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74 木の城

 方針が決まってしまえば、後の細かいことは割とトントン拍子というか、すんなり決定した。


 社宅の担当者、という人が来るのを待って、諸々の手続きがあっという間に行われた。梅風軒さんは一カ月分の家賃をバッグから出した財布からさっさと札を出して支払った。大金だ。この世界は俺の居た世界よりも十倍の金が飛び回っているのだ。


 一軒家の社宅の場所を教えてもらい、鍵を受け取る。そこまで、梅風軒さんが車で送ってくれることになった。


 といっても、社宅というだけあって会社である地下工場からそんなに遠くなかった。車なのであっという間に到着してしまった。この距離なら、明日以降はさほど早起きしなくても歩いて余裕で通勤できるはずだ。


 とにかくラッキーだ。


 そのラッキーも、俺自身を梅風軒さんに売り渡したことによって買い取ったもんだけどな。


「とにかく、お金は返さなくてもいいからね。その代わり、来月以降の家賃は自分で支払うのよ? まあ二ヶ月目からは給料天引きになるようだけど。そして、最初の一カ月分の家賃の代償として、あなたは私のものになってもらう」


 社宅まで送ってくれた梅風軒さんは、青い車から降りた俺に対して、念押しした。


「それ、具体的に何をすればいいんですか? た、たとえば、梅風軒のラーメンメニューの新作に際して試食をしてくれ、とか、そういうのですか?」


 梅風軒の女将は切れ長の目を大きく見開いて明るい表情をした。


「ああ、そういう協力のお願いのしかたもあったわね。その発想は無かったわ」


 俺はラーメン好きなので、ラーメンの試食ならドンと来い、だ。いや、なんなら、新作開発の手伝いそのものをしたっていい。


「あなたに協力をお願いしたい時には言うから、その時になったらお願いね」


 それだけ言い残して、青い車は盛大な排気ガスを吹き出して去った。あの車、絶対ノック巣規制に引っかかっているぞな。この世界にそういうエコ思想とかあるのかどうか知らないけど。


 問題の一軒家は、ベージュ色の壁と四角いシルエットが特徴の三階建ての家だった。ただし一階部分は打ちっ放しのコンクリートだ。雪下ろしの必要がありません、というのがウリの木の城という名前の家だった。俺が元居た世界では、この家を建てていた建設会社は多額の負債を抱えて夜逃げしたけどな。


 でもいいんじゃないかな、木の城。


 俺は名字が城崎だ。その名前の通り、城が大好きで日本全国を訪問して城を見て回るのが大好きだ。氷河期だからブラック労働と低賃金のせいで、そう思うように旅はできないのだが、城が好きであることにウソは無い。時間的余裕とお金があれば、外国の城もあれこれ見てみたい。北京の紫禁城とか、チェコのプラハにあるヴィシェフラトとか。


 そんな俺も、一軒家に住めば一国一城の主だ。いい響きじゃないか。


 鍵を開けて家の中に入る。俺が心配していたのは、ライフラインが止まっていたらどうしようか、ってこと。前の入居者である亀山マネージャーがドタバタではあるけど退出してしまった以上、当然電気もガスも水道もストップして行ったはずだ。そのへんの新規開始手続きがどうだか心配だった。壁のスイッチを押した。電気が点かない。


 あちゃあ。


 いや、でも俺はすぐそこで冷静になった。玄関の入口のところで、上を見る。そこにあるのは電気のブレーカーボックス。


 開けてみて、にんまり。


 主幹ブレーカーが落とされている状態だ。この状態だと、当然電気は来ていないってことになる。


 ブレーカーのスイッチを上げると、その時点でいくつかの電化製品が動き出す微かな音を聞き取ることができた。改めてスイッチを入れると、明かりも点いた。


 ほっ。


 油断はできないけど、電気が大丈夫ということは水道とかガスとかもなんとかなるだろう。


 家の中の調度品は、シンプル・イズ・ザ・ベストという感じで、木製の家具は木目調で、他の家電は黒で統一している感じだった。あまり若い女性の巣という感じは無く、無個性と言うべきか。


 その木目調の衣装タンスの引き出しを開けて中身を確認する。……さすがに空っぽで、下着とかは入っていなかった。……べ、べつに残念だとかは思っていません。


 当たり前だけど、大きな家財道具を除外すれば、前の住人の個人的な持ち物は何も無かった。


 こういう時に一番大事なことは何か?


 俺はアフリカオオコノハズク並に賢いので、すぐに分かった。


 トイレを探し出して、扉を開けてみる。暗いので電気をつける。


 やっぱり。


 トイレットペーパーが無い。この状態でトイレを使うとヤバいところだった。


 まずは、トイレットペーパーを買いにコンビニに行かないとな。


 さっそく薄い財布を握りしめて靴を履こうとした俺だが、思い留まる。


 いやいや、トイレットペーパー以外にも必要なモノがあるかもしれない。後から気づいてまた改めてコンビニに出向くなんていう二度手間三度手間になったらバカクサイ。


 必要なモノをメモしておいて、コンビニに実際に行くのは出そろってからにしよう。


 そうして、あれこれとメモしているうちに、けっこうな項目数になって、目の前がクラクラするような感覚に囚われた。


「……あ、最寄りのコンビニがどこか聞いておけば良かったかな」


 という心配も杞憂だった。ドミナント出店の偉大さを改めて思い知ることになる。


「セコマってマジでどこにでも生えてくるんだな……」


 雨後のタケノコか。あるいは雑草のスギナか。



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