19話 破壊・爽快・誘拐
ある窃盗団は、車やそのパーツを盗んで売り捌くことで、これまで8億円以上を売り上げ、その規模を拡大させていった。暴力団や違法解体業者など取引先にも恵まれたことで、安定して利益を得られたため盗みを繰り返し、盗んだ数は、車両で言えば200台以上、パーツなら千を超えるかもしれない。それだけのことをして尚捕まらないのはそれだけ手口が巧妙であることと、単純に運が良かっただけの話。
故に彼らが今日、決して手を出してはならない車を盗んでしまったことは、非常に不運であり、必然であったということなのだろう。
「私はですね、聖歌様をお守りし、その願いを叶えるために存在しているんですよ」
底冷えするような、無機質な冷たい言葉を発する女性。
クセっ毛の各所が飛び跳ねた長い黒髪に、細いフレームの丸眼鏡。神宮寺聖歌の護衛、二階堂華彩音である。
女性としては高い身長に、出るところは出ていながら、引き締まった体型はモデルのようで立っているだけで絵になるような美人ではあるのだが、放たれる気配はそんな色気のあるものではなく、本能的に恐怖を感じさせる威圧感があった。
アジトとして使っているビルの一室で、その威圧を向けられているのは百戦錬磨の窃盗団達だ。より正確には、倒れ伏した窃盗団達である。
「本当なら365日24時間1分1秒お守りしたいところなんですが、聖歌様のお側でお世話させて頂く私が学もない、碌な経歴もない、では格好が付かないじゃないですか。
ですから大学に通いながら、二階堂家の家業を担うことで経験と名声を積み、残った少ない時間で聖歌様をお守りする栄誉を授かっているわけです。
そんな私が、聖歌様から特別に!特・別・に!任務を任されたんですよ……分かりますかね、分からないですよね、私の感動と使命感が。分かっていたら邪魔するわけないですもんね。ああ、良いんですよ、過ぎたことです。ただ貴方達は祈るだけで良い。聖歌様のお許しと、これからの人生でこの愚行を償わせて頂く懇願を」
大の大人が20人以上、それも窃盗団に身を置くだけあって人を傷つけることに躊躇のない札付きの悪達。中には窃盗団の取引先相手である暴力団の組員も混ざっていた。
それが、全員まとめて完膚無きにまでにボコボコにされた上、その殆どの者が心を完全に折られていた。
狂気。
車を返せと乗り込んできた若い女に、瞬く間に制圧されたかと思えば、訳の分からないことを呟きながら反抗する者を叩きのめす光景はそう表現するしかないだろう。性別も、人数も、武器も、彼女の前では通用しない。一方的な蹂躙によって、この場に立ち続けられた者は誰もいなかった。
二階堂華彩音。
基本的に温厚であり気が弱い女性であるが、それは彼女の持つ本能を抑え込むためなのかもしれない。
彼女は神宮寺聖歌のためならば、人を傷つけることを躊躇しない。己の拳が聖歌によって正当化され、彼女の抑え込まれていた破壊衝動を解き放つ。
生まれながらの天才。二階堂家の最高傑作。戦闘技術、その一点において神宮寺聖歌すらも超越する奇跡。
二階堂家において誰もが守るべきルールの一つ。
――二階堂華彩音をキレさせるな。
「お、おまえぇえええ!!なんなんだよ!」
「はい、黙りなさい」
べこりっ、と。半狂乱で立ち上がった男の顔に極平然と拳を叩き込むと、顔面を凹ませながら後方に吹き飛んでいく男には目もくれず、華彩音はただ、男の血液が付着してしまった手袋を悍ましそうに外した。彼女にとって今日程度の者達相手では戦闘ですらない。虫を払うように、水溜りを避けるように、そんな少しのハプニングでしかない。
「……ああ、失敗しましたね。もっと丁寧に殴ればこんなに返り血を浴びなくて済んだのに。反省です」
手袋を投げ捨てると、床に倒れた男たちを避けることもせずに、踏みつけながら部屋を出る。
華彩音の乗っていた車は高級車故に分解されることもなく、ここの地下駐車場に停められていた。車体番号を変えて中古車として売り払うノウハウがあったのだろう。これは彼らにとって最後に残された僅かばかりの幸運だった。もしも車が分解されていたりしたら……この場の惨状はこんなものでは収まらなかったはずだ。
「さて、車も戻ってきましたし、やっと聖歌様のために尽くすことが出来ます」
聖歌から極秘任務が送られてきてから既に1時間程が経過してしまっているが、聖歌の予想している任務開始時間までに所定のゲームセンターへ辿り着くことは十分可能そうであった。安心しながらも決して余裕があるわけではないため気を引き締め、華彩音は改めて極秘任務の内容を読み込む。
「えーっと場所はここのゲームセンターで……綾辻真白?の誘拐、ですか」
ミッションの内容と共に送られてきたのは明らかに隠し撮りであろう目線の合っていない男子学生の写真であった。
どこか幼さの残るまだまだ青年になりきれていない顔立ちで、ふにゃっとした笑みを浮かべている姿はどうにも頼りなさそうであるが、華彩音はそういった感想を抱くより前に頭に浮かんだ疑問に首を傾げた。
「あれ?この子確か……まあ、聖歌様がおっしゃるのであればそれが正しいんだし、ばっちり誘拐しないと!」
華彩音は自身に浮かんだ疑問を放り投げ、ハンドルを握った。彼女にとってのルールは全てにおいて聖歌が優先され、正義であり、頂点なのである。
「車見つかって良かったぁ」
ばっちり誘拐するぞっ!と文面の可愛らしさとは裏腹に完全なる犯罪的決意を固めて、車を走らせた華彩音は、何とか車を取り戻せたことに今更ながら安堵する。
この短時間で華彩音が車を窃盗した窃盗団を特定し、その拠点にまでのり込むことができたのは、二階堂家の持つ強力なコネクションによるものである。
二階堂家は世界的に有名な警備・セキュリティサービス会社を営んでいるが、元々は代々御国のために剣術や柔術を指導する立場にあったことから様々な武術に二階堂家由来の流派が存在し、警察や自衛隊に所属する者の半数以上が何らかの形で二階堂家の教えを受けておりその影響力は大きい。さらに、そうした二階堂家の教えを受けたものの間で密かにアイドル視されているのが二階堂華彩音なのである。二階堂家のあらゆる流派において最強の存在であり、整った容姿を持つ華彩音は、本人の知らぬところでアイドル的人気を獲得していた。
特に警察・自衛隊の上層部には幼少期から華彩音を知っている者も多く、孫のように思っていることから華彩音が事件に巻き込まれたとなれば、警察が総力を上げて解決に動くのは当然のことであった。元々マークしていた窃盗団であったこともあり拠点は即座に発見され、そこへ華彩音が乗り込んだのである。
よって、華彩音が放置してきた現場も即座に詰め掛けた警察によって迅速に処理されているはずだ。勝手に乗り込んで、盗まれた車を取り返して、そのまま乗って帰っても華彩音ならば不問なのである。法治国家にあるまじき状況であるが、それが許されてしまうのが、この世界の日本における二階堂家、ひいてはその二階堂家すらも従える神宮寺家を含めた『三家』の持つ絶大な権力であり、威光なのだ。
「間に合ったぁ!間に合いましたよ聖歌様っ!」
聖歌に到着したことを伝えると、店の入口付近に車を停めておくよう指示され、待機する。すると、十数分後に任務開始が合図され、ゲームセンターの入口から敬愛する聖歌と、その聖歌に引きずられているんじゃないかと錯覚するような勢いで引っ張られているターゲット、真白の姿が見えた。
「聖歌さん、もうお店の外出ちゃいますけど」
「何でも欲しいものを取ってくれるのではなかったですか?」
「言いましたけど、外にゲーム機あったかな……?」
華彩音は、ゲームセンターから出てきた二人を確認すると、入口の目の前にまで車を移動した後、運転席から操作し、後部座席のドアを開けた。
「言い忘れていたのですが私の欲しいものというのは――」
ドン、と後ろに回り込んだ聖歌が軽く真白を押すと、「ふぁ!?」と間抜けな声を出しながら真白は倒れ、開かれた後部座席へ吸い込まれていく。ふかふかのシートに倒れ込んだ真白が唖然としている間に聖歌も乗り込み、閉められるドア。
「――真白君なんですよねぇ♡」
「…………え゛?」
満面の笑顔を浮かべた聖歌が言うと同時に走り出す車。状況が理解できずにいる真白をこれ幸いとばかりに聖歌がシートベルトで固定する。
「これどういう状況ですかぁあああ!?」
真白が復活した時には既にゲームセンターは見えなくなっていた。
「任務完了ですっ!」
恍惚とした表情で、嬉しさを隠しきれない噛みしめるような言葉を発した華彩音には全く関係のないことであった。
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