手の平の中の恋
私の宝物は、手の平に乗る指輪だけだった。
代々受け継いでいるわけでも、高価なわけでもない。
お祭りの屋台で初めてお父様に買ってもらった、キレイだけど本当の宝石でも何でもないおもちゃの指輪。
お父様が本物を買ってあげられなくてごめんなって、悲しそうに笑いながら買ってくれた。
私はこれがいいの!って言って、お母様にいっぱい自慢したら、お母様が指輪に似合う服を作ってくれた。
貴族として必ずしなければならない事に使うお金を用意するので精一杯。
キレイなドレスや豪華な食事なんてお客様が来た時だけ。
私は、そんなかろうじて貴族に引っかかっている程度の家の娘だった。
だから、せっかくお父様とお母様が将来のためにって入れてくれた学園で虐められる。
身分が低いから仕方がない。
それでも、安くはない教科書や制服を汚されるのは許せないし、お父様やお母様、領地の事を悪く言われるのはもっと許せない。
でも、どれだけ許せなくても、私は口答えしちゃいけなかった。いつもみたいに手の平を握りしめて、やり過ごさないといけなかった。
お父様の言う通りじっと耐えないといけなかった。
身分は絶対だから。
でも、やっぱり、我慢できなくて。
だからなんだと思う。
今私が、背中を押されて、階段から落ちているのは。
思いのほか強く押されたせいで転げ落ちはしなかったけれど、このままでは下まで真っ逆さま。
お父様、お母様!
ぎゅっと目をつぶって心の中で助けを叫べば、想像していたよりも痛くない衝撃が私を包んだ。
「君、大丈夫か?」
棘のない声をかけられたのははじめてで、目を開けるととってもキレイなお顔が近くにあった。
私でも知ってる、王子様だ!
「は、はいっ、ごめんなさい!顔がおキレイですね!」
びっくりして、思ったまま叫んでしまった。何度思い出しても恥ずかしい。
そしたら
「ぷっ、あはは、何だそれは」
王子様が、普段は冷たそうな顔を崩して笑っていた。その笑顔は、見とれるくらいにキレイで、無意識の内に両手で胸を押さえた。
そうしないと心臓が飛び出してしまいそうなくらい、年相応な笑顔はとても優しそうで、
「王子様って、笑うととっても優しそうなんですね」
また、そのまま口に出していた。
王子様は一瞬、目を見開いて驚いた様子だったけれど、すぐにちょっと怖い笑顔で笑った。
「···そんなに私の顔は冷たいかい?」
「ち、違います!そういう事ではなくて!ええっと、いつもよりも増して!そう!いつもの百倍優しそうって意味です!」
王子様相手に不敬罪になったら崖っぷち貴族なんか吹かれて飛んでっちゃう!
慌てて言いなおすと、また王子様は優しい顔で笑ってくれた。
手の平の中の心臓から、とくんと、音がした。
手の平の中のおもちゃの指輪。いつも私を元気づけてくれる、思い出の詰まった大切な宝物。
「聞きました?王子のお話」
「ええ、王子が田舎令嬢にご執心ってお話でしょう?」
「沢山いる令嬢の中からどうしてあの令嬢だったのかしら」
「礼儀もなってない、学もない、田舎娘の癖にねぇ」
「そこが良いのではないかしら?殿方は物を教えるのがお好きでしょう?」
「それに、見目だけは良いものねぇ」
「王子には婚約者がいるというのに、見苦しいわねぇ」
それを握りしめて思い出を繰り返す。何度も何度も。
そうすれば、嫌な事を忘れて前を向けるから。
私の、おまじない。
「何よこれ、汚い、みすぼらしい」
目の前で私の指輪が窓から落とされる。
お父様に買ってもらった、大切な指輪。
指輪は、小さな波紋だけを残して、外の池に沈んでしまった。
「まぁ、なんて見苦しいのかしら」
「池の中に入るだなんて」
「お似合いね」
池は深くないけれど、冷たい。
指輪は小さいから、中々見つからない。
周りの声が気になって、見つからない焦りが心を揺らして、涙が出そうになる。
「そんな所でどうしたんだ」
昔は一生聞く事はないと思っていたのに、聞き慣れてしまった声が降ってくる。
「探し物をしているんです」
泣いちゃダメだ。
私は悪くないし、きっと王子様を困らせる。
「そこまでして探さないといけない物かい?」
「私にとっては大切な物なんです」
「私が新しく買ってあげようか?」
「婚約者がいる殿下が他の女性に贈り物なんてしちゃダメでしょう」
王子様の婚約者様が、王子様の事は殿下と呼ぶようにって教えてくれた。
その他にも、貴族間の偏見をなくすために王子が私と仲良くしてくれる事とか、礼儀作法とか、色々教えてくれた。
婚約者様は物静かで、あんまり笑わないけれど、優しい人。
私が王子と仲良くすればするほど、どうしてか婚約者様も悪く言われてしまう。
あんなにステキな人なのに。
私のせいで。
ザブザブと音がして、驚いて振り向いたら王子様が池に入って来ていた。
「何してるんですか!」
「私も一緒に探そう。二人で探した方が早い」
なんで。
なんでそんな事するの?
王子様なんだから他の人を呼んだらいいのに。
自分が入る必要なんてないのに。
私と仲良くするのは政治的な問題のためでしょう?
分かってる。別にそれでも全然構わない。
だって、王子様と私じゃ全然違うから。
だから、もう、分からなくなるような事しないで。
「もう私に、構わないでください!」
王子様が私に構うから私の虐めが酷くなる。
王子様が私に構うから婚約者様が悪く言われる。
王子様が私に構うから王子様が悪く思われる。
王子様が私に構うから私はーー
「私は打算だけで君といる訳ではない」
王子様は、こっちも見ず手も止めずに言った。
「私に媚びる事もせず、私を恐れる事もなく、君のままに私に接してくれる。そんな君といる時間は心地良い」
私も、私を貶さない、私を真っすぐに見てくれる、私の話を聞いてくれる、王子様といる時間は楽しい。少し緊張はするけれど。
「私は、立場や身分関係なく、君と仲良くなりたいと思っている」
やっとこちらを振り返った王子様は、こっちまで歩いて来て、私の手に大きな手が重なった。
「君の見ているものを私も見たい。君が感じているものを私も感じたい。私はーー」
王子様の手が離れた時、私の手の平には指輪があった。
私の宝物の、おもちゃの指輪が。
「君と一緒にいたい」
王子様の目は真剣で、真っすぐに私を射抜いてくる。
それは、まるでーー
「殿下。お探し物が見つかったのなら早くお上がりください。お体が冷えます」
びっくりして振り返ったら、池の縁にタオルを持った婚約者様がいた。
いつからいてくれたんだろう?
その後、婚約者様はタオルをくれただけじゃなくて、着替えまで用意してくれた。
婚約者様はいつも用意が良くて、気が利いて、優しくて、本当にステキな人。
目を引くような見た目ではないけれど、王子様ととてもお似合いだと思う。
私の手の平の中には王子様が見つけてくれた宝物。
そっと握りしめたら、なんだか温かい気がした。
私の手の平には指輪が二つ乗っている。
お父様が買ってくれたおもちゃの指輪と、王子様が私の誕生日にくれた本物の指輪。
高くないって言っていたけど、絶対おもちゃの指輪よりは高い。
私はいらないって、受け取れないって言ったんだけど、王子様が、私の大切な宝物を理解しなかったお詫びだって押し付けられちゃった。
一緒に探してくれたし、見つけてくれたのも王子様なんだから、別にいいのになぁ。
でも、嬉しかった。
おもちゃの指輪は子供の頃に買ってもらったものだからもう指には入らなかったから、凄く嬉しかった。
あの頃を思い出して、少し背伸びしたような、少し特別な日のような、そんな気分で、浮き足立った。
だから、お礼がしたかったの。
王子様のお誕生日はみんなが知っている。
だって国中でお祭りをするから。
でも、私ができる事は少なくて。
王子様に相応しいプレゼントなんて買えないし。
悩んで悩んだ結果、ケーキを作る事にした。
料理はお母様と一緒にずっとしていたから得意。特にお菓子作りは大好き。
十分に買えないからこそ、限られた材料でたくさん考えて、甘くて美味しいお菓子を作るのが、楽しくて。上手にできた時はもちろんだけど、失敗しても、お父様とお母様は笑顔で食べてくれるから、とっても嬉しかった。
でも今回は王子様にあげるものだから、出来るだけ頑張って材料もそろえた。
下ごしらえから時間をかけて頑張ったケーキは、今までで一番の出来だと思う。
王子様喜んでくれるかな?
「殿下、祝日の日に殿下のお部屋にお邪魔してもいいですか?」
後から思い返したら、とても常識外れなひどいお願いだったと後悔した。
王子様のお部屋って、どう考えてもお城だし、何より偉い人でも婚約者でもない私が王子様のお部屋に行くなんて、しかも自分から入れてって言うなんて、恥ずかしいほどのマナー違反だもの。
でも、その時の王子様は少し驚いていたけれど、笑顔で了承してくれたから、その事に気づけなかった。
王子様に連れられて王子様の部屋に行く。
王子様の部屋はいっぱいあって、ここは応接間なんだって。
···この部屋だけでもわたしの家より高そう。
今さら緊張してきたけれど、勇気を振り絞って、王子様の前にケーキを置いた。
「殿下、お誕生日おめでとうございます!」
一人でホールケーキは重そうだから、小さなタルトケーキにした。
その代わりにクリームやフルーツをたっぷり使ったから、彩りもキレイだし、美味しいと思う。
「プレゼントはこのケーキです。殿下のために頑張って作りました」
「君が作ったのかい?これを?」
王子様がすごく驚いている。普通の貴族は料理なんてしないものね。
「大丈夫です、家ではよく作ってましたし、味見もちゃんとしました!ちゃんと美味しいはずです!」
王子様はとってもキレイな所作でケーキを一口食べた。
なんだかすっごくドキドキする。
「これは···」
「美味しいですか?」
「ああ、職人と比べても遜色ないくらい美味しいよ」
「えへへ、よかったです」
美味しいと、言ってもらえたのが嬉しくて顔が綻ぶ。
お父様やお母様に食べてもらった時もそうだった。食べてもらうまで、美味しいって言ってもらうまで、期待と不安でドキドキするの。
美味しいって言ってもらえたら、すごく嬉しくって。
笑顔になってもらえたら、すごく嬉しくって。
「とても美味しいよ。ありがとう。今日は人生で一番幸せな誕生日だ」
王子様はとろけるような笑顔でそう言ってくれた。
嬉しいのに、なんだか胸がきゅっとなって、顔に両手を当てたら、とっても熱かった。
私は、
それが何なのか分かるのが怖かった。
だから
それを、手の平の中に隠した。
握りしめた手の平を暴いたのは、王子様だった。
寒くないかと言って、手を握ってくれた。
君は悪くないと言って、抱きしめてくれた。
君に幸あるようにと言ってって、瞼にキスをくれた。
私を見つめるその瞳に、特別な熱がある事に気づいていた。
そして
私の中にも、同じ熱がある事に気づいてしまった。
目を背けて、見て見ぬふりをして、勘違いだと言い聞かせて。
どれだけ手の平を握りしめても、消えない。なくならない。
溢れて、こぼれそうになる。
こんな事なら。
気づきたくなかった。
知りたくなかった。
この熱が、この想いが、この感情が、
恋
だなんて。
気づいたってどうしようもないのに。
気づいたっていい事なんて何もないのに。
王子様にはお似合いの婚約者様がいて、私は身分が低くて、礼儀作法もなってなくて、王子様は王子様でーー
でも
溢れて、こぼれて、止まらないこの想いは。
「君は、どうしたい?」
いつの間にか手の平に収まらなくなっていた私の宝物は。
「殿下!」
握りしめた手を開いて、伸ばした手は。
「私、やっぱり、私はっ、殿下の事が好きです!」
あきらめられない。捨てられない。届かせたい。
全部、全部、王子様がくれた恋だから。
私の、大切な想いだから。
私の手の平の中は、王子様の手の平の中と一緒になった。
重なった私と王子様の手の平。
手の平には収まりきらない私の幸せ。
「ホントのホントにいいんですか?」
離したくないって、握りしめてしまう。
「私から言っておいてなんですけど、私は身分が低いし、賢くないし、礼儀作法もできなくて、それに、殿下にはーー」
「私は君がいいんだ。身分はどうとでもなるし、礼儀作法などは今からでも覚えられる。大丈夫。彼女とは政略だから正式に謝罪と補償を約束すれば問題はない」
「でも、ずっと婚約していたんですよね?」
「私は君だけでいい。もし彼女との婚約を解消しないのならば、君を正妃にする事は出来なくなる。側室か愛人という扱いになるだろう」
それが当たり前だという事は私でも分かる。
だって私の身分は低いから。
「私はそれでも大丈夫です!一番じゃなくても、殿下の傍にいられるのなら」
本音は少し寂しいし、仲のいいお父様とお母様を見て育ったから、私もあんな風になりたいと思う。
でも、王子様は王子様だからお妃様がたくさんいても仕方がないって分かってる。
「私は大丈夫ではない。私は、君を、誰よりも愛しているのだから」
胸の中がぱっと熱くなる。
顔もいちごみたいに真っ赤になっていると思う。
同じように王子様が私の手を握った。
「どうか、私と共に生きてくれないか」
嬉しかった。
そんな風に誰かに言ってもらえた事が。
それが、好きな人だったから。
「はい!」
私の薬指にはめられた指輪。
私の、新しい宝物。
「とても綺麗だ」
「殿下もとってもかっこいいです」
真っ白なウエディングドレスを着て、真っ白なタキシードを着た王子様にエスコートされる。
まるでおとぎ話のような、夢みたいな現実。
誰も彼もが私達に笑顔で手を振ってくれる。
王子様の婚約者でなくなったあの方も、ほほ笑みを浮かべて私達を祝福してくれた。
「どうぞお幸せに」
あの方は私に怒らなかった。
妃になる事は大変な事ですので頑張ってくださいって、応援してくれた。
私は今、とっても幸せ。
きっとこれからも、ずっと幸せ。
だって私は、この手の平で幸せを掴んだのだから。
お読みいただきありがとうございます。
「爪先の恋」の王子と結ばれた身分の低い「彼女」視点でした。ハピエン風に出来ていたでしょうか?
このお話のシリーズは転生系でも悪役令嬢系でもなく、純粋な悲恋物として書いています。なので、誰が悪いとか画作しているとかそういうのはないつもりです。
だからこそ悲恋とも言えると思っているのですが···
次は王子視点を上げようと思います。
追記:登場人物の名前すらないように、深く設定を決めている訳ではありません。むしろ登場人物のプロフィール以外無です。あくまでさっと読み終わる短編のつもりなので。なので、ふんわりと雰囲気だけで楽しんでいただけたらと思います。
私の力不足によりご不快な思いをされたなら申し訳ございません。私とは縁がなかったという事で、どうぞ記憶の彼方から叩き出して下さい。