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第140話 グラップラーアカネ

 次の日の正午ごろ、昼食を取りながらも、アカネ達は目に見えて疲弊していた。


 前回の襲撃の後もヴァンフルフ達はアカネ達にわざと気取られるような距離で追跡を続け、その後、計4回の襲撃を実行した。負った怪我はすぐさまエピカが回復してくれる。しかし疲労の色が濃い。4回の襲撃のうち、2回は夜、休憩している間であった。


 昨夜の襲撃以降、アカネ達はさらに2体の敵を倒し、もう2体負傷させていたが、彼らが逃げて本隊に合流したのち、すぐさま遠吠えで欠員補充の連絡であろう声が聞こえ、隊はまた10人に戻っていた。補充の際、少しだけヴァンフルフ達と距離を取ることができたが、森の中を進む彼らの進軍速度は速い。すぐに追いつかれてしまう。


 当然ながら戦いの際敵との会話は一切ない。不気味の境地である。


 アケメネス朝ペルシアの部隊の中に『不死隊』と呼ばれる精鋭部隊がいる。アタナトイ(不死)とも一万騎兵とも呼ばれ、部隊に死者が出てもすぐさま欠員が補充され、常に一万人の部隊規模を維持する。これにより兵の数が減らないため『不死隊』と呼ばれるのである。


 他民族混成部隊である彼らは仲間が死んでも全く意に介さず進軍し、表情は布や兜で覆われて伺い知れない。顔が見えない、言葉を発しない進軍というのはそれだけで不気味の渦を巻き起こし、敵兵の士気を大きく削ぐのだ。同じ獣人でもあけっぴろげで親しみやすいビシドと違ってヴァンフルフ隊は表情も分からないし言葉も発さない。

 アカネ達の精神をまず挫こうという作戦のようだ。


「ふぅ…」

 堅いパンを半分ほど食べ終えたアカネがパンをポーチの中に詰めて一息ついた。

「来るな…」

 なんと、ビシドの警戒網よりも早いアカネの襲撃告知であった。アカネが武器を持って立ち上がると、それに呼応して他の者も武器を取って円陣を組む。


 アカネの予言通り、5体の獣人が襲い来る。しかし段々と動きの癖が分かり始めたアカネ達は危なげなくこれを撃退する。逆にヴァンフルフ達もアカネ達の攻撃を無難に凌いで撤退していく。

 早くも『慣れ』始めているのだ。さらに、アカネは攻めの『気配』すらも感じられるようになってきている。事態は膠着し始めた。否、不利なのはヴァンフルフ達の方である。ここで双方の『勝利条件』の差が出始めたのだ。


 ヴァンフルフの『勝利条件』とはアカネ達を、特に闇の勇者アカネをこの森の中で始末することである。


 対してアカネの『勝利条件』とはなんなのか。それは『生きる事』である。『生きる事』とは即ち『生きて森を出る事』。遅々とした歩みとはいえ森の出口が近づき始めている。両者のハードルの高さの違いがここに来て明暗を分け始めた。


 アカネ達はヴァンフルフ達を撃退するとすぐさま荷物をまとめて行軍を開始する。森の出口が近いことに気付いているのだが、それは相手も同じである。

 進み始めたアカネ達の前に再度獣人部隊が現れ攻撃を仕掛ける。これを凌ぎながらアカネはこれまでよりも間隔の狭い襲撃に内心ほくそ笑んでいた。敵の焦りが見え始めたからだ。


 アカネ達は傷を負いながらもなんとか獣人の攻撃を凌いでいたが、今回はなかなか撤退せず、戦いの最中、ヴァンフルフが少し距離を置いてひときわ大きな遠吠えを3回した。これまでにない動きである。


(腹を決めたな。総力戦の泥仕合にするつもりだ。)

 今までと違う動きにそう感じてアカネは声を張り上げる。

「アマランテ、ありったけの魔力を杖に込めろ!他の者は彼女を守りながら戦線維持!!」


 その言葉とともに森がざわざわと蠢き始める。残存兵力が集結しつつあるのだ。


 そのさなか、アカネは仲間の円陣から一気に前に出てヴァンフルフに飛び掛かかって斬撃を加えようとする。ヴァンフルフはこの動きに一瞬狼狽えたが、すぐさま両の爪で剣を受けようとする。しかし剣撃を受けたはずの両手に重さが感じられなかった。


 アカネはヴァンフルフに剣が触れた瞬間その得物を放したのだ。


 得物を投げ捨てての低空タックルである。腰と膝裏に手をまわして、ヴァンフルフの体を倒しこもうとする。身体能力で人間を凌駕する獣人に肉弾戦を挑もうというのだ。


 断続的な攻撃を仕掛けられて精神が削られ、いよいよ気が狂ったのか、否、これこそが人間の戦いである。


 獣の戦い方には体の構造上、どうしても攻撃の届かない『死角』というものが存在する。多くの草食動物では先にオオカミの狩りの仕方で触れたとおり、肩口がそれに当たるし、完全に攻撃を封じられなくともいくつかの武器を封じる距離というものがある。それが密着距離である。完全に密着した状態では牙が封じられるし、爪による攻撃もその力を著しく落とす。アカネの今いる位置が『それ』である。


 『密着距離』で十二分の力を発揮できる闘者は人間と蛇だけである。


 密着したまま自身の体を倒そうとするアカネをヴァンフルフは爪で攻撃しようとするが、手を振り上げた瞬間アカネはすぐさまタックルを諦め、密着した距離のまま体にまとわりつくようにして、振り上げた腕の隙間からヴァンフルフの背後に回り込む。


 右手をヴァンフルフの首に回し、自身の左手とがっちり組み込んで締め付ける。裸締めである。


 成功すればこのまま頸動脈を締め上げて数秒で『落とす』技であるが、ヴァンフルフもまた強者である。初めて喰らうこの技を理解し、すんでのところで右手の指を二本だけこの締め技に割り込ませることに成功した。この二本の指だけが彼の生命線である。


 彼の左手はなんとかアカネに引っ掛けて引きはがそうと努力するのだが、むなしく空を切るのみである。さながら水面(みなも)にもがく虫の如し。

 やがてそれを諦め、爪をアカネの腕に食い込ませるが、アカネはこれを『硬気法』でしのぐ。


 膠着状態の続く中、ヴァンフルフの部下たちが続々とアカネの周りに集まってきた。やはり先ほどの3回の遠吠えは総力戦の合図であったのだ。

 慎重に間合いを詰めようとする彼らをアカネが大声で留める。


「動くな!襲い掛かればコイツの首をへし折るぞ!!」


(騙されるな!そこまでの力はこいつにはない!この二本の指が残っている以上、まだ膠着状態なんだ!今襲い掛かれば勝てる!アマランテの魔法も僕とアカネが密着している以上出すことができない!今が唯一のチャンスなんだ!!)

 心の中でヴァンフルフはそう叫ぶが、声が出せない。彼の部下達は間合いを保つことしかできないでいる。


(思った通りだ、こいつは部下に慕われている。こいつを人質にしている以上部下は手が出せない。)

 アカネは全力でヴァンフルフを締め上げようとしながらも考えをめぐらす。


 そう考えたのには理由がある。最初に襲撃を撃退した時、肩に矢を受けただけの仲間を撤退させていた。アカネはそこに目をつけていたのである。決して部下にも自分にも無理な攻撃をさせず、安全策を取り続ける。数名の部下を失ってはいるが、それは結果論である。おそらく彼は自分の命だけでなく部下の命も大事に扱って来たのではないか、とアカネは考えたし、実際そうであった。


(ここまでは上手くいった。だが問題はこれからだ…)

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