第180話 悪夢ver.1.1
「いや~、相変わらず精がでるのう、アカネ殿!」
アカネが王宮の中庭でいつも通り筋トレをしていると朗らかな声で老人が声をかけてきた。
「ああ~、えっと…ヤーッコだっけ?何か用?今日はギアンテの姿を見ないけど。」
「ああ、その、ギアンテはだね、そのぅ…ちょっと重い病にかかってしまってね…正直一緒に冒険とかは無理な感じになっちゃったかなぁ?なんて…ハハ…」
「ふぅん…そうなんだ。ま、お大事にって言っといて。」
(ド…ドライだなぁ…まあ、本当はもう死んじゃってるなんて言えないけど…)
アカネのそっけない返しにヤーッコは微妙な笑みを浮かべるのみである。
「代わりと言ってはなんじゃが、後ろにいるこの男が出立するときには同行することになったんじゃ。」
ヤーッコがそう紹介すると、柱の陰にいた50代くらいの男が姿を現し、アカネに挨拶をした。
「はじめまして、俺の名はエルヴェイティ。剣術なら少しは自信がある。よろしくな。」
「こっちこそよろしく。なんだか剣士ばっかりね、ウチのパーティー。」
そう愚痴るアカネだが、ヤーッコはもう気にしない。実を言うとエルヴェイティはイルセルセの完全な味方と言うわけでもない。「アカネを戦わせてやる」という文句で今回の戦闘には参加させたが、彼を今後も味方とする算段があるわけでもない。これは、あくまでも「魔王討伐のパーティーをちゃんと考えてある」と、アカネに見せるためのポーズである。
「まあ、何か気になることがあったらなんでも儂に相談してくれ。儂に出来る事なら何でも力になろう。
儂はお主のことを高く評価しておるのじゃ。」
そう言うと、ヤーッコはにっこりと微笑んだ。『高く評価している』と言われてアカネは照れたような、気まずそうな表情を見せた。
ギアンテ死亡の報告を受けてヤーッコがとった方針転換は二つ。
一つはギアンテの代わりにエルヴェイティをその役割に据える事。もう一つは夢の中で自分の姿を現し、直接アカネに取り入ることである。
「どれ、アカネ。筋トレばかりじゃ飽きるだろう。基礎体力は大分できてきてると思うが、一つ稽古をつけてやろう。」
そう言いながら木剣を二本持ってきたエルヴェイティはアカネに剣の稽古をつけ始めた。ヤーッコはそれをベンチに座ってにこにこと見ている。
(なんだか…戦闘中だということを忘れそうになるのう…)
しばらく柔らかい日差しの中二人の稽古を見ているといつの間にか黒猫のアマランテがベンチの上に乗って、同様に二人の稽古を静かに見ていた。
ヤーッコがなんとなくアマランテの頭をなでようと手をゆっくり伸ばすと、バリッと引っかかれた。
「あいだぁ!!」
びっくりしてヤーッコが手を引っ込める。
その大声に驚いて、アカネ達も稽古を中断してヤーッコの方に歩み寄ってきた。
「コラ、アマランテ。引っかいちゃダメでしょう。
大丈夫?おじいちゃん。」
「お、おじいちゃん?」
意表を突かれたアカネの呼びかけに思わずヤーッコが驚いた表情を見せる。
「お湯、沸きましたよー」
現実世界ではエピカのその声とともにチクニーがテキパキとお茶を入れる準備を始めていた。雨が降った時用の簡易的な天幕をレジャーシート代わりに地面に敷いて全員がピクニックにでも来たかのように座しており、その中心には保存食のクラッカーが並べられている。どうやら今回はクッキーは持ってきていなかったようだ。
「これ非常用の保存食ですよね?全部食べちゃっていいんですか?」
「まあ、これが最後の戦いになりそうだし、いいんじゃない?最悪まだ必要なら近くにいるサウロムに都合してもらおうよ。」
チクニーの質問にビシドが即座に答えるが、彼女は本当に遠慮と言うものがない。
「結構なお手前で…」
お茶を一口飲むと、正座したままルウル・バラがそう呟いた。カップが足りなかったので、スープ用の器にお茶を入れて飲んでいる。彼だけ一人、世界観が違う。
「それにしても、アカネさんはともかく、アマランテさんも起きませんね。エルヴェイティさんと戦っていたらしいし、疲れてるのかな?」
チクニーがそう言いながら彼女の方を見ると、アマランテはオリハルコンの杖を抱きしめたまますぅすぅと寝息を立てていた。
「いやー、それにしてもギアンテ死んじゃったんだねぇ。チクニーがやったの?」
ビシドがクラッカーを齧りながらそうチクニーに軽い感じで尋ねる。これが前職ハンターの死生観というものである。
「い、いや!俺じゃないですよ!!俺は命の大切さを知ってる人間ですから!!」
そう言いながらチクニーがスフェンの方をちらりと見る。スフェンは額に汗を浮かべながらも何事もなかったかのようにお茶を飲んでいる。
「こいつがやりました」
チクニーが事も無げにスフェンの方を指さして答えた。実際チクニーがやったわけではないが、さすがにオアシス運動を重要視する人間の発言である。
「ちょ、黙ってりゃいいのに、なんでばらすんですかぁ!!」
紅茶をブッと噴出してスフェンが必死で言う。
「ギアンテって確か、イルセルセの『炎の勇者』とかいう奴だったか…女性だったと思ったが。
お前ら女子供でも平気で殺すんだな…」
魔王が無表情のままそう言う。もともとサングラスをしているので表情を読み取りづらいが、責めるような口調ではあるものの、あまり興味なさそうでもある。しかしスフェンは激しく狼狽して必死で言い訳する。
「いや、ギアンテさんは敵だったんですよ!勇者の剣も持ってたし!手を抜ける相手じゃなかったんですから!!」
「ハハッ、よう言うわ。『僕なら殺さずに剣を奪うこともできた』とか言ってたくせに…」
チクニーが冷笑を顔に浮かべながら悪そうな顔で言う。さっき説得した時は擁護していたくせに無茶苦茶である。しかしこれは『敵だろうが味方だろうが叩けるときに叩け』という闇の勇者一行の鉄の掟である。
「あんた一体どっちの味方なんですかぁ!!」
「ぃやかましいわぃ!!」
盛り上がっている闇の勇者一行にヤーッコがブチ切れて一喝した。確かにヤーッコに『話しかけて』はいないが、さすがにちょっと大騒ぎしすぎたと思って一同は静かになった。
森の中は再び静寂に包まれた。
「ぃやかましいわぃ!!」
「ひっ…」
突然叫んだヤーッコにアカネが恐怖で顔をゆがめた。
「ご…ごめん、調子乗って『おじいちゃん』なんて言ったから…?もう言わないから許してよ…」
アカネは目に少し涙を浮かべている。突然の豹変によほど驚いたようだ。
「あ…ああいや、別にアカネ殿に言ったわけではないんじゃよ。ちょっと別のことを考えててな。
いやいや、これからも『おじいちゃん』って呼んでくれていいんじゃよ。」
ヤーッコが慌てて半笑いで弁解する。どうやら現実世界と精神世界の言動が一瞬リンクしてしまったようであった。