第167話 頭のない巨大な竜
「ン?…あれ?」
人の気配を感じてスオムルは反射的に道のわきの木陰に隠れる。気のせいではない。明らかに10人ほどか、少数の人間が歩いている気配がする。それも自身の歩んできた後方からではない、対面からである。
(ナスルディン達だ…こんな夜更けに少数で…一体なにを…)
スオムルはそう考えたが、すでに答えは出ている。10人弱の兵しかいないのにまともな作戦行動としての活動のはずがない。和平交渉の使者なら白旗など目印をつけているはずであるし、そもそもこんな時刻に来るはずがないのだ。
一瞬やり過ごそうかと思ったスオムルであったが、意を決して一行に話しかける。
「こんな夜更けに何の用だ?ナスルディン…」
「あ…兄上…」
突然のスオムルの出現にナスルディンは驚愕している。
(フフ…我ながら完璧な登場の仕方だ。大方この少人数で俺に投降を呼びかけるか救出するかが目的で来たんだろうが、その当人が目の前に急に現れるとは思うまい。
ただ投降するのも格好悪いしな、すこしからかってやるか…)
少し困惑していたが、ナスルディンがスオムルに話しかけてくる。
「私たちの気配に気づかれていたんですね…兄上…」
(気づくわけねーだろ、犬か俺は)
「私は『何の用だ』と聞いているんだ…」
心の中で突っ込みながらもスオムルは冷静に勤めて話を続ける。
「兄上…以前もお願いしたことではありますが、投降していただけませんか…これ以上の戦いは無益です。」
正直言ってナスルディンのこの申し入れはすでに自暴自棄になって投降しようとしていたスオムルにとっては渡りに船ではあったのだが、しかしただ投降するだけではつまらない。何より彼はナスルディンの前でだけは『頼れる思慮深い兄』を演じ続けてきたのだ。そこだけはブレたくなかったのだ。
「何度も言ったはずだ…部下を裏切ってまず将が投降するなど、できるものか…」
「やはり答えは変わりませんか…戻りましょう、ベインドット…」
(いや…諦めるの、早くない?)
踵を返して引き返していこうとするナスルディンをスオムルは見つめるだけしかできない。
(ああ…行っちゃう、行っちゃう…ど、どうする?このままでいいのか?もしかしてここが俺のポイントオブノーリターンなんじゃないのか?)
「よろしいのですか?ナスルディン様…」
(ナイス!ベインドット!!)
スオムルが心の中でガッツポーズをする。
「ナスルディン、ここに来た、ということは以前に私が言っていたことの意味、分かったのだろうな…」
スオムルはとりあえず思わせぶりなことを言って煙に巻く作戦に出た。
「以前の会談の時に言っていた『我が国家であり、国家が我である』という言葉ですか…」
「………」
「…そう、それ」
一瞬間が開いたことにナスルディンが不審そうな表情を見せる。
(なんだろう、今の間は…あ!)
「すいません、『国家』じゃなくて『国民』でしたね。」
「…そう、国家じゃなくて国民。」
(…なんか、兄上の様子がおかしい…?)
ナスルディンから見てスオムルはなにか本調子でないようなところが見て取れるが、それでもスオムルは話し続ける。
(いかんな、結構前の事だから俺も何言ったかうろ覚えだな。)
「いいか、そもそも国家元首とは…」
しかし、それを遮ってナスルディンが懐から手紙を取り出しながら話す。
「アカネさんからの手紙にもありました。国家や王というものは民との契約によって成り立つものだと。王は巨大な権力と徴税権を持ちますが、その引き換えに国民の命と財産を守らなければならない。
国王とは確かに国の最高権力者ではありますが、民心が離れれば民から見捨てられ、反乱を起こされます。実際にはたとえ王だろうと自分勝手に国を動かす権利などありはしないんです。特にノルア王国のように(中略)国も民にふさわしい、愚かなものになってしまうのでしょうね…」
「………」
何もしゃべらないスオムルに不安なそうな顔でナスルディンが問いかける。
「間違ってますか…?」
「あ、いや…まあ…まあ合ってるかな…」
(嘘だろ…?こいつ11歳だったよな?11歳ってこんな頭よかったっけ?
俺が11歳のころなんて、どうやったら侍女のスカートの中が覗けるだろうか、とか、そんなことばっかり考えてたぞ…!)
予想外にすべての答えを持ち合わせていたナスルディンにスオムルは若干恐怖を覚えたが、それでも話を続ける。
「結局政治が成熟してくると国家権力とは国民の望む形に沿うことになるのだ。
いいか、お前は神聖ノルア帝国の前身となった自由革命軍のリーダーが誰か知っているか?あの組織は…」
「リーダーは、いないんですか…?」
「え…なんでそれを…?」
またもや即座に答えを出すナスルディンを今度は完全に恐怖のまなざしでスオムルは見ている。
「これもアカネさんと話していてそういう結論になったんですけど、実はアカネさんは自由解放軍とはかなり初期のころから交戦していて、その時からリーダーが何者なのか分からなくて、そこがずっと謎だったんです。
そこから、集団としての意思決定がどうなされているのか、と言う話になって、各将軍の合議によって活動方針が決定されている、と言うところまでは掴んだんですが、リーダーが別にいるのか、それとも将軍の中の誰かがリーダーなのかという話になったんですが(中略)結局リーダーと言うものがいなくて、構成員の意思を吸い上げて行動方針を決めているのではないかという結論になったんです。
どうでしょう?あっているんでしょうか?」
スオムルは恐怖で額に汗を浮かべながらナスルディンの話に聞き入っていた。自分一人で考えたわけではないようだが、直接の接触もなかった組織の意思決定の仕組みまでを状況証拠から想像だけで言い当てる目の前にいる11歳の少年に、言いようもない不安を抱えていた。
スオムルの答えがきけなかったためナスルディンはそのまま話し続ける。
「今回の神聖ノルア帝国の立ち上げの経緯を見てて、あまりにも組織として一貫性のない行動指針を訝しんではいたんですが、もしこの想像が正しいなら、神聖ノルア帝国の意思決定は一人の人間が決めているわけではないことになります。
それならば活動に一貫性がないことも説明がつくかな、と思ったんですが…」
スオムルが、答えを求められていることに気付いて慌ててこれに返答する。
「ああ~、いや、まあ…まあその…当たらずも遠からず、と言ったところかな…」
実のところ、『遠からず』どころか、ビンゴである。スオムルは一旦呼吸を整えて、十分に溜めてからゆっくりと発言する。
「神聖ノルア帝国に最高意思決定者などいないのだ。『皇帝』など意味がないのだ。すべては『国民』の意思に沿ったうえで動く。民が戦いを望めば、戦争になるし、それを望まねば、戦争など終わるのだ。すなわち、我と国民は一体である。
頭のない巨大な竜、それが神聖ノルア帝国の正体なのだ。」
この『頭のない巨大な竜』のくだりはスオムルがずっと暖めていたセリフである。アカネかナスルディンと落ち着いて話せる機会があればぶち上げてやろうとずっと考えていた決め台詞であったのだが、11歳の少年にに全て看破された後では、正直言って、インパクトが弱い。
しかし、もう後に引けなくなったスオムルはさらに話し続ける。
「民が戦いを求めているのならば、最後の最後まで戦おうと思っていた。民が私の死を望むのならば、その役目を全うしてからお前に全てを託そうと、そう考えていた…しかし…」
しかし
(…なんかもう…なんもかんも、どうでもよくなったわ…死ぬ事に、意味なんてねぇわ…人間生きてこそだわ。)
十分に成長した弟の姿を目の当たりにして、成長しすぎたナスルディンに会って、スオムルの心は完全に折れてしまった。
(コイツを見て、よぅく分かったわ…俺にはもう、『やりたい事』も『やるべき事』も、もうなんにもねえってことが、よく分かったわ…)
スオムルの気持を察したのかしてないのか、ナスルディンがゆっくりと口を開く。
「兄上は全てを一人で抱え込もうとしすぎてるんです。僕は、一人でここまで来たわけではありません。多くの仲間の助けがあって、ここまで来れたんです。
あとは任せてください。戦争を、終わらせましょう。」
ナスルディンの言葉を受けて、スオムルは憑き物のおちたような、晴れ晴れとした表情と、決意にあふれた目をしていた。
(ようやっと終わった。俺はもう表舞台から降りる!そして弟のサポートを陰ながらするという…
事実上のニート生活に!突入する!!)
「ナスルディン、俺は投降する。この戦ももう終わりだ!」
(そして、スーパーバイザーとか、相談役とか、顧問とか、とにかく普段何やってるのかよく分からないけど、たまに現場に来て大した責任も負わずに好き勝手言って、偉そうな感じで場を荒らす、そういう存在に、俺はなる!!)
※彼の個人的なイメージです。実在の役職とは関係ありません。
「ナスルディン、お前たちの本陣に連れていってくれ。俺は…」
しかし、そう言いかけたスオムルをナスルディンが止めた。
「兄上、それ部下の方達にちゃんと言いました?」
「へ?」
「いや、見たところここに一人でいるみたいですけど、投降するのは兄上の意思でできるとしても、部下の方達にちゃんとそれ言いましたか?」
「あ…いやぁ…」
はぁ、とため息をついてナスルディンが諭すように語り掛ける。
「いえ、説教するつもりはないんですけどね?兄上も一応神聖ノルア帝国のトップなんですから、責任ある立場の者として、それ相応の行動が求められると思うんですよね…
投降するにしても、説明責任を果たしてから、ってのがスジじゃないんですかね…?」
(あかん…涙出そう…
8歳年下の11歳の弟にたしなめられてる…)
スオムルは下唇を噛みながらうつむく。しかしそんなことで『王』となった弟は容赦はしない。
「僕たちはここで待っているんで…ちゃんと部下の方達に説明してきてくださいね…」
ナスルディンにそう言われ、スオムルはトボトボと来た道を引き返す。夜はもう明けてから随分経っており、辺りに立ち込めていた霧も少しずつ晴れてきていた。
「そういえば霧に紛れて退却するとかなんとか言ってたなぁ…今頃大騒ぎだろうな…何しろ肝心の俺が本陣にいないんだからな…」
スオムルが道を歩きながら独り言を呟きつつ考えをめぐらす。
最初は捕虜という扱いであったが、神聖ノルア帝国の面々ともなんだかんだで同じ釜の飯を食い、戦場を駆け抜けた仲間であった。辛い事ばかりであったが、確かに彼らは仲間だったのだ。
「しっかり、ケジメをつけなきゃな…始めに神輿に祭り上げられた時は、あまりの計画性のなさに呆れて、結構つらく当たったりしたけど、それもみんな一つの目的に向かう仲間だったからこそだったんだよな…」
本陣の天幕では何やら大勢の声が聞こえた。やはり急にリーダーがいなくなったことで混乱しているのだろうか。
スオムルは天幕の扉をバッと開けて中にいる者たちに声をかけた。
「みんな、急にいなくなってすまないな。私は…」
「あ…」
中にいた部下達から小さな声が漏れた。
しかしそれは皇帝の帰還を喜ぶ声ではなかった。
天幕には即席で作られたのか、横断幕が掲げられ、そこには『祝!ウザいヘタレ王子脱走』『俺たちは自由だ』とでかでかと書かれていた。
作戦会議に使われていた大机には料理と酒が並べられ、部下達はすでにデキ上がっている感じであった。
「いや…え…?」
思わずスオムルから声が漏れる。
「いや…これは、…その、ですね…」
ネルガドが脂汗をかきながら言い訳をひねり出そうとするが、言葉が出ない。まさか戻ってくるとは誰も思っていなかったのだ。
「なんじゃぁそりゃあ…」
スオムルからは生気の抜けた声しか出ない。
「え…なに?こんな感じだった…?おれ…
いない方がよかった感じ…?」
ネルガドはもはや泣きそうな顔をしているが、それでも何とか言い訳を続けようとする。
「いや…そうではないんですよ…?ないんですけどね…?
ほら…色々あるやん…?
こう…けじめ、というか、区切りをつけなきゃ、っていうか…」
「早くね…?パーティー開くにしても、早くね…?
待ちに待ってた感じ…?完全に出来上がってるやん…?」
こうして、気まずい空気の中、この日、神聖ノルア帝国は消滅した。