぶん嘘。というかこんな道で迷えない。
きっと聖女さんは村人を安心させたかったのだろう。
村を襲った俺が聖女さんと手をつなぐことで、今は安全だということを周囲に知らしめる。または俺が暴れても押さえ込みやすいためか。
「……どっちでもいい」
つないだ右手から流れ込む暖かい波動。
今日も聖女さんはロザリオを付けていた。その光と共に彼女の体温が俺に伝わってくる。それを確かめるようにつないだ手をニギニギと握り返してみた。
「ん? どうしたの、黒髪ちゃん」
「いや……初めて。手をつなぐの、初めて」
「そ、そうなんですか?」
信じられないと言わんばかりの目で見られた。
「嘘じゃない。私と手を繋いでくれる人なんかいなかった。そう……これが手」
初めて女性とつないだ手をマジマジ見つめる。
男だったとき女性とお付き合いしたことないから初体験。
さすがに両親とやったことはあるけれど、そこは少女フィルターで見事に省略された。まあ悪意あってのカットじゃないっぽいし、たぶんこれは【凍った人格】による無口の影響だろう。不要な情報だし別にいい。
「そんな寂しいことを言わないでください。私でよければいつでも一緒にやりましょう?」
「……ん」
聖女さんはちょっと悲しそうな表情を浮かべて、反対の手で俺の頭を撫でてきた。
慈しむような触り方。手から頭から彼女のやさしさを受け止める。
「あ、ごめんね、突然女の子の頭を撫でるのは失礼だったかな。頬っぺたは……あはは」
スっと戻っていく手を捕まえて再び俺の頭の上に戻す。
「……黒髪ちゃん?」
「いい。撫でても、いい」
きっとこれは【夜の化身】に必要なこと。
ちょっとずつ、ちょっとずつ胸の内がポカポカと暖かくなる。
人間愛に溢れた彼女をもっと感じたいと俺も頭を押し当てた。
「よしよし」
「……ん」
羞恥心はある。こんな通りで何やっているんだという、思いもあった。
目の前にいる祭服を着た少女はかつての世界ならばまだまだ学生のような年齢だ。いい大人の自分がなにしてるんだろう、犯罪じゃないかな……? そんな風に考える冷静な自分もいたが、すぐに溶けて消えた。
体が無意識に彼女を求め始めている。そんな気がした。
――ふざけるな。お前がやりたいだけ
なんか聞こえた。
▼
「じゃあ、そこに座ってくださいね」
俺はあの後、村の中に建てられた小さな教会に連れられてやってきた。
ヤトは神聖な場所を嫌がったから表で待機。教会に入れないって、やっぱり邪悪な奴やんお前?
中はTHE 教会って感じだ。
語彙が無いから俺では説明できないけど、長椅子があったり説法するための机が置かれていたりする。
さすがにキリスト教とは違うから十字架は無かったけど、代わりに黄色い太陽が描かれた掛け軸が垂れ下がっていた。
机を挟んで聖女さんと向かい合って座る。俺はおもむろに本を取り出して差し出した。
「これ……」
「あ、昨日お貸しした本ですね。もう読んじゃいました?」
「え? あ……うん」
そうだ。彼女の中で俺は文字を読める設定だった。
なんと説明するべきか……。前髪を弄りながら考える。
「……くす」
「?」
聖女さんが突然ふき出した。
たまらずといった風に口に手を当ててクスクスと声を漏らす。
「ごめんね。文字読めなかったでしょ? ちょっとからかっちゃいました」
「……」
「ほらほら怒らないで笑顔笑顔」
「……私は表情変わらない。怒ってない」
ただ、気が抜けただけだ。
手本だと言いながらニコニコ笑顔を浮かべる聖女さんを見て考える。なんとも人間臭い聖女が居たものだ。それがいい。
「それで、ここでなにするの?」
「えっと、まず黒髪ちゃんの要求は食料、知識、魔導書でしたね。食料は簡単だし、知識は私が教えられます」
でも、と彼女は続けた。
どうやら魔導書は駄目らしい。
「貴方が求める邪悪な魔導書となると、その、禁書指定とか焚書されていたりで手に入らないんですよ」
「むむ?」
「でも魔導書を求めるのは、安眠のため……身を護るための『力』が欲しかったから。そうだよね?」
身を護るため? クシャミを止めたいからだけど……そう思ってかつての交渉を振り返る。
――「力が必要。私が誰にも脅かされることなく生活するにはもっと力が必要」
うむ……たしかに誤解招きそうな言い回しだった。今更訂正するのも怪しいし、そのまま認める。
「……そう。力が制御できればなんでもいい」
「よかった。それなら、その力についても私が教えましょうか。これでも知識はかなり持っている自信がありますよ!」
「そうなの? 魔導書にも勝てる?」
「ええ! ええ! 楽勝ですとも!」
腕を組んでふんすと胸を張る自信満々な聖女さん。
もう貴方はどこを目指してるの? 世界カワイイ選手権にでも出るの?
「でも、その前に。黒髪ちゃんの名前教えてもらってもいいですか? そろそろ、この『黒髪ちゃん』って呼び方もよそよそしいかなって。あ、私はディアナですよ。家名もあるけど……まあまあ。初対面の時に教えた気がするけど覚えててくれました?」
「……名前」
きた。俺がずっと見て見ぬふりしていた難問だ。
俺にだって名前は有る。夜人相手だと使う必要が無かったから表に出さなかったが、聖女さん――ディアナさん相手にはそうはいかない。
けどねぇ……すごい、言いたくない。
だってこの美少女ボディで「オッス、おら太田和重吾! よろしくな!」なんて言ってみろ。似合わねぇってレベルじゃない。かといって適当な偽名も告げたくない。
「……」
「言いたくないの?」
しょんぼりと目線を落とした俺に気づいたらしい。
聖女さんは困ったような顔で固まってしまった。
「まだ、秘密。好きに呼んでいい」
「……そっか」
俺は結局、先延ばしを選択した。
他にも俺の生まれた所とか、どうやって暮らしてきたのかとか、夜人のことをポツリポツリと聞かれた。同じように黙り込んでしまう。
気まずくて手持無沙汰となり片目を隠す前髪を弄って時間を潰す。
彼女に嘘をつきたくない。でも本当のことを言って信じてもらえるかは不安だった。
生まれはこの世界じゃない。気が付いたらこの体で、変な力が与えられていた。……でも彼女なら信じてくれるかもしれない。
(いや違う、俺が言いたくないんだ。もうちょっと……もうちょっとだけ、この関係のままで)
きっと名前を明かせば俺は彼女に救いを求めてしまう。
たった数日の付き合いでしかない関係だけど、この世界に来た俺は彼女に助けられ続けている。夜人を抜けば、彼女だけが俺の支えだった。
「貴方はどうして、私に優しくする?」
「んー……人はきっと分かり合えるものだと私は思ってます。でも争ってしまうこともある。現に私達と貴方も争ってしまった」
言葉を選ぶようにしながら、ゆっくりと聖女さんは続けた。
「なら知りたいじゃないですか。どうして、私達は仲良くできなかったのか。どうすれば仲良くできたのか。そのためには貴方を知って、私を知ってもらわなきゃ、結局何も見えないままなんです」
「……本当の私を知ったら幻滅するかもしれない」
「それはどうでしょう。私が見る限り、貴方はとてもやさしい子です。だけど村を襲ったのは事実で……何か理由があったのなら教えてほしいんです。無いなら無いで、愉快犯ならそれでもいい。幻滅はそれを知ってからで遅くない」
悪いことをした子供を優しく諭すような雰囲気を感じて、俺は気まずくなってしまう。
もしも俺がここで全てを打ち明ければ分かり合えるのだろうか。何か変わるだろうか? ……きっと変わるのだろう。
俺が話せばこの中途半端な関係は終わりを告げて新しい繋がりを得る。より良い結果になるかもしれないし、悪化するかもしれない。だけど、どう転がるかは神で無い身として知る術がない。
秘密に包まれた俺でさえも彼女は優しくしてくれる。なら危険は冒さず現状のままでいいんじゃないか? そう囁く悪い自分が居て、けど、本当の意味でこの人と仲良くなるには避けて通れない道と知る自分もいる。
そんな簡単な方程式は分かってるのに俺はその選択を前に慄いていた。もし彼女に否定されたら、俺はどうすればいいのだろう。
「……もう少し。もう少しだけ、このままで」
最悪な未来を予想してしまい、思わず聖女さんの手をとって両手でかき抱く。彼女は黙って為すがままにされてくれた。
心は温かい。けど体は震えていないだろうか。
臆病になったものだ。最初は村を捨てるだの、遠くに逃げるだの言っていたのがこのザマだ。やっと手が届いた光を失いたくないと変化を嫌って立ち止まってしまう。
人のぬくもりが欲しかったのは【夜の化身】だけじゃない。
結局、俺も聖女さんに救われていたんだ。
▼
月明りが街を照らす蒼く冷え込んだ寒空の中、南都アリュマージュの貧民窟に一つの影があった。
影は足元まで伸びるフード付きのロングコートを身にまとい、顔には黒を基調とした仮面を付けている。
仮面の下半分を埋めるような巨大な口が印象的な仮面だ。
マスクには目や鼻は無く、幾重にも描かれた白く鋭い牙しか模様がない。どうやって周囲を見ているのか、眼窩に当たる場所にも覗き穴すら存在しなかった。
仮面の男は身を屈めると、石畳にわずかに残った血痕を指で触れて拭いとった。
乾いた血を確かめるように指同士をこすり合わせて魔力を通す。
「陽性。なるほど……皆さんお亡くなりになったようで」
昨日は検体を回収する日だった。
だが、期限から昼夜待ってみても一向に送られてくることは無かった。さらに気になることがあり確認に来てみれば、まさかの結果。
男は困ったように仮面に指をあてた。
「石輪は回収されている。発信機や自壊機能は掌握された。相手は手練れだ」
人身売買の契約を結んだ者に渡した石輪――石製の腕輪――はただのアクセサリーではない。丸に三つの黒い瞳で構成される【黒燐教団】の紋様が内側に刻まれており、様々な効果を持つ闇属性の装飾品だった。
教団に対する忠誠心を与えるような思考誘導や秘密保持のための自白防止機能を持つ。装備者の死亡で10分以内に自壊して粉塵に変わる機密保持機能もあるし、逃走防止用や紛失時の確保用に現在地を製作者に知らせる機能もついている。
思い返してみても、ただの石によくここまでの機能を盛り込めたものだと自賛できる傑作品だ。だが思わず教団の刻印を刻んでしまったのは失敗だった。
その腕輪がいま男の手の内から完全にロストしていた。
表社会で忘れられて久しい闇魔法で作られた失伝魔具を、製作者である自分を差し置いて掌握した。
それはつまり闇魔法の領域に於いて男よりも精通していることの証左だ。生意気な騎士修道会や聖教会の人間では絶対できないこと。
「……帝国支部の狂人か、それとも聖教国支部の背信者か」
仮面の男は己の所属する【黒燐教団】に裏切り者がいる可能性を否定しきれなかった。
本当の闇魔法を扱える者は教団の人間を抜いて他にいない。その自負がある。
ならば腕輪を掌握できる闇魔法の使い手は味方を抜いて他にない。
男は右手を地面に向けて大仰に広げた。小声でいくつもの言葉を紡ぎ呪文を構築する。
「……第1節【漆桶幽かな虚之影】」
地面に翳した手の肘から先が黒い光となって周囲に溶け込んでいく。
「第3節【怨嗟陰惨黄泉返り】」
黒い光は地面に沁み込んだ後、ゆっくりと人型となって現れた。
それは昨日この場で殺された人間と同じ顔をしていた。ただ、苦悶の表情と怨みに満ちた目をしていた。
「さて……では、聞かせてもらおうか。こんな面白いことをしてくれた犯人の正体は?」
仮面の男の問いに死者は呻き声をあげた。
これは死者蘇生の奇跡ではない。魂の一部を黄泉の国から引っ張ってきて、それに代わりの体を与えて依り代に縫い留める闇の魔法だ。
対象となった者がその際に感じる苦痛は文字通り魂を引き裂く灼熱痛で、どんな拷問でも味わえない地獄の責苦。だが与えられた体は自分の意思で動かせるものではなく、ただ苦痛に堪えるしか道はなかった。
「それでは失礼」
痛みに喘ぎ喋ることすら叶わない死者に近づくと、仮面の男は死者の頭に指を差し込んだ。
別の闇魔法が発動され、ビクリビクリと影が痙攣を起こす。そして風に吹かれて散って逝った。
再び仮面の男一人に戻った静閑な路地裏に男の笑い声が小さく消えていく。
「クク……なるほど、黒い化け物。影に溶ける邪法」
死者の魂を解体することで、内にため込まれた知識を奪い取った。
その際に見えた光景を何度も思い返しながら仮面の男は面白げに首を振った。
やはり仲間か。
これならば焦って証拠隠滅に取り掛かる必要は無い。そこは安心だった。
「素晴らしい。素晴らしい……が、いくら私達の仲間意識は有ってないモノとはいえ、それは酷いでしょう」
だけど気持ちはわかる。他人の作った魔具は気になるものだし、闇魔法を研究する同輩は希少だから魔具が欲しくなるのも分かる。
恐らく仮面の男も見たことない闇魔法の魔具を付けた人間を見かけたら多少強引にでも欲しがってしまうだろう。
自分と同格の幹部相手ならともかく、こんなスラムにいる使い捨ての道具が身に付けていたら、絶対奪い取ってしまう。
「少し、探してみますか」
現場に残る魔力残滓を辿っていく。方角はここから更に南。【深淵の森】に至る。
「ほお……趣味がいい。私、貴方のこと好きかもしれません」
50年前に先代【黒燐教団】が本拠地を置いていた場所。
その特性から魔種が発生しやすくなり、王国や帝国の監視の目も強まった場所。だが始まりの場所でもある。
「そこを拠点とする研究者は王国支部にいないはず。他国の方でしょうか? 会ったら共同研究するのも悪くない。と、こうしてはいられない。私も自慢の一品を準備して挨拶に行かなくては!」
最初の懸念であった石輪は最早どうでもよかった。
今では記憶で見た素晴らしい闇の存在が仮面の男の心を占めている。
男は自分の胸が高鳴るのを感じた。これはいっそ恋であったのかもしれない。




